light
pixiv's Guidelines will be updated on March 18th, 2026.
View details
The Works "鷹の瞳に緋文字は似合わない" is tagged "槍弓".
鷹の瞳に緋文字は似合わない/Novel by おおいずみ

鷹の瞳に緋文字は似合わない

10,060 character(s)20 mins

■ランサーとキャスター両方からアプローチされて迷ったアーチャーが、シェイクスピアに相談する話。とはいえ、弓とシェイクスピアが話すだけなので、ランサーとキャスターはいません。ほぼCPではないですが、検索避け程度です。すみません。
■英文学・米文学ネタが多目です。そこがむしろやりたかった。シェイクスピアがきっとこんな呼び方してたらいいな、とか。アーチャーがそういう類いのものが好きな設定です。デミヤがシェイクスピア作品に言及してたのをいいことに、勝手やってます。相当前から書いてたんですが、オジマンディアス幕間で某方の名前が出て泣きそうになったのでだらだらと続き書きました。
■最後の引用は意訳どころかかなり捏造してます。念のため伏せ字です。
■タイトル的には、両方の手を取れば浮気ではないのだ、ということで。
■自己満足で書いたので至らないですが、折角なので。

  • 123
  • 96
  • 2,940
1
white
horizontal


「アーチャー、オレを選べ」

 幻影のように並ぶ蒼天、鏡写しの光の半神たちはそう語りかけた。差し出された手は溶けそうなほどに熱を持っている。アーチャーにとり、それら重なった愛しき声は、夢幻のごとく、そしてひどく胸を締め付けた。
 だから、彼には――どちらかの手を引くことさえ、叶わなかった。

「駄目だ、私には」

 強欲で我が儘な身にあって、彼等に触れる権利などありはしないのだ。ましてや、双方を求めるなど、他の誰でもない自分が許さなかった。


 ひたり。ひたり。夜が近付く音がする。
 此処はカルデア、人理消却から逃れた、僻地の空間。だが、果たして、外界における時間とは意味を為しておらず、この空間の時間さえもあやふやで、夜と言うものの存在は危うかった。ましてや、厳戒体制が敷かれた今ならば、その明かりが消えることなく、夜など無きに等しいのだ。だがしかし、それは時間がないことにも、夜の存在を否定してもない。
 魔手を逃れた新米マスターと、そのサーヴァント。医師を筆頭にした技術者たち。序でに、あらゆる叡知を持つ超美人画家。彼らは今尚、営みを紡ぎ続けている。空間があり、生活という営みがあり、それに内包された人々がいる。それだけで、たったそれだけで、時間が流れているという証拠足り得る。時間が流れれば、必然と夜は存在するものであり――暗闇のみが、夜の存在を決定付けるものではない。だからこそ、今、夜は足音を立てて忍び寄る。


 カルデアの廊下を、赤い外套の男が歩いていた。しっかりとした足取りで、だけれども何処か覚束無いような。少しばかり早足で、外套の男――アーチャーは、とある人物の私室に向かっていた。仮想時刻は午後十一時。

「おや。これは珍しい客人ですな、アーチャー」
「夜分にすまないな、大文豪殿」

 扉を開けて飛び込んできたのは、インクと紙の重厚な薫り。そして、紙の束。近代的なカルデアの廊下から、まるで中世に飛んでしまったかと疑うほどの世界。かの世界一とも名高い詩作家にして劇作家――ウィリアム・シェイクスピアの私室とは、そういうものだった。
 ワンルームの、さして広くない部屋がここまで圧倒的になるものか。自動で開いた扉に左手をかけ、暫く見入る。鋼の瞳が揺れた。四方の壁は、殆どが本で覆われ、今にも棚が崩落しようかという次第。天井までびっしりとおおったそれらは、まるで壁紙のようであった。天井には申し訳程度の明かりが照されている。扉を入って右手側。自分の部屋と変わらなければ、そちらにはシャワールームがあるはずだ。しかしながら、その扉は一見して分からない。恐らくは使用されていないのだろう。本の山が道を塞いでいた。近頃マスターの部屋に出入りが見られるのも、これが原因であろう。思い返せば、掃除したシャワールームに何本か、種類の違うシャンプーが増えていた気がする。
 さて、アーチャーと呼ばれたのは、赤衣を纏った錬鉄の守護者であった。ブランデーの肌に、白金の髪。鈍色の瞳、されど輝きを放つ。別にシェイクスピアとしては彼をアーチャーと呼ぶことに理由はない。強いて言えば、彼の真名に言語的馴染みがなかったからであろう。
 本棚など見えないほどに積み上げられた本の山を崩すことのないよう、細心の注意を払って入室する。古びた表紙の題名には『カンタベリー物語』。かの『ベーオウルフ』を除けば、イギリス最古の文学。よほど読み古されているのだろう、本の地が擦れていた。そうして観察しつつ部屋を見渡す。足の踏み場などは僅かにあるほどで、部屋の主人は奥にある机から動こうともしない。顔はひたすらに原稿へと向いている。
 最初の一声から他に言葉はない。アーチャーは彼の机の横まで漸く辿り着くと、少し良いだろうかと声をかけた。机を見やれば、つらつらと文字が綴られている。そこには書き損じなど存在せず、それがいかにシェイクスピアという人物が偉大な作家であるかを物語っていた。
 暫くそれを注視し、パラグラフ最後の一文字を書いてから、作家は顔をあげた。その顔は何故か驚きに満ちていて、先程自分から訪問者に声をかけたことさえも忘れているようであった。

