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恋をしている【Web再録】/Novel by マコト

恋をしている【Web再録】

18,447 character(s)36 mins

■槍のことが好きだと気付く弓の話。
■2021/4/18「赤弓受まつり」にて発行した本のWeb再録です。お手に取ってくださった方本当にありがとうございました。
■全てWebで読めるため紙で欲しい方向けですが、一応まだ在庫あるので欲しい方はどうぞ。
https://1208781.booth.pm/items/2883855

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 恋をしている。
 何度否定を繰り返しても辿り着くその答えに、エミヤは自室のベッドの上で項垂れてしまった。
 気が付けばその姿を探していて、見付けると何故だか心が浮き立って、視線で思わずその姿を追いかけて、何の関係もない時にふと、その姿を思い浮かべてしまって。思い浮かべたその姿にさえ、どうしてだかほわりと胸が温かくなって、そうかと思えば不意にきゅうと胸が苦しくなることもあって。そんな状態を、何と言うべきか。
 幾度もそんなわけはないと否定して、反証を繰り返して、それでも辿り着いてしまう答えは酷くシンプルで、だからこそ最早逃れようのない真実にエミヤは泥のような息を吐いた。
 恋を、している。
 確かめるように言葉にしてみれば嫌になる程に胸に浸み込んで、嗚呼もうどうしようないと唇を噛み締めた。けして認めたくない想いであったが、もう諦めて認めるしかないのだろう。
 不意に今日も何故か輝かしい笑顔を向けてきた男と、その手に携えられた禍々しくも美しい血色の槍が脳裏を過ぎった。途端ぎゅうと胸が引き絞られて、嗚呼本当にどうしようもないと自嘲が零れた。
 認めたくない。本当に、認めたくはないのだ。諦めて認めるしかないと理解しながら、それでも往生際悪くやはり自分の勘違いではないかと逃げ道を探してしまう程に、それは認めたくない感情だった。
 それでも、もう諦めて認めるしかないのだろう。
 そう独り言ちてもう一度地の底を這うような息を吐いた。
 浮かぶのは鮮やかな青と眩しい笑顔。そしてその男が手にする光を弾いて輝く朱槍。どこまでも心を掴んで離さないその姿に、嗚呼やはり認めるしかないのだろうとゆるりと首を振った。

