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シワと頬とその先の/Novel by キューイ

シワと頬とその先の

10,312 character(s)20 mins

おじさん槍×養子の少年弓。

周りの声をきっかけに、自分の存在価値について不安になるショタ弓のお話。
お話を聞いて、『オジショタ』槍弓に可能性を感じて書き上げたもの。

少しでも、お楽しみいただけると幸いです。

素敵な表紙は雪フミ様(user/332491)よりお借りしました。

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現在、過去イベントにて頒布しました小説の再販アンケートを行なっております。
サンプルURLもございますので、興味のある方はご協力お願いします。

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 大きなリビング。
 広い広い窓から見えるのは、経済の中心、トレンドの中心などと言われる街。
 今日は晴れだそうだが、今は雲が眩しさを緩和してくれている。
 雨や雪は降らないけれど、昨日よりも、2度低い。夜はぐっと冷え込む。
 確認した天気予報の内容を頭の中で繰り返しながら、少年は手に持つ二つのコートを見比べる。どちらも、彼が着るには大きいサイズ。
 カシミア生地の赤いチェスターコートか。グースの黒いダウンコートか。
 唸る少年を、赤い瞳が優しく見つめる。そして、薄くて大きな唇が問いかける。
「お前は、今日どれを着るんだ」
 少年はうーん。とまた唸る。そうして、少し考えた後、小さい唇で答える。
「私は……今日は、ダウンコートを」
「んじゃ、オレも揃いがいいな」
 落ち着いた低い声に、少年はチェスターコートをハンガーにかけて壁に吊るし、ダウンコートを小脇に抱えて、声の主である人物に近づく。
 大きな背中にまわって、台を置き、ダウンコートを持ち上げる。
 チャックを外して、広げれば、袖に長い腕が、右、左、一本ずつ通っていく。
 最後に、コートの中に隠れた長い長い青い髪を、少年の小さな手が外へと解放させる。
 綺麗な青い髪がパサリを舞うのを見るのが少年は大好きだった。
 同時に、酸っぱいような、生暖かいような、太陽とタバコの香りも混ざる不思議な匂いが鼻をくすぐるのがたまらなかった。
 軽く袖を整えると、赤い瞳が少年の方を向く。目尻には軽くシワが出来ていて、少年はそれに、頬を緩めて微笑んだ。
 すると、今度は白い手が差し出される。少年のものよりずっと大きくて、けれど威圧感は少ない、年齢を重ね、骨張った手。机の端の籠にある茶色の皮手袋を手に取って、少年はそれに、右、左、一つずつ丁寧に一つずつはめていく。これで、彼の準備は万端。少年は、小さく頷いて、次にソファに置いた自分の赤いダウンコートを手に取る。
「ほら」
 手袋をした手が差し出され、少しだけ考えてから少年は、手にあるものを渡す。
 声の主は膝を曲げると、先ほど少年がしたようにチャックを開けて、大きくコートを広げ出す。違うのは、わざわざ背には回らないし、台なんていらない。目一杯両手を広げる必要もない。クルリと背を向けば、右へ左へ、勝手にふわりとした袖が少年の腕を包み込んでいく。
「んで、次はこっちな」
 そう、声が聞こえると、褐色の手が白に変わる。
 少年の手に、白い五本指の毛糸で出来た手袋がはめられたのだ。
 両手が白くなった後、むぎゅっと手を握り、すぐに力を抜く。その間に、相手は立ち上がる。
「それじゃあ、行きましょう」
 少年のふわふわした手が、強すぎず、弱すぎない力で、大きな固くて柔らかい手を包み込む。
「ああ。行こう」
 返ってきた言葉に、廊下の向こうに見える扉の方を向いて、少年は大きな手を引いたまま歩き出す。


