始まりはボロボロのスクランブルエッグ
■槍が作る朝食を楽しみにしている弓の話。
■ついったで開催されていたクーエミライフに去年参加させていただいた時の話です。素敵な企画をありがとうございました。
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ランサーとルームシェアを始めてから迎えた最初の休日。
柔らかい朝の陽が差し込む部屋で、アーチャーは緩みそうになる頬を必死に引き締めていた。
まさか、こんな幸せを経験できるとは。
数日前から何度も噛み締めてしまっている言葉を胸の内で呟いてから、アーチャーは再びテーブルの上に視線を落とした。
綺麗に焼き目の付いたトースト。ところどころ焦げたベーコンと火が通り過ぎてボロボロになったスクランブルエッグ。透明な小鉢に盛られたヨーグルト。それらが全て二人分。
テーブルの上に並んでいるのはシンプルで少しばかり失敗している朝食だ。
ゆるりとやはり緩みそうになる頬を引き締めて、アーチャーは気付かれないようにそっと息を吐いた。
アーチャーとランサーは大学で知り合った友人である。お互い今まで一人暮らしをしていたのだが、つい先日から訳あってルームシェアを始めていた。
訳あって、と表現すると何やら大層なことに聞こえるが、ただ互いの事情と利害がうまく噛み合ったからというのが理由である。
事の始まりは、アーチャーが住んでいた少しばかり古めかしい──ランサーの言葉を借りて表現するとボロい──アパートの外階段が壊れたことであった。ガタが来ていたこともあり、荷重に耐えられなくなった鉄製の階段の段が一つ、不幸にも抜け落ちたのだ。幸い怪我人は出なかったが、これは流石に修繕が必要だという話になり、そのうち壁に埋まっている電気系統ももう危ないという話に発展し、そういえば○号室で漏水が起きているという報告が挙がり、ついにはこの機会に建て替えるべきだろうという結論へと至った。
その結果として、アーチャー達アパートの住人は引っ越しを余儀なくされることになったのである。
致し方のない理由であるし、誰もが納得する理由であったから誰一人として文句を言う者はいなかったのだが、問題となったのは各自の次の住居探しであった。
新生活が始まる四月であればそれなりに多くの物件があるものだが、残念ながらその話が挙がった時には四月はとうに過ぎ去り、なかなか良い空き物件が見つからない状態だったのだ。
家賃が今までよりも高くなってしまうのは仕方ないとしても、許容できる範囲というものはあるし、そもそも空き物件自体が少ない。そんな厳しい状況の中、アーチャーは他の者達が物件を探すのを手伝い、良い物件が見つかろうものなら、まだ行き先の決まっていない住人に紹介し、と精一杯動き回っていた。
そうして自分以外の全ての住人の次の住居が決まった後、ふと自分のための物件が全く見つからないことに気付いたのである。良いなとは思うが、家賃が高過ぎて候補に挙げられないという物件ばかりが残っている状態になっていたのだ。
家賃が高過ぎず、大学からも遠過ぎず。そんな物件は見つけ次第他の者に渡していたのだから、当然の結末ではあった。
諦めて大学から遠い地域も探してみるしかないのかもしれない。
そんな結論に至ったところで、最近忙しそうにしているが何かあったのか、とランサーに声を掛けられた。
そこからは急展開であった。
引っ越しが必要になったが良い物件が見付からないのだ、と素直に告げたアーチャーに、ならば、と食い気味にランサーが身を乗り出してきたのである。
曰く、今よりも広い部屋に住みたいとずっと思っているのだが、どうしても家賃が厳しくなってしまう。ならば誰かとルームシェアをすれば良いのではないか、と考えて相手を探しているのだが、なかなか良い相手が見つからない。
広い部屋を諦めるしかないのかと肩を落としていたところだったのだ、とランサーはアーチャーの手を握って言葉を続けた。
引っ越し先を探しているところだっつうなら、是非オレと一緒に住んでくれないか。
その場面だけを見たら酷く誤解を招きそうな程に真剣な表情と声であった。
まるでプロポーズか何かのような言い方だな、と話の流れを理解しているアーチャーですら思わず頬を熱くしてしまう程だった、と言えばその熱量がわかるだろう。それだけ広い部屋に住みたいと願っていたということなのだろうが、全く罪作りな男である。
閑話休題。
