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【セタ弓】御子は従者を連れて旅立った2/Novel by 梨:次は5月

【セタ弓】御子は従者を連れて旅立った2

12,062 character(s)24 mins

■古事記っぽいパラレルde主従セタ弓の続きです。和風テイスト冒険ファンタジーと言いつつ、お山でサバイバルっぽくなっていくのはどうしたことか…。前話はこちらです→ novel/8236228
■ブクマいいねなどありがとうございますー♪ 続き楽しみに~のコメントもありがとうございます! 倒して帰るところまで書きたいです(むしろそこ)。

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 槍は鈍器です。従者は小さな主に向かって、ひどく冷めた表情で告げました。
「……槍は」
「鈍器。」
「どんき」
 穂先の銀色に輝く槍を渡され、ぱっと喜色を浮かべたセタンタが礼を述べる前に、アーチャーが開口一番、注意をしたのがそれでした。
「研ぎはしましたが、材質の悪さは如何ともし難く。強度は御子様たちのために誂えられた槍の何十分の一、以下です。粘りも撓りもありません」
 本来、歩兵の扱う長槍は遠くの敵兵の頭めがけて振り下ろすのがおもな用途です。御子たちの在りし日の狩りのように巨獣の厚い皮を穿ったり、裂いたり出来るほうが稀なのです。
 アーチャーによる諸注意は滔々と続きます。
 力任せに振り回せばへし折れるか砕け散ると言われ、両手で槍を握るセタンタの顔がみるみる曇っていきました。
「それもう、素手でいいだろ」
「ですから壊さぬようにとご進言申し上げております。槍は体裁を整えるために必須なので。斎宮へ着いて、何処の童かと門前払いされたくはないでしょう?」
 素手のほうが殺傷能力が高いと本気で言ってのけている空恐ろしさは別にして、口を尖らすセタンタの表情は愛らしいものです。アーチャーは返された槍の穂先に革袋を被せ、鞍へ括り付けました。
 背に荷を担げば出立の準備は完了です。
「さあ、参りましょう、セタンタ様」
 従者は主人に手を差し伸べました。身軽な少年に騎乗の手伝いなど、要らぬ世話とは知りながら。
「ん。昨日はオレが乗ってたんだから、今日はおまえが乗る番だろう」
「……どこに主人を歩かせて馬に乗る従者がいますか」
「ここに」
 そう薄っぺらい胸を張られても、当の従者に取ってみればただの不名誉です。いるいないで争えば泥仕合は避けられません。面倒がったアーチャーは徐にセタンタの脇に手を入れて持ち上げました。
「替え玉とは妙案ですが、残念ながら年恰好の合わぬ私には務まりませんので」
 軽々と鞍の上に据えられてしまった少年は当然といえば当然ながらしばらく機嫌を斜めにしていましたが、アーチャーは後頭部に刺さる視線をまるっと無視しました。
 従者の矜持はさておき、馬上からでも獲物を見つけてはすっ飛んでいく御子様に地を闊歩させるなんて、危なくてとてもとても。