 ――恋をしている。
 その呪いの槍に。ゲイボルクに。
 恋を、しているのだ。

 胸の内で明確な言葉として浮かべてみれば、本当に嫌になるほど身に馴染んでしまって、エミヤは両手で顔を覆いながら呻いてしまった。
 体は剣でできている。
 その言葉は正しくエミヤ自身を表す言葉である。それを否定するつもりはない。血潮は鉄で心は硝子。己の心象風景を展開するための詠唱は、恐ろしい程にエミヤ自身を表していて、確かに己は剣だと、そう身に染みて理解していた。
 けれど。けれど、である。
 だからといってこれはないだろう。
 そう呻きながらも、最早否定のできないその想いに、エミヤはいっそ泣きたくなってきてしまった。
 体は剣でできている。確かにそれは認める。だが、それはあくまでも比喩であって、エミヤはどこまでいっても只の人間なのである。人間。ホモサピエンス。動物。生命体。どう言い換えたところで結局は命ある生き物で、けして無機物ではない。勿論今はサーヴァントとして現界しているのだから、この身体を構成しているのはエーテルであるし、本当の意味で生きているわけでもない。けれど、生前は間違いなく生き物であったし、精神も人間のソレだとエミヤは自認している。そうだというのに。
 まさか、武器に恋をするだなんて。
 確かにゲイボルクは素晴らしい槍である。海獣クリードの骨から作られた必中必殺の呪いの槍。生前その刃に貫かれたという因縁のおかげで、殊更特別に感じてしまうところはあるが、それを抜きにしても、間違いなく素晴らしい武器である。武器オタクの気があると自覚しているエミヤに、それに対する異論はない。見惚れてしまうのも当然といえる本当に素晴らしい槍だ。
 けれど、だからといって、その槍に恋をしているなど、到底認められるようなことではなかったのである。
 それでも、認めるしかないのだ、とエミヤはもう一度重い息を吐いた。
 初めはただ目立つから視線で追ってしまうのだと思っていたのである。カルデアで過ごしている時に武器を顕現している英霊は少ない。常在戦場の心構えはあれど、カルデアにいる時は危険はあまりないうえ、武器を携えている者が常に傍にいるという状態は、戦士ではない職員たちにはストレスになりかねない。そう考えて己の武器を仕舞い込む者の方が多いのである。
 そんな中で、ゲイボルクの持ち主である槍兵のクラスで現界したクー・フーリン――ランサーは、常に己の得物を顕現させている少数派の一人であった。
 エミヤが召喚される前までは、多くの英霊同様、武器を顕現させることなく過ごしていたのだという。けれどエミヤが召喚されたその日から、ランサーはその手に常に鮮やかな朱槍を持つようになっていた。
 恐らくそれは己に対する牽制なのだろうとエミヤは推測している。きっと、いつかどこかの平行世界で、より大きな成果のためとはいえ、エミヤがマスターである少女を裏切ったことがあるという記録を読んだのだろう。今回の現界でそんな振る舞いをしようものなら、直ぐにでも心臓を貫いてやるという牽制として、ランサーはエミヤが召喚されてからずっとゲイボルクを手にしているに違いない。
 こんな状況で、カルデアを裏切ることで、一体どんな成果が得られるというのか。
 杞憂としか言えないその姿勢に内心苦笑しつつ、それでもエミヤという男の戦い方を知っているからこその警戒に、ほんの少しばかり嬉しくなってしまったことを思い出して、思わずふ、と小さく笑ってしまった。
 なんにせよ、そんな状態だからつい目で追ってしまうのだと、最初はそう思っていたのである。
 背の高い者の多いカルデアにおいても、頭一つ以上飛び出して見える朱槍だ。ただでさえ目立つのに、それが己への牽制のために顕現されているものなのだと思えば、視界に捉え続けてしまうのも当然だろうと、そう思っていたのである。
 しかし、それだけならば、姿が見えない時にまで探すことはない筈だ。視界に入った時に、身構えてしまうならまだしも、とくりと心臓が跳ねるなんておかしいだろう。ふと脳裏に浮かんできゅうと胸が締め付けられるなんて、どう考えたって、ただ目立つから、なんて理由で説明できるものではない。
 だからエミヤは、もう諦めて認めるしかないのだと、項垂れているのである。
 本日何度目かもわからない溜息を吐きながら、どさりとベッドの上に倒れ込む。視界に入る天井は無機質な白。己の想いもこんな風に真っ白に消え果ててしまえば良いのに。そんな詮無いことが浮かんで、本当にどうしようもないなとゆると息を吐いた。
 恋をしている。あの禍々しくも美しい、因縁の相手ともいえるゲイボルクに、恋を、している。
 胸の内で繰り返せば、やはりどうしようもない程にしっくりと来て、エミヤはつい嗤ってしまった。

