日常に気付いた日
■槍と同居していることを自覚してわたわたする弓の話。と、ご飯を口実に弓との距離を縮めていく槍の話。
■ついったで開催されていた「クーエミライフ」と「槍弓秋の飯祭り2021」に参加させていただいた時の話です。素敵な企画をありがとうございました。
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誰かと一緒に住んでいるのだと改めて気付く瞬間というものがある。
おはようと口にした時におはようと返ってきた瞬間。家のポストから自分宛ではない郵便物を取り出した瞬間。共に住む相手の存在に改めて気付く瞬間というものは、人によって様々であるに違いない。
アーチャーにとってのその瞬間は、同居人――ランサーにメッセージを送信した瞬間であった。送信ボタンをタップしたその瞬間に、そうか自分は今、ランサーと同じ家に住んでいるのか、と不意に気付いたのである。
別に特別なメッセージを送ったわけではない。逆に言えば、特別ではないからこそ、気付いてしまった瞬間であった。
『帰りに三つ葉を買って来てくれ』
親子丼を作ろうと材料を取り出していたところで、三つ葉を買い忘れていたことに気付いたのだ。
一人で暮らしていた時であれば、仕方がないと材料をしまい直してもう一度買い物に行っていただろう。いや、三つ葉なんてなくても親子丼は作れるのだから、まあ良いか、とそのまま親子丼を作った可能性の方が高いかもしれない。あった方が美味しいけれどなくても問題ないのが親子丼の三つ葉だ。一人であればそのまま諦めていたに違いなかった。
そうだというのに、アーチャーは買い忘れに気付いた次の瞬間には、スマートフォンに視線を遣っていたのである。
そうして打ち込んだのが先程のメッセージであった。
ポコン、という音と共にランサーから『了解!』という言葉が返ってくる。それに続いて『任せるワン!』と胸を張る犬のスタンプが送られてきて、アーチャーはもう一度、そうか、ランサーと住んでいるのか、と呆然と胸の内で繰り返した。
アーチャーがランサーとルームシェアをすることになったきっかけは、ランサーの食生活があまりにも酷いと知ってしまったことである。
朝はカップラーメンを食べ、昼は授業があれば学食を利用。授業がなくて家にいる時はカップラーメン。夜はバイト先の賄いを食べることもあるが、そうでなければ大体カップラーメンを食べる。そんなひたすらカップラーメンを食べているような生活をランサーはしていたのだ。
身体に悪い、と顔を顰めたアーチャーに、いやでも料理できねえし、カップラーメンなら失敗もなく美味しく食べられるしな、とランサーは頬を掻いた。その腕を掴んで当時アーチャーが住んでいた築三十年の狭いアパートに連れて帰り、手料理を振る舞ったのが、そもそもの始まりである。
偶にであればこうやって私が作ってやっても良いから、貴様はもっとちゃんとしたご飯を食べろ。
そう伝えた言葉の裏に下心が無かったとは言わない。なにせアーチャーはその当時から、友人であるランサーのことがそういう意味で好きだったのである。ランサーの酷い食生活を聞いて、今ならそれにかこつけて手料理を振る舞えるのではないかと思い至り、それをそのまま実行してしまう程にはどうしようもない想いであった。そして一度で満足すれば良いものを、あわよくばと二度目を望んでしまう程度には浅ましい想いだったのだ。
ちなみに、恐らく一目惚れという言葉が相応しいその想いは、未だにアーチャーの胸の内でしぶとく燻っている。大学の新入生オリエンテーションで目を奪われた青は、三年生になった今も尚アーチャーの心を掴んで離さないのだ。
何はともあれ、そんな僅かな下心と、ランサーに健康に過ごしてほしいという願いから口にした言葉であった。
