積もる話はフォンダンショコラを食べながら
7/1追記
再録本になりました。→illust/68995160
ずっと槍に片思いをしてた弓と、弓に告白するモブ女と、何も教えてもらえない槍によるバレンタイン槍弓。
最後のシーンが書きたくて書きました。
・学パロです
・みんな女々しい
・モブ女がかなり出しゃばります
・偽造だらけ
(今年2018年のバレンタインは水曜日ですが、この話の中のバレンタインデーは土曜日です)
・無駄に長い
それでもよければお読みください。
ーーーーーーーーー
今年の目標はなんらかの形で本を出すこと。
バレンタインはたくさんチョコレートが市場に出回り、またたくさんチョコレートを買ったとしても言い訳が立つから大好きです。
- 3,304
- 3,476
- 38,021
チョコレートを作ろうと思った。
この想いがこもったチョコレートを。
それで全て、おしまいにしようと思った。
◆
エミヤが彼と出会ったのは10年ほど前。
エミヤが幼稚園を卒園し、だけれどもまだ小学生にはなっていないそんな狭間の時期に、隣の家に海外から新しい家族が引っ越してきた。
挨拶に来た彼らは、エミヤが見たこともないような美しい青い髪と赤い目を持っていた。
そして彼らと一緒に来ていた4人の息子のうちのひとりが、エミヤが後に恋するランサーという少年であった。
もちろんランサーという名前は本名ではない。
初めて告げられた名前は、発音が流暢過ぎてエミヤには聞き取ることができなかった。どうしようかと困っていると、彼がひとこと「ランサー」と言ったのだ。
後から聞けば、それは家族間で使われる通称のようなもので、彼以外の兄弟にも同じような呼び名が付いているそうだ。
ランサーは、エミヤと同い年だった。
近所に同い年の友人がいなかったエミヤは、彼の登場に心から喜び、すぐに2人で遊ぶようになった。
少女かと見まごうばかりの美しさを持った彼だが、その中身はとても活発な少年らしい少年で、エミヤは彼に引っ張られ、様々なところに遊びに出かけた。
野を駆け、山を登り、川に飛び込み、追いかけっこをし、毎日笑いあった。
知っているどんな場所でも、彼といるとまるで違う世界に見えた。
エミヤは、自分をそんな知らない世界に連れて行ってくれる彼に、淡い憧れのようなものを抱いていた。
もしかしたらそれが、エミヤの小さな恋の芽だったのかもしれない。
そんな彼ともっと仲良くなりたいと思ったが、当時のランサーはまだ日本語が不自由で、日本語での意思疎通は難しかった。
だからエミヤは、仕事で海外によく行く父親から必死に英語を教わり、習った片言の英単語で、少しずつランサーとの距離を縮めていった。
小学校でも、エミヤはまだ日本語のわからないランサーのため、登下校を共にし、教師の話をたどたどしい英語で伝え、困ったことがあればさりげなく手助けした。
また、英語のわからない同級生にランサーのことを紹介し、彼がいかに早く走ることができるか、いかに高く跳ぶことができるのかを話し、ランサーがクラスで孤立しないよう取り計らった。
そんなエミヤとランサーの関係を学校側もわかっていたのか、小学校に通っていた間、エミヤとランサーは違うクラスになったことはなかった。
エミヤが自分の恋に気付いたのは、5年生の頃だったと思う。
彼はとても賢い子で、その頃にはもう日本語に全く不自由しておらず、美しい容姿と男らしい性格も相まって、クラスの人気者になっていた。
エミヤとの仲も相変わらずで、毎日一緒に登下校し、放課後はお互いの家で遊んだりしていた。
そして、その冬。エミヤは初めて彼にバレンタインの贈り物をした。
海外生まれのランサーにとって、バレンタインは男女問わず親しい人に贈り物をする日だった。
そう彼から聞いていたエミヤは、それならばと彼にお菓子を作って贈った。
作ったのは、テレビを観ながら彼が食べてみたいと言っていたフォンダンショコラ。
マフィンのような形のチョコレートケーキの中に、とろりと蕩けるチョコレートソースが入っている甘いお菓子。
今まで幾度となく、作ったお菓子を彼やその兄弟におすそ分けしていたエミヤにとって、バレンタインに手作りお菓子を贈ることに何の抵抗もなかった。
エミヤが差し出したそれを、彼は想像以上に喜んで食べてくれた。
「すげぇ美味い!やっぱり、お前のは特別だなぁ」
口の端にチョコレートソースをつけながら満面の笑みを浮かべる彼を見て、エミヤは顔が熱くなったのを感じた。
彼に自分のものが特別だと言われたことが、思っていた以上に嬉しかったのだ。
そんなことはない、と照れ隠しに言うと、彼は勢いよく否定してきた。
「そんなことねぇよ。いろいろもらったけど、お前のは別格だ」
「そ、そうか?気に入ってもらえたのなら嬉しいが…」
「おう、いくらでも食べられるぜ。俺、お前がくれたものが一番好きだわ」
にっ、と笑う彼はとても眩しかった。
その笑顔に、エミヤはあっさりと恋に落ちた。
だけれども、エミヤはちゃんとわかっていた。
彼はかわいい女の子が好きで、男のエミヤでは恋人になれないことを。
エミヤは初恋に気付いた瞬間に、その恋が実らないことを悟っていた。
だからこそ、恋人にはなれなくても、せめて友達としてずっと彼のそばにいたいと思った。
それだけが、エミヤの望みだった。
そんなささやかなエミヤの望みが脅かされたことがあった。
それは、エミヤは忘れ物を取りに戻った放課後の教室で、同じクラスの女子の会話を偶然聞いてしまったことに始まる。
「エミヤくんってさ、ランサーくんにだけ優しすぎない?」
そんな女子の声がまっすぐ耳に飛び込んできて、エミヤは思わず足を止めてしまった。
教室に入ることができず、エミヤは廊下の壁に背をつけ、隠れるように中をうかがった。
そこでは女子が数人に集まって、楽しそうに話をしていた。
「えー、気のせいじゃない?エミヤくんはみんなに優しいよ?」
「そうそう。この前、日直の時、黒板の高いところ消せなくて困ってたらやってくれたよ」
「私も、前にみんなのノートを職員室に持っていった時、半分持ってもらったなぁ」
「…気のせいかなぁ」
はじめに発言した女子は、まだ疑わしげだった。
「そうだよー。あんたがランサーくんのこと好きだから、気になってるだけだって」
「うんうん。それに、前までランサーくん言葉わかんなくて、エミヤくんが通訳代わりにずっと世話焼いてきたから、その頃の癖が残ってるんじゃない?」
「家も隣っていうから、きっともっと小さい頃から面倒見てたんだよ。エミヤくんのことだから、まだランサーくんがまだ小さい子どもに見えてるんじゃない?」