 人生とは何が起こるか分からない。
 褐色、白髪が特徴的なエミヤは、少年ながらにそう思う。
 両親に姉、小さな弟。幸せいっぱいに暮らした5年間が、どこかの知らない誰かの小さな火が原因で、一晩で消し去られることもある。
 変わった毛色だ。と、敬遠され、仲良く遊んでいた子どもたちが続々と新しい家族を作るのを何十回も見送り、もう、一人で生きていくのだろうか。そう思って矢先に、思いがけず手を差し伸べられることもある。
「お前、うちに来るか?」
 ボランティアに訪れる青年たちよりも、角ばった白皙の手が自分の手を包み込んだときのことを、エミヤは今でも鮮明に覚えている。
 その手の主が、世界に名の知られている会社の『ヤクイン』だということを知るのは少し後。『ヤクイン』がどういう仕事なのか。正直、エミヤには分からない。社長なら、一番偉い人なのだろうけど。社長とは違うのか。と聞けば「まあ、似たようなもんだと思ってればいいさ」と相手はあまり詳しく教えてくれなかった。
 高層マンションに住んで、広い部屋で生活して。ご飯もたらふく食べさせてくれる。
 ともかく、彼が貧乏でないことだけは、理解できた。
「エミヤ。これは食ったか?」
 両手で持った白い皿へヒョイヒョイと、外はこんがり、中は鮮やかなピンク色をした肉が載せられていく。あれも、これ、それも。どんどん皿の上の山は高くなっていく。その山を見つめながら、エミヤは口を開く。
「クーは、野菜を摂りましたか」
 エミヤの問いかけに、いつもと違う黒いスーツに、白いシャツ。更には珍しく蝶ネクタイをつけた相手は、青い髪を揺らして、んー。と気のない返事をする。
 50代前半ではあるが、同世代はもちろん、先ほどからチラリチラリと若い男女からも視線を集める美丈夫。彼が、エミヤを引き取った人物。『クー』こと。名前を、クー・フーリン。
 エミヤが、養父にあたる彼を『父』と呼ばないのは、「オレはお前の父親じゃねぇから」との彼の希望で、敬語を使っているのは、エミヤの希望。何度か、家族なんだからと口調を指摘されたが、自分に手を差し伸べてくれた相手に平常語を使う気にはどうもなれなかった。最後は、「まあ、そのうちな」とクーの方が折れて今に至る。
 現在、二人がいる部屋の天井にはシャンデリア。ワインレッドの絨毯の上、刺繍が入ったテーブルクロスが敷かれた長机の上に並ぶのは、煌めく銀皿の上に並んだ肉や魚たち。そうして、それを囲むのは、綺麗に飾りあげた男女。なにも特別な照明はないはずなのに、周りが眩しいのは、彼らが身につけた宝石のせいだけではないだろう。
 クラシック音楽に包まれた、学校の体育館ほどに広いこの部屋ではパーティが、催されている。
 何のーーかは、詳しくクーに教えてもらえなかったが、どこかの偉い人の何かのお祝いらしいことをなんとなくエミヤは理解していた。
「この前、お医者様に言われたでしょう。野菜をたくさん摂らないといけないと」
「まあ。こんなときぐらいいいだろう? それよかお前、食え」
 ほれ。と、さらに盛られた鮮やかな色の肉を銀色のフォークで刺して、クーはエミヤの口の前に差し出す。眉を顰めて口をつぐむ少年に、ほれ。とクーは軽くフォークを揺らす。軽く睨みつれば、彼は、ん?と小さく首を傾げて微笑んでいる。