「おや、これはこれは。何か用向きですかな」
「用と言えば、用なのだが。出直した方が良いか?」
「いえいえ、構いませんとも。貴方は非常に、いや非情に?どちらでもいい、面白いですから」

 にっこりと髭を蓄えた顔を歪ませると、文豪はペンを置いた。どこか棘の有るような物言いに、アーチャーは顔をしかめた。だが、それもこの男の性格であるから、大して思うところではない。

「さて、用向きとは何か?さては休暇が――」
「ご期待の所すまないが、こういうことだよ」

 期待を寄せる男。そんな彼を眺めると、眉根を寄せて少しばかり困惑したように、アーチャーは書類の束を手渡した。げ、と気まずい声がする。そろりそろりと慎重な手付きで頁が捲られていく。その指が紙を滑る度に、シェイクスピアの顔は険しくなるばかりであった。

「予算、予算、予算!なんと忌まわしい響き!」
「……取材費で何もかもが落ちると思わないことだ」

 紙を握りしめつつ天を仰ぐ様子は、祈りにも似ていた。アーチャーが届けたのは予算報告書である。幾分、運営に何かと資金を要すカルデアは火の車である。そんな状態の中――分かっていながらも――シェイクスピアという男は、取材と称して多額の予算を要求したのである。

「いやはや、見なかったことにしましょう」

 報告書は丸めて放られ、屑籠から外れて跳ねた。シェイクスピアは書きかけの原稿を机の端に寄せると、机を背にしてアーチャーに向き直った。さあどうぞ、と座るように促されたが、正直な所、時価さえもつけえぬであろう彼の新作、ありえぬ新作の山に腰を下ろす気にはなれなかった。やんわりと断りを入れて、本棚に背を預けた。埃っぽい空気が鼻孔を刺激する。一息ついて彼の顔を見れば、まるで物語を待つような子供の姿が思い浮かべられた。
 慧眼であった。いや、最早作家としての観察眼、一種の呪いでもあろう。アーチャーが来訪した理由を、高々つまらぬ紙切れのためではないと理解している。

「例えば、だ」
「ええ、例えば、ですな」

 そう前置きしてから、酷く他人事のように男は語りだした。他人事のように、というのは、あくまでも男は自分語りをするのであって、けれども婉曲せねばなるまいほど羞恥に満ちていたからだった。シェイクスピアも含んだ言葉を復唱すると、肯首した。何か面白いことが始まる予感が、彼の身体を駆け巡っていたからだ。アーチャーは一呼吸置いてから口を開いた。

「非常に見た目が酷似した。あくまでだが。まるで同一人物のような二人がいたとする。仮に、そうだな」
「ふむ、ではヴァイオラとセバスチャンとでもしましょうか」
「そう言おうとした所だ。名前を借ることさえ烏滸がましいだろうが、許して欲しい」
「いえ、構いませんとも。大いに結構」

 上機嫌に許可を下ろす。言わずと知れた喜劇の傑作『十二夜』。その主人公足る、瓜二つの双子の兄弟の名を、ヴァイオラとセバスチャンと言った。内容は、此処では割愛するとしよう。話は続けられる。アーチャーは、ああでもない、こうでもないと――自分の思い浮かべる人物を当てはめた。