「あはは!ありそう!で、いつかランサーくんに、鬱陶しいって怒られそうだよね」
「あるあるー!エミヤくん、お母さんみたいな時あるもんね!」
「…そうかなぁ」
友人が笑っていても、そのランサーを好きだと言う女子は、最後までエミヤのことを疑っていた。
その恋する女の勘の鋭さに、エミヤはゾッとした。
エミヤは学校では優しいと評判だった。困っている人がいれば当たり前に声をかけ、手を貸した。
消しゴムを忘れてしまった子がいたら、自分の消しゴムを半分に切って与え、筆箱が壊れてしまった子がいたら、器用な手先でそれを直してやった。
そんな彼がいっとう気にかけていたのが、ランサーだ。
恋に気付く前も気付いた後も、エミヤにとってランサーは誰よりも特別だ。
だから、エミヤにとって彼を優先することは当たり前のことだった。
だが、それによって自分の気持ちがバレるかもしれないということに、エミヤはこの日、初めて気付いた。
まだ肌寒い学校の廊下で、エミヤはどうすればいいのか必死に考えた。
あの子がエミヤの気持ちを疑っているということは、もしかしたら他にも疑っている子もいるかもしれない。
その数が増えれば、エミヤの恋は自然と周りにバレてしまう。
この想いが普通でないことは、エミヤはもちろんわかっている。簡単に受け入れてもらえないものだということも。
あの男らしい彼でも、知ったらきっとエミヤのことを嫌悪し、離れていってしまうだろう。
そうなったら、彼のそばにはいられない。
それだけは、どうしても避けたかった。
ではどうしたらいいのか。
教室の中では、女子達が相変わらずきゃらきゃらと話をしている。
その声を聞きながらしばらく考えていると、エミヤはふと彼女たちが言っていたことを思い出した。
エミヤくんは、みんなに優しいと。
ランサーだけ特別扱いするから、勘の鋭い子が察してしまうのだ。
ならば、みんなを特別に扱ったらどうなるだろう。
例えば、みんなをランサーだと思って接したら、きっと彼とその他の差はなくなる。もしかしたらあの女子も、エミヤのことを疑わなくなるかもしれない。
そうすればエミヤの想いはバレることなく、今まで通りにランサーのそばにいられる。
今まで通りに、きっとずっと。
蛍光灯の明かりを反射するリノリウムの床を見つめながら、幼いエミヤは決意したように、きゅ、と唇を噛み締めた。
それからエミヤは、ランサー以外の子達にもランサーにするかのように接した。もちろん、あのランサーを好きだと言っていた女子にも、同じように接した。
もともとその差はほんの僅かなものだったため、そのことについてエミヤに何か言ってくる者はいなかった。あの女子も、はじめはエミヤの行動を疑わしい目で見てきたが、3日経ち、1週間が経ち、学年が変わってひと月も過ぎれば、彼女もエミヤの優しさを受け入れ、ただの友人のようにエミヤと接するようになった。
そんな彼女を見て、エミヤはようやく安心することができた。
エミヤの望みは恋人になることではなく、彼のそばにいることなのだ。
自分の恋が成就するなど思っていない。そこまでエミヤは望まない。
だから、自分の気持ちが望まぬ形で彼に届くことは避けたかった。
これで彼のそばにいることができる。そう思った。
だが。
「なぜ、みんなに優しくするんだ?」
ある日の帰り道。
他ならぬランサーその人が、エミヤの行動に不満を言ってきた。
家まで続くゆるい坂道で、夕陽を背にしたランサーが冷たい声でエミヤに問う。
「今日、給食を落としてしまった奴がいたが、お前、自分の給食を半分差し出していたな。体育でも、ボールが当たりそうになった女子を庇って、お前は怪我をした。そこまでして他人に尽くす理由はなんだ」
ランサーの目線の先には、絆創膏を貼られたエミヤの額がある。
今日の体育の授業中、見学していた女子にバスケットボールが飛んでいってしまい、エミヤはその女子を身を呈して庇ったのだ。
しかし、ランサーが言うほど大げさな怪我ではない。本当なら、この絆創膏だっていらないくらいの小さな怪我だ。
給食のことだって、目の前を歩いていた同級生が転んで、エミヤの前で給食をぶちまけてしまった。ご飯などはまだ余っていたが、その子が大好きなコロッケは人数分しか用意がなく、残っていなかった。
泣きそうになっている同級生に、特にコロッケが好きでも嫌いでもない自分がそれをあげるのは、当然のことだろう。相手がランサーだったら、エミヤは間違いなくそうしているし、ランサーじゃなくても、たぶん同じことをした。
「そんな大げさな。どちらも、たまたま私の目の前で起こったことだ。自分が助けられるのなら、そうするのは当然だろう?」
エミヤは人助けをするのは当然だと思っていた。自分の手の届く範囲でできることがあるのなら、なおのこと。
だから、彼が不機嫌になる理由がわからなかった。
さも当然、という風に答えると、ランサーはぎり、と歯を食いしばった。
「ならば、俺にかまうのも同じ理由か?俺が言葉がわからなくて困っていたから、助けるために俺のそばにいたのか?」
この問いに、エミヤは困惑した。
答えは「いいえ」だ。
だが、否定すると、じゃあ何なのだ、という話になる。
その理由は、エミヤが最も隠したいことだ。彼本人に言えるわけがない。
だから、エミヤは口ごもってしまった。
その沈黙を是と捉えたのか、ランサーはその美しい目を釣り上げて、エミヤを睨みつけた。
「…そうか。わかった。なら、はっきり言ってやる。俺はお前の助けなど必要としていない。お前に助けてもらう必要もない。お前は、お前は」
本当にひどい奴だ、と言い捨て、彼はエミヤを置いて駆け出した。
彼の青い髪が、ひゅるりとエミヤの横を通り過ぎていく。
残されたエミヤは、彼から告げられたことを受け止めきれず、しばらくその場に立ち尽くした。
それから1週間ほど、彼に無視される日が続いた。
朝迎えに行っても、彼の母親にもう学校に行ってしまったと申し訳なさそうに言われ、学校でも話しかけようとすると、彼はエミヤを避けるように教室から出て行った。帰る時も、いつもはエミヤがどんなに遅くなっても待っていてくれた彼は、気付くと別の友達とさっさと帰ってしまった。
軽い喧嘩は今までもあったが、ここまでランサーを怒らせてしまったのは、これが初めてだった。
こんな1週間も彼と口を聞けなかったことは今までになかった。
エミヤは、このまま彼と話せなくなってしまうのは嫌で、何度も彼に謝ろうとした。
恋人になれないエミヤにとって、彼のそばにいられることがすべてなのだ。
それすらも出来なくなってしまったら、と考えると、エミヤは怖くて怖くて堪らなかった。
けれど、ランサーはエミヤと目すら合わせてくれなかった。