 パクリ。
 むぐむぐ。
 咀嚼を始める前に、フォークは勝手に口の中から去っていく。
 肉の柔らかさに、ソースの甘みを感じる。この感触は、たぶん、鴨肉。この前、連れて行ってもらったレストランのものも美味しかったが、これもなかなかだ。自然と、エミヤの頬は上がり、鉛色の瞳は煌きだす。
 舌で喜びを堪能していると、クスリと小さく笑う気配と共に、白皙の指がエミヤの柔らかい褐色の頬を撫でる。
「クー」
「頭はダメってんだから、いいだろう」
 ウリウリ。と頬を更に曲げた人差し指の第一関節でなぞられる。
 今日はパーティなのだ。だから、エミヤも彼と揃いの黒いスーツに蝶ネクタイをしている。鏡で見た自分は最初、どうも格好がつかなかった。同じデザインのものを着ているはずなのに、クーのようにカッコ良くならない。けれど、こんなものか。と諦めて会場を訪れれば、それを見かねたのか、クーの知り合いだという妙齢の女性(曰く、クーと年齢は変わらないそうだが、エミヤにはどう見ても二十前後にしか見えなかった)に手を引かれ、奥の控え室で、頭をセットされた。
 いつも下ろしっぱなしの前髪を上げられて、女性曰くは後ろに少し動きをつけて。
 時間はそんなかけていないのに、エミヤは、鏡に映った自分が少しだけ大人に見えた。なんだか、照れくささを感じながら、クーの元へ戻れば、「おお。いいじゃねぇか」と彼は髪を撫でようとする。慌てて、「セットが崩れるからダメだ」と避けてから、彼は代わりにこうして頬を撫でてくる。指二本だったり、指の腹だったりを経て、こんな撫でかたに落ち着いた。
「失礼します」
「ディルムッドさん。こんばんは」
 聞こえてきた聞き慣れた声と、見覚えのある姿に、エミヤは相手ーーディルムッドの名前を呼ぶ。
「こんばんは。今日はいつにも増してかっこいいですね」
「貴方も。いつも通りとても素敵です」
 優しくこちらに笑いかけてきた相手に、頬をほんのり赤めらせながらエミヤは微笑み返す。
 漆黒の髪に、泣き黒子が特徴的な彼は、クーの仕事仲間だとかなんだとかで、今までもこういったパーティや、外で会ったことがある。とても優しく、紳士的な青年で、エミヤは彼を好いていた。
 いつだったか、彼を好きだと言ったところ、クーは「俺よりも?」と真剣な目で言ってきたことがある。そんなことはない。と首を横に振ると、たいそう、嬉しそうに笑っていた。
 この大きな部屋の中で、二番目に好きな青年は、エミヤの一番好きな男性に用事があるようで、何か話している。先ほど、エミヤに向けたような、優しく、にこやかな雰囲気はない。何か大事なことなのだろう。出来れば、鴨肉を彼にも勧めたかったが、エミヤは黙って皿に視線を落とす。
「エミヤ。ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ用事ができた。一人で大丈夫か? メイヴ探すか?」
 髪を整えてくれた女性の名前を口にするクーは、眉をほんの少し下げている。
「大丈夫。一人で待てます」
 ここは、知らない街中なわけではない。周りにいるのは、身分ははっきりしている人々だろう。何より、エミヤはもうプライマリースクールに通い始めた年齢なのだ。寂しくて泣いてしまうこともない。