 +++

 ゲイボルクのことが好きだと認めた翌日。食堂に現れた青い男にエミヤは目を丸くしてしまった。
 見慣れた青い装束。艶やかな青い髪に神秘を宿した赤い瞳。おはようさん、と笑みを浮かべてみせる男の様子はいつもと何も変わりはない。だが、その手には呪いの朱槍が、エミヤが想いを寄せるゲイボルクがなかったのである。
「アーチャー、A定食頼むわ」
「あ、ああ、了解した」
 カウンターでにかりと笑ったランサーに了承を返しつつ、エミヤは軽く混乱していた。
 何故突然ゲイボルクの顕現を止めたのか。
 エミヤが召喚されてから一月とちょっとの間、レイシフト先では勿論、カルデアの中であっても常に己の得物を携えていた男が、何故突然それを止めたのか。
 ゲイボルクへの恋心を認めた翌日というあまりにもタイムリーな変化に、もしやこの想いがバレたのではないかと一瞬疑念が過ぎる。だが、まさかそんなわけはなかろう、とエミヤは気付かれないように頭を振った。
 エミヤ本人ですら散々と否定して漸く認めた恋なのだ。何だかよく見ているな、と気付くことはもしかしたらあったかもしれないが、それが恋だとはけして思わないだろう。古代の英雄たちは現代よりも奔放な恋愛観を持っていることが多いが、それでもまさか武器に恋愛感情を持っているなどと、誰が思うものか。
 そう思いつつ、横目で見遣ったランサーの手にはやはりあの呪いの朱槍はなくて、エミヤはつい眉間に皺を刻んでしまった。
 実のところを言うと、エミヤは今朝ゲイボルクを見ることを楽しみにしていたのである。武器に恋をしたからといって誰かに迷惑を掛けるわけでもない。持ち主であるランサーが知れば不快に思うかもしれないし、何より武器に恋をしているなどという、エミヤの感性からすれば異様な状態を人に知られたいとは欠片も思わないため、秘匿するつもりではあるが、誰かに迷惑を掛けるわけでも傷つけるわけでもない想いなのだから、いっそ楽しんでしまえば良いと、そう思うことにしたのである。
 開き直りだといえばその通りだと思う。だが、どうせけして叶うことのない恋なのだ。自分の中でだけ思う存分楽しんでいたって構わないではないかと、昨夜エミヤはそう結論付けたのである。
 そうだというのに。
 何度窺ってもゲイボルクの姿はそこにはなくて、何故という疑問と、見られなかったと残念に思う気持ちとがエミヤの中でぐるりと回った。
「本日のA定食、焼き魚と豚汁のセットだ。納豆は食べるだろう?ネギはいるかね?」
「いるいる!おー今日も美味そうだな」
 トレーの上に納豆を入れた小鉢を置きながら、エミヤはところで、と口を開いた。
「君、ゲイボルクはどうしたのかね?」
「あん?」
「昨日まで、まるでオレを見ろと言わんばかりに常に槍を掲げていたではないか。それなのにいきなりその牙をしまうとは、どういう心境の変化なのだろうと疑問に思ってね」
 ランサーはその言葉にはたりと目を瞬かせた後、弾けるように破顔した。
「そうかそうか、それが伝わってたんなら上出来だわなあ!」
 上機嫌で笑いながらカウンターに頬杖をついたランサーがにんまりと目を細める。満足そうなその様に、エミヤは思わず眉を顰めてしまった。
「どういう意味だ?」
「いやなに、カルデアの召喚は特殊だからな。オレがランサーだとお前がきちんと認識できるまではゲイボルクを出しておこうと決めていた、てだけさね。もうそろそろゲイボルクがなくても大丈夫だろうと踏んで、出すのを止めたってわけだ」
「…意味がわからん。ゲイボルクを手に携えていなかったとしても、貴様はランサーだろうが」
 眉間の皺が深くなるのを感じながら腕を組めば、ランサーは仕方ないだろう、と僅かに眉尻を下げた。
「仕方ねえだろう。何の冗談かここにはオレが何人もいるんだ。オレだって不安にならぁな」
「不安?君が?それこそ何の冗談だ?」
 確かにカルデアには四人ものクー・フーリンがいるが、一体それで何が不安になるというのか。
 聞いてもよくわからない理由に訝し気な声を上げたところで、なに気にするなとランサーが片手を振った。こっちの話だ、とどこか吹っ切れた顔で笑うランサーに、エミヤは首を捻りながらもそうかと頷いた。エミヤにはよくわからないが、何かしらの不安が払拭された結果だというのであれば、喜ばしいことなのだろう。
 それよりも、もうカルデア内でゲイボルクを顕現させるつもりがなさそうであることの方が、エミヤにとっては大事であった。
 漸く諦めと共にゲイボルクへの恋心を認めたというのに、認めた途端姿が見られなくなるとは一体どういうことだろうか。まるで喜劇のようなタイミングで起きた変化に、いっそ己の幸運値を恨むべきなのだろうか、と小さく息を吐く。
 せっかくひっそりと恋を楽しもうと開き直ったというのに、と未練がましく視線を落としたところで、ランサーがところでよ、と目を煌めかせた。
「お前明日の昼は非番だよな?」
「ああ、そうだが」
「なら、二人で魚釣りに行かねえか?」
「は…?君と二人で、か?」
 突然の誘いにエミヤははたと目を瞬かせてしまった。今までランサーに個人的に誘われることなどなかったというのに、突然どうしたというのか。
「おう、二人で、だ」
 戸惑うエミヤをしり目に、ランサーは機嫌よく笑いながら言葉を続けた。
「ゲイボルクがなくても良くなったら誘おうと、ずっと楽しみにしてたんだ。な、嫌じゃなけりゃ二人で出掛けようぜ。食料調達にもなるし、無駄なレイシフトじゃねえだろう?」
 嫌か、嫌ではないか、という二択であれば嫌ではない。嫌ではないが、ランサーが己を誘おうと思っていたというその言葉に、エミヤは絶句してしまった。
 エミヤはランサーに嫌われている筈なのである。今回の現界では味方同士であるから表立って嫌悪の態度を見せることはないが、今までの現界では散々と気に食わないと言われていた筈なのだ。
 そうだというのに、何故エミヤを誘おうとするのか。
 驚きのあまり固まったエミヤに、ランサーはカウンターに頬杖をついたまま上目遣いで「な、嫌か?」ともう一度尋ねてきた。その顔が何だか寂しそうに見えて、エミヤは慌てて口を開いた。嫌では、ないのだ。
「嫌、では、ないが…」
「おっしゃ!じゃあ決まりな!明日の昼、ちゃんと空けておけよ!」
 途端、ランサーが嬉しそうに破顔した。その笑顔が本当に嬉しそうで、あまりにも眩しくて、エミヤは瞬時息を止めてしまった。
「約束したからな?」
 念を押すように告げて去っていくランサーを見送ってから、え、と呆然とした声が零れる。
 エミヤが恋をしているのはゲイボルクである筈なのに、とくりと心臓が弾んだ気がした。

