君は海の底に沈んだ愛を見たことはあるか――『海底清掃人マタタビュリス』に寄せて
――かわいいね、この子、名前なんて言うの?
ざわざわと人の行き交う大型書店で、ひときわ目を引く一冊の単行本を手に取りながら、私は、ずいぶん昔のことを思い出した。
2026年3月13日に、KADOKAWAグループが擁する漫画誌「ハルタ」から1冊の単行本が発売された。
タイトルは『海底清掃人マタタビュリス』。
著者は北海道在住の漫画家・本山とらじろう氏で、以前から独創的で完成度の高い読切作品や、原作の良さを十二分に活かしたコミカライズ等で高い評価を得ていた新鋭気鋭のクリエイターである。
そんな業界注目の若手作家・本山とらじろう氏が手がけた『海底清掃人マタタビュリス』は、かなり注目を浴びているらしく――とある書店では、店の外に豪勢なディスプレイこしらえ、万全の状態で発売当日を迎えたそうだ。
人でごったがえす都市部にある、大型書店の一角。かわいらしくポップで飾られた売り場に置かれた、『海底清掃人マタタビュリス』を、私はとても大事に、丁重に……
まるで波の中から宝物を取り出すように両手でつつんで、本の海から引き上げた。
――名前はね、まだ決まってないんだ。良い名前あったら、付けてあげてよ。
思い出されるのは、10年以上前の、なにげない会話だ。
あの時の私は、まさか、自分がたわむれに考えた名前が、10年以上にわたって著者・本山とらじろう氏のもとで大切に扱われ――ともすれば、このような大書店に並ぶ作品のタイトルになるとは、考えもしなかった。
話をしよう。
いくつもの偶然が重なって生まれた、ある愛の物語の話をしよう。
君は海の底に沈んだ愛を見たことはあるか――『海底清掃人マタタビュリス』に寄せて
まず、『海底清掃人マタタビュリス』という作品について記しておきたいことがいくつかある。
この作品は、絵柄こそ可愛らしいものの、中身は超骨太の海洋SFファンタジーだ。
近年でいえば『メイド・イン・アビス』『ちいかわ』『魔法少女まどか☆マギカ』等――可愛らしい絵柄から放たれる重厚なテーマと作りこまれた世界観が魅力の作品、といえば、上述した3作品のほかにも、名前が挙がる作品はいくつもあることだろう。
作品の根底にあるテーマや世界観はまったく異なるが、この『海底清掃人マタタビュリス』もまた、ハードな世界観を優しく愛らしい絵柄で包み込んだ油断のならない作品だ。
https://x.com/hartamanga/status/2032437148063035716?s=20
タイミングの良いことに、『海底清掃人マタタビュリス』の単行本発売に合わせて、ハルタ編集部公式アカウントから1話の試し読み用リンクが公開されている。
そのリンクに合わせて、(あくまで個人的な感想だが)『海底清掃人マタタビュリス』の良さを、書き連ねていこうと思う。
――地球が寿命を迎える少し前。
文明の多くが、海底に沈んだ。
――星が無くなるまで、あと少し。
その時代を生きる人々の、普通の毎日の記録。
この物語は、世界が「手遅れ」になってしまったところから始まる。
海面は上昇し、水資源は汚染され、大人たちは死を受け入れながら暮らしている。元あった居住区は汚染された海水に沈み――人の力では太刀打ちできないうねりを前にして、たくさんのものが、海底に取り残されたまま、じわじわと人の記憶からも失われていく世界。
そんな荒廃した海の真ん中に現れるのが、幼いダイバー・マタタビュリスだ。
作中世界において2人しかない「マスタークラス」のダイバーであるマタタビュリスは(見ればわかることとは思うが、マタタビュリスは幼い子供だ。出生に秘密がありげだが、それはまだ作中で明かされていない)汚染された海に沈む世界で、ほとんど唯一といっていい特別な力を――
ありていに言えば、汚染された海の……誰も潜れないような深くまで潜り、そこに沈んだ遺物をサルベージする力を持っている。
なぜ、幼く、天真爛漫なマタタビュリスにそのような力があるのか……それはまだ作中でも明かされていない。
その謎は今後、世界の謎と共に明かされるかもしれないし、「その時代を生きる人々の、普通の毎日の記録」と銘打たれている以上は明かされないかもしれない。そういったところをわくわくと心待ちにしながら更新を待つのも乙なものだが――
私が、この作品の突出した点だと感じるのは、心理描写の巧みさだ。
前提として、この物語は「問題を解決できなかった」地球と、そこに生きる「もう助からない」人々を内包する世界だ。中には「この星の最期のひとりになるまで働く」と豪語する老人も登場するが、この状況でそんなことが言える人物は一握りだろう。
第一話では、汚染された海から逃げるために全身を機械化した依頼人が「妻と娘の写真を海底から引き揚げて欲しい」という依頼でマタタビュリスと、その保護者であるマグヌス(マグヌスはとても愛情深く、マタタビュリスを我が子のように慈しむ老齢のダイバーだ)のもとを訪れるところから物語が始まる。
荒廃した海と、海底に置き去られた人々の生活。陸上には諦めが充満し、海底よりもよほど息苦しい空気がはびこる街――汚染された海底に潜れるダイバーはほとんど存在せず、依頼人の「妻と娘が写った写真を取り戻したい」というささやかな願いは、あちこちで門前払いを受けることになる。
依頼人の求める写真は、汚染された海の中から探し当てるにはあまりにも小さすぎる。
普通なら諦めてしまう――というか、マタタビュリスとマグヌス以外にはことごとく断られてしまったその依頼をどうにかする、というのが第一話の大筋になる。
世界観、描写、そこに生きる人々。どれをとっても申し分のない、わくわくさせられる一話の顛末に関しては、ぜひともリンク先から読める本編で確かめてみて欲しい。
ただ一言、私的な感想をを添えるのであれば――
「あぁ…… 生きてる」
海の底から、想定とはすこしちがった姿で現れた”それ”を目にした依頼人の言葉に、きっと、多くの人は胸を詰まらせるだろう。
”それ”は、ずっと、海の底で、持ち主の帰りを待っていたのだ。
気が遠くなるほど長い時間、ずっと、ずっと――”それ”は、誰かに見つけて貰えるのを待っていたと伝わるシーンを、ぜひとも目に焼き付けていただきたい。
……幼いマタタビュリスが、目の前でもたらされたものをどこまで理解しているかは、まだ作中では明かされていない。
しかし、二話・三話・四話ともに……「手遅れになってしまった世界」を取り巻く厭世観を、マタタビュリスのまっすぐな愛と眼差しが吹き飛ばすさまは痛快で、とても愛おしくなる。
どうかこの澄んだ魂が、何ものにも汚されることなく海を泳いで欲しいと願う読者の心は――荒廃した世界で、マタタビュリスを慈しむ登場人物たちと、きっと同じような色をしていることだろう。
どっしりとした重厚な単行本を、自室のソファに座ってじっくりと読み進めていきながら……私は、「マタタビュリス」と記された吹き出しを撫でた。
もう10年は昔になると思うが、著者・本山とらじろう氏と話をしたことがあった。
――かわいいね、この子、名前なんて言うの?