そんなあれこれがあり、引っ越す必要があるのに物件が見つからないというアーチャーの事情と、広い部屋に移り住むためにルームメイトを探していたというランサーの事情がうまく噛み合った結果、二人のルームシェアは決まったのである。
次の日には伝手で相場より安く部屋を借りられることになった、とランサーが物件情報を持って来たため、ルームシェアが決まってから実際に引っ越すまでは本当にあっと言う間の出来事であった。
そうして始まったルームシェアだが、誰かと住むのであればまず大切なのはルールだろう、という考えの元、いくつかルールを設けることになった。
そのルールの結果が、今アーチャーの目の前に並ぶ朝食である。
互いの部屋には勝手に入らない。リビング等の共用部屋の掃除は週ごとのローテーション。夕食はアーチャーが作り、ランサーは代わりに風呂掃除を一手に引き受ける。昼食は臨機応変に。そして、朝食は平日はアーチャーが作り、休日はランサーが作る。
本日は休日。つまりは、そういうことであった。
目に焼き付けるようにテーブルの上の料理をもう一度じっくりと眺める。
少し焦げたベーコン。ボロボロのスクランブルエッグ。料理に慣れていない者──ランサーが作った朝食。
その事実を改めて噛み締めて、アーチャーはゆるりと息を吐き出した。
ランサーが作った料理が食べられるとは。
ルールを決めた時からずっと胸の内で躍らせていた言葉をもう一度躍らせる。ウキウキと弾んでしまう心に苦笑しつつ、けれど浮かれてしまったって仕方がないだろう、とアーチャーは誰に言うでもなく胸の内で言い訳を呟いた。
ランサーは今までほとんど料理をしたことがないのだという。本人が自分から申告したことであるし、実際アーチャーも今までランサーが料理を作っている様子など見たことがなかった。
そんな男の料理を、アーチャーは食べられるのだ。
料理が趣味で、しかもそれなりの腕前だと自負しているアーチャーの場合、人に手料理を振る舞う機会というのはそれなりに多い。花見などのイベントで料理を提供することもあるし、家に遊びに来た友人に食事を振る舞うこともある。ルームシェアをするにあたって、夕食を担当したいというアーチャーの要望が通ったのも、ランサーに今まで何度も料理を振る舞ってきたからである。だからアーチャーの手料理など今更何も特別なことなどないが、ランサーの手料理はそうではないのだ。
ほとんど料理をしたことがないのだから、当然、ランサーの作った料理を食べたことがある人間などほとんどいないに違いない。アーチャーが初めての人間である可能性だってあるだろう。
そんなの、浮かれて当然ではないか。
もう一度弁解するように胸の内で呟いてから、アーチャーはそっと息を吐いた。
勿論、普通はここまで浮かれないものだろう。初めての手料理を食べられるなんて確かに何だか特別なことのように思うかもしれないが、何日も前からずっと楽しみにするようなものではないし、こんなにも心を弾ませるものではないはずである。
そう理解したうえで、アーチャーは仕方がないだろう、と再度胸の内で繰り返した。
なにせ、好きな相手の、手料理なのである。
そう、好きな相手、である。
けして想いを伝えるつもりはないし、どうにかなりたいなどという分不相応な願いも持ち合わせていないが、アーチャーはランサーのことを恋愛という意味で好いているのだ。だからこその、浮かれ具合であった。
好きな相手の手料理を、しかも食べたことのある人間がほとんどいない手料理を、食べられるのだ。浮かれて当然のことなのである。
どうしたって緩みそうになる頬をどうにか引き締めて、アーチャーは名残惜しく思いながら朝食から視線を引き剥がした。
「初めてにしては上出来ではないか」
「……そんだけまじまじと眺めておいて嫌味かよ」
向かいに座るランサーに声を掛ければ、どこかバツが悪そうな顔をしたランサーが唇を尖らせた。
「ベーコンは焦げたし、スクランブルエッグはボロッボロだっつうのに、上出来なわけねえだろ」
「だから、初めてにしては、と付けているだろう」
そこまで言ってアーチャーはふ、と鼻で笑ってみせた。
「君が今までほとんど料理をしたことがないと知っているからこそ、上出来だと言っているんだ。少し焦げていようと、ボロボロだろうと、真っ黒な炭になっていなければ上出来だろう?」
「…そりゃあ炭じゃねえけどよ、基準低すぎねえか」
「安心し給え。次の休みもこのボロボロ具合だったら、君の希望通り思う存分嫌味を言ってやろう」
「次の休みって明日じゃねえか!」
