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Sound Of Lips/Novel by 都築青葉

Sound Of Lips

13,286 character(s)26 mins

その唇から流れ出る音を、私は決して聞き間違えはしない。

1話から少し遡りまして、二人の出会いのお話。

本日開催されているるーしこ超羨ましいの気持ちにそっと蓋をして。
参加してらっしゃる方が多幸感に包まれつつお家へ帰ってからついでに読んでくださり、お家で通販待ちをしてらっしゃる方の元に神の御本が届くまでの暇潰しとしてご覧いただけましたら幸いです。

毎度のことながらこのシリーズに登場するものは、現実に存在する如何なる番組・企業・俳優さんと一切関係御座いません。
それにしても「仮面ファイターランサー」の設定を考えるの滅茶苦茶楽しいです!何でこの番組実在してないの!?

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 2016年8月9日火曜日。朝の準備中に流していた天気予報によれば、予想最高気温は37度。気象用語で言うところの猛暑日である。
空調を効かせた店内からならば雲一つない快晴の空は好ましいが、一歩外へ出れば茹だるような暑さが待っているのは想像に難くない。
だが、店内の時計を見れば、時刻は間もなく14時。
私が店長を務めている『Café SOL』は、11時から14時をランチタイム、14時から18時をカフェタイム、18時から22時までをディナータイムとして区切っている。そろそろ店先に置いてある、日替わりランチの内容を紹介している黒板を下げなければいけない頃合いだ。
近隣の大学が夏休みに入っていて客入りが少ないとは言え、暑さに負けて外へ出したままにしておく訳にはいくまい。

 水を一口二口飲んで水分を摂取してから、意を決して外へ向かう。
 だが、店のドアを開けた途端に目も眩むような暑さを身に受け、つい足を止めてしまった。暑さに弱い覚えはないが、流石に今日は暑過ぎる。
 億劫がる心を押し殺して店が作る影から出ると、夏の日差しにジリジリと肌を焼かれた。目を細めて空を仰ぐと、太陽が夏も盛りと主張せんばかりにギラギラと輝いている。地面に視線を転じれば、アスファルトからの照り返しがキツい。五分も外に居れば脳が茹だるだろう。
 店舗前の道路沿いに植わっている街路樹によって所々影が出来ているが、その街路樹からは蝉の鳴く声がひっきりなしに聞こえてきて、暑さを助長させている。

 こんな日に外に出ている者など碌に居ないだろうと思っていたのだが、隣のパン屋の先の角に人影が立っているのが見えた。何か探しているのだろうか、足を止めてきょろきょろと辺りを見回している。
 声を掛けるべきだろうか、いやお節介が過ぎるだろうか、と様子を見ていると、人影は私に気付いたらしく、こちらへ走り寄ってきた。

「なぁ兄さん、まだランチやってるか?」

 その声を聞いた瞬間、私の身体から夏の暑さも、太陽の眩しさも、蝉の喧しさも、つい先程まで気を引いていたはずの何もかもが吹き飛んで、目の前の人物に五感の全てが釘付けになった。
 その声の主は、体格の良い若い男だった。細身に見えるが、均整の取れた筋肉が強調されている黒のレザーパンツ。胸筋と上腕の張りがよく分かる白のVネックシャツ。斜に構えた立ち姿。顔を見ると、口元は笑みを湛えているようだが、サングラスを掛けているので全体は分かり難い。その上、紺色のキャップを目深に被っている。思わず耳を見たが、そこには何の飾りもない。
彼が正体を隠していることは一目で知れた。だが、私がその声を聞き間違えるはずがない。
かつて、毎週欠かさず聞いていた声なのだから。
特徴的な長髪は帽子の中に隠しているのだろう、青い髪が帽子から少し覗いている。サングラスを掛けていても、赤い瞳が垣間見えている。そうそう隠し切れるものではない。

「ああ、中へどうぞ」

そう言った自分の声はみっともなく震えていないだろうか。息を飲んだ際の妙な間に勘付かれていないだろうか。感情を押し殺そうとするあまり、顔が歪んではいないだろうか。動揺の一片も外に漏らしていないだろうか。
早鐘を打つ心臓を抑え込み、彼を店内へ先導する。
もちろん、動転しているとはいえ、ランチメニューを書いた黒板を店内へ入れるのは忘れずに。