そんなふうに拗れてしまったエミヤとランサーの仲だったが、意外な人物に仲介で元に戻ることになる。
それはランサーの5歳上の兄、キャスターだった。
毎日ランサーを呼びに来るエミヤを哀れに思ったのか、鬱陶しいと思ったのかはわからないが、当時高校生だった彼は、ある日突然ランサーの首根っこを掴んでエミヤの家に現れ、「ちゃんと話せ、馬鹿が」と、彼によく似た美しい顔を歪ませて言い放ち、ランサーを玄関に置いていった。
その日は偶然、家にはエミヤしかいなかった。
ただでさえ静かな家の中で、気まずい沈黙が玄関に落とされる。
その空気に耐えられなくなったのか、ランサーが先に「ひどいこと言って悪かった」とぼそりと呟いた。
久しぶりに自分に向けられた彼の言葉に、エミヤは堪らず泣き出した。
ちがう、ちがうんだ、とエミヤはしゃくり上げながら、必死に言葉を繰り返した。
「決して、義務感で君と仲良くしていたわけではない。君といると楽しかった。君のそばにいたかった。それは本当だ」
そう泣きながら訴えるエミヤに、ランサーは気まずそうな顔をしながら、
「…それならいい」
と言ってくれた。
それから、ランサーの訴えにより、エミヤの過剰な優しさは少しだけ控えめになった。というか、ランサーがやり過ぎだと感じると、エミヤを止めに入るようになったのだ。
そんなことをしては今度はランサーにあらぬ疑惑がかけられてしまうのでは、と思ったが、ランサーは特に気にした様子もなく、周りも何も言わなかった。
やはりエミヤの時は自分の秘めた恋が漏れ出たから、あの女子も察したのかもしれない。やましいことが何もなければ、そこまで気にすることではないのだ。
そう思うと、少しだけ悲しい気持ちになった。
とはいえ、険悪になったエミヤとランサーの仲も元に戻り、これでエミヤは安心して彼のそばにいることができると思っていた。
しかし、変化は徐々に訪れる。
まず中学に入って、ランサーに初めての恋人ができた。
突然のことで驚いたが、エミヤは笑って祝福した。
彼に恋人ができたことにより、一緒に登下校はできなくなり、放課後、彼と遊ぶ時間は目に見えて減ってしまったが、エミヤはこれでいいのだ、と思うことにした。
エミヤは恋人になれない代わりに、ずっと彼のそばにいることを望んだ。
そうなれば、いずれ彼が結婚する場面にも出くわすだろう。そうなったとしても、エミヤは彼を笑って祝福しなくてはいけない。そうできるようにならなくてはいけない。
それが友人たるエミヤの役割で、彼のそばに居続けるための条件だと思っていた。
あいにく、その彼女とランサーは存外早く別れてしまった。
しかし、彼はモテるため、すぐにまた別の彼女ができた。
エミヤは彼の友人として、彼女ができればそれを祝福し、別れれば、またか、と苦言を呈した後に彼の愚痴を聞き、彼を励ました。
エミヤは彼に恋人ができても、彼が別の学校に通うことになっても、彼の一番近い友人であり続けた。あり続けようとした。
そうして数年が過ぎ、エミヤは高校2年生になった。
きっかけは、ひとりの少女の告白だった。
その少女はエミヤの同級生で、一緒にクラス委員をやっていた。
2人で教室に残り、今度クラスで配布するプリントをホッチキスで留めていた時に、彼女はふと思い出したかのように、ずっとエミヤのことが好きだったと言ってきた。
エミヤはこの告白に、とても驚いた。
なぜなら彼女はエミヤと同じ小学校に通い、かつてランサーが好きで、エミヤのランサーへの思いをいち早く察していたあの女子だったからだ。
ランサーのことが好きだったのではないのか。
戸惑いながらそれを問うと、彼女は笑った。
「彼のことは、好きというか憧れていただけだよ。足が速くてかっこいいなぁって」
確かに、昔からランサーは走るのが得意だった。そんな彼は中学から始めた陸上にハマり、今はエミヤとは別の高校の陸上部で、華々しい成績を叩き出している。
「でも、エミヤくんは、私のことをそういうふうに見ていないよね」
続けて言われた言葉にどきりとする。
彼女の言う通り、エミヤの心は、今も昔もランサーに囚われたままだった。
申し訳ない気持ちで彼女の告白を断ると、彼女はにこりと笑った。
「いいの。わかっていたことだから」
彼女は存外あっさりと自分の失恋を受け入れた。
「だけど、エミヤくん。1個だけお願いしてもいい?」
微笑む彼女の声が、不意に揺らいだ気がした。
「エミヤくんは、明日チョコ持ってくるの?」
「…ああ。その予定だが」
明日は2月13日。バレンタインデーの前日だ。
今年のバレンタインデーは土曜日のため、学生がチョコを配るのは、必然的に前日の金曜日、つまり明日になる。
エミヤは毎年、部活仲間や同級生など、世話になった人にはチョコを配るようにしている。完全なる義理チョコではあるが、エミヤの手作りチョコは美味しいと学校内で評判だった。
目の前にいる彼女にも、同じクラスだったり、同じ委員会になったりとなんだかんだで縁が続き、毎年渡していた。ホワイトデーには、そのお返しだと小さなクッキーをもらったこともある。
しかし、今まで彼女からバレンタインデーにチョコレートをもらったことはなかった。
彼女は持っていたホッチキスを手で弄りながら、迷うように言った。
「私も、明日チョコを持ってこようと思うの。だから、そのチョコだけは受け取ってもらえないかな?」
「それは構わないが…」
だが、その程度でいいのだろうか。
過去、エミヤに告白してきた少女の中には、もっと無茶苦茶な要求をしてきた者もいた。
何かチョコレートに盛られるのか、ということが一瞬頭をよぎったが、それはないだろうとすぐに否定する。
始まりはああだったが、話してみると彼女はおっとりとした、ただの優しい少女だった。人の心の機微に敏感で、落ち込んでいる友人がいると、それとなく気遣うことのできる子どもだった。
頭の回転も早く、一緒に仕事をするときはとても助けられた。
恋愛感情はなかったけれど、エミヤは友人として、彼女のことはとても好ましいと思っていた。
「うん、いいの。それだけでいい。それだけでいいの。それで、私の恋を終わりにしようと思って」
無理矢理作ったような不自然な笑顔を浮かべて、彼女はエミヤを見た。
恋を終わらせる。
それはエミヤが数年かかってもできなかったことだった。
エミヤは恋人の地位こそ諦めたが、彼を好きでいることはやめられなかった。だからこそ、今もなお、必死に彼のそばに居続けようとしている。
しかし、彼女はそれをやると言った。
一体どういう気持ちで、彼女はそう決めたのだろう。どうしてそうしようと思ったのだろう。
その心境を知りたいと思ったが、今にも泣きそうになっている彼女に、エミヤはそれを問うことはできなかった。