 クーは、心配。というよりは名残惜しそうに、エミヤの鉛色の瞳を見つめる。
「少し、顔を合わせるだけですよ。早く済ませましょう」
 ディルムッドに急かされ、クーは口を開く。
「すぐだ。すぐ戻ってくるから」
「いってらっしゃい」
 皿で両手が塞がっているので、いつもより少し大きめの声で言えば、クーは背を向けた。
 人混みの中、ゆらゆら揺れる青い髪を、大きな扉の向こうに消えてしまうまで見送る。
 とりあえず、一旦、この皿をどこかに置いて食べてしまおう。エミヤは周りを見回した。
 きっと、クーが取ってくれた時よりも、この肉たちは、幾分か冷たくなっているだろう。けれど、きっとまだ柔らかしくて、美味しいはずだ。
 部屋の奥。壁沿いにいくつか椅子と、小さな机が置いてあるのが目に入る。
 靴のサイズが大きくなっただろうと、先週クーが買ってくれた真新しい濃い茶色の革靴で進んでいく。黒や茶色。赤や青。色とりどりの服や靴にぶつからないように、皿の上のものを溢さないように、気をつけながらやっと、たどり着いて机に、皿を置いたあと、ふと気づく。
「フォーク……」
「はい。どうぞ」
 両手を見つめて呟くエミヤに、綺麗な声が降ってきた。同時に右から現れたのは、銀色の何かーークーが手にしていたものより小さい、デザートフォークだった。顔を上げれば、オレンジ色の長い髪を綺麗にまとめた女性がこちらに笑いかけている。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして」
 頭を下げてデザートフォークを受け取ると、肉の山から一切れさして口に入れる。
 これは、たぶん牛肉。少し冷たいけれど、硬すぎない。噛めば旨味が溢れ出して、口の中に広がっていく。むぐむぐと何度か噛めば、もう小さくなったので、ゴクリと飲み込んだ。はあ。と自然にため息が出る。
「美味しそうに食べるんだね」
 フフ。と女性は可笑しそうに、けれど優しく笑っていた。
 なんとなく恥ずかしくなって、エミヤはデザートフォークを皿に置く。
「君は、何処の子かしら。お父さんとお母さんは?」
「え……と」
 相手の質問の意図は分かるのだが、どう答えればいいのかすぐに、浮かばなかった。こんな質問はされたことはなかったから。父親は。と答えればいいのだろうか。けれど、クーは自分をエミヤに『父』とは呼ばせない。
「さっき見たぜ。そいつ、クー・フーリンといたわ」
 ムニムニと口を動かして考えていたエミヤの耳に、知らない声が届く。
 声の主、肩まである茶髪を綺麗にセットした紺色のスーツの男は、笑顔を作って、女性の肩を抱く。その笑顔が、どうにも嫌らしく見え、エミヤは思わず眉を顰める。
「え。あの?」
「そうそう。あの、クー・フーリン」
 驚く女性に、男は大袈裟に頷いて見せた。
 『あの』とはどういうことだろうか。クーはきっと、有名だ。部屋の中での視線からわかっていたことで……。
「クー・フーリンがどうしたと?」
 エミヤの視線に、今度は少し膨よかな髪の短い男性が現れる。年齢は40代ぐらいだろうか。その後さらに、金髪の長い髪の女性。黒髪の男性。どんどん、人が増えていき、気づけばエミヤの前に人の壁が出来上がっていた。