「お好きな席へどうぞ」

 そう勧めると、彼は何気ない様子でカウンター席へ座った。
 他に客は居ないので構わないのだが、彼に手元を見られていては粗相をせぬものかと些か心配になる席だ。
 どうぞと二回続けて言ったことに気付いたが、狼狽えては却って怪しいだろう。そもそも彼が店員の言動を一々気にする訳もないか? 動揺し過ぎて明らかに判断力が鈍っている。
 お冷とおしぼりを出すと、彼は小さく会釈してから勢いよく水を呷った。炎天下に居たのだ、喉が渇いていたのだろう。すぐに半分ほど飲み干して、ふうと息を吐いた。
 そのときようやく、彼の額や頬から汗が流れていることに気付いた。タオルを持って来ようかと思ったが、あまり他の客にはしないような身贔屓をするのは良くないだろう。もう一本おしぼりを渡すのみに留めた。彼は私の意図に気付いたらしく、先に出していたおしぼりで額や頬、ついでに首回りや腕の汗を雑に拭う。「どうも」と小さく言って新しいおしぼりで手を拭いてから、メニュー表を手に取った。
 グラスを傾けながらパラパラとメニューをめくった末に彼が手を止めたのは、私が毎日手書きしている本日のランチのページだ。しばらく眺めてから、彼は顔を上げて私を見る。

「なぁ、あんたが店長サン?」
「そうだが」

 妙にぶっきらぼうな声が出てしまった。無愛想な奴だと思われたのではないだろうか、と思ったが、彼は気にした様子もなくメニューを指差して私に尋ねてくる。

「ここ、本日のって書いてあるけど、毎日違うのか?」
「ああ。日替わりランチ、オムライス、パスタは仕入れ状況などによって毎日内容が変わる。今日の日替わりランチのメインはチキンソテーの夏野菜添え。これにはパンかライスのどちらかと、サラダとスープが付く。オムライスは夏野菜のカレーソース。これにはサラダとスープが。そしてトマトの冷製パスタ、これにはサラダのみが付く。どれもサイズは、小盛・中盛・大盛・特盛・アーティ盛の五つから選ぶことができる」
「アーティ?」
「この店の元アルバイトの愛称だ。中盛の8割が小盛。1.5倍が大盛、2倍が特盛、アーティ盛は4倍だ。それぞれ料金が異なるので、そちらについてはメニューの記載を参照してくれ」

 彼は首を傾げて、ほお? と小さく声を漏らした。
 店の雰囲気に合わないガッツリさなのは、私もオーナーも重々承知している。だが、あの子の胃が求めるものに合わせるとこうするしかなかったのだ。

「ドリンクとセットデザートは別途オプションになる。今日のセットデザートはゆずのシャーベット、桃のレアチーズケーキ、ブランマンジェのマンゴーソース添えから選べる」

 勢い余って聞かれていないことまで答えてしまった。粗相がないようにと思うあまり、墓穴を掘っている気がする。
 だが、こうでもしていないと正直心臓が持たない。
 彼はふうん、と声を漏らして思案してから、メニューをこちらへ向けて一つ一つ指し示していく。

「じゃあ、本日のオムライス大盛と、ドリンクのアイスコーヒー。ついでにデザートのブランマンジェも」
「ドリンクはデザートと一緒に?」
「ああ。その代わりと言っちゃなんだが、お冷をもう一杯」