 +++

 恋をしている。
 生前この心臓を貫いた因果逆転の呪いを持つ朱槍に、ゲイボルクに、恋を、している。
 散々と悩んで、幾度も否定して、それでもどうしようもない、と数週間前に諦めと共に認めた想いを胸の内で改めて言葉にする。そうしてからエミヤはゆるりと息を吐き出した。
 夕食の片付けも夜食の作り置きも終わった厨房にはエミヤしかいない。エミヤが割り振られた作業以上のことをやろうとすれば、いつもはブーディカとタマモキャットに力づくでも止められる。その二人が何も言わずにこの場を去っていったのは、今作っているのが皆のためのものではなく、あくまでもプライベートのためのものだからである。
 フライパンの上で焼かれるイワシに視線を落として、もう一度溜息を吐いた。
 今エミヤが作っているのは、この後ランサーと飲むためのつまみだった。ランサーの部屋で、ランサーと二人で飲むために、つまみとしてイワシの蒲焼きを作っているところなのだ。つい先程まで並行して刺身も作っていたが、それはひとまず冷蔵庫にしまってある。
 つまみが魚ばかりであるのは、本日の釣果を材料にしているからだった。ランサーと二人で釣って来た魚たちが本日のつまみの材料なのである。
 フライパンの上のイワシにタレを回しかければ、途端フライパンがじゅわりと音を立てた。濃いめに煮詰めればご飯にも酒にもよく合うつまみになるだろう。
 ランサーは濃いめの味付けが好きだから、きっとこれも気に入ってくれるに違いない。
 ふつふつと泡を立てては弾けるタレに思わず頬が緩んだ。美味い、と笑ってもらえたら良いな。そう目を細めた次の瞬間、エミヤはまたやってしまったと額に手を当てた。
 カルデアでゲイボルクを顕現しないようになった日から、ランサーは何故かエミヤを色々なことに誘うようになっていた。釣りに始まり、食料調達を兼ねた狩りにシミュレーターでの手合わせ。エミヤが百合の王妃や絵本の少女のためにお茶会の用意をしていると知れば、オレともやろうぜ、とお茶会にも誘われたし、ランサーの部屋での二人飲みにも誘われるようになった。今日のように、釣りや狩りに行った後、その日の獲物をつまみに酒を飲むということも、片手では足りぬ程にはやっている。
 それ自体は良いのである。初めてランサーに釣りに誘われた時にも思ったが、ランサーに誘われること自体は嫌ではないのだ。むしろ嬉しいとさえ思っている。
 けれど。けれど、である。
 ゲイボルクがその手にない時にまで心臓が跳ねてしまうなんて、失礼にも程があるだろう。
 額に手を当てたままゆるりと頭を振る。
 ランサーに誘ってもらえること自体は嬉しい。共に過ごせることも嬉しく思う。けれど、共に過ごせば過ごす程に、とんでもない問題が発生したのである。
 何度も胸の内で繰り返したが、エミヤの好きな相手はゲイボルクだ。その存在に何故だか心が浮き立って、気が付けばその姿を思い描いていて、姿が見えなければ無意識に探してしまって、目に入ればきゅうと胸が締め付けられて。間違いなくそれは恋だろうと、諦めと共に認めた恋が、ゲイボルクなのだ。
 そうだというのに、ランサーと共に過ごす度に、エミヤの心臓が不規則に跳ねるようになってしまったのである。
 それどころか、その手にゲイボルクを携えていないとわかっているにも関わらず、気付けばランサーの姿を探すようにまでなってしまっていた。
 自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、とろみがついてきたタレをイワシの上に回しかける。濃いめに煮詰めたタレを満遍なく浸み込ませるのが、美味しい蒲焼きにするコツなのだ。
 こんな状態であっても、ランサーに美味しく食べてもらいたい、と手を止めることができない自分に呆れながら、もう一度大きな溜息を吐いた。
 恋する相手はゲイボルクであるにも関わらず、ランサーに対してまで心臓が跳ねる理由は何なのか。ゲイボルクを手に持っていないと理解しているにも関わらず、気付けばランサーの姿を探してしまっているのは、何故なのか。こうやって料理を作ることさえ、ランサーのために作っている時が一番嬉しいと感じるようになってしまったのは、どうしてなのか。
 導き出される答えは一つしかないだろう。
 ランサーがゲイボルクの持ち主だから、である。
 ゲイボルクといえばランサーであるから、きっと、エミヤの頭が誤作動を起こしているのだ。当然ではあるがゲイボルクを目で追いかければランサーがいたし、ゲイボルクを思い浮かべる時は常にランサーもセットであった。だから、そのゲイボルクの姿が見えなくなった今、ランサーに対してまで恋をしているかのような反応をするようになったのだろう。
 そう冷静に結論付けながら、エミヤは盛大に顔を顰めてしまった。
 どこの世界に、武器に恋をしてしまった結果、その持ち主にまで胸をときめかせるようになる愚か者がいるのか。
「あれ、エミヤまだいたのか」
 間違いなくその愚か者である己に自嘲が零れそうになったところで、不意に声を掛けられた。鬱々と考えているところに掛けられた声に思わず肩が跳ねる。