「それから、しがない男が一人いたとしよう。これといった取り柄もなく、頑固で、唐変木のひねくれものだ。人に好かれるようなたちはしてない。ましてヴァイオラやセバスチャンのような美貌の者など、論外だ」
「皆までは言わなくてよろしいと?」
「……だけれども、その男。仮に読者としよう。彼らのような美しい登場人物には触れることさえできない、次元の違う、という意味だ。男は、恋をしていた。それこそ、空想的で倒錯的であることは分かっている。だが、読者は片想いをしている」

 片想い、そう口にされたとき、文豪は大きく手を叩いた。して、この作家は片想いが好物であるらしく、瞳は煌々と輝いている。地面に散らばった原稿の山を漁る。価値さえつけ得ない、紙面の数々が舞った。視界に入る白を納めながら、黙ってアーチャーはその光景を記憶した。漸くメモ書き、既に黒で粗方埋まったそれを引き出すと、作家はもう片手に適当な本を持ち、台にした。さあ話せ、と促しているようであった。その適当な本が『フォースタス博士』であったのは意図的か、否か。

「……いいか?」
「ええ、ええ勿論ですとも!さあ続きを!」

 興奮した様子を伺って、裏腹に冷めた口調で聞く。はてどこまで話したものか、と話あぐねよう物ならどうなることだろうか。けれど、口は雄弁に語り、驚くほどに流暢に話を再開した。

「読者は二人を見るのが好きだった。恋をしていたんだ。届かぬ高嶺の花。理想。決して振り向かない高潔。青の光。片割れは空色の髪と森の精気、片割れは海色の髪と光の輝き。どちらも瞳にまるで紫の鮮血を宿すような。読者は片想いで十分だったのだ。だがある日のことだ。正確に言えば――つい昨日。読者は自分が片想いでないことを知った」
「読者の片想いとは即ち。鉛の羽、冷たい炎。健康な病気――」
「眠っているのに起きている、だろう。正にそれだ。読者は日々苛まれていた感情から解放されたんだ」

 言葉の続きを紡いだアーチャーを、満足そうに眺める。流れるようなペン先が、物語を綴っていく。面白いように滑るものだから、暫く目を取られる。おおよそ作家というものは天才であるが、これ程に、書く姿さえも美しいものがあるのだろうかとさえ、考えが及んだ。

「さあ、続けて」
「だが、読者には一つばかり困ったことがあった。どうやら、ヴァイオラとセバスチャン、その両方に好意を寄せられたということだ。どちらも読者にとってかけがえのない相手。ただでさえ夢のようだというのに、男はますます自分の身振りに迷ってしまったのだ」

 酷く悩ましげに溜め息をついた。目頭を抑え、視線を下に、俯く。言葉が静寂を破らぬ間、流れるのは紙を掻くペンの音。現代の物書きであれば響き渡るのはキーボードを叩く音だったろう。目の前に置かれたタイプライターを一瞥する。年季の入ったそれは、埃にまみれておらず、未だに使われ続けていることを意味していた。そっと触れると、よく手入れされていることが伺えた。

「何故タイプライターを使わない?」

 手持ち無沙汰だったので、一言投げ掛けた。シェイクスピアは、一切手を止める兆しさえ見せずに言った。だが、放つ言霊は快活に満ちていた。

「ああ、ソレは、ぶっちゃけて言えばめっちゃ楽。我輩、この発明ばかりは目の玉が飛び出る程と思いますが。けれども!けれども!今この一時においては余りにも煩わしい!嗚呼、高揚と逸る心を我がペンで――」

 その時であった。壁が大きく叩かれ、音と共にアーチャーの背へ振動が走った。

「!」
「おや、隣人の機嫌を損ねましたか。喝采ではなくなんとも無粋。せめて壁がもう少し厚ければ良かった」
「つかぬことを聞くようだが……隣室は誰だ?」

 ごく演説のように続けられた言葉は、壁を殴打する音に遮られた。音をたてて書物が床に落下していた。そのままにしておくのも、どうにも気が引ける。背後の本棚にそれらを押し込みながら、アーチャーは訊ねた。僅かに開いた隙間に、本を入れてみるが、全く収まる気配はない。諦めて、積み上げられた山に重ねる。

「はあ、ベオウルフですが何か。ペンは剣より強しと言いますが、作者と登場人物の関係も全く難しい。我輩は彼の作者――いや編纂者を全くもって知りませんが、もっと敬意を払うべきかと。作者より作品が弱いなんて義理はありませんぞ?寧ろ我輩、オセローと戦って勝てる気など――」
「五月蝿ェってんだろうが!!」