実際になんと発話したかは忘れてしまったが、私は、著者・本山とらじろう氏がSNSにアップしたある一枚の絵を前にして、足を止めた。
それは澄んだ海の中で、誰よりも自由に泳ぐ子供――猫を模したダイビングスーツを纏った『海底清掃人マタタビュリス』の原型となったイラストだったのだが……
私は、そこに描かれた海の青に、惹き込まれたのだ。
――名前はね、まだ決まってないんだ。良い名前あったら、付けてあげてよ。
これほど魅力的なキャラクターの名付けを、あっさりと誰かに譲ってしまえる本山とらじろう氏の鷹揚さには、あらためて驚かされる。
10年前のあの日、私はしばらく考え込んだ。
そうして、
猫のように自由で、まっすぐな目をしたそのキャラクターを見て――
じゃあ、こんな名前はどうだろう、と、思いつくままに呟いたのだ。
そういう経緯もあり、この作品が有名誌である「ハルタ」で連載されると決まった時に、タイトルを聞いて驚いた。
あの時たわむれにつけた名前を――10年経っても、ほかならぬ本山とらじろう氏が大切にしていてくれたことに、私は――もうすっかり擦れたサラリーマンになった私は、本当に、驚いたのだ。
……言うまでもないが、『海底清掃人マタタビュリス』を海面から引っ張り上げたのは他ならぬ本山とらじろう氏(そして、氏の作品を手厚くサポートしたハルタ編集部の皆様)の並々ならぬ努力によるもので、大昔に少し口をはさんだからといって、私はその間、何かをしたわけではない。
私が編集部の知財管理を行っていれば、きっとこう言っただろう。――部外者が口出しなんかをしてくると面倒ですから、法的に「きちんと」させておきましょう、と。
いくらでも「大人の理屈」をつけることが出来たであろうその経緯を、氏が――『海底清掃人マタタビュリス』の著者である本山とらじろう氏が、きちんと覚えて、私に声をかけてくれたことが……まるで、忘れていた宝が、海の底から引き揚げられたように、うれしかったことを覚えている。
関係の皆さまにいらぬ心配がかからぬよう明言しておくが、私がこの作品に対して法的に何か要求することは未来永劫ないし、あったとしたら、その時は私を殺してくれてもいいとさえ思う。
友人が努力の末につかんだ栄光に、何もしていない人間がしゃぶりつく――そのようなことは、絶対に、あるべきではない。
……若干話がずれたが、もう一つ。
私自身(これは完全に偶然の産物だが)『海底清掃人マタタビュリス』の連載開始からすぐ後に、私自身が原作を担当するマンガの連載がスタートしたことで、よりいっそう、この物語に対する思い入れが深くなっていった。
ものを創り続けるということは、簡単なことではない。
良い時もあれば悪い時もあり、最良を尽くしたからといって、世間様のお眼鏡にかなうとは限らない。
それはまるで、底の見えない、荒れた海だ。
どこまで潜ればいいか、いつまで息が続くかもわからぬその海原を――
満員電車に揺られながら、眠い目をこすって、スマートフォンに入れた原稿データのチェックを行う時――私の耳元では、たしかに、私自身の声で「なんでそこまですんのさ。ほどほどでいいんだよ。ほどほどで。おまえ、金には困ってないだろ?」と、ねばついた声がする。
うるせえな、と。
私はいつも、片手でつり革を握り締めて、ぎゅっと目をつぶる。
うるせえな。すっこんでろ。
友達がこんなに面白いマンガ描いてんだから、妥協できるところなんか、一ミリもねえんだよ。
――10年来の大切な友人であり、同じプロのフィールドで高め合うライバルとして。
私はこの作品が海面から顔を出し、光を浴びたことを心から祝福する。
どうか末永く、この作品が人々に愛され、著者の思い描く結末を無事に描き切ることができますように。
今後も、この作品がどのような展開を見せるか楽しみだ。
〈了〉


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