 それを隠すように殊更平静を装いつつ振り向いたところで、エミヤは瞬時息をするのを忘れてしまった。
 食堂の入り口からこちらに向かって歩いてくるのは、エミヤにとって馴染みのあるクー・フーリンよりも若い、ここカルデアにおいてはプロトと呼ばれるクー・フーリンだった。
 歳を重ねたクー・フーリンよりも奔放に跳ねる青い髪。勝ち気に輝く赤い瞳に屈託のない笑顔。どれも既に見慣れた姿だというのに、その手に携えられた得物だけが見慣れない、いや、ある意味では大変見慣れたものに変わっていたのである。
 脈打つような意匠を施された因果逆転の呪いの朱槍。エミヤが想いを寄せるゲイボルクと寸分違わぬ槍が、そこにいた。
「プロト、その槍は…」
「おう、ようやく本来の槍だ。さっき再臨したら出せるようになったんだよ」
 カルデアの特殊な召喚では、英霊は本来の力が発揮できない状態で召喚される。その状態から本来の力を取り戻すためには霊基の強化を繰り返す必要があるが、その強化の一つが霊基再臨である。プロトは今までゲイボルクではない爽やかな黄緑色の槍を武器としていたが、再臨によって本来の力を取り戻した結果、本来の槍――ゲイボルクを顕現できるようになった、ということであるらしい。
 そのゲイボルクを目にして、エミヤは息をするのを忘れる程驚いてしまったのである。
 ランサーもプロトもクー・フーリンという英雄の一側面が英霊という形になった存在であり、どちらも元を辿れば同じ存在だ。別々の意思を持って現界しているため、ここカルデアでは別人として扱われているが、元々は同じクー・フーリンなのである。
 つまり、プロトが手にしているゲイボルクは、エミヤが恋をしているゲイボルクと全く同じ存在なのだ。
 そうだというのに。
 心臓が、跳ねなかった。
 表面上は平静を装いながら、エミヤは胸の内で呆然と呟いてしまった。
 今やゲイボルクの持ち主であるランサーにまで無節操に跳ね回るというのに、久しぶりに出会えた恋しい相手に、全く心が浮き立たなかったのである。
「あの槍はあの槍で気に入っちゃあいるんだが、やっぱりこっちの方が馴染むんだよな。つい浮かれて顕現させたまま歩いてたら叔父貴に見つかってさ、祝いに酒でも飲もうってことになったんだよ」
 で、つまみが無いか確認しに来たってわけだ。
 にかりと笑ったプロトに、混乱しながらもそうか、と頷いてみせた。
「運が良いな。つまみならまだ冷蔵庫に残っているよ」
「お、ラッキー!何が残ってんだ?」
「きんぴらごぼう、漬物、あと煮卵も残っているな」
 冷蔵庫の中のつまみは、酒飲み連中から食材を守るためにキッチンメンバーで用意しているものである。
 一グループにつき二品まで。それ以上欲しい場合は、前もってキッチンメンバーに依頼をしておくこと。ルールを破ったことが判明した場合には、キッチンメンバーからの朝昼晩の三食の提供を打ち止める。要は一日以上の飯抜き。
 勝手に食材に手を出されるよりは、これなら食べて良いとつまみを提供してしまった方が安全だろうと、そんなルールを作った上で提供しているつまみ達であった。
「あれ、エミヤが作ってるそれは違うのか?」
「ああ、これは違うんだ。だが、もし食べたいのなら」
 少しで良ければ分けようか。そう続けようとした言葉が、カンッと硬質な音に遮られた。
「そいつはオレ用の特注だ。お前にはやらん」
 その音に、声に、息を呑んだ。とくりと心臓が跳ねる。
 横から伸びて来たゲイボルクがプロトの持つゲイボルクをもう一度カン、と叩く。いつの間にかプロトの隣に立っていたランサーが、エミヤの方を向いて唇を尖らせた。
「アーチャー、お前もオレのために作ってるつまみを他の奴にやろうとすんなよ」
「…君の分は勿論残すつもりだったとも」
 そういう問題じゃねえんだがなあ。
 そう言って苦笑したランサーの顔が何故か直視できなくて、エミヤはフライパンに視線を落とした。仕方ねえなあ、と赤い瞳が言っていたのが耐えられなかったのかもしれない。
 ぐつぐつと大分煮詰まってきたタレをイワシに回しかける。もう少し煮詰めれば完成だ。
「…それで、プロト。どうするかね?ランサーはこう言っているが、蒲焼きが良ければ少しくらい構わんよ?」
「おいアーチャー!」
「なんだ。私の分を渡そうとしているのだから、別に構わんだろう」
「お前の分だろうと、その料理自体はオレのために作ってくれたもんなんだろうが」
 他の奴にやろうとすんなって言ってんだろ。
 ぶすりと再び唇を尖らせたランサーに、おいおい、とプロトが呆れた声を上げた。
「あんま独占欲が強いのは嫌われるんじゃねえの?」
「こんぐらいあからさまに示しても気付かねえ獲物なんでな。お前は大人しくその他大勢用のつまみを食えよ」
 ふん、と鼻を鳴らしたランサーがもう一度、こいつにそれをやるなよ、とエミヤに念を押してくる。そうしてから、叔父貴と呑むんならきんぴらと煮卵でいいだろ、とつまみを選び始めた。
「おい勝手に決めんなよ」
「なんだよ、このチョイスに文句あるか?」