 機械仕掛けの扉が開けば、怒鳴り声が響き渡った。入り口に立っていたのは、褐色に金の髪と髭を蓄えた大柄な男だった。目元には隈。つい先程まで寝ていたのだろうか、普段より髪が乱れていた。大きく体を部屋に入れた男は、これ以上ない顰めっ面で室内に立ち入った。呆然とするアーチャーを一瞥し、ズカズカと怒りの元へと歩みを進める。机は部屋の最奥にあったから、後にシェイクスピアはこう語った。

 それはもう、ジュリエットにひた走るロミオのようでしたとも!だが些か品に欠けていたのは、言うまでもありませんな!

 床の紙束は足蹴にされ、埃が舞い上がる。目に入った異物に涙を浮かべる。ちらりと作家を見れば、明らかに「やべえ、やっちゃった」といった具合の表情が伺えた。流石俳優、表情の造形は一級品ではあったが、助け船を出す気にはなれなかった。ああ、ベオウルフ。今君が踏んだのは、それはもう大層な代物なんだぞ、ボトムの後日譚なんて――と、喉元まででかかった言葉を飲み込む。火に油を注ぐのは今ではない。

「おう、何時だと思ってンだオイ」
「零時は過ぎているかと、あ、ちょっ首根っこは勘弁」

 ベオウルフはシェイクスピアの襟首を力強く掴み、自慢の腕力で体躯を浮かせた。ひきつった半笑いで言い訳する男の足は、地面に付いておらず、怒りが伺える。そのまま前後に揺らすと、まるでカツアゲのようにしか思えなかった。

「わかってんだったら少し黙れ。毎日毎日毎日毎日あんたの大音量の御高説は飽きたんだよ。壊れたラジカセじゃあるまいし」
「ラジカセ、ラジカセですか、我が輩そのような大衆的ではなく、せめて――」
「だからそれがうるせえってんだよ」

 ああ悲しいかな、頬を鷲掴みにされ、それ以上は言わせて貰えなかった。ピキリと走った血筋がよく分かった。くぐもった声を挙げて、手袋越しの手が鍛えられた脚を叩く。だが、相当頭に来ているベオウルフは、右手を下げようとはしなかった。
 流石に見るに見かねて、アーチャーは一つ咳払いをしてから言った。

「ベオウルフ。タップしてるぞ」
「あ?……ああ」
「死ぬかと……」

 不快そうに言葉を耳に入れれば、襟首を掴んでいた手は放された。どさり、と尻餅をついて地面に落とされる。喉に手を当て、暫く作家はその場で咳き込んでいた。キャスタークラスの紙耐久、ここに極まれり。覚束ない足元と共に、倒れていた椅子を直すと腰かけた。安らかな顔である。アーチャーが大丈夫か、と声をかけたが返事はない。何処かの川が目の前を走っているのだろうか。
 大きくため息をつき、ベオウルフを振り返った。相当に不機嫌そうな金色の瞳が返ってくる。眉間の皺は明らかに深い。

「悪かった。元はと言えば、私のせいだ。また日を改めるとするよ、……彼はこの様子だしな」
「そうしろ。ったくしょうもねえ――っと、そうだ」

 そう言うと、ベオウルフは眉間に寄っていた深い皺を取り、左手にぶら下げていた物を付きだした。それを見て、アーチャーは目を丸くした。

「これは何処で?」
「そこの廊下を彷徨いてたのを拾ったんだよ。誰のモンだか知らねえが、邪魔だしよ。あんた、知ってんなら届けて来てくれねえか。迷惑料とは言わねえが」

 差し出されたままに、両手で受け取る。それは、宇宙色を宿した黄金であった。尾が揺れ、肉球の付いた左手がアーチャーの頬を撫でた。それがくすぐったく、自然と表情が柔らかくなる。

「こら、やめないか」

 形は一般的に言えば猫のようであったが、アーチャーはそれが正真正銘のスフィンクスであると理解していた。正式な名称を、スフィンクスアウラード。溢れ出るその光輝と自信に満ちた魔力は、明らかに彼の王――神王オジマンディアスのものであった。バレンタインデーに彼がマスターに贈った、いわばプレゼントであったが、頻繁に脱走しカルデアを闊歩している。大概は主人たる王かマスターの元にいるのだが、このような真夜中に歩き回られては心配なことこの上ない。ベオウルフの言う通り、元いた部屋に返してやるのがよいだろう。再三になるが、アーチャーはどうあってもお人好しである。