 彼がすっかり飲み干したグラスをカウンター上へ置く。いそいそと注いで返すと、彼は一口飲んでグラスを置いた。
 そのまま無造作にサングラスを外すと、現れたのは鮮やかな赤の眼だ。
 どうして折角隠しているものを晒すのか、と動揺している間に、彼はキャップも外してしまった。一本に束ねられた艶やかな青い髪がバサリと流れ出てくる。
 他に客が居ないとはいえ、彼の大胆な行動に私は内心慌てたのだが、彼はサングラスとキャップをカウンターの端に置いて、至って平然とした顔をしている。
 指摘したいのは山々だが、それでは彼が何者か気付いていることに気取られてしまう。
 彼は恐らく偶然この辺りにやってきて、昼食を食べられる店を探していたところ私に目を留め、この店に入っただけだろう。完全にプライベートだ。そんなときに仕事に関わる話を持ち出されるのは不快なのではなかろうか。
 だとすれば、私が彼の『正体』に気付いていることは、隠し通した方が良いだろう。
 サラダの準備をしながらも、私の頭は彼の正体に思いを巡らせ始めた。



 4年前、2012年9月2日から2013年8月25日、全49回を掛けて放送されたとある番組があった。
 これを見るために子供も、子供の心を忘れていない大人も、毎週日曜朝から早起きをしてテレビの前で胸躍らせる、昭和から続くヒーロー特撮シリーズ。
 その平成14作目、運命に選ばれ運命に抗った太陽の戦士、『仮面ファイターランサー』。旅の途中でトラブルに巻き込まれ『仮面ファイター』として戦うことになったが、持ち前の機転と漢気、そして類稀なる身体能力で人を守り、人を支え、人に道を示した、精神・身体共に強き戦士。この『ランサー』という難役を軽々と演じ切った俳優こそが、クー・フーリン。今、私の目の前に居る男である。
クー・フーリン。1993年6月21日生まれ、現在23歳。芸能界へ入ったのは、親戚であり現在所属している事務所「アルスタープロ」の社長でもある、スカサハ社長の勧めによるもの。
高校生の頃からモデルとして活動していたが、演技の仕事は19歳で主演したランサーが初めてだった。その後、朝の連続ドラマでヒロインが片想いする好青年役で注目され、現在は映画・ドラマ・CMなどに引っ張りだこの人気若手俳優だ。
事務所からの公式発表によれば身長185cm、体重70kg。特技は陸上競技、その他運動全般。好きな食べ物は肉、苦手な食べ物はない、ということになっているが……。

そこではたと自分が手に持っているものに気付く。サラダの上に載せる予定のトマトである。

去年だったろうか。とあるバラエティ番組で、有名人がお互いの食べるリアクションを見て相手の苦手な食べ物を当てる、というコーナーに彼が出演しているのを見た。
普段その番組に殊更興味がある訳ではなかったので、それまで知人が出演した回しか見たことがなかった。
ランサーの作中で彼が食事をするシーンをいつも好ましく感じていたので、彼が何かを食べるシーンが見られるのなら、と思い、久方ぶりにその番組を視聴したのだが。
出された四品の内、好きなものはブリ大根、馬刺し、カスタードプリン。分かりやすい肉などは避け、煮魚、生肉、甘味で相手の目を眩ませたのだろう。
そして、一品隠された苦手なものは、冷やしトマトだったのではなかっただろうか。
一度目はお互いに外し、二度目に対戦相手に当てられた後、トマトソースやケチャップならイケるのに、生は昔から苦手。仮面ファイターに出演するに当たって苦手な食べ物があっては良くないだろうと思って何とか克服したが、思いっ切りマヨネーズを掛けないとちゃんと食べられない、と言って苦笑いをしていたはずだ。
その後、罰ゲームとしてダンスを踊ったのだが、クオリティが高過ぎて全く罰ゲームになっていなかったところまで含めて堪能した一時だった。



改めて、己が手に握っているものを見詰める。生のトマト。
出さない方が良いだろうか? いや、出さなければ私が彼の苦手なものを把握していることがバレてしまうのではないか? しかしこれはランチセットのサラダで毎日多少内容が変わる、他の客は居らず比較対象はないのだから、トマトが入っていないのが奇妙であることに彼は気付かないのではないか? いやそもそも彼は何とか克服したと言っているのだ、配慮してトマトを出さないというのは却って彼のためにならないのでは? 違うだろうが思い留まれ、彼のためにならないとは何だ? 偶然彼が店に入ってきただけだというのに、貴様一体何様のつもりだ?
と、そこまで頭を巡らせたが、結局トマトをくし型に切ってサラダの上へ載せてドレッシングを掛け、サラダを仕上げる。私が勝手に思い巡らせていても仕様がない。彼に委ねた方が良かろう。
サラダを出すと、ほんの少しだけ彼の眉が寄ったのが分かる。矢張り苦手なのだ。