買い物を終え、どこかぼんやりとした気持ちで自宅の前まで辿り着くと、窓から居間の明かりが漏れていた。
朝出るときは消したはず。
ならば、彼が来ているということか。
エミヤはひとつ息を吐いた。
エミヤは今、自宅で一人暮らしのようなものをしている。
なぜかというと、エミヤのたった1人の弟は、今イギリスに3か月の短期留学に行っており、両親も、エミヤと弟からの一足早いバレンタインプレゼントで海外旅行に行っているからだ。ちなみに帰ってくるのは来週である。
エミヤの両親は、プレゼントとはいえ、高校生のエミヤをひとり家に残していくのを嫌がった。そんな両親の背を押してくれたのは、隣の家に住むランサーの両親だ。私たちが見ているから問題ないと言ってくれ、それならば、と両親は、もしもの時のために彼らに合鍵を預け、海外に飛び立っていった。
そのため、こうしてエミヤの帰りが遅い日は彼が先に家に入り、防犯のために家の明かりをつけておいてくれる。
もちろん、彼の目的はそれだけではないが。
「遅かったな」
居間に入ると、予想通り、ランサーが座布団に座ってテレビを見ていた。
「ああ。クラス委員の仕事と、あとスーパーにも寄っていたら遅くなってしまった」
「スーパーに?バレンタインの材料だったら、昨日買いに行ったんじゃねぇのか?」
首を傾げる彼に、一瞬口ごもる。
彼の言う通り、材料は昨日のうちに全て揃えてある。昨日、家に来ていた彼にそう伝えた。
昨日の時点では、それで良かった。
買い足したのは、さっきの彼女の分だ。彼女に渡すチョコレートがみんなと同じものでいいのだろうかと不意に悩んでしまい、急遽材料を買いに行ったのだ。
「…うっかり、買い忘れたものがあってな」
「ふぅん」
彼は小さく鼻を鳴らして、弄っていたテレビのリモコンをテーブルの上に置いた。
「夕飯は?」
「帰りに軽く済ませてきた」
これは大嘘だ。
彼女の告白のことが気になって、全く食欲がわかなかった。
告白してきたのが昔からの友人だったから、こんなにも気になるのだろうか。
いや、それはきっと違う。
今までエミヤに告白してきた子たちは、皆、大なり小なりエミヤと付き合えるかもしれないという期待を胸に告白してきた。それはエミヤにもわかった。だから、断る時はその期待を潰す事になるのが申し訳ないといつも思っていた。
だが、彼女は違った。
彼女の告白は、エミヤの付き合うためではなく、自分の恋を終わらせるためのものだった。
彼女は初めから諦めていた。断られるのも、それによって関係が変わるかもしれないことも、傷つくことも承知の上で、それでも彼女はエミヤに気持ちを告げた。
その理由が、エミヤにはわからなかった。
「…お前、なんかあったのか?」
疑念を含んだ彼の声に、意識が現実に引き戻される。
「…いや、何もない」
誤魔化すように笑って答え、エミヤは持っていたエコバッグをキッチンに運んだ。
「さて、着替えてから明日のためにチョコを作ろうかと思うのだが、君はどうするんだ?」
「へぇ。…なら見ててもつまんねぇし、俺は帰るわ」
彼は立ち上がって、床に置いて居たダウンジャケットを羽織った。
それもそうだろう、とエミヤは思う。
彼がエミヤの家にくる本当の目的は、エミヤの夕飯だ。
彼の家は男ばかりの4兄弟で、彼曰く、家の夕飯ではとても足りないらしい。だから、エミヤの食事で腹を満たそうとエミヤの家にやってくるのだ。
しかし、今日はその夕飯が無い。それがわかったから、彼はさっさと帰るのだろう。
「それにしても、毎年毎年よくやるな」
キッチンにいるエミヤを眺めながら、ぼそりとランサーが呟いた。
「チョコ作りか?まぁ、半分趣味もあるからな」
「ふぅん。あ、今年は俺、要らないから」
「え」
「お前のチョコ」
すっ、と体温が下がった気がした。
彼に恋をしてから、エミヤは毎年彼にチョコレートを贈っていた。
好きと言えない代わりに、気持ちを込めた手作りチョコレートを。そうすることで、エミヤの内に燻る恋心慰めてきた。
疑われないように見た目こそ他のものと同じにしていたが、それは他のものとは素材からして全く違う別物で、細部にまでこだわり、丁寧に丁寧に気持ちを込めて作った、まぎれもないエミヤの本命のチョコレートだった。
それを、ランサーは要らないと言う。
買ってきた食品を片付ける振りをしながら、エミヤは必死に口を動かした。
「…それは構わないが、突然どうした?彼女でもできたのか?」
「できてねぇよ。そうじゃなくて、バレンタインの後はしばらく家にチョコが溢れかえるの知ってるだろ?俺の兄弟も持ち帰ってくるし、必要以上にもらっても食い切れねぇ。それだけだ」
高校生になった彼は、昔に比べて一層かっこよくなった。艶やかな青い髪は背中まで伸び、どちらかといえば女性的だった顔立ちは、今や精悍な男の顔になっている。
それに中学から始めた陸上で彼はたちまち頭角を現し、今では陸上部のエースだという。
大会などを何度か見に行ったが、青い髪をなびかせながら走る彼の姿は美しく、そこにいる全ての者の目を釘付けにした。
そんな男がモテないわけがない。
彼の兄弟達も、彼によく似た美しい顔立ちと男らしい性格を持っている。
きっと彼らも毎年、この時期は凄まじい量のチョコレートを持ち帰ってくるのだろう。
それもそうだな、とエミヤは平静を装ってなんとか返した。
「確かに、食べ物を無駄にするのはよくないな。そういうことなら、君の家族や兄弟達にも贈らないほうがいいだろうか?」
「まぁ、そうだな」
「…わかった。じゃあ今年からそうしよう」
それこそ彼にチョコレートを贈るようになってから、彼だけではなく、彼の家族分も作るのが当たり前になっていた。日頃、世話になっていることの礼も兼ねての贈り物だった。
彼の両親や兄弟達には喜ばれてきたのだが、確かに彼の兄弟達も大きくなり、出会った時には1歳だったプロトという名の末っ子も、もうすぐ中学生だ。もう隣の家に住む男の手作りお菓子など、気持ち悪く感じるかもしれない。
最近でこそ男がお菓子を作っても奇怪な目で見られないが、どうせもらうなら女の子が作ったものの方がいいだろう。
彼も、きっとそう思ったのかもしれない。
そんなふうに素直に了承したエミヤを、ランサーはどこか苛立ちがこもった目で見つめていた。
「どうした、ランサー。まだ何かあるか?」
「なんでもねぇ。じゃあな」
そう言い捨て、彼は青い髪を翻して部屋を出て行った。
廊下を歩くどすどすという足音に次いで、玄関の扉が閉められる音がエミヤの耳に届く。
しばらくしてカチャリという音もしたから、鍵もきちんとかけてくれたようだ。