「いや、ねえけど…」
「んじゃ決まりな。アーチャーこいつにはその二つを頼むわ」
 プロト本人を差し置いて決められた二品に、本当にいいのかね、と視線で問えば、おう、その二つで頼むわ、と改めて笑顔のプロトに返された。
 ならばと冷蔵庫からその二品を取り出して盛り付ける。きんぴらごぼうをほんの気持ちばかり多めに盛り付けてから、箸や取り皿と共にトレーへと載せた。
「では、こちらを。わかっているとは思うが、明日の朝までに食器を返却してくれ」
「おう勿論」
 つまみありがとな!
 そう言って去っていくプロトを見送りながら、そっと息を吐いた。
 ランサーのゲイボルクも、プロトのゲイボルクも、どちらも全く同じゲイボルクである筈なのだ。それなのに、プロトのゲイボルクに対しては、ランサーのゲイボルクを見た時のように心が浮き立つことがなかった。
 その事実を反芻して、エミヤは内心項垂れてしまっていた。
 ランサーやプロトのように意思があるのであれば、元は同一の存在であったとしても別の存在となることはあるだろう。けれど、武器であるゲイボルクにそんな意思はない。物理的に別の存在になっているとはいえ、どちらも全く同じゲイボルクの筈なのである。
 それなのに、プロトが持つゲイボルクにエミヤが心を惹かれることはなかった。
 それが意味することは一つだろう。
 エミヤはきっと、エミヤの心臓を貫いたという経験を恐らく持っているだろうゲイボルクに、恋をしているのだ。
 クー・フーリンが英霊となってからの出来事であるから、きっとプロトという若い霊基で現界したクー・フーリンの持つゲイボルクには、その出来事が経験として刻まれていないに違いない。だからエミヤの心臓が変に跳ねることもなかったのだろう。
 そんな目に見えない差を解析する前に見分けてしまった自分に、エミヤは打ちのめされてしまったのである。
「なあ、それもう完成か?」
「え、あ、ああ」
「ならトレーとか皿用意しちまうな」
 いつの間にか厨房に回り込んできていたランサーが食器の用意を始めたのに、冷蔵庫に刺身があるぞ、と声を掛ける。おう了解、と軽やかに返された声に不意に胸が弾んだ。
 ランサーは既にゲイボルクの顕現を解いている。それにも関わらず弾んだ胸に、またやってしまったとひそりと息を吐いた。
 人の想いというものはどうしようもないものだが、ランサーをゲイボルクの代わりのように扱ってしまうなんて、本当にとんでもない。
 自己嫌悪に沈み込みそうになりながら、蒲焼きを皿に盛りつけて片付けも済ませてしまう。洗ったフライパンを火にかけて水分を飛ばしたところで、それで終いだよな?と再びランサーに声を掛けられた。
「ああ、これを片してしまえば終わりだな」
 そう言ってフライパンを仕舞い込む。調理台の上を布巾で拭いてしまえば、片付けは完了だ。
「んじゃあ部屋行こうぜ」
 嬉しそうに笑ったランサーがつまみを載せたトレーを持って厨房を出ていく。それを慌てて追いかけながら、ところで、とエミヤは口を開いた。
「君、何でここに来たんだ?部屋で待っていれば良かっただろう」
 人手が必要になるような量ではないぞ。
 そう言いながら、エミヤはランサーの手からトレーを受け取ろうと腕を伸ばした。元々エミヤがランサーの部屋まで運ぼうとしていたものなのである。ランサーに持ってもらう必要はなかった。
「手が足りるかどうかって話じゃねえからなぁ」
「は?」
「迎えに来たかったから迎えに来た、てだけさね」
 エミヤがトレーに伸ばした手がランサーに掴まれる。そのまま手を繋ぐような状態で歩き出したランサーに、エミヤは絶句してしまった。
 一体なんだこれは。
 何故突然手を掴まれたのか。その意図がわからず言葉を失っている間にも、エミヤを引く形でランサーが歩いていく。機嫌の良さそうな様子に更に混乱しつつ、エミヤはようやく待て、と声を絞り出した。
「待て、ランサー。何だこの手は」
「ん?嫌か?」
「いや、嫌かどうかという話ではなくてだな、何故私の手を掴んだまま進むんだ」
 至極当然の疑問を投げかけたエミヤに、振り向いたランサーが目を細めた。
 その視線の柔らかさに思わず息を呑む。
「オレがしたいから」
「そ、れは、理由になるのか?」
「これ以上ない程の理由だろ?」
 で、嫌か?
 ゆるりと目を細めて笑ったランサーがどこか嬉しそうで、そのくせ何だか寂しそうに見えて、エミヤはまた息を呑んでしまった。
 嫌か、嫌ではないか。いつかと同じような質問に、ぎこちなく首を振る。
 何故手を繋がれているのかはわからない。ランサーがどこか嬉しそうな理由も全くわからない。けれど、嫌か、嫌ではないか、という二択であるならば、嫌では、なかったのである。
 途端、ランサーが幸せそうに破顔した。その顔にどくりと心臓が跳ねる。
「ならいいだろ?部屋に行くまでこうさせてくれよ」
 そう言ってランサーが再び前を向いた。エミヤの手を掴んだ手はそのままに、弾むように前へと進んでいく。
 その手に引かれるように歩きながら、は?と間抜けな声が零れてしまった。