「お好みでドレッシングやマヨネーズの追加も可能だ」
「あ? ……じゃあ、マヨネーズくれ」
「了解した」

 ココット皿にマヨネーズを入れて出すと、彼はまた「どうも」と小さく言って受け取った。素直に応じてくれて助かった。違和感を覚えていなければいいのだが。
 彼は「いただきます」と手を合わせてから、フォークを手に取った。真っ先にトマトを刺すと、マヨネーズの中にトマトを沈め、全体にベッタリとマヨネーズを纏わせてから口の中へ放り込んだ。早々に咀嚼して、次のトマトへフォークを向ける。苦手なものは最初に始末してしまう気らしい。
 確か以前テレビで見たときはここまであからさまに苦手そうに食べてはいなかったはずだが。これが素の食べ方だということだろうか。

 ついついじっと見てしまったが、手を止めている訳にはいかない。彼がサラダを食べている間に、カレーソースを大盛分温め直し、予め炊いておいたバターライスをよそう。
彼のサラダがそろそろ無くなりそうなのを見計らって、冷蔵庫で冷やしておいたヴィシソワーズ――ジャガイモの冷製スープを取り出す。冷やしたガラスの器に盛り、粗めの黒胡椒を掛けて彼へ出す。
彼は一口飲んで、「へぇ」と小さく声を零して目元を緩めた。
 ジャガイモなのにホクホクしていない、と以前知人に不思議そうな顔をされたヴィシソワーズだが、夏に似合いの一皿は、どうやら彼に気に入ってもらえたようだ。

 さて、次々と進めよう。手早く仕上げたオムレツをバターライスの上に置き、その上からカレーソースをたっぷりと掛ける。具材の鶏肉、茄子、パプリカ、オクラ、カボチャ、ズッキーニは小さめの一口大にして、ただカレーとしてだけでなく、オムライスとして楽しみやすいように。カレーは中辛程度で、老若男女誰でも食べやすいように。トマトも入っているが、然程形が残らずにカレーと一体化しているので、生のトマトが苦手だという彼も大丈夫だろう。

「お待たせした」

 先程からのぶっきらぼうな声から上手くシフトチェンジすることができず、またしても無愛想な言葉を吐いてしまう。普段ならばもっとマトモな営業スマイルとセールストークを披露しているのだが。しかし、今更にこやかになっても不気味に見えるだろう。彼が店を出るまで、このままの態度で行くしかない。
 カウンターへオムライスを置くと、彼は「おっ」と声を漏らしながら両手で皿を自分の前に引き寄せた。
 いそいそとスプーンを手に取り、まずはオムレツの真ん中にスプーンを入れる。見る見る内にオムレツの中からトロトロの卵が溢れ出て、スプーンで全体を割り開くと、一旦カレーソースが隠れる。その様を見る彼の唇から笑い声が零れた。
 卵の上からとんとんと優しくスプーンを入れ、ライス、カレーソース、卵を一匙の上に乗せる。一口で食べるには多いのではないか、と見ていたが、彼は大きく口を開けてスプーンを一口で迎え入れた。
 その瞬間、彼の目がカッと見開き私を見た。突然視線に射抜かれてビクリと背が跳ねたが、彼はモゴモゴと口を動かして咀嚼しながらも、ゆるゆると頬を緩ませている。ゆっくりと飲み込んでから、彼の口から出た一言は。