「……おまえは、夜な夜な機でも織っているのか」
「はい?」
 ことりと首を傾げるアーチャーの手のひらには、ぴかぴかに磨かれた長剣が捧げられていました。昨日は槍の錆落とし、今日は剣の罅接ぎです。
 セタンタは唸りました。これはたいへんな作業です。
 職人仕事に疎い御子もようやく、火の番をしている間の手慰み程度で出来ることではないと気が付きました。ここには足踏みで回転する砥石も、鉄をやわらかくする炉もないのですから。
 その呆れた大儀を人に化ける白い鳥の民話に喩えたのですが、あまり伝わらなかったようです。
 セタンタは傅くアーチャーの顎を掴みました。
「おまえ、寝ていないな?」
 不寝番は要らぬという命におとなしく従ったので、おかしいとは思っていたのです。この男ははじめから、セタンタが寝入った後で起き出すつもりだったに違いありません。
「まさか。寝ずに動ける者がありますか。大人は子供ほど眠らずとも良いのです」
 けれどもそらとぼけて、先に寝て後から起きる己が知らぬだけだと言われてしまえばそれまででした。
 男の灼けた肌が顔色をわかりづらくすることも承知の上でしょう。
 セタンタは覗いていても変化のない澄まし顔から手を離し、その間も微動だにせず捧げられていた剣の柄を取りました。刃に陽光に当て、ためつすがめつ見分します。
「腕がいいな。接ぎ痕がぜんぜんわからん」
「繕えたのは外見だけです。刺突には耐えますが、斬り結んだ場合、横からの負荷には――」
「受けろ」
 ガィン!と鈍い音が響きました。
「なるほど」
 男の見立ては確かなようです。質の良い剣はもっと涼やかな音を立てますし、振るった者の腕に嫌な痺れを伝えることもありません。
 剣はぴきぴきと亀裂を広げ、ぽさりと草の上に尖端を落としました。
「な……、何をなさるのですか!」
 反射的に抜刀してしまったアーチャーが慌てて、主人に向ける形となった刃を伏せます。あまり見ない黒い刃です。あれはなかなかの硬い鋼なのでしょう。
 セタンタは半ばほどから折れた剣をぽいと捨てました。
「実の伴わぬ装飾などいらん。腰に佩けば体を重くするだけだ。こんなものに腐心するな」
 ただ一度の身の護りで壊れる鉄の装備と、敏捷な回避とどちらが有用かという話です。そもそも御子の見目を整えるのに帯剣が必要と言うのであれば、抜くでもない鞘の中身は竹光だとて構わないはず。とても労力に見合いません。
 アーチャーの眉間には皺が寄り、鈍色の瞳は悲しげに光を弾いて横たわる剣であったものに注がれますが、遠慮のない口は引き結ばれたままでした。
「ほら行くぞ、アーチャー」
「……はい」
 さて、男が怒っているのはどれでしょう。不意打ちのような斬り付けか、深夜の内職を無にされたことか。もしかしたら単純にもったいないと惜しんでいるのかもしれません。
 セタンタはふと思い付いて、ぐずぐずと立ち上がらない従者の背後に忍び寄りました。落ちた影に顔を上げる男を、徐に持ち上げます。
「セタンタ様!?」
「なに。おまえが乗らんと言うなら乗せてやるまでだ」
 もちろん仕返しですので、彼にされたのと同じように脇に手を差し入れてひょいと持ってやりました。
 同じ年頃の少年たちが両手でようやく扱える長剣を、片手で楽々と振り回すセタンタです。青年一人くらい軽いものでした。そのままアーチャーを鞍に乗せようとしましたが――
「む。届かん…」
「それは……そうでしょうね…」
 残念ながらセタンタが懸命に仰け反っても、上背のあるアーチャーの足をわずかほど浮かせるのがやっとでした。微妙な顔で沈黙する二人の前で、馬がもしゃりと草を食みます。
 何ということでしょう。腕力を見せ付けるはずが、かえって不足を際立たせてしまうとは。
「……私が手のひらの上に乗れば、あるいは…?」
「曲芸か」
 というか、そこまでしなきゃ駄目か。厭味かと思うところですが、彼は大真面目に打開策を述べているつもりのようです。
 どうも気遣いが空転する男でした。主人の小さな手のひらにこの図体で乗っかれるかと本気で考えるくらいなら、主人の気が済むよう半時でも馬に乗ればいいのです。
 なんだかむず痒い気持ちがします。
「まあ、よし」
 些か心許ない安定感に動けなくなっている従者を解放すると、セタンタはさっさと馬上の人になりました。
 アーチャーの言ったように、従者を馬に乗せて替え玉に仕立てているなどと風聞が立っては業腹です。セタンタは臆病者ではありませんし、間違っても危険まで公平にしたいわけではありません。
「何してる。どんどこ行くぞー!」
 手綱を振り回されて、馬が迷惑そうに首を震わせます。
「只今参ります……?」
 何故急に主人が駄々を取り下げたのか、主を操縦した自覚のないアーチャーにはさっぱりわかりませんでした。