「そういえば。養子を取ったと聞いたな。まさか男とは」
「少女なら、頷けたのだが」
「ひょっとしたら、誰かが孕んだ子どもかしら」
「ああ。とても夜遊びがすごかったと聞くものね」
「いや。見た目が変わっているしコレクション感覚なのかも」
「坊っちゃん育ちのおっさんの考えることは分からんな」
「可愛い召使い感覚なのかも。少年を買うの流行ったでしょ」
「それなら、大きくなったらどうするつもりだ」

 先ほどまで聞こえていたクラシックの音が遠のいて、代わりにエミヤを包み込むのは、大きな口。赤い口。薄い唇。肉厚な唇。様々な形から紡ぎ出される、低い音に高い音。
 意味がある単語のはずなのに、脳はそれ汲み取ろうとはしない。
 ただ、何故か。心の中がざわついている。理由はわからない。けれど、ざわめくが大きくなるに連れて、頭の中は空っぽになっていく。開いていても何も映さない瞳。意味がないならと瞼を下ろす。それでも、音はまだまだ続く。
 聞きたくない何かが、雑音が、ずっとずっと流れている。
「クー」
 小さな、小さな。誰の耳にも届かない音を漏らす。すると。

 ふわり。

 耳に優しい感触。同時に、雑音が止まる。代わりにじんわり感じるのは温かさ。
 何が起きたのか。ゆっくり瞼を持ち上げれば、雑音を紡いでいた口は見えなくて、代わりに、目の前は真っ黒。少し顔を上げれば、赤い色が見える。優しい色をした赤が二つ。よく知っている色。
「クー」
 ポツリ。目の前の人物の名前を呼ぶ。
 そうすれば、ゆっくりとエミヤの耳を包み込んでいた大きな掌が離れていく。
 蓋をなくした耳は、ぼんやりと、クラシックの音楽と、ざわめく人の声を拾い始める。その中で、低く、安心する声だけは、ハッキリ聞こえる。
「用事終わったから、もう帰ろう。ちぃと疲れちまって。手を引いてくれたら助かる」
 手袋はないけれど、今朝したように、いつもするように、白皙の右手が差し出された。それをいつも通り、エミヤはまだふっくらとしている褐色の手で優しく包み込んだ。
 赤い瞳が優しくエミヤの方を見て、左手の人差し指でまた、頬を撫でられる。
 クーは手を握ったまま、背を向けた。
「どうも。連れが世話になったみたいで。礼を言わせてくれ」
 聞こえてくる声はいつもと変わらない。
 けれど、なぜか先ほどまで饒舌だった人々は、気まずそうに黙り込んでいる。
「もう、歳でね。悪いがお暇させてもらおう」
 クーがそう言えば、人の壁が左右に分かれて道を作る。
 エミヤは白い手をしっかり握って、道の真ん中を、ゆっくり歩き出す。
 目を合わせないまま、大きな影を追い越して、進む。
 どれだけ進んでも、手の温かさは消えはしない。
 出口の方をみれば、ディルムッドが困ったような顔でこちらを見つめていた。