「美味ぇ。あんたすげぇな」
「ぐっ」

 悲鳴のようなものが口から零れ出そうになったが、ギリギリのところで押し留めた。

「……それはどうも」

 腕組みをして返事をする店長など、いくら料理が良くても不快だろうな……。だが、目の前の厳つい男が実は己のパーソナルデータを諳んじられる程度にランサーのファンであることを知るよりはマシなのではなかろうか……。
 彼に知られる訳には行かないが、私の自室にあるブルーレイレコーダーは彼が出る番組を自動で録画してくれるように設定してある。あくまで私はランサーを演じたクー・フーリンのファンであって、他の役を演じている彼については「他の俳優よりは興味がある」という程度の認識なので、大半は流し観るだけだが。
 いや、認識だった、と言うべきだろうか。芸能人著名人の知人は何人か居るが、誰を前にしてもこんなに緊張することなどない。

 それにしても、こんな間近で見られる瞬間など今しかないのだろうから、彼に気付かれないように洗い物などをして手を動かしながらも、視線はこっそりと彼へ向ける。
 彼は私の返事を気にすることなく、「茄子ってこんなに美味かったか?」と呟いては機嫌よくスプーンを進めたり、「卵すげぇトロトロ……」とうっとりしてカレーを纏わせたオムレツだけを食べたりと、忙しそうにしている。料理人冥利に尽きる食べっぷりだ。

そうして楽しげに食べる彼を眺めていると、あっという間に時間は過ぎて。彼がすっかり食べ終えた頃に新しいグラスでお冷を出してから、デザートの準備を始める。彼はデザートを待つ間、改めて店の中をぐるりと見回していた。
そんなに不思議なところなどない店だ。厨房に面してカウンターが四席。四人掛けのテーブル席が十卓。
道沿いに面した大きな窓から光が差し込み、店全体を明るく照らす作りになっている。
特徴的なものと言えば、壁に取り付けてある六十インチの薄型テレビだろうか。大学生の客が多いこともあってニュース番組を流していることが多いが、時間帯によってはバラエティやドラマを流すこともある。オーナーに「店の雰囲気と合ってないでしょうが!」と叱られるので、特撮を流すのは日曜朝の準備中だけだ。DVD及びブルーレイディスク再生の機能も備えているし、パーティー利用の際にはカラオケも使用できるようにスピーカーや防音設備も整えてあるのだが、パッと見では分からないだろう。
彼は厨房を見て、何かに目を留めたようだった。

「なぁ店長サン、あれってあんたの名前か?」

 あれ、と言いながら彼が指差したのは、食品衛生責任者プレートだ。確かに、私の名前が書いてある。

「そうだが」

 それがどうしたと言うのか。

「あんたの名字、何て読むんだ? エイキュウ? エイミヤ? エイグウ?」
「ああ、あれはエミヤと読む」

 珍しい名字なので、そうと知らねば中々すぐに読むことはできないだろう。

「エミヤ、エミヤねぇ……」

舌で転がすように私の名を呼んで、彼はふぅん、と呟いた。一体、私の名字のどの辺りが彼の興味を引いたのだろうか。
訝しく思いながらも、カウンターにブランマンジェとアイスコーヒーを置くと、彼はまたこちらへ向き直り、いそいそとデザートスプーンを手に取った。食べ始める前だというのに、既に口角が嬉しげに上がっている。
そう言えば件の番組で、好物としてカスタードプリンが登場していたのだったか。プリンやブランマンジェのような、プルンとした食感のものが好みなのかも知れない。
真っ白なブランマンジェと色鮮やかなマンゴーソースを、小さくスプーンの上へ乗せる。
スプーンを口へ入れた途端に、彼の眼は笑みの形に細められた。どうやら、これも彼のお眼鏡にかなったらしい。
彼がサングラスを外してくれていて良かった。掛けたままでは、この眼を見ることはできなかっただろう。
何度も画面越しに見てきた眼だ。この眼を間近に見られる日が来るなど、考えたこともなかった。作中での食事シーンの方が大袈裟だったのだろうが、基本的には変わらない姿をしている。
思う存分に食べ終えた後は満足げに深く息を吐いてから、晴れやかな声で。

