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【第62回】私人間効力の問題に関連して、憲法学のトレンドについて #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

芦部三部作から佐藤(幸)

私人間効力の問題について、私が学生時代には、あまり大きく議論となっていなかった印象があります。自分の一世代前は、東大の芦部先生が米国留学から帰ってきて、憲法訴訟がブームでしたし、私の世代では京大の佐藤幸治先生が、青林書院から『憲法』の教科書を出版され、今では考えられませんが、あれが憲法の教科書なのかと物議を醸しだしていた時代でした。今では死語かもしれませんが、まだ、京都学派と東京学派という、学風の違いがあって、京大の先生の憲法の教科書、というだけで東京方面からは色眼鏡で見られていたのかもしれません。

当時、憲法の教科書というのは、人権と統治の2冊に分かれているのがスタンダードで、それを1冊に、よく言えば簡潔にエッセンスだけ書かれていたものですから、まあ、平たく言えばきわめて難解で、佐藤先生は申し訳ないですが、この教科書のためにどれだけの法学部の学生が憲法学を挫折したか、という代物です。実際、『佐藤(幸)解明講座』なる、解説本が登場し、これがまた売り上げを伸ばすなんて言う現象も起きました。

思い出話を語っているように聞こえるかもしれません。ただ、この頃、L.R.Aの基準とかは、芦部先生の論文集でしかお目にかかることのなかったようなものを『憲法』の教科書で正面切ってそのことについて違憲審査基準として書かれていたり、ムートネスの法理だの、憲法訴訟の当事者適格性だの、当時の法律家にとっては見たことのないような話が学生向けの教科書に登場したのですから、批判的に取り上げられることも少なくありませんでした。

百家争鳴

まぁ、そんなわけで、私人間効力について、公法と私法の関係を前提にすれば、憲法が直接適用されるはずはないし、人権保障の観点からは、何ら無関係というのもなんだし、問題はあるけれども間接適用説が落としどころでしょ、というのが通説的見解でした。そんなことより憲法訴訟、というのが当時の風潮でした。

ただ、芦部先生の論文集にも、国家同視の理論とか、国家類似の理論とか、アメリカの判例を紹介しつつ、私人間効力についての問題意識は提示されていましたから、その時点では大論争にまでは至りませんでしたが、今日の議論の導火線なったのかもしれません。

かつては間接効力説が通説とされましたが、現在、何が有力説なのかすらよくわからないというのが私人間効力の議論です。ただ、これは憲法学について悪態をつくことになるかもしれませんが、これまでの研究者の方々が学問の対象としてきたのが、あまりにも判例研究に重きを置きすぎているのではないか、というのは、立法機関に身を置いた立場としての印象です。

ざっくりと法学の歴史

もともと日本の公法学は、ドイツからの輸入理論の時代を経ています。明治憲法がプロイセンの憲法を模範に作られたことは、日本史で勉強されたことと思います。伊藤博文らが憲法調査のためにヨーロッパに行ってプロイセンの憲法理論を学んで帰ってきた、という話です。

御成敗式目の時代から、西洋流の民法だの刑法だの、憲法だのに転換していくのですから、理論・理屈も、母法となる国の理論の輸入に頼らざるをえません。当時の法学は、横書きの外国の文献を翻訳して、縦書きの日本語にする、という域を出ていなかったとさえいわれています。まさに、「横のモノを縦にする」時代がありました。公法学初期の時代は、いわば、理論中心、概念探求が中心の時代だったといえます。

そんな中で、いち早く判例研究が盛んになったのは民法の世界ではなかったかと思います。今も昔も、裁判の件数は民事が中心ですし、民事事件は1つの条文だけで争われているだけでなく、複数の条項を解釈、適用して事件を解決に導くことがありますが、それぞれの条文について、すでに出ている判決を前提として解決されていきますから、判例を無視して特定の条文の解釈論を展開しても、全体としての整合性が取れなくなる、という事情もあったのかもしれません。また、判例研究によって神の法に近づく、というコモン・ローのような考え方とは違いますが、判例の積み重ねによって民法の理論も進化していくのだ、という進化論的な考え方が影響力を持っていたようにも思われます。

憲法でも、次第に判例研究に重点が置かれるようなりますが、いかんせん、民法のように年がら年中裁判で条文の解釈が争われるわけではありません。日本国憲法制定後、その意味で多く争われたのは、法律の合憲性をめぐり、「公共の福祉」とは何かということでした。しばらくの間は、民法のように、判例の積み重ねによって、「公共の福祉」の内容も明らかになっていくだろう、というような楽観的な観測もあったのですが、判例は必ずしも理論的な理由を明らかにしないで「公共の福祉に反するから、法律による制限は合憲である」とか、「このような制限は公共の福祉に適うものである」という趣旨の判決が繰り返されました。

最高裁判所は、違憲審査権があるにもかかわらず、憲法違反という判決を出すことにとても消極的でした。このことを指して司法消極主義と表現されることもあります。

一般条項の問題点

そこで、憲法学者は憲法違反かどうかは、「公共の福祉」という抽象的な概念ではなく、明確性の原則であるとか、LRAの基準であるとか、敵対的聴衆の法理であるとか、さまざまな概念を構築してきました。

公序良俗違反や権利の濫用も、もっと具体的な理論で語れないだろうか、というのはもっともな話のように思われます。この点については引き続き検討してみたいと思います。

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