勿論、そんなことを言ったところで、ランサーが実際に食事を強請りに来ることはないだろうとアーチャーは考えていた。ただ、何を食べようかと悩んだ時に、ちらとでも今の言葉が脳裏を過ぎってくれたら嬉しいな、と思っての発言だったのである。
結論から言おう。その言葉を告げた次の日から、ランサーは毎日のようにアーチャーの家に通ってくるようになった。
想定外の事態に呆然としている間に、タダ飯食らいになるつもりはないから受け取ってくれ、と差し出された茶封筒を流れでつい受け取ってしまったものだから、気付いた時にはアーチャーの方からはもう断れない状態にもなっていた。
何故君は毎日私の家に来るんだ。
思わず零した疑問には、だってお前、獲物が自分から飛び込んできたら捕まえるのが当然だろ、という答えが返ってきたことを覚えている。確かに、ご飯を作ろうかなどと自分から提案してくるような都合の良い獲物だ。逃す理由などなかったのだろう。
気付けば、夕食だけでは物足りないという要望に応えてランサーの分の弁当を拵えるようになり、夕食を食べても帰らずそのまま泊っていくようになったランサーに朝食も作るようになっていた。いつの間にやらアーチャーはランサーの三度の食事を作るようになっていたのである。
まるで君までこの家に住んでいるようではないか。こんな狭い部屋、二人も住む余裕はないんだぞ。
そう眉を顰めたアーチャーに、確かにちぃと狭いな、と腕を組んだ後、ならさ、とランサーはにかりと笑った。
オレの家で一緒に住まねえ?
想像もしていなかった言葉にアーチャーは唖然としてしまった。そんなアーチャーを気にせず、ランサーはつらつらと言葉を続けた。
親が持っているマンションの一室を安値で借りているから、ここよりも大分広い。物置になっている部屋があるからそこを片付ければお前用の部屋も用意できる。相場よりも大分安い家賃で借りているが、お前と半分ずつ出し合う形にできるのであれば凄く助かるし、そうした場合はこの家の家賃よりも安くなるから、お前にとっても悪くない話だと思う。
そして何より、とぴんと人差し指を立ててランサーは笑みを深めた。
ウチの人間の体格に合わせて内装を整えているから、キッチンが広いしカウンターも高い。お前がいつもぼやいているコンロは三口あるし、冷蔵庫も大きい。しかも、備え付けのでかいオーブンがある。
悪くない話だろ?と楽しそうに笑う姿に、その弾んだ声に、思わず頷いてしまった結果が、今のこのルームシェアであった。
流された結果であろうと自分から頷いて始めたルームシェアだ。その経緯を忘れたわけではないし、既に一年以上この家でランサーと共に暮らしてきたという実績もある。だから、ランサーと同じ家に住んでいるだなんて、本当に今更にも程がある事実でしかない。
けれど、唐突ながらに気付いてしまったその事実に、アーチャーは思わず呆然としてしまったのである。
顔を上げれば、食器棚の窓から色違いの揃いのマグカップが見えた。ランサーから引っ越し祝いだと渡されたマグカップは、いい機会だからオレも買い替えたんだ、と笑ったランサーとのお揃いで、その二つが並ぶ様に、初めの内は勝手に内心浮かれていたことを思い出す。ランサーからすれば深い意味などないことは承知の上で、まるで恋人のようだ、などと、とち狂った感想を抱いていたことまで思い出して、アーチャーはますます呆然としてしまった。
お揃いのマグカップ。そんなアーチャーからすれば特別な意味を持たせたくなってしまうアイテムが、今では日常に溶け込んでいたのだ。
そうか、もう、一年以上も、ランサーと同じ家に住んでいるのか。
唐突に気付いてしまったそれを、再び胸の内で呟く。特別が日常に溶け込んでしまう程の期間を、アーチャーはランサーと同じ家で過ごしてきたのだ。