「ごちそうさん!」

 脳内に浮かべていたシーンと、現実が重なる。
 彼は手を合わせ、私を見て笑った。良い食事だったと感じてくれたことを、彼の表情が雄弁に語っていた。
 すぐに席を立つのだろうと、彼の食べっぷりに見惚れて出し忘れていた伝票を何食わぬ顔で差し出す。だが、彼は私の顔をじっと見詰めて動かない。
 真意の見えない表情を向けられるのがどうにも居心地悪く、また洗い物などで気を反らそうかと視線を横にやったのだが。

「あー……。お勘定頼む」

 そう言いながら、彼は再びサングラスを掛け、キャップを被り直した。さっきの妙な間は何だったのだろうか。
 彼が席を立つより前に、レジ前で待ち受ける。彼は忙しい身なのだ、グズグズしている暇などないだろう。
 そうしてから、これでは私が「ランチ時間ギリギリに来よって。早々に支払いを終えて帰れ」と暗に思っていると受け取られるのではないか、ということに気付いた。
 通常ならば彼がそのような穿った見方をする訳もなかろうが、私が今まで取ってきた態度からして、そう思われても何ら不思議ではない。内心血の気が引いている私の心を知ってか知らずか、彼は口元に笑みを浮かべながら近付いてきた。

「どれもすげぇ美味かった」

 そんな彼に、私は微かに頷くことしかできなかった。口を開いてしまえば、みっともなく震えた声しか出ないことは明白だった。
 だが、マトモに声を出せたとしても出てくる言葉は「それはどうも」だの「それが私の仕事だからな」だのといった無愛想で無礼極まりないものだっただろうから、これで良かったのかも知れない。
 彼はレジに置いているショップカード――と言っても、店名と住所・電話番号、簡単な地図が載っているだけの簡易なものだが――を手に取った。チラリと裏を確認してから、財布へ入れた。もう来ない店だろうに。初めて店へ来たときの癖か何かだろうか。
 伝票と共に財布から抜き出した万札を置いて、彼はあろうことか釣り銭を渡す前にレジから離れた。

「待て、釣り銭を……」
「釣りは要らねぇ」
「は」
「チップだとでも思っといてくれよ」

 嘘を吐け! 生まれはアイルランドだが育ったのはこの国なのだから君にチップの習慣はないことは知っているぞ!
 と言いたいのは山々だったのだが、そうとも行かず。

「有り難く受け取っておく」

 何故そこで平常通り「ありがとうございます、頂戴いたします」と言えないのだ自分!
 私の心がもんどり打っていることなど知る由もない彼は、口の端を上げて軽く手を挙げる。

「じゃあな、また来るぜ」

 彼はそう言って店を出て行った。その背を見送り、ドアが閉まり切ったのを確認すると、途端に気抜けしてしまった。
 レジに立ち尽くしてから、たっぷり五分はそのままだった。
 何とか身体を動かして、厨房の隅に設えている椅子に倒れ込むように座ると、深い溜息が口から漏れた。
 彼の最後の言葉は流石に世辞だろうが、それにしても心乱されることが短時間に起き過ぎた。ものの三十分程度で、放送十回分相当の驚愕と動揺と歓喜で殴り付けられた気分だ。
 こんな目に遭ってしまっては、夏の暑さが見せた白昼夢だったと思うより他ない。この幸福を現実のものとして受け取ってしまうことは、私には難し過ぎる。






 その後、上の空になりがちな心を引き締めながら一日の仕事を終え、帰路に就いた。
 店から徒歩で3分、学生用アパートがある区画からは少し外れた住宅街にあるマンションの、2階の角が私の部屋だ。
 1LDKの部屋は一般的に見れば一人で暮らすにはやや広いのだろうが、かつて住んでいた家と比べれば部屋数も少なく、手頃で良い部屋だ。キッチンが中々に広いところが気に入っている。
 部屋の前で、ポケットからキーホルダーの付いた鍵を取り出す。ファイティングポーズを取る変身後のランサーを二頭身にデフォルメしたキーホルダーだ。キャラクターグッズなど滅多に買わない私が、放送当時に玩具店で「子供へのプレゼントです」と言わんばかりの顔で買った一品。
 鍵を回して部屋へ入り、真っ先に洗面所で手洗いうがいをしてから、足早にリビングへ向かう。
 他にやるべきことは多々あるが、今日は。今日だけは。