 その日はさほど行かぬ間に雨が降り始めました。
 峠に差し掛かったからでしょうか。それまでの晴天が嘘のように暗く立ち込めたかと思うと、小雨はあっという間にざんざ降りです。
「こればかりは……」
「ああ。仕方ない」
 激しく緑葉に叩き付ける雨音は互いの声を聞こえづらくするほどでした。
 二人とも濡れるのを厭いはしませんが、視界や足元の悪い中を無理に進んで方向を見失ってはかえって行程は遅れますし、滑落して怪我をしたり、体を冷やして病を拾っては事です。
「ここらで一息入れろということだろう。寝るか」
 雨は天の恵み。こんな日は獣も洞でじっとしているものです。
「でしたら、私は」
「こら」
 二人は運良く見つけた大樹のうろに避難していました。当然のごとく外で雨に打たれようとするアーチャーをセタンタが無理に蹴り込んだのですが、そういうわけですので機を見つけると彼はすぐに辞そうとします。
「おや。退屈な座学の続きをお望みですか」
 アーチャーが拗ねた風に言うのは、セタンタが何度もあくびをしたからでしょう。奔放な御子に手を焼かされる教授たちと同じ表情です。
「お望みじゃねえけど、中にいろ」
 峠に雨雲の滞る仕組みだとか、雨粒の大きさからして通り雨だとか、薀蓄を聞かされたところで現状、動けないことには変わりありません。
「外に繋いでいるセタの様子も気になりますし」
「セ……馬か? おい、馬か? なんて名前付けてやがんだ、テメーは」
「畏敬の念が有り余りまして」
 こちらが不敬でそちらが不敬でないとは驚きです。
「あいつは木陰に入れたから大丈夫だろ。おまえが見ててどうにかなるものでもない」
「しかし、私がいては横になれないでしょう?」
 従者を寒空の下へ追いやって、一人だけ暢気に昼寝が出来るとでも思っているのでしょうか。
 まあ確かに、お世辞にも広いとは言えない場所です。二人並んで座れば体のどこかはぶつかってしまいます。が。
「たわけ。おまえが枕になるんだよ」
 セタンタはぱたりと身を倒しました。アーチャーの足の上にです。
 どうせどこかがぶつかるのなら、始めからくっついておけばいいのです。逆転の発想でした。
「それとも主の頭を地べたに落とすか」
「いっそ枯れ葉の積もった地べたのほうが寝心地は良いと思いますが」
 セタンタがしてやったりと見上げれば、アーチャーにはもうそれくらいしか言えることはないようでした。
「おまえのほうがあたたかい」
 セタンタはすっかり上体を乗り上げて、彼の胴に腕まで回してしまいました。
 これで役目をいただいたアーチャーは出て行けませんし、肩を窄めずに足も伸ばして座れます。なお、足の上の重みは考慮しないものとします。
 本人はああ言いましたが、寝心地も悪くはありません。それは当然、指の沈むような女の肉のやわらかさとは異なるものですが、セタンタは従者のために難儀をするほど人が出来てはいません。あくまで自分が心地良いからしているのです。
 己の他愛無い我が儘で、アーチャーもともに休めるのであれば悪いことはないでしょう。
 腹に擦り寄ると、肉付きの良い腿がびくりと揺れました。
「どうした」
「いえ……、くすぐったかったので」
 見上げるセタンタを微苦笑が迎えます。下手な誤魔化しでした。今の硬直は、持続する緊張が伝えるものはそれとは違います。
 セタンタは眦をきつくし、アーチャーの腹を強く押しました。
「ぐ…っ」
 殺し損ねた呻きが漏れます。
「脇腹だな? 見せろ」
 めくった外套の下、彼の胴を包んでいる黒い帷子に補修痕を見つけました。横長の裂け目を糸で括ってあります。主の使いもしない武具はあれほど丁寧に磨き上げたというのに、己がまさに身に付けている防具の扱いはずいぶんと適当です。