「了解した、責任を持って届けよう」
「頼んだ。そこで伸びてるクソ作家にも宜しく言っといてくれや」

 筋肉の詰まった背中を向けると、ひらひらと手を振り、ベオウルフは自室へと踵を返していった。相変わらず足元の原稿が蹴散らされたのが気にかかったが、嵐が去る方が優先であった。それが自動ドアで見えなくなるまで、アーチャーはじっと見つめていた。腕の中の子猫が欠伸をしている。僅かな音を立ててドアが閉まりきると、それを待っていたかのように、ゆっくりとシェイクスピアの瞼が上がった。椅子に凭れ掛かって、天井を見上げていた。意味を為さない母音の長音が発せられる。

「ああ――今のはいけない」
「大丈夫か」
「ええ、御心配なさらず」

 そう言いつつも、暫く彼は椅子に体重を預けたままだった。アーチャーの腕に抱かれたスフィンクス、その幼体を視界に納めると、シェイクスピアはゆっくりと口を開いた。彼のインクまみれの手袋が伸ばされたが、前肢で一蹴された。それに不満そうに手を引いている。

「シェリーのところへ、返しに?」
「シェリー?」

 馴染みの薄い発音であった。記憶を辿り、聞こえた名を探すが見当たらない。少なくとも、カルデアにシェリーという名の人物ないし生物はいなかっただろう。首を捻り、思考に身を委ねるが、アーチャーには思い当たる節が、てんでなかった。聞き返した言葉を耳にいれると、シェイクスピアは目を丸くした。わざとらしい瞬きが気にかかる。

「我輩の思い違いですかな、この子猫はラムセスの建築王たる――」
「……嗚呼、そういうことか!まったく紛らわしい、そもそもシェリーは"二人"いるだろう。だが、言う通りだ。太陽王の元へ届ける予定だよ」
「これは失敬。すっかり失念しておりました」
「フランケンシュタイン――此処ではフラン、それからオジマンディアス王と。その呼称は些か難解すぎる」

 アーチャーはそう溜め息をつくと、背を預けていた本棚へ向き直った。手元の子猫は器用に肩へと移動している。尾が銀の髪を揺らす。視線と指先で、ずらりと並んだ背表紙をなぞっていく。ちらりと見かけた文字列を、再び探しだす。そうして土気色の本を瞳に映すと、かたり、と音を立てて本を取り出した。本を覆っていた埃を軽く叩くと、細かな塵が宙に舞う。シンプルな装丁に、表紙にぽつんと書かれた文字列が焼き付く。数ページ捲れば、黄ばんだ紙面が時間を告げている。
 書名は『フランケンシュタイン』、英国ゴシック小説の代表格と評しても過言ではないだろう。そのタイトルの下には、メアリー・シェリーと、作者たる偉大な女性作家の名が刻まれていた。
ページを捲るアーチャーを見て、声を投げ掛ける。

「よい物語でしょう、それは」
「ゴシックでいえば一、二を争うだろうな」

 さも自作について話すかのように、シェイクスピアの心は踊っていた。アーチャーから本を受けとる。漸く姿勢を正し、流すように頁を捲り、卓上へ置く。恐らくは次回作の種本にでもなるのであろうか。男の創作意欲、化け物じみたそれに若干の恐怖を感じつつ、話を続ける。

「オジマンディアス王は――パーシー・シェリー。彼の詩作のことか」
「And on the pedestal these words appear――ふむ、やはり我輩の時代と比べれば語感は違うものの、それもいいでしょう」

 瞳を閉じ、雄弁な口先が語っていく。記憶から語られるそれは、かの王が口にする口上と、殆どが一致していた。
 言葉ひとつひとつを噛み締め、まるで舞台劇のように紡がれた詩。世界最高と唄われる彼によって発音された詩は、控えめにいっても美しかった。アーチャーは自然と息を飲んでいた。
 パーシー・シェリーはメアリー・シェリーの夫である。かのシェリー家は作家一族として知られているが、このカルデアにいる――一見してなんの関わりもない彼ら二人の共通点であった。
 つまるところ、シェイクスピアのシェリーという呼称には、少くとも彼等をシェリーに書かれた者として評価していると、いう意図があったと言えよう。けれども、それを理解するのは作家たちや、例えば今回のアーチャーといった所謂ファンであって、普遍的に理解が及ぶかといえば否であろう。実際、シェイクスピアはこの呼称をフランケンシュタイン本人に伝えたことがあるのだが、一切反応が見られなかったと言う。しかしながら、彼本人にとってはこれら一切は気に止めることでさえもない。ただひとえに、そこに後の時代の文学を彩った、偉大なる作家たちへの敬意さえあればよいのであった。シェイクスピアは、そういう人間である。
 だからこそ、ある種の道に迷ったアーチャーは、恥を忍んで彼の部屋に来訪したのであった。