「…そうか。もう、彼にあげられないのか」
ぽつりと呟いた言葉は、思った以上に静かな家に響いた。
バレンタインは、自分の気持ちを隠したいエミヤにとって、うってつけのイベントだった。
多くのチョコレートに紛れて、エミヤも彼にチョコレートを贈ることができた。
最近は友チョコという言葉もあり、この日だけは男が男に贈っても変な目で見られることはなかった。
その日だけは、彼と恋人のような真似事ができた。それだけでよかった。
でも、もう彼は要らないと言った。
そんな密かな真似事も出来なくなってしまった。
「…かなしいなぁ」
エミヤの心情がぽろりと口から溢れ出た。
そんなエミヤの頭に、あの彼女の泣きそうな声が浮かんだ。
『それで、私の恋を終わりにしようと思って』
終わりにする。
それはエミヤは未だに出来ずにいることだった。
だって、どうしたらいいのかわからない。
彼の男らしいかっこよさも、楽しげに笑う顔も、無理をするエミヤを叱ってくれる優しさも、全部全部好きだった。この想いがなくなる気もしないし、捨てられる気もしない。捨てたくないもない。
だが、ランサーにチョコレートを断られたことは、想像以上にエミヤを傷付けた。
いくらそばにいようとも、いくらチョコレートを贈ろうとも、エミヤはランサーのただの友人だ。
その関係は変わらない。特別な関係になど、なれるはずもない。
エミヤはそばにいられるだけでいいと願った。
1年に1回だけ、ささやかなチョコを彼に贈って、それで満足しようとしていた。
しかし、それすらも駄目だと言われた。
そばにいられればそれでいいと思っていたエミヤの心が、この日、初めて軋みだした。
そして次の日。バレンタインデーの前日。
眠たい目を擦って学校にやってきたエミヤは、いくつかのチョコレートを受け取り、また自分の作ったチョコレートをひとつひとつ渡していった。
そして放課後。
誰もいなくなった教室で、昨日のようにエミヤは彼女と向き合って座っていた。
机の上には、教師から渡されたプリントが積み上げられている。
「エミヤくん」
「なんだ?」
「チョコレートを持ってきたの」
「ああ、私も持ってきた」
「うん、ありがとう」
彼女がゆるりと笑い、机の横にかけてあった鞄から、赤いリボンのついた小さな茶色の紙袋を取り出した。
「これをどうぞ」
それを受け取り、留められていたテープを剥がして開けると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
中にはチョコレートマフィンが2つ入っていた。
「初めてちゃんと作ったの。今までのバレンタインは、気持ちをどうして隠したくて、それっぽいことができなかった。気持ちがばれて、今まで通りでいられなくなるのが怖かった。でも、ずっとエミヤくんに贈りたいと思ってた」
その気持ちは、エミヤには痛いほどわかる。
エミヤだってそうだ。だからこそ、彼にみんなと同じ見た目のチョコを渡し続けた。
「エミヤくんのことはずっと好きだった。本当に、ずっとずっと好きだった。だけど、告白する勇気もなくて黙っていた。エミヤくんが私のことをそういう目で見てないことはわかっていたし、別に言わなくても、友達としてずっと仲良くやっていければそれでいいと思っていた」
それは、彼へのエミヤの感情そのものだった。
しかし、彼女はそこで初めて辛そうに顔を歪めた。
「だけど、それっていつまで?だって、私たちは今高校2年生で、来年は受験。その次は大学か就職。今までは学校来たらエミヤくんに会えたけど、それも来年まで。その先はわからないし、そこまでエミヤくんを追いかける勇気は私にはない。だけど、多分私は会えなくなっても、しばらくはエミヤくんを好きでい続ける。そしていつか、その気持ちを忘れていく」
遠くから吹奏楽部の演奏が聞こえる。
校庭からは野球部がボールを打つ音が。隣のクラスからは楽しそうな話し声が。
今まで当たり前だった日常が、いつかはなくなる。
変わらないものなどない。ずっと同じなどあり得ない。
それでも、エミヤも彼女も、そういうものに必死に縋ってきた。
「そう思うと、すごく怖くなった。今こんなに好きなのに、それがいつかはどうでもよくなって、誰にも知られずに消えてしまうんだと思った。それは嫌だったの。だって、ずっと好きだったのに、このまま何もせずになくなってしまうのは、すごく嫌だった」
だから、と彼女は言った。
「だから、どうせ消えてしまうものなら、ちゃんとおしまいにしようと思ったの。ただぼんやり消えるんじゃなくて、ちゃんと私の手で終わらせたいって。そんな時にふとカレンダーを見て、バレンタインにチョコを贈ろうって思った。今までそういうことはしてこなかったけど、最後の最後くらい、ちゃんと言おうって。それでチョコレート渡して、私の気持ちごと食べてもらって、それでおしまいにしようって」
まぁ、チョコというかマフィンなんだけどね、と彼女が恥ずかしそうに付け足した。
エミヤの手の中には、そのお菓子がある。
しっとりとした小ぶりのチョコレートマフィン。この中に、彼女の今までの想いが詰まっているのかもしれない。
そうか。そうやって彼女は決断したのか。自分の恋を終わらせることを。
「…君は、凄いな」
「え?」
「いや、変な意味ではない。…私が君のような状況だったら、きっと怖くて動けない」
現に、エミヤは今まで動かなかった。動こうともしなかった。それでいいと思っていた。
それが最善だと思うことにしていた。
「そうなの?」
「ああ、そうだ」
「なら、エミヤくんは意外と臆病なんだね」
強張っていた彼女の表情がふわりと緩む。
「ああ、そうだな。私は臆病者なのだ」
そう答えて、エミヤはおもむろに手の中のマフィンにかぶりついた。
この行動に彼女が目を剥く。
「えっ、今食べるの?」
「いけないか?」
「いや、いけないとかじゃなくて、そういうのって普通家に帰ってから食べるものじゃ…」
「だって、これは君の気持ちなのだろう」
エミヤがそう言うと、彼女は黙り込んだ。
「君が昨日言ったように、私は君の想いに応えることはできない」
「…うん、知っている」
「だが、友人の気持ちを受け止めることくらいならできる」
エミヤは黙々と食べ進めた。
ほろほろと口の中でほどけるマフィンはちょうど良い甘さで、生地に混ざっていたナッツが程よいアクセントになっている。
エミヤは2個のマフィンをごくりと飲み込み、彼女を見つめた。
彼女はエミヤとよく似た恋の仕方をしていた。
だが、彼女はエミヤとは違った。
エミヤは、ただただ楽な方向に逃げ続けた。今も逃げている。
彼女は今日、逃げずにきちんと自分の恋に向き合った。関係が壊れる恐怖も、傷付くことも、全て受け入れた。