「男の肌を見たがるご趣味でも?」
「あるっつったら脱いでくれんのか」
 アーチャーは自ら動こうとはしないものの手のひらを上へ向けて落とし、抵抗はしませんでした。
 剥き出しにした脇腹には油紙が貼られていました。きつい草の香りが鼻を衝きます。
「ああ、オレが暢気に過ぎたな」
 敵方の矢を入手したとアーチャーは言いました。足を一切止めなかった馬の上から、どうして打ち落とした矢を拾えましょう。
 話は単純です。その矢が彼の体に突き刺さっていたからです。
 矢羽を見せられた時に、主たるセタンタが真っ先に思い当たらねばいけないことでした。
「ご心配には及びません。ごく浅い傷です」
 アーチャーは隠していたというより、訊かれなければそれでいいと思ったのかもしれません。男は負傷、つまりドジを踏んだことを言いたがらない生き物です。
「二日で塞がらんものを浅いとは言わんだろう」
「具体的にはこう、返しの手前までです。毒矢でないことはわかったので、優先度の低い射線は無視しました。この角度でしたら私の体を貫いたところでセタンタ様には当たりません」
 帷子で止まると思ったのですが……。運の悪いことを運が良かったと宣いそうな男は、その読み違いが唯一の失策であったと言わんばかりに頬を歪めます。
 セタンタが無造作に油紙を引っ剥がすと、アーチャーは息を詰めました。
「ん。ああ、悪い。痛かったか」
 せっかく張っていた膜までもろともに剥がしてしまったようですが、セタンタはさして気に留めず、ちらとだけ見遣った油紙を放り捨てました。
「いえ、どうせ貼り替えねばなりませんでしたから」
 もしかするとアーチャーが離れたがったのは、セタンタの目に入らないところでその処置をするつもりだったのかもしれません。
「早く言やあいいのによ」
「言ってどうなると。なんです、まじまじと見て気持ちのいいものではないでしょう」
 傷口から滲み出す透明な体液の中に赤色がちらちらと溶けています。セタンタはそこへ唇を寄せました。
 塗られていた薬でしょう、予想と違う苦味に顔を顰めつつ舌を這わせます。
 途端、ものすごい勢いで頭を押し遣られました。
「おい、首が折れる…」
「何をしている! の、ですか!」
 アーチャーから見れば、主人が跪いて舌を伸べているという驚愕の絵面です。思わず出てしまった手により、セタンタの米神はぎりぎりと締め付けられます。
 言葉遣いは軌道修正したくせに手は引っ込めないのですから、これは確信犯です。
「おまえほんと、どっちが無礼……しょうがないだろう。オレは直接触れないと治せねえんだ」
 セタンタも遠慮なく、邪魔をするアーチャーの手首を締め上げました。
「は…?」
「だから治癒だ」
 隠すように腹を覆っている反対側の腕も取り上げます。
 アーチャーが礼を失しないために主に無礼をはたらくのであれば、セタンタとて治すために従者を痛め付けることに躊躇はしません。
「……舐めておけば治るというのは民間の俗説ですよ…?」
 たぶんこの物言いに、少年を馬鹿にしているつもりはないのだと思います。たぶん、ですが。
「セタンタ様にそのような秘術が使えるとも、一切聞いたことが」
「御子の秘術を世間様に吹聴して回ると思うか?」
 アーチャーは考えるように視線を横へやりました。
「そう、ですね。一介の兵士の耳に入るようでは……」
 まあ方便でした。セタンタは座学を嫌って怠けていたので、事実そちら方面はからっきしです。人には向き不向きというものがあります。
 ただし、その高貴なる身は生まれながらに神気を帯びているため、体液にも力が宿るのです。
「知らねえなら黙って見てろ」