ゆるりと部屋を見回せば、ソファに並べられたそれぞれのためのクッション。お前がいるんなら水遣りを忘れた時に声を掛けてもらえるだろ、とランサーが買ってきた観葉植物。その言葉通り、アーチャーはランサーが水遣りを忘れる度に声を掛けたし、その時のランサーがあまりにも嬉しそうだったものだから、つい、出来心で隣に並べた小さな鉢植え。
アーチャーが一人で暮らしているのであれば絶対に部屋に置かないだろうそれらに、アーチャーはもう一度、そうか、と胸の内で零してしまった。
そうか、ランサーと二人で、住んでいるのか。
ぐわりと、頬が熱くなる。
今更。本当に、今更だ。けれど想い人と共に暮らしているのだという事実に、不意に自覚してしまったその事実に、アーチャーの胸はどうしようもなく暴れ出してしまったのである。
「ただの、ルームシェアなんだぞ」
火照った頬をこすりながら、言い聞かせるように口に出して呟く。勿論そんな事実を反芻したところで頬の熱さは変わらなくて、アーチャーは小さく唸ってしまった。
ただのルームシェアだろうと何だろうと、想い人と一緒に暮らしているのだ。そんなもの自覚してしまったら、心臓がうるさくなってしまったって仕方がないだろう。
そうぼやいたところで、手に持ったままだったスマートフォンが着信を知らせてきた。
電話の主はランサーで、アーチャーはこくりと息を呑み込んだ。息を吸って少しばかり心臓を落ち着かせてから、通話ボタンをタップする。
「どうしたのかね?」
いつも通りの声が出せたことに密かに安堵しつつ、ランサーの言葉を待つ。あのよ、とどこか嬉しそうな声が耳元で聞こえて、小さく胸が弾んだ。
『今スーパーに着いたんだけどよ、三つ葉以外に買うもんとかあるか?』
「…いや、特にはないな」
なにせアーチャーは本日既にスーパーで買い物を済ませているのである。三つ葉だって本当ならその時に買う予定だったものなのだ。
そっか、と僅かに残念そうな声で零した後、なあ、と再び嬉しそうに弾んだ声が続いた。
『今日はすっげえ嬉しいことがあったからさ、ビール買ってもいいか?』
「君のお金で買う分には止めないが…何かあったのかね?」
『誰かさんが、ようやくオレを頼ってくれたんでな、今喝采を挙げたい気分なんだわ』
よくわからない理由にアーチャーは首を傾げてしまった。誰かに頼ってもらえて嬉しいという気持ちはわかるが、そんな喝采を挙げる程に喜ばしいものだろうか。
そこまで考えたところで、いや、と気付いた。頼ってくれたのが特別に想う相手なのであれば、それはきっと喝采を挙げたくなる程のものに違いない。
そんな相手が、ランサーにはいるのか。
小さな棘がちくりと胸に刺さった気がして、アーチャーはどうしようもない、と頭を振った。
「喜ばしいことがあったのであれば何よりだ。さっき言った通り君のお金で買う分には構わんよ。つまみは作っておいてやろう」
『よっしゃ!』
ガッツポーズをする姿が脳裏に浮かんでつい笑ってしまいそうになった。ランサーの喜びに花を添えられたようで、アーチャーの方まで何となく嬉しくなってきてしまう。
さてつまみは何が良いだろうか。
冷蔵庫の中身を浮かべながら考え出したところで、あ、とランサーが声を上げた。
『そういえばよ、このまえ洗剤の詰め替え用使い切ったよな?新しいの買っておくか?』
「いや、日用品は来週の水曜が特売日だから」
『了解。んじゃ来週な』
電話越しにからりと笑う気配がした。
『特売なら他にも色々買うだろ?一緒に買いに行こうぜ』
荷物持ちなら任せろよ、だの、約束だからな、だのと声を弾ませたランサーに、わかったからさっさと三つ葉を買ってこい、と告げて電話を切る。
そうしてから、アーチャーは思わずその場に蹲ってしまった。頬が熱くて、落ち着け馬鹿者、と自分に悪態を吐いてしまう。
けれど、仕方がないだろう。だってこんな会話も、一緒に住んでいなければできない会話なのだ。