そんな彼女に、エミヤは何が言えるのが。
「とても美味しかった。…こんな臆病な私に、君の愛はもったいないな」
そう答えると、彼女の顔がくしゃりと歪んだ。
「エミヤくん」
「なんだ」
「本当に、本当に好きだったの」
「ああ」
「好きなの。ずっとエミヤくんが好きだったの」
「ああ。だが、その気持ちに応えることはできない」
「知ってる。ずっとわかってた。わかってたけど、ちゃんと言わなきゃ、終われなかった」
彼女の目から堪えきれなかった涙が溢れた。
それを隠すかのように、彼女が顔を手で覆う。
「エミヤくん、ちゃんと聞いてくれてありがとう。受け止めてくれてありがとう。こんな私を、嫌わないでいてくれる?」
「…これくらいで嫌うわけがない。何せ君は私の小学校から高校まで続く、ただひとりの異性の友人だ」
そう答えると、彼女が手をどかしてゆっくりとエミヤを見た。
信じられない、という目だ。
だが、さっき言っていたことは本当だ。エミヤの中学からこの高校に進学した学生はそう多くない。そしてさらに、異性で今の今までエミヤと友人関係を続けてきたのは、彼女しかいなかった。
「知らなかったのか?君はすでに、私の特別な友人だ」
そう言ってエミヤも机の横にかけていた袋から、小さな箱を取り出した。
中には昨夜エミヤが作ったブラウニーがはいっている。
「私を好きだと言ってくれた君に、他の皆と同じものを渡すのは忍びなかった。だからせめて、友人である君のために、私もなにか作りたかった」
机の上にぼたぼたと雫が落ちる音がした。
「…そっか。私はエミヤくんの特別だったんだね。特別に、なれていたんだね」
「ああ」
「ふふっ、エミヤくんはひどいなぁ。本当にひどい」
そう言って、彼女は静かに涙を流し続けた。
「私は、エミヤくんの友達のままでいいのかな。友達でいて、いいのかな?」
「ああ」
「たまに未練がましく見ても怒らない?」
「ああ。君がそんなに切り替えがうまくないことも知っている」
「エミヤくん。エミヤくん」
「なんだ?」
「大好きだったの」
「…ああ」
「本当に、ありがとう」
そう言って、彼女は子どものように泣いた。
あの後、帰り際に彼女と少しだけ話した。
小学校の頃からエミヤのことは気になっていたことや、中学で弓道をしている姿を見て好きになったこと。それらを楽しそうに話す彼女は、どこかすっきりとした表情をしていた。
そんな彼女が、エミヤには眩しく見えた。羨ましいとも思った。
自分も、彼女のように、自分の恋に向き合えるようになりたいとも。
そんな気持ちで彼女と別れ、エミヤは家に帰った。
家はまだ真っ暗なままだった。
今日は彼よりも、エミヤの方が帰るのが早かったらしい。
鞄を置き、電気もつけずに制服のまま居間で蹲る。
きっと彼は今日、いろんな女子からチョコレートをもらっているのだろう。
もしかしたら、告白もされているかもしれない。
気が合って、今日から付き合うことになるのかもしれない。
エミヤのチョコレートは断ったくせに、エミヤの知らない女子からチョコレートをもらい、それを喜んで食べる彼の姿を想像して、エミヤはたまらなく悲しくなった。
去年までは、それでも自分もチョコレートを渡せたからまだ良かった。
でも、今年は。
エミヤはたくさんチョコレートを持ち帰る彼を眺めていることしかできない。エミヤは何もできない。
不意に悲しさと虚しさで胸がいっぱいになり、エミヤの視界が歪んだ。
もう耐えられない、とエミヤは初めて思った。
本当は、エミヤもずっと彼の特別になりたいと思ってきた。諦めたふりをしながら、心のどこかで期待し続けた。彼の恋人たちのことも本当は羨ましかった。心の底では妬んでいた。
だけれども、友人であるエミヤはそれを言えない。言ってはいけない。
言ったら、友人ではいられなくなってしまう。そうなれば、エミヤは彼のそばにいることすらできなくなる。
だから全部我慢して、笑って祝福していた。
でも、なんだか急に虚しくなってきた。
今日彼女が言っていたのは、こういう気持ちだったのだろうか。
いや、違う。彼女のそれよりも、自分のはきっとドロドロとした醜いものだ。
もう嫌だ。辛い。自分だけ彼のことを好きでいるのは辛い。彼が自分を見てくれないのが辛い。自分が彼の特別になれないのが辛い。悲しい。嫌だ。嫌だ。もう嫌だ。
こんな辛い恋など、もうやめたい。終わりにしたい。終わりにして、楽になりたい。
もう、楽にしてほしい。
救いを求めるように暗い居間の壁を見上げると、そこにはカレンダーがあった。
今日の日付と。
そうか、明日は。
パチリ、と急に部屋の明かりが点き、そこでエミヤの思考が止まる。
ゆっくりと顔を上げると、そこには驚いたようにこちらを見る彼がいた。
考え込んでいたため、扉を開ける音も全く聞こえなかった。
「…あぁ、お帰り、ランサー。今日は私の方が早かったな」
「…どうしたんだ?お前。暗い中座り込んで」
「なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
眉をひそめて見てくる彼に答え、立ち上がる。
「すまない。まだ夕食は作ってないんだ」
「いや、飯のことなんかどうでもいいんだよ。お前、絶対なんかあっただろ?」
怒気をはらみながら指摘してくる彼に、エミヤは曖昧に笑い、ゆっくりと口を開いた。
「ランサー。君に聞いて欲しいことがある」
「なんだ?」
「私は明日、告白しようと思う」
エミヤの突然の発言に、ランサーは目を見開いた。
そんな彼を、エミヤはどこか晴れやかな気持ちで見つめていた。
「ずっとずっと、私は恋をしていた。だが、私はその恋を早々に諦め、友人の振りしてそばに居続けることを選んだ。傷付くのが嫌で、関係が壊れるのを恐れ、何もせずもともと持っていた友人の地位に縋り付いた。それで十分だと諦めたふりをして、自分をごまかしてきた」
情けないだろう、と彼に聞いたが、彼は何も答えなかった。
構わずにエミヤは続ける。
「だが、今日、不意に虚しく感じてしまったんだ」
「…何がだ?」
「何もかもだ。強いて言うなら、変わることを恐れて動けなかった己の意気地のなさと、望みがないことをわかっていながら、その恋を手放せなかった己の見苦しさだな」
自嘲するように笑う。
今日告白してくれた彼女は勇敢だった。美しかった。
それにひきかえ、自分の恋はなんと醜い。
「まぁ、十中八九振られるだろうがね」
「…初めから逃げ腰じゃねぇか。で、なんでそれを俺に言ったんだ?」
「君に聞いて欲しかった。子どもの頃からずっと私のそばにいてくれた君には、ちゃんと言っておきたかった」