「さて、話が随分と逸脱してしまった」

 蓄えた顎髭をなぞり、茶色の双眸でアーチャーを見据えた。返答が返ってくるとは思っておらず、瞬きを繰り返す。子猫が暇そうに伸びをした。
 そうして文豪は、さも日常語りをするがごとく――いや、彼にとっては彼自身の世界が日常であるのだから、日常語りそのものとして――世界を展開した。
それは明らかに彼の作った世界そのものの話であったが、まるで現実を語るかのように思えた。

「読者よ。我輩は、全ての登場人物をそれはそれは愛している。恋は盲目。ロミオも、乳母も、ドン・ジョンも、ヘレナも。無論ヴァイオラとセバスチャンも。それでよいではありませんか。貴方が紡ぐ、そして貴方達が紡いできた運命は、最早物語。読者は、役者にして作者。可能性を捨てるなど創作者としての終焉、我輩とすれば、今回の件――至高の喜劇となることを、期待しております」

 そう締め括った後、シェイクスピアは笑った。ぎしり、と腰掛けた椅子が軋む。
 つまるところ「選ばずともよい、どちらの手も取れば良い」と。シェイクスピアは迷いもせず、読者――アーチャーの強欲を肯定したのだ。
 それだけではない。アーチャーと彼等が紡いだ運命を彼は称賛した。彼が称えるに価する物語であると認めたのである。

「些か血にまみれ過ぎてる感は否めないですが!マクベスよりはマシでしょう!」

 最高の、賛辞であった。
 アーチャーは力強く肯首し、恭しく頭を垂れた。整った指先が胸の前に置かれ、左足は半歩後ろ。それは正に、この部屋が無音に制されていたとしてもなお、終幕の喝采を浴びる役者であった。

「……感謝する、ミスター。貴方の思うままの終幕を迎えられるかは、私次第かもしれん。緋文字が、この胸に宿らないことを祈る限りだ」
「……ふふ、本当に貴方は面白い!ああ、よい夜を!それから――彼が綺麗な花梨であって、貴方が綺麗な梨であれば、さぞ気持ちがいいでしょう!O Romeo, that she were, O that she were an open-axxe, thou a pop'rin pear!まあ、我輩はどちらでもよいのですが!」
「……失礼する」

 そう言うと、ドアに向かって歩みだした。最後にとてつもない爆弾を投げ付けられ、内心辟易しながらも、アーチャーは部屋を出る。一度も振り返ることは無かったが、彼が己の背を、幕が降りるその時まで見つめていることが分かった。退場する役者を見送るのは、観客の義務だ。
 無機質な開閉音が鳴り、背後の扉は閉じた。時刻は0時をとうに過ぎ、廊下の明かりは最小限に抑えられている。日付を跨いだ部屋の内はすでに見えず、今までの出来事が夢かと思えた。しかし、胸中の想いが、それが現実だと告げていた。薄暗い通路の空気を吸う。冷たくも、暖かくもなかった。

「そろそろ降りんかね」

 小さな声で肩口のスフィンクスに語りかける。意図を察してか、宇宙色の子猫は、すたりと床に着地した。大きく伸びをしてから、アーチャーの足元にすり寄ってきた。こそばゆいその感覚に体を捻る。

「私になついても仕方がない。君の主人の元へ戻ろう」

 そうは言ってみたものの、既に深夜である。足音さえも廊下の奥に吸い込まれる。自分の後を付いて回る子猫の愛嬌にほだされつつも、一旦は自室に戻ることにして、翌日飼い主――創造主の元へ向かうことにした。このほの暗い夜に、運命の青と出会えることをかすかに期待しながら、アーチャーは自室の扉を目指し、シェイクスピアの部屋を後にした。
 隣室からは、規則正しい鼾が、聞こえている。


Comments

  • 切亀
    March 15, 2018
  • anzu
    March 14, 2018
Potentially sensitive contents will not be featured in the list.
© pixiv
Popular illust tags
Popular novel tags