 結局のところセタンタに出来るのは治癒ではなく、神気を分け与えて本人の自然治癒力を高めてやることなのですが、健康な若い男のことです、“舐めときゃ治る”を地で行けるでしょう。
「なさろうとしていることは理解しましたが、この程度、放っておけば治ります。務めに支障もありませんし、御手を煩わすまでも」
 まだ言うか。ぴきりと米神を鳴らしたセタンタは、アーチャーの傷口を思い切り吸い上げました。
「い…ッ!」
 じゅううっと音を立てて吸うだけでは飽き足らず、舌先を捻じ込んで抉ります。
 腹がぐっと凹み、暴れた足先が枯れ葉を跳ね上げました。
「う、ぁ、なに……を…っ」
 もちろん治療です。荒療治と呼ばれる部類ではありますが。
 ええ、男の言う通り、放っておけば治る程度の浅傷です。けれど脇腹は歩くたびに伸びたり縮んだりしますから、傷口も閉じたり開いたり、膿んだり腫れたりした後の話でしょう。水の入り込んだまま蒸らすなど以ての外。くっ付きが悪くなる一方です。
「ハ。ようやく甘くなってきたな」
 新鮮な赤を乗せた舌先を見せてやると、アーチャーはまるで理不尽な仕打ちを受けているかのような目付きで、セタンタを見下ろします。
 彼は自分の立場がわかっていないようでした。
「おとなしく治されとけよ。傷薬は使ったらなくなるだろ。オレなら寝りゃ回復するだろ。何があるかわからねえ、さっさと塞げて、かつ節約。間違ったこと言ってるか?」
「御子様の荷に手を付けたと思われるのは心外、でっ」
 口答えも甚だしいので、セタンタはもう一度、傷口に舌を突っ込んでやりました。自分で用意した薬だろうが、現地調達の薬草だろうが同じことです。
「……っ、ん…、ぅ」
 悪い血を取り除いた後は入れ替えに己の唾液を送り込みます。
 丹念に舐っていると、痛みに構えていたアーチャーの体は次第に弛緩し、荒いでいた息も長く深いものに変わっていきました。時折、抑え込んだ手首がセタンタの手のうちでぴくと動きます。
「心地良ければ寝ちまっていいぞ。そういうモンらしい」
「っ、いえ」
 目を閉じ掛けていたアーチャーははっとして居住まいを正しました。声は掛けないほうがよかったようです。
 解放された手を持ち上げて、けれども行き場に困ってそのまま下ろします。皆まで言えば主の不興を買うことくらいは、そろそろわかったのでしょうか。
「おまえはオレの従者だろう」
「……はい」
「ならば、オレの弓であり剣であり盾だということだ。粗末に扱うな」
 己が軽傷を避けて主に矢が当たっては元も子もないという判断も、気を遣われたくないという理由も、納得はしませんが、理解はします。
 ですから、セタンタが腹を立てたのは彼の言葉でした。
 セタンタとアーチャーとでは“心配”の中身がまるで違いました。アーチャーには自身を顧みるだとか、自分が楽をするだとかの考えがまったくありません。
 己が身は使い捨てであると、卑下するのではなく、ただそういうものと思っているのです。
「他の鈍を磨き上げて、業物を放っておくのでは道理が通らん。心しておけ。オレの武具を整えたいのであれば、まずおまえからだ」
 おまえは主の道具なのだから大事にしろとはなんとも傲慢な言い種ですが、彼にはこちらのほうが効くでしょう。
 返事はありませんでした。
 アーチャーはかくりと首を落とし、寝息を立てていたからです。
「……いや、うん……。いいんだけどな、それで…」
 聞いていませんよと宣うつもりであれば拳の飛ぶところですが、ではさっそくと自愛に入ったものであれば言い付け通りです。
 そこはかとなく納得いかない気がしつつ、セタンタは彼の服を直し、改めて腿の上に頭を乗せました。
 男の寝顔をまじまじ見るなど、あまりない経験です。
 雨はまだざんざと降っています。