「…そうか」
「ああ」
彼はエミヤの言葉を受け止めるようにしばらく黙った後、ぼそりと言葉を漏らした。
「…別に、わざわざ振られに行かなくてもいいんじゃねぇの?」
「確かにそうだな。だが」
エミヤの脳裏に、教室で泣く彼女の姿が浮かんだ。
「そうしないと、ちゃんと終われないんだ」
ゆるく笑って答えると、ランサーは何か言いかけるように口を開いたが、少し迷った後、静かに閉じた。
そんなどこか心配するような彼の様子を見て、エミヤはゆるりと笑った。
さぁ、夕食の片付けが終わったら、チョコレートを作ろう。
この想いのこもったチョコレートを。
それですべておしまいにしよう。
これで明日、長かったエミヤの恋はようやく終わることができるのだ。
◆
バレンタインデー当日。
エミヤの目の前には、透明なフィルムで包装されたフォンダンショコラが置かれていた。
フォンダンショコラは、エミヤにとって思い出のお菓子だった。
エミヤが初めてランサーに贈ったお菓子で、エミヤが恋を自覚するきっかけにもなったもの。
このお菓子を笑顔で頬張り、食べてくれた彼に、エミヤは恋をした。
恋の始まりがフォンダンショコラだったのなら、終わりもそれがいい。
そんな思いで、エミヤは昨夜、このフォンダンショコラを作り上げた。
だというのに。
エミヤはため息を吐いた。
時計を見れば、もうすぐ昼になるという時間。
その張本人がなかなかやって来ない。
というのも今日の早朝。急に彼から、自分が行くまで告白は待ってろという謎のメッセージが来たのだ。
正直告白する相手はランサーなのだから、彼がいなくては始まらない。
向こうの方から来てもらえるなら助かると、いつ頃来るのか確認したところ、また連絡する、というメッセージを最後に連絡が途絶え、今に至る。
つまり、エミヤは待ちぼうけをくらっていた。
エミヤとしては朝一番に済ませて、後の1日を泣き暮らす予定だった。こんな昼過ぎまでもやもやとした時間を過ごすつもりはなかった。
自分から言っておきながら、待たせるとはどういうことだ。もしや忘れてるんじゃないだろうな。そろそろ怒りの電話でもいれてやろうかと思っていると、ガチャガチャと騒がしく扉を開ける音が聞こえた。
きっと彼だ。
エミヤは彼に告白するということを忘れ、怒りながら玄関に向かった。
「遅い!」
「悪い、なんか色々手間取っちまってよ」
玄関には、悪びれもせずにへらへらと笑う男がいた。
さすがに走ってきたのか、白い頬が少し上気していた。
ぷんすか怒るエミヤに、彼はおもむろに持っていた小さな紙袋を押し付けた。
「なんだ、詫びの品でも持ってきたのか?」
蔑むように言いながら中を確認すると、そこには飾り気のない平たい白い箱が入っていた。
ふわりと漂ってきた甘い香りに、まさかと思う。
「これは…?」
「詫びっていうか…、まぁ俺からの応援の品だ」
頬を指で掻きながら、照れ臭そうに彼が言った。
恐る恐る袋の中から箱を取り出し、蓋を開けてみる。
6つに区切られたその中には、小さなカップに入れられたチョコレートトリュフが並んでいた。
それらのひとつひとつの大きさは微妙に異なり、箱の端は入れた時についたであろうココアパウダーで茶色く染まっていた。
どう見ても、市販品には見えない。
「まさか…。君がもらったものではないだろうな?」
「んなわけねぇだろ!俺が作ったんだよ!」
足を踏みならして彼が怒る。
このチョコレートを彼が作ったのか。エミヤに渡すために。
うまく理解できず呆然とするエミヤに、ランサーが疲れたように言った。
「チョコレートってすげぇめんどくせぇのな。料理感覚で適当にやったら全然うまくいかなかった」
「…当たり前だろう。お菓子作りは繊細なんだ。感覚でやってできるものではない」
嬉しさで震える喉に力を込め、いつも通りに言葉を返す。
なぜ、彼が自分のためにそんな苦労までして慣れないお菓子作りをしたのか。
トリュフを見ていた目をあげると、彼はふぅと息を吐いて笑った。
「なに、俺の大事な幼なじみが一世一代の告白しようと決意したんだろ。なら、その背中を引っ叩いてやるのが俺の役目だ。頑張ってこいよ、アーチャー」
彼が呼んだ名は、幼い頃に彼がつけてくれた己のあだ名だった。
記憶が過去に遡る。
いつだったか、隣の家族と一緒に近所の夏祭りに行った時、彼は初めて見る屋台に目を輝かせていた。
あれはなんだ、こっちはなんだと興奮のあまり英語交じりで問うてくるランサーに笑いをこぼしながら、エミヤもたどたどしい英語で説明した。
その中で、射的の屋台があった。
その店では安全面からかゴム鉄砲ではなく、おもちゃのアーチェリーで景品を倒すものだった。
ルールが分からず首をかしげるランサーに、エミヤは説明がてら何個か倒してみせた。
エミヤは生まれながら視力がよく、こういう的当ての類のゲームは得意だった。
適当にお菓子を2箱ほど倒してみせると、ランサーは目を輝かせてこう言った。
『すごい。アーチャーみたいだ』
それから、彼はその名を気に入ったようで、エミヤをアーチャーと呼び出した。
彼のランサーという名は学校中誰でも呼ぶが、このアーチャーという名前だけは、彼しか呼ばない、彼だけの特別な名前だった。
懐かしい呼び名に、エミヤの涙腺が緩む。
目の前には残酷なほど綺麗な顔で笑うランサーがいる。
彼はわかっていないのだ。自分がランサーを好いていることも。
だからこうして、純粋な好意だけで作られた特別なチョコレートを渡してくれた。
その喜ぶべき彼の行為は、エミヤの心を深く傷つけた。
だけれども、彼から与えられた「大事な幼なじみ」という言葉はとても嬉しかった。
エミヤはずっと彼の特別になりたかった。特別でありたかった。特別が欲しかった。
昨日の彼女への答えは、エミヤの願望そのものだった。
たとえ自分のことをそう言う目で見ていなくても、自分を特別だと言って欲しかった。好きだという気持ちを受け入れてほしかった。嫌わないでほしかった。
だからこそ、ランサーのその言葉はずっとエミヤは彼の特別だったと言ってくれたようで、不思議とエミヤの心を満たしてくれた。
昨日の、ひどいひどいと泣きながら笑っていた彼女の気持ちが、少しだけわかったような気がした。
喉が詰まってなにも言えないエミヤに、ランサーが優しく語りかける。
「俺はお前がどんな奴に惚れたのかは知らない。だが、お前のことは知っている。それこそガキの頃から、ずっと一緒にいたんだ。お前は優しい奴だ。たまに面倒なところもあるが、それもまぁ、そこまで悪いところじゃねぇ。お前は昨日諦めていたが、大丈夫だ、アーチャー。俺が保証してやる。お前は優しい奴だ。お前を嫌う奴なんていねぇよ」