 ギチリ。
 濃い緑入りの革張りのソファに、大人一人分の重みが加わる。
 先に座っていたエミヤはほんの少し、体が沈んだことを感じとる。
 クラシック音楽も、人の話し声も、足音もない。かすかに聞こえるのは、電子機器の震える小さな音。あとは、隣で、マグカップの中身ーーおそらく、コーヒーを啜る音。
 見慣れた部屋。広い広い窓にはブラインドがかけられている。
 あのあと、行きと同じドライバーの運転で二人はまっすぐ自宅に戻ってきた。
 エミヤがやっと、繋ぎっぱなしだった握った手を離したのは、自室で、ジャケットやスラックスを剥いで部屋着へ着替えるタイミングだった。そのあと、風呂を促され、済ませてリビングへ向かえば、テーブルには自分のマグカップにたっぷりのホットミルクが用意されていた。
 入れ替わりに風呂へ入ったクーが、戻ってきて、ソファに座った今では、もうホットミルクは中身は半分以上無くなっていた。
「クー。その、良かったんですか?」
 ポツリ。エミヤが尋ねる。
 何のための集まりかはよく分かっていない。けれど、今まで何度か一緒に参加したパーティならば、あの後きっと主催の偉い人や、知り合いの人が何かを言って。やっと何人かが帰りだすはずだ。その前に、あそこを出てしまったのは、学校でいえば授業中に立ち上り、帰ってしまったようなものなのではないのだろうか。
 眉尻を下げるエミヤに、いつもなら笑いかけてくるクーなのだが、今日は無表情のマグカップに口をつけて、小さく呟いた。
「もう、あれには行かん」
 会場を出てから、彼の表情は変わらない。無表情。けれど、纏う空気は幾分か柔らかいものになっている気がする。それでも、いつも通りの彼に戻りきらないことに、エミヤの表情は晴れない。
 ひょっとしたら、エミヤと離れたあと、仕事の話か何かをして嫌なこと言われたのかもしれない。いつかのエミヤのように、料理が当たったのかもしれない。けれど、頭の中には、あの人の壁が紡ぐ幾つもの言葉が浮かんでくる。
 彼らは何と言っていただろうか。
 少女でないことに驚いていた。誰かとの子どもかとも。そう、可愛い召使が欲しいのではと。
 遅れてゆっくり、一度は流れきったはずの言葉の意味を咀嚼していく。
 半分ほどのみこんだ頃、ふと、思い出す。
 一番最初、自分に差し伸べたれた白い手を見て思ったこと。
ーーどうして、自分なんて選んだのだろうかーー
 一緒に暮らしても、自分に『父』と呼ばせない彼。
 ああ。そうか。
 混乱していた頭の中が、突然スッキリと、渦巻いていたものが、綺麗に片付く。
「……私はそろそろ、大きくなります」
 きっと彼は、出来の良い。働ける『子ども』が欲しかったのだ。
「父親は背が高い方で筋肉も付きやすかったはず」
 けれど、いつか、彼が求めているものは、エミヤの身体から抜け落ちていってしまう。
 そうすれば、彼はどんな目で自分を見るのだろうか。そんな疑問に、小さく体が震える。
 想像もできない、未来が怖い。それなら、その未来が来る前に。
「だから、可愛い子が良いのなら、孤児院で面倒を見ていた……」
「エミヤ」
 低く、抑揚のない声が、エミヤの言葉を遮る。
 名を呼ばれ、顔を上げれば、先ほどまでは何も宿さない、いや、宿さないようにしていた硝子玉のような赤い瞳が、感情を宿していた。
 それは、ただ一つのシンプルなものではないようだけれど、怒気が混ざっていることを感じ取り、エミヤは手をぎゅっと握りしめた。
「何を言われた」
 真っ直ぐ。綺麗にずっと真っ直ぐに、こちらを見つめる赤い瞳から、視線を逸らせない。
 向かい合ったまま。小さくエミヤは口を開く。
「私が、あなたの養子だと知って……。女の子ではないと驚いたと。君は遊びがすごかったから、誰かとの子じゃないかと……あと。その、珍しい色の、可愛い召使が欲しかったんだろうと……」
 記憶から掘り起こせる言葉を、ただただ何も考えず、意味を理解し切れていない言葉も含めて口にする。
 唇の動きが止まり、少ししてやっと、クーの瞼が下がる。
 エミヤが動かないままに彼を見つめていると、ふう。とため息が聞こえてきた。
 張り詰めていた空気が緩む。
 再び持ち上がった瞼から見えた瞳からは、怒気は感じられず、どちらかといえば、湿っていて、そう、悲しそうな。
「そうだな。まず、お前の母親と、俺は関係……。お付き合いをしたことはねぇ。分かっていると思うが」
 一呼吸置き、睫毛を揺らした後、クーは続ける。
「んで。そうだな。遊びが凄かった。てのは自覚がある」
「遊び……」
 ニュアンスが理解できない言葉の一つを、エミヤは復唱する。
 そんな彼に、クーは付け加えた。
「まあ、お付き合いをするってことだ。いろんな女性と、同時に何人も」