 +++

「失礼だが、それは相手が違うのではないだろうか」
 そう言ったのは、愛のために長く苦しい旅を乗り越えたアカイアの智将だった。
 日本の屋台のおでんというやつを体験してみたい、と瞳を輝かせて頼んできたオデュッセウスのために、エミヤが食堂の片隅に用意した一夜限りの屋台。その屋台で、日本酒を片手にしたオデュッセウスが首を傾げながら言った言葉である。
「それは、どういうことだろうか…」
 屋台には店主としてのエミヤと、客としてのオデュッセウスしかいない。本当であれば、もう一人ヘクトールが客として座っている筈だったのだが、ここに来る途中でアマゾネスの女王に捕まって連れられて行ってしまったのだという。
 ヘクトール殿の代わりに、一緒に酒を傾けてもらえないだろうか。
 そう苦笑したオデュッセウスに、同じく苦笑したエミヤが応じた結果が、今の状態であった。
 始めはオデュッセウスが彼が経験した冒険の話をしてくれていたのである。そこから彼の最愛の相手であるペーネロペーの話になり、流れるように惚気にも似た愛の思い出の話になった。それらに興味深く相槌を打っていたところに、エミヤ殿はどうなのだろうか、と水を向けられたのである。
 その時に、けして話すつもりがなかったエミヤの恋について、つい相談するように話してしまったのは、どうしようもない最低な自分の想いを、吐き出したくなってしまったからなのだろう。オデュッセウスが愛のために長い旅を乗り越えた英雄であることと、どんな想いを吐露したところで、それを揶揄うような人間ではないと信頼できる相手であることも影響しているかもしれない。
 勿論、酒の影響も多分にあったことだろう。
 なんにせよ、オデュッセウスに訊かれた時、エミヤはそっと自分の恋について話してしまったのである。
 それに対するオデュッセウスの言葉が、冒頭の言葉であった。
「相手が違う、とは…」
「今の話だと、常に共にいる二人がいたが、その内の一人、エミヤ殿の恋する相手が姿を消してしまった。そうしてから、残ったもう一人に対してまで、まるで恋をしているように心臓が跳ねるようになってしまった、ということなのだろう?」
 エミヤが話した言葉を辿るオデュッセウスにぎこちなく頷く。改めて他人の口から聞く己の想いはやはり酷いもので、エミヤは思わず眉間に皺を寄せてしまった。全く本当にとんでもない状態である。
「残ったもう一人を、いなくなってしまった恋する相手の代わりにしてしまっているのだ。常に共にいる二人であったから、恋に狂った愚かな脳が誤作動を起こしてしまっているのだ、と懺悔していたが、それは違うのではないかと思うのだ。たとえその姿が見えなかったとしても、恋しい相手が変わることはないだろう。人を愛するというのはそういうことではないだろうか。そうでなければ、俺はペーネロペーへの愛を抱き続けることはなかった筈だ」
 俺が何年ペーネロペーに会えなかったと思う?そう悪戯気に笑った後、オデュッセウスは真剣な顔で、だから、と言葉を続けた。
「だからな、エミヤ殿。俺は、初めから貴殿の恋する相手は、そのもう一人だったのではないかと思うのだ」
 どうだろうか?
 そう首を傾げたオデュッセウスに、その言葉に、息を呑んだ。
 エミヤが恋をしているのはゲイボルクである。散々と否定して、それでも辿り着いてしまった答えが、それであった。けして、その持ち主であるランサーではない筈なのである。
 けれど、その言葉に息を呑んでしまったということ自体に、エミヤは衝撃を受けてしまった。
「いや、まさかそんなわけはないだろう。申し訳ないが、オデュッセウス殿のそれは、二人が明確に別個の存在であるからこその意見だろう」