にっ、と彼はいつものように明るく笑った。
「まぁ、それでも振られた時は、俺が慰めてやる。前にお前がやってくれたように、俺が話を聞いてやる。泣くのを我慢するなら、気がすむまで俺が泣かせてやる。大丈夫だ。そいつがお前を振っても、俺はお前を見捨てない。お前が立ち直るまで、ずっとそばにいてやるからな」
だから安心して振られてこい、とおどけて言う彼に、とうとうエミヤの涙腺は決壊した。
ぼろぼろと涙が次から次から溢れ、玄関の床に染み込んでいく。
大粒の涙を諾々と流しながら、エミヤは笑っていた。
もういいだろう、と己の内に問いかける。
彼がここまで言ってくれた。彼が、こんな自分でも見捨てないと言ってくれた。ずっとそばにいてくれると言ってくれた。
それは、エミヤが喉から手が出るほど欲しかった言葉だった。
ずっと何かに怯えていたエミヤの心が、暖かいものに満たされた気がした。
エミヤは今、とても幸せだった。
これから先、どんなに辛いことがあったとしても、彼のこの言葉だけで、エミヤは生きていける。心の底から、そう思った。
彼との関係がこれで壊れてしまったとしても、今この瞬間だけは、彼はエミヤのことを心の底から思ってくれていた。
それだけで十分だ。もう、それだけで。
「…感謝する、ランサー」
涙で汚れた顔を上げ、彼の顔をしっかりと見る。
急に笑い出したエミヤを、ランサーはおかしな顔で見ていた。
驚いたような、困惑しているような、形容しがたい表情だ。
でも、もうエミヤは満足だった。
その思いを込めて、笑顔を浮かべる。
「君のその言葉で、十分だ。その言葉だけで、私は頑張れる」
本当に。その言葉だけで、これから先、どんなに辛いことがあっても、エミヤは立ち向かえるだろう。
久しぶりにエミヤは晴れやかな気持ちになった。
もう怖いものなど何もない。
そう思った。
「さて、せっかくもらったのだから、君のチョコを食べてから勝負に出るとしようか」
「…あ、やっぱ駄目だ」
涙を拭い、改めて持っていた箱からトリュフを手にとろうとすると、彼がぼそりとつぶやいた。
「む?今更自信がなくなってきたのか?しかし、君は器用だから、なんだかんだ言いつつも、きっと美味しいものが」
顔あげたエミヤは固まった。
少し離れた場所に立って話していたはずの彼は、気付くとエミヤとの距離を縮め、家に上がるぎりぎりのところに立ってエミヤを見上げていた。
すぐ目の前に彼の顔があることに驚いて仰け反ると、彼の手がエミヤの胸に伸びてきて、とん、と押された。
重心が後ろにあったせいで、エミヤはそのまま尻もちをついてしまった。ランサーからもらったトリュフが衝撃で箱から溢れそうになったのを、慌てて押さえる。
「急になんだ?!ランサー!」
せっかくもらった箱を胸にかばいながら上体を起こすと、玄関の扉から漏れる光で彼の顔は翳っていた。
彼の意図が分からず、訝しげに眺めていると、彼はため息をついて後頭部を掻いた。
「…あー、かっこよく送り出してやるのが幼なじみの役目だとわかってはいるが、駄目だ。駄目だわ。駄目だ」
黒い顔で、駄目だ駄目だと繰り返すランサーに首を傾げる。
いったい何が駄目だと言うのか。
「駄目、とは…?」
「全部だ、全部。何もかもだ。…あ"ー、うまくできると思ったんだがなぁ。こんなにキっツイとは思わなかった」
自嘲するように彼が笑ったのはわかった。
「何か辛いことでもあったのか?」
自分の知らないところで、彼にも何かあったのだろうか。
話してもらえるのなら、今なら相談にのれる。
「辛いことだと?ハッ、辛いことだらけだわ。簡単にできると思ってたチョコレートは全然思い通りにならねぇわ、幼なじみが明らかに隠し事しているわ、暗闇で死にそうな顔でうずくまってたと思ったら、実は好きな人がいて急に告白しに行くとか言うわ。誰だよ、そいつ。そんなことになってたとか、全然知らなかったわ」
「そ、それは迷惑かけてすまなかった…」
「うるせぇ、謝んな、馬鹿野郎。言えよ、ちゃんと。そういうことはよ。言えって。隠してんじゃねぇよ」
急に彼が苛立たしげに文句を言い出したと思ったら、その勢いが急に弱まった。
「…でも、お前がそう決めたんなら、せめて俺は幼なじみとして、覚悟を決めたお前の背を押してやろうと思ったんだ。本当に思ったんだ。チョコ作って、それをやって、それをけじめにして、お前の幸せを願おうと。お前の幸せのために見送ろうと。だが、お前があんな顔で笑うから。あんな晴れやかな顔で笑うから」
ランサーが、倒れているエミヤの体を跨ぐようにして膝をつく。
逆光でよく見えなかった彼の顔が、近づいたことではっきりと見えた。
彼の顔は、悲しさと悔しさで歪んでいた。
「なぁ、お前が惚れたのってどんな奴?そいつはちゃんとお前のことわかってんの?お前がかなり頑固で面倒な性格してることも、隠れて無理することも、どんな相手にも優しさをばらまいて期待させるひどい奴だってことも。そんなお前の残酷さも、優しさも、見捨てずに全部ひっくるめて、お前をちゃんと幸せにしてくれるのか?」
なぁ、アーチャー、と、彼にはふさわしくない縋るような声が耳に響く。
彼の手がエミヤの肩にそっと置かれる。
その手はわずかに震えていた。
「なぁ、俺でいいじゃねぇか。俺ならお前のいいところも悪いところも、お前がひどい奴だってことも全部知ってんだ。ずっと昔から知ってんだよ。なぁ、俺でいいだろう。アーチャー。俺がいるじゃねぇか」
ランサー、と呟いた声は音にならなかった。
彼の指がエミヤの頬に触れ、そのまま胸まで下がり、そこにあったエミヤの服をぐしゃりと握りしめた。
エミヤの胸に彼が顔を寄せ、青い髪がエミヤの上にさらりと落ちる。
その直前に見えた彼の赤い目は、不安そうに揺れていた。
「なぁ、アーチャー。なんで俺じゃなくて、そんな奴に惚れたんだよ」
俺でいいじゃねぇか。
そんな言葉がエミヤの胸元で呟かれる。
震える声で彼の名を呼ぶ。
ゆるりと体を起こした彼は、限界まで赤くなっているエミヤを見て悔しそうに顔を歪ませ、堪えきれないように、その唇に齧り付いた。
(終わり)
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本当はモブじゃなくてアニメ化記念でザビ子にしようと思ったんですけど、ザビ子が失恋とか許せずはずもなく(ザビ子過激派)、また不撓不屈のザビーズに諦めるとか似合わないという結論に達し、やめました。
ちなみに出会った時の年齢は、
プロト(1歳)、オルタ(3歳)、ランサー(6歳)、キャスター(11歳)です。
次ページは本編に入れるかどうか悩み、だけど消すにはもったいなかったおまけの槍視点。