やっぱりお前嫌味が言いたかったんじゃねえか、とランサーはますます唇を尖らせた。その様子に思わず小さく笑いながら、そういうわけではないさ、とアーチャーは言葉を続けた。
「大雑把ではあるが君は元々器用なのだから、きちんとやり方を知ればすぐ改善されるはずだ。全くの初心者でも作れるだろう料理を選んだこと自体は評価するがね、どうせ、焼くだけだから作り方など調べなくても大丈夫だ、などと甘く見て何も調べていないんだろう。初めてのことに挑戦しようというのに調べもしないとは、迂闊にも程があるのではないかねランサー」
つらつらと続けていけばランサーの視線が気まずそうに逸らされた。アーチャーの推測通り、ランサーはレシピも何も調べずにベーコンや卵を焼いたのだろう。
「ベーコンはあれでなかなか焦げやすいものだし、卵というのは思った以上に火の通りが早いものなんだ。ベーコンをカリカリにしたかったのかもしれないが、あれには少し技術が必要だから初心者が挑戦するのは難しい。明日は諦めて火が通ったところで焼くのを止めた方が良いだろう。そしてスクランブルエッグだが、もっと弱火で温度が上がり過ぎないように気を付けて焼くと良い。あとこのボロボロぶりを見る限り、フライパンの上で混ぜる時に細かくぐるぐるとかき混ぜたのではないかね?それでは塊が細かくなってふわふわとは程遠い仕上がりになるぞ。フライパンの上では大きく円を描くように混ぜるんだ。そうすれば明日はそこまでボロボロにはならないだろうさ」
明日の朝食、楽しみにしているよ。
そう締めくくったところで、さて、それでは食べても良いかね、とアーチャーは片目を瞑ってみせた。
ああ、とランサーが頷いたのを確認してから手を合わせる。いただきます、ときちんと口に出した後、早速とスクランブルエッグに手を伸ばした。
見た目通りふわふわとは程遠い食感。焼く時にバターを使わなかったのだろう。ふわりと香るバターの香りなんてものもない。何も味付けはされておらず、ただ卵の味だけがするスクランブルエッグ。
卵の味なのだから勿論不味いなんてことはない。ないが、ただ卵の味だけがするスクランブルエッグなのだから、手放しで美味しいと言うような味でもない。
けれど、そんなスクランブルエッグが酷く美味しく感じられて、アーチャーは思わず笑いたくなってしまった。きっと今アーチャーは舌ではなく、心で味わってしまっているのだろう。
創作の中だけの話かと思っていたが、好きな相手の手料理というやつは本当に美味しく感じられてしまうものなのだな。
胸の内で笑いつつ、もう一口、と手を動かしたところで、あのよ、と向かいから声が掛けられた。
「もし良かったら、後で作り方を教えてくれねえか」
弱火だの何だのと言われてもよ、イメージがわかねえんだわ。
眉を下げて笑ったランサーにはたと目を瞬かせた。
「それは勿論構わないが……今日の昼食にスクランブルエッグを一品追加、ということで問題ないかね?」
「おう、昼にリベンジさせてくれよ」
「ふむ、了解した。なら昼はそれに合うものを作ろうか」
悪いな、と続けたランサーに、何、私の明日の朝食のためだよ、と片手を振る。そうしてから、そういえば、とアーチャーは口を開いた。
「実はずっと訊こうと思っていたんだが、何故休日の朝食を作るなどと言い出したんだね?」
それはルールについて話し合っている時から疑問に思っていたことであった。元々アーチャーは夕食だけでなく朝食も全て担当するつもりだったのだ。そこに、休日はオレが作る、とランサーが口を出してきたため、今のルールになったのである。
本人がやりたいと言ったことを否定する理由はないうえ、ランサーの料理が食べたいという欲もあり了承したが、今まで料理をしたことがなかった男が何故料理をする気になったのかは謎のままであった。
「そりゃあお前、一緒に住むんだから、全部お前に頼りっきりなんてダメだろ。夕飯は流石に難しいだろうけど、朝飯くらいならオレでもいけると思ったんだよ。あと休みの日なら、作るのに時間が掛かっちまってもそんな問題にならんしな」
そう言ってランサーはからりと笑った。
なるほど、と声が漏れた。食事については全部任せてくれても良いのに、と思っていたが、ランサーはランサーなりに色々と考えてくれていたらしい。
ふむと頷いたアーチャーを見遣ってから、それに、とランサーが目を細めた。
「休日の朝は早起きしなくていい、てお前に覚え込ませたいんだよな」
「…は?」
「朝起きられない時とかあるかもしれないだろ?でもって、そんな時でも絶対お前いつも通り起きようとするだろ?休みの日はそうしなくていいんだ、て刷り込ませたいんだよ」