     □


 再び晴れ間が覗いた時、太陽はまだ天高くにありました。
 概ねアーチャーの予想した通りの時刻です。
 せっせと馬の毛並みを清拭していたアーチャーは、うなじに何かの触れた気配を感じました。
 振り返ると、起き出した主人が胡乱に眺めています。うろの中にまで射し込んだ陽の眩しさに目を覚ましたのでしょう。視線の強い少年でした。
「よく働くな。馬が好きか」
「生き物はだいたい好きです」
「傷は」
 セタンタが丸めた外套を投げて寄越します。
「治りました。ありがとうございます」
 アーチャーは治癒を固辞したことなど忘れたようにさらりと礼を述べ、外套をはおりました。それは枕にされた男が身代わりに主の頭の下へ敷いたものでした。
 ですからセタンタはアーチャーがわずか不覚を取っただけなのか、雨上がりまでともに眠っていたのかを知りません。
「また降るかねえ」
「これほどの本降りはないでしょう。日暮れまでに峠は越せるかと」
「んー。じゃあ…」
 指示を仰いでこちらへ礼を取る従者に気まずく思う必要はないはずですが、セタンタはぱしぱしと後ろ頭を掻きました。
「……行くか」


 山道は代わり映えのしない景色が続きます。
 緑と土と、梢の向こうにわずかな空があるばかりです。
 同じところを歩いているのかと錯覚するような頃合に、目に飛び込んできた鈴なりの赤い実はひどく鮮やかなものでした。
 スグリの群生です。
「おお…」
 その彩りは感嘆を声を上げる少年の瞳に似ています。
 雨上がりの雫が陽光を弾き、瑞々しい宝飾のようなそれがきらきらと輝く中を、ぽくりぽくりと進んでいきます。
「アーチャー」
 房を付けた枝が従者の前に突き出されました。擦れ違い様に引き千切ったのでしょう。まあ、雑でした。
「収穫時ですね。少し採っていきますか?」
「なんだよ。味見もしねえ気か」
 枝が揺すられます。小さな赤い実たちもわさりと揺れます。
 子供じみた悪戯だ、とアーチャーは思いました。
 スグリは料理や菓子に使う、よく見知った液果です。ただし生で食べることはまずありません。きっとひとに食べさせて、その様を笑ってやろうと言うのでしょう。
「セタンタ様、このようなことは……」
 頬を突付いてくる鬱陶しい枝をひとまず受け取りながら、アーチャーの心はどんよりと翳りました。これはもしや忠義を試されているのでしょうか。
 口の曲がるものを食べさせられること自体が罰なのでしょうか。
 アーチャーは何故だか口を利くたびに、セタンタの機嫌を損ねています。終いには叱責を受けている最中に寝てしまいました。不甲斐なく負傷し、主の手を煩わせた上にです。穴があったら埋まりたいくらいの大失態です。
 また受け答えを誤って暇を出されては困ります。
 そこへ、何かがひゅっと飛んできました。
「は……?」
 まさかと思ったのですが、それは噛み潰されたスグリの実でした。
「う、えぇえ、まずっ。すっぱ! 水ぅ!」
 あまりの酸っぱさに主人が口から飛ばしたようです。振り回される手のひらから、欲張って摘んだと思しき実がぽろぽろと零れ落ちていきます。
「悪い、やばい。食うな。マジ酸っぱい」
 大騒ぎの馬上を振り仰ぎ、アーチャーはぽかんとなりました。
「……知らなかったんですか?」
「あ? むしろ知ってたなら注意しろよ! だってこの赤いの、酒とかに浸かってるやつだろ!? なんでこんな酸っぱいんだよ!?」
「はあ。ですからこれは浸けたり煮たりして食すもので―…」
 よもや野山を駆けずり回っている少年がその洗礼を受けていなかったなどとは思いもしません。ひょんなところで御子様育ちが出るものでした。
「うえー。だまされたっ」
 渡された水を飲んだセタンタはぎゅっと鼻筋に皺を作り、目尻に涙を浮かべ、まだいがいがする舌を口に突っ込んだ指でこそいでいます。
 アーチャーは咄嗟に口元を覆いました。けれども、指の隙間からふうっと息が漏れます。
「ふっ、く、……ハハっ! 愛らしい顔がだいなしだ!」
 一旦噴き出してしまうと、込み上げる笑いを堪え切れませんでした。
 セタンタがアーチャーに実を差し出したのは、毒見でも味見ですらもなく、お裾分けだったのです。まったくなんて馬鹿らしいことを考えていたのでしょう。
 アーチャーの主は刺客かもしれない従者に、面と向かって剣を抜けと言い放ってしまうような少年です。まわりくどいことは好みません。
 役に立つ道具なら使う、要らぬ道具は捨てる。きっぱりはっきり、それだけです。
「ああ、とんだ失礼を。しかしこれで大人の話を聞かないと、酷い目に遭うと身に沁みたのでは? ふふっ」
 諌言を嫌うくせに、こんな時ばかり先に注意しろとは。子供は反論のひとつもなく反省している様子です。毒草などをひょいと口に入れる前に前例が出来て幸いでした。
 笑いの余韻が残るアーチャーの頬を、伸びてきたセタンタの両手がぐにと抓みました。
「意外と動くんだな、この顔」
「お見苦しいものをお見せしました。どうぞ如何様にも」
 鉄面皮と言われようと、本当に面の皮が鉄で出来ているわけではありません。アーチャーが笑うと周囲の者は瞠目したり目を逸らしたりするので、そうとう見るに耐えない顔をしているのでしょう。