「それは……」
 良くないことでしょう。
 そう、続ける言葉は音にならず消えていく。消えたはずなのに、クーの耳にはキッチリ届いたようで、ほんの少しだけ眉尻が下がり、目元に悲しくしわが寄る。
「そうさ。オレは昔、お前が生まれるより前、良くないヤツだったんだ。召使い。なんて気はなかったが、お前さんを引き取ったのも正直、気まぐれだった。養子の試し期間が終わって、向いてないと思えばそのまま返すつもりだった。そういう意味じゃ、今もいいヤツではないな」
 赤い瞳の色は、なんとも言えない。寂しそうなものになっていた。
「……もし、軽蔑すんなら、オレのことが嫌になったんなら離れていい。お前がちゃぁんと一人でも暮らせるように家も、使用人も、金も、全部、用意はする。だから、我慢しなくていい。素直に言ってくれ」
 いつも通り、緩やかに。けれど、いつもよりずっとずっと弱々しい声。
 伏せがちになる目を見つめながら、エミヤはぎゅっと再び、手を握り、小さな口をめいいっぱい大きく開いて、諦めたような、そんな顔をする男性に向かって、言葉を放つ。
「今はっ。今はどうなんです」
「今?」
「気まぐれ『だった』と、貴方は言いました。お試し期間に返せばいいと。けれど、もうその期間は終わって、でも私は孤児院にはいないんです。だから、今、今、貴方にとって私は嫌なものですか?」
 勢いよく、精一杯の言葉を吐いて、エミヤは肩を揺らして息をする。
 飛んできたものは、予想していなかったもののようで、クーの顔には滅多に見せない『驚き』が浮かんでいた。
 けれど、それを気にする余裕もなく、エミヤは必死に言葉を紡ぎ続けた。
「私には、女性とお付き合いする楽しさは、分からないけど。きっと、楽しいことで、貴方は楽しいことができるときにいっぱいして……私も、俺も、たまに遊びに夢中で宿題を忘れそうにもなるし……けど、ちゃんと学校に行くまでにやれば、悪いことにならないし。それでそれで……」
 なかなかうまい言葉が出てこない口をしばらく、はくはくさせて、エミヤはうーと唸り出す。
 こんな話をするつもりじゃないんだ。なんだか違う。それは分かっているのだけれど、伝えらない。
 もどかしさに、足をバタつかせる。普段は行儀が悪いからと、どれだけ怒っても、楽しくても、我慢している行動だ。
 スルリ。
 なんとか、少ない人生の中から言葉を絞り出そうとするエミヤの頬を何かが撫でる。
 パッと顔を上げれば、白い手がこちらに伸びている。
 骨張っていて、ほんの少し乾燥している。なんども触れて、触れられている手。
「今のお前は、オレにとっちゃ大事な、大事な家族だ」
 真っ白な肌にシワが寄る。先ほどまでの悲しいものじゃない。優しい。嬉しそうなシワ。
「最初は正直、全然笑わねぇし変なやつだと思ったけどな。世話好きのところとか、案外不器用なところとか、甘え方が下手なところとか。そんなお前が今は大事だ。『可愛い子ども』じゃねぇ、『エミヤ』だから大事なんだ」
 こちらを見つめる赤には、悲しさも寂しさもなくて、エミヤが上手に料理を作れたときのように。少しだらしない彼に注意をしてみたときのように。優しく、こちらを見つめている。
「それなら。ここにいてもいいですか? 私は女の子じゃないし、きっと、大きくなる。そうなった時も、まだ、大事だと思ってくれたなら、ここにいていいですか?」
 白い手に、ふっくらとした褐色の手がそっと触れて、離れていく。
 離れていくそれを、すぐに白い手は握って、引き寄せる。
「もちろんだ。むしろ、大きくなって、力持ちになって貰わんと。オレが今以上に足腰弱くなった時、支えてもらえん」
 ぐいっと体を引き寄せられる。
 体温がゆっくりと伝わってくる。頬のすぐそばにあるのは、青い髪と、白い肌。
「任せてください。クーを片手で持てるぐらい強くなります」
「そりゃ楽しみだ」
 スリと、頬が寄せられる。
 それは、少し固くて乾燥していて、正直、気持ちが良いものではない。
 けれど、この感触に、鼻をくすぐる不思議な匂いに、エミヤの胸はいっぱいになる。
「長生きしねぇとな」
 ちゃんと、野菜食うか。耳もとで呟く言葉に、エミヤはフフと小さく笑う。

 一年前、初めて出会った白が、赤が、青が。固いシワが。角ばった手が。不思議な匂いが。
 父親でも、母親でも、姉でも、弟でもない家族が。
 こんなに自分を満たしてくれるなどと、エミヤは考えてもいなかった。
 まだまだ短い人生だけど、人生とは何が起こるか分からない。
 エミヤは、そう思うのだ。
 

Comments

  • nino
    March 23, 2020
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