 リビングで一番大きく場所を取っているのはソファとローテーブル。そして、その真正面に設えてあるテレビだ。
 テレビ横の棚には、『仮面ファイターランサー』のブルーレイボックスが堂々と幅を取っている。無論、すぐに見返せるようにだ。箱を開けて手に取ったのは第四巻。
 迷いなく操作してテレビに映し出したのは、2012年12月23日に放送された、仮面ファイターランサー第16回『暴飲暴食! 願いのカタチ』。

 『仮面ファイターランサー』は、太古の昔に太陽神ルーが封じた闇の側面・ルーガルーの覚醒から第1話が始まる。
 その予兆を発見し、第1話の3年前に設立された『気象観測機関エリン』の特別部隊が『Support Of Lancer』。通称『SOL』である。
 SOLが開発していた変身システム『ランサー』は、本来SOL隊員である、ディルムッド・オディナが演じる青年・ダーマッドが使用する予定だったのだが、彼が海外へ行っている隙にエリン本部が襲われてしまう。そこに偶然――いや、運命的に居合わせたクー・フーリン演じる旅の青年・クランがランサーに変身して戦うこととなるのが第一話だ。
 第四話で海外から帰ってきたダーマッドは、エリン及びSOLが壊滅し、残ったメンバーが『喫茶ソレイユ』を営みながらランサーを支える様や、クランが見事にランサーとして戦う姿を見て、己の必要性と、それでも戦わねばならない理由の板挟みになり葛藤し続けた。
 ランサーの変身システムを奪おうかとまで思い詰めていた彼に、フィン・マックール演じるドクター・フィオナが新しい変身システムを提供し、第十四回十二月九日放送『千紫万紅! 変身よカレイであれ』で、ようやく『仮面ファイターフィオナ』へと変身を遂げる。所謂二号ファイターである。彼も、強く誠実な良き戦士だ。どんな状況であっても、変身や攻撃の度にベルトからドクター・フィオナの声が流れ出る様は、シリアスブレイクとして有名だったが。
そんな彼との共闘を遂げた十五・十六話の前後編は、『どれだけ食べても満たされない』という闇を抱えた少女が生み出した怪人・シャチゲルドゥとの戦いを繰り広げた『食』と『誰かと共にありたいと願う心』がクローズアップされた回だった。その解決後、フィオナの変身を祝い、クリスマスも兼ねて喫茶ソレイユの仲間と共にパーティーを催すシーンでこの回は終わる。

ここで、ランサーが食事をする様子を見られるのだ。
二号ファイターとなったフィオナに心の迷いがあったことを知りつつも大らかに許し、二人で戦い抜くことを誓った名シーンである。
この食事シーンを、私は今でも事あるごとに見返している。パクリと大きな口を開けてフライドチキンを迎え入れ、嬉しげに眼を細める様は何度見ても飽きない。こんなに幸せそうに食べてくれるならば作る身としても幸福だろう、と幾度となく考えていた。

その夢想は、期せずして今日叶ってしまった訳だが。



 この回が放送された四年前、私は前の職場で諸事情あり、精神的に摩耗していた。いや、当時はその自覚がなかったので、摩耗していたらしい、と言った方が正しいだろうか。
 ぼやけた頭でその日が日曜日だということも認識できていないまま、テレビのチャンネルを回していた際に行き当たったのがこの回だった。
 元々仮面ファイターシリーズは好きだったのだが、仕事のために中々視聴することができず、ランサーについては録り溜めているだけの状態になってしまっていたのだが。

 私は、この一回ですぐさまランサーに目を奪われた。
 一見人間として軽そうに見えるが、戦闘時には真剣に身体を張り人を守る姿。粗野に見えるが思いやり深く、快活で頼もしい笑顔で人を勇気付ける。また、生身での戦闘シーンも、軽い身のこなしでありながらそこから放たれる重みのある蹴り、美しい姿勢での跳躍、軸のぶれない槍さばき、と非の打ち所がないアクションを演じていた。
 彼の全てが、私には眩しく見えた。