「別に、見苦しくはない」
 引っ張った頬の肉を離した手は、白い頭を包むように添えられました。
「あまり乗り出しては落ち……」
 こちらへ顔を近付けるセタンタの体がぐらりと傾いで見え、アーチャーは受け止めるべく腕を差し出しました。
 鼻先がぶつからんばかりです。
 瞬く赤い瞳がとても近くにあります。貴石のようなそれを掠めて青い絹が揺れました。アーチャーの視界にはあと、空が少しだけ映っています。
「虹が」
「……あ?」
「虹です。セタンタ様の後ろに」
 セタンタはつられたように、アーチャーが目を遣ったほうを向きました。
 そのまま馬を進めると、ひらけた丘陵に出ました。虹の架かった空の下、遠く遠くに郷が見えます。田畑の緑や黄色、ところどころの桃色と相俟って、まるで彩り豊かな敷物のようでした。
 セタンタはおおと歓声を上げ、あれは誰の屋敷か彼の屋敷だと指を差します。
「はは、ちっさすぎてよくわからねえなあ。見ろよ、お山までオレの手のうちに入っちまう。あそこ狩りに出るんだって一日かかるんだぜ」
 両手の指を合わせて円を作る仕種は子供らしく、無邪気です。
「あの虹を渡れば峠を越えるのも一足飛びですね」
「おまえ、現実家かと思えば夢想家だったか」
「生憎。うつくしい景色を前に利便性しか出て来ないような感性の持ち主です。そちらこそずいぶんとはしゃがれているようですが」
 その様子を微笑ましく見つめていたアーチャーが訊ねました。
 何日も掛けて山に分け入る狩りに子供は参加できませんが、セタンタは体力もあり、駄々を捏ねてたびたび叔父上に付いて行っていたはずです。
「うん? そりゃあ初めてでもないが、まあ、見納めだからな」
 セタンタは何でもないことのように言いました。
 目に浮かぶのは己が家族の住居であり、腕試しに通った兵舎であり、馴染みのある厩舎でした。
 セタンタの子供らしく奔放な、何不自由のない暮らしはいつでも大人たちに護られていました。
 遠征にこの峠を越えていくのなら、向こうからやってくる外敵もこの峠を越えて現れるのです。大人たちが交代交代に狩りという名目で国境付近まで出張っていたのは、実のところ哨戒だったのでしょう。
「……ほんとうに手の中に収まるなら、オレが懐に入れて護ってやれるのに」
 それは放逐された故郷を眺めながら懐く少年の感想としては聡く、悲しいものでした。
「セタンタ様」
 しょうがないなと頭を撫でる大きな手のひらを思い出しました。
 チビには早えよと額を小突いたのは誰だったでしょうか。
 セタンタは上げていた手を下ろしました。眼差しだけは遠くへ向けたまま、傍らの従者へ問い掛けます。
「まだ聞いていなかったな。行くも死地、引き返すも死地だ。もしおまえが望むのであれば」
「お護りいたします」
 早い返事にセタンタは苦笑しました。おそらく自分は、彼がそう言い切るとわかっていて訊ねたのです。
「おまえは、帰って来られると信じているのか」
「セタンタ様もでしょう」
 揶揄うように訊けば、これも当然のごとく。“しばしの見納め”と言外に付されたそれを、この従者は正確に読み取っていました。
 アーチャーは揺るがぬ眼差しでセタンタを見つめています。
「頼もしい」
 馬上にあっては下にくる頭を掻き混ぜてやると、途端に顔を顰められます。
「……ふざけていると落ちますよ。注意したので今度は受け止めませんから」
「あれ。褒美にならないか?」
「なりません。むしろ何故なると思ったんですか」
「では考えておけ。このセタンタがおまえの願いを聞いてやる」
 出世払いだがな!とセタンタは笑いました。
 命惜しんで逃げるもよし、この首を手土産にするもよし。従者がどのような選択をしてもセタンタは構わないのです。
 ただ、彼がともにあれば楽しいことは間違いないでしょうから、その答えは嬉しいものでした。

 まあそんなこともあるだろうさと冷めた眼差しで己の運命を俯瞰する一方、セタンタには諦めるつもりはさらさらありませんでした。何を考えるまでもなく、生きている以上は生きるものです。
(―――またな)
 木々に埋もれて見えなくなっていく風景へ、セタンタは素っ気なく手を振りました。
 何を惜しむことがありましょう。だってまた帰りにいくらでも見られるのですから。

 でも、たったひとつ。傍らから欠けてしまった存在を取り戻す未来はありません。
 それだけはもう、どうしてもないのです。




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次回こそ、おにいちゃん出てくれ。

Comments

  • August 19, 2023
  • 苑子

    他の方のBKMで見かけたので、久しぶりに読み返しました。 続きを読みたいので、期待して待っています!

    December 15, 2017
  • kinako
    September 1, 2017
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