ぽかんと口を開けてしまった。
確かに、体調を崩した時だろうと、自分が朝食を作らなければと思ったらアーチャーは根性で起きる自信がある。そんな時、朝食はランサーが作ってくれると思えば大分気持ちは楽になるだろう。
「まさか君がそんなことまで考えてくれているとは思わなかった」
「そりゃあ一緒に住むんだからな、考えるさね」
起き上がれない原因はオレかもしれんしな。
ぼそりと付け足された言葉がうまく聞き取れず、アーチャーは首を傾げてしまった。
「すまないうまく聞き取れなかったのだが、今なんと言ったのかね?」
訊き返したところで、あー、とランサーが僅かに言い淀んだ。次の日が休みじゃないとダメって言われそうっていうか、起き上がれないくらいにしたいっていうか、と意味の分からないことを視線を逸らしながら呟いた後、ランサーはアーチャーをひたりと見据えて口を開いた。
「まあつまりは、お前と友人以上になりてえな、と」
「…友人以上?」
思わず目を瞬かせる。そうしてからアーチャーはつい苦笑してしまった。
友人以上。それはつまり、親友だとか心の友だとか言われる関係のことだろう。
親友になりたいんだなどと、そんな青臭い台詞を向けられたようで照れ臭くなってしまったのだ。けれど、それはけして嫌なものではなくて、むしろ酷く嬉しい言葉であった。
ランサーにそんなふうに思ってもらえていたとは。
胸の内で噛み締めてから、しかし、とアーチャーは片頬を上げてニヒルに笑ってみせた。
「ルームシェアまでしている友人は、もう友人以上、親友と言っても良いのではないかね?」
ただの成り行きとはいえ、アーチャーとランサーは一緒に住んでいるのである。それはただの友人に収まるものではないだろう。
そう笑ってみせたアーチャーに、ランサーは小さく言葉を漏らした。
その友達ってカテゴリから抜け出たいんだよ。
ぼそりと告げられたせいでまたもうまく聞き取れず、思わず眉を顰めた。
「…ランサー、すまないがもう一度言ってもらえるか?」
「あー、いや…親友以上になりたいっつったんだよ」
はたと、目を瞬かせた。
親友以上。聞こえた言葉を頭の中で繰り返す。親友以上。それは一体、何なのだろうか。
突然投げ込まれた問題に、アーチャーははてと首を捻ってしまった。
友人以上であれば親友だろう。では、親友以上となったら、それは何なのか。
親しい関係ではあるだろうし、ランサーが望んでいるというのなら是非ともその関係を目指したいが、親友以上という言葉が意味するものが浮かばなかった。
それはどんな関係なんだ、と問い掛けようとしたところで、ふと一つの考えが頭を過ぎった。
「親友以上となると、家族かね?」
口に出してしまってから、自分の願望がにじみ出ている喩えなのではないかと気付いて、アーチャーは内心酷く慌ててしまった。
だって、家族だなんて、恋人の先にある関係のようではないか。
アーチャーはただ、親友以上となったら、もう恋人だとか家族だとか、そういうものしかないのではないかと、そう思ってしまっただけなのだ。そして、生活を共にしている親しい友人同士なのだから、疑似的な家族だと言っても良いのではないかと、そう、ふと思い立って言葉にしてしまっただけなのである。
けして、ランサーと恋人になって、そうして家族にもなっていきたい、などと思って言ったわけではないのだ。
そんなつもりなどなかったというのに、己の浅ましい欲が透けて見えてきそうで、アーチャーは慌てて口を開いた。
何、冗談だよ。
そう否定の言葉を続けようとしたところで、はたと固まる。
ランサーの白皙の頬が酷く赤く染め上がっていた。
一体何が、と呆然としている内に、ランサーがアーチャーの腕を掴んできた。びくと肩が揺れる。
「そうだと言ったら、どうする」
頬を赤らめながら、酷く真剣な表情と声で告げられる。その気迫に、熱さに、はくと息を呑んだ。
まるで、愛の告白でもされているようだ。
そんな馬鹿な考えが浮かんで、慌てて振り落とす。けれどその後に続いたランサーの言葉に、アーチャーはとうとう言葉を失ってしまった。
「まあ、その前に、恋人になりたいんだがな」
細められた赤い瞳が、ぎらと輝くのが見えた気がした。
Comments
- あき海苔巻きSeptember 9, 2024
めちゃくちゃ良かったです 槍がごにょごにょ言ってるのに対して弓が天然でポロッと溢した言葉に槍の火が付くのが🔥LOVEすぎます good morning!!!!
August 21, 2023