「ふむ。話を聞いても?」
「先程は誤魔化してしまったのだが、私が恋している相手は、武器なんだ。無機物であろうと、ピグマリオン王のように人型のものに恋をするのであればまだ良いだろうが、人型とは程遠い武器に、私は恋をしてしまっているんだ」
「つまり先程の二人というのは、武器とその持ち主、ということだろうか」
「ああそうだ。その武器と言えばその持ち主、というように容易く連想してしまうような相手なのだ」
 まるで何かを誤魔化すように言葉を紡ぐ自分にわけもなく焦りながら、エミヤはだから、と言葉を続けた。
「だからこれは私の愚かな脳の誤作動であって、私は武器の持ち主を、武器の代わりにしてしまっている最低な男なのだ」
 ふむ、と頷いたオデュッセウスが、思案するように口元に手を当てて目を閉じた。
 黙り込んだオデュッセウスとは裏腹に、エミヤの心中は大きく荒れていた。
 ゲイボルクではなく、ランサーに恋をしている。考えたこともないそれが頭の中で反響して、いいやそんなわけはないと慌てて頭を振る。ランサーに、ケルトの誇る大英雄に恋をするなど、あるわけがないのだ。
「エミヤ殿」
 静かに呼びかけられた声に顔を上げれば、酷く真摯な瞳をした英雄がエミヤを見つめていた。閉じられていた金色の瞳が、優しく、けれど真剣にエミヤを映している。
「申し訳ないが、それはやはり武器に向ける想いではないのではないだろうか」
「ッ、…勿論、異常な感情だとは理解している。武器に恋をするなど、どう考えても、異常だろう」
 変に誤魔化すことなどない相手の率直な意見に、唇を噛み締めた。
 エミヤ自身何度も思ったことだ。武器に恋をするなんて、どう考えたっておかしい。
 思わず俯いたエミヤに、慌てたようにオデュッセウスの声が投げかけられた。
「エミヤ殿待ってくれ。俺は武器に恋をすること自体を異常だなどと非難するつもりはない。そういう恋とて、俺が知らないだけであり得るだろう」
 そうではなく、と変わらず真剣な声でオデュッセウスが続けた。
「先程、その相手のために料理をする時に一番心が躍るようになった、と言っていただろう。恋い慕う相手を想って料理を作る。確かにそれも愛の発露の一つだろう。うむ、ペーネロペーも俺のために料理を作る時が一番幸せだと、よく微笑んでくれたものだ」
 だがな、と続けるオデュッセウスに、エミヤは知らず唾を飲み込んでしまった。
 聞いてはいけない言葉が続きそうな予感がして、耳を塞ぎたくなってくる。けれど実際に耳を塞ぐ前に、オデュッセウスの言葉が紡がれてしまった。
「武器の代わりにしてしまっているというのなら、料理なんて考えは出てこないのではないだろうか。武器は、何も食べられないのだぞ?」
 がつんと、頭を殴られたかのような衝撃に襲われた。
 武器は、何も食べられない。当然だ。そも、ゲイボルクに何かを食べてもらいたいなど、欠片も思ったことはない。
 けれど。
 脳裏に浮かぶのは夏の空のような青と、鮮烈な赤。
 何故か嬉しそうに、優しくエミヤの名を呼ぶ声。その手に何も持たずとも追いかけてしまう姿。気付けば、ふと思い描く時に、ゲイボルクを持たぬ姿まで浮かべるようになってしまった男。

 ぐわりと、身体中の血が沸き立った。

 恋を、している。
 けして認めたくないその想いに、エミヤは今度こそ追い詰められたのである。

Comments

  • わんわんお
    January 4, 2024
  • あい
    August 30, 2023
  • 月城 紗弥
    August 27, 2023
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