 前の職場も飲食関連の仕事で、クリスマスから年末年始の時期には多忙極まりなかったのだが、何とか合間の時間で録画分を視聴し、一月の内には放送に追い付き、その後は最終回まで追いかけ続けた。
 その後、更に諸事情あって前の職場を辞め、昔馴染みであるオーナーに店を任されて今に至るのだが。
 きっと、あの日ランサーを観ていなければ、私はそのまま前の職場に居続け、料理人として……下手をすれば人間として、潰れていたのだろう。
 他人に言ってしまえば笑われてしまうだろうけれど、私はランサーの戦い生きる姿を見て、現状を変える力を得た。

 クー・フーリン。君が知ることなど決してないだろうが。
 君に、君が演じたランサーに本当に救われた人間が、少なくとも一人は居たのだ。

 確かに、ここに居るのだ。






 九月五日月曜日。天気予報によれば最高気温は三十三度。九月に入ろうが、まだまだ容赦ない暑さである。
 昨日放送された『仮面ファイターセイバー』第一回の興奮さめやらぬ中、週三~五回の頻度で野菜摂取のためにテイクアウトを依頼してくる特撮好きの知人――この話をした際オーナーに「それって友達じゃないの?」と聞かれたが、本人曰く知人だそうなので知人である――のために、テイクアウト用のサンドウィッチを作り終えた後のこと。
 不意に、店の電話が鳴った。
 予約だろうか、とペンと予約台帳を引き寄せながら、何気ない気持ちで電話に出る。

「お電話ありがとうございます。Café SOLでございます」
[ん? あんた、そんな喋り方もできんだな]

 普通ならば、いきなり電話口で何を言い出すのだこの客は、と思うところだったのだろうが。
 電話越しであろうと、聞き間違えることなどできない声。

「どちら様ですか」

 平静を装って、彼とは分からなかったフリをする。一度会った客の声など、覚えている方がおかしかろう。

[あー、そうだよな……。一ヶ月前の滅茶苦茶暑かった日に、カレーのオムライス食っていった……]
「ああ、ランチ時間ギリギリに入って、帰りにはチップを置いていったお客様か」

 返しが細々している上に、やや嫌みったらしくなった気がする。何故そうなる私。

[おう、その客だ。今日の十四時半頃にあんたの店行きたいんだけどよ、時間外でもランチってやってくれるか?]

 十四時半頃に? 時計を見ると現在時刻は十時前。あと四時間半もあれば、他に入れる店は何処にでもあるだろうに。……だが、断るだけの理由もない。

「対応は可能だ」
[よっしゃ! じゃあ頼むぜ!]

 そう言った彼の声が、何とも嬉しげで。

「ああ。お待ちしている」

 彼が電話を切るのを待ってから電話を切り、ペンを手放す。
 通常の予約ならば名前と連絡先を聞くのが通例だということに気付いたが、今更遅い。彼に何か問われたら、料理内容まで予約された訳ではなかったので、予約を蹴られてもこちらに支障はなかったからだと答えるしかあるまい。
 いや、それよりも今は。
 クー・フーリンがまた店に来る? あのように酷い接客態度を取ってしまったのに? いや、それを大目に見てもらえるほど私の料理が気に入ってもらえたということならば寧ろ喜ばしいことなのだろうか?
 ……そうそう気安く喜べるものか。彼に何か企みがあるとは思えないが、かと言って何の裏がないとも思えない。

 そう思いながらも、手は本日のランチの仕込みへと掛かる。
 今日も彼が私の料理に、小さな笑い声を零してくれることを願いながら。



 余談だが、この後テイクアウトのサンドウィッチを取りに来店した知人に「お前、何だその顔は。第一回と新フォーム登場回と馬鹿ギャグ回と味方の死亡回と最終回を一遍に見たのか?」と怪訝そうな顔をされた御蔭で、何とか彼に妙な顔を見せずに済んだ。

 我ながら、一体どんな顔をしていたのだろうか?


Comments

  • ツキ影
    January 28, 2018
  • January 28, 2018
  • 団子
    January 28, 2018
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