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Conversation

わたしは28でオーストラリアに引っ越して自分が"移民"になったからこそ、ヘイトスピーチがどれだけ悪で怖いものか身をもって痛感しています。自分がアジア人の見た目をしているからです。白い肌ではなく金髪ではなく青い目を持ってはいないからです。 オーストラリアファースト、ホワイトオーストラリアというスローガンと共にオーストラリアの国旗を持った多くの白人がデモ行進をした昨年の8/31、とんでもなく怖い思いをしました。わたしという存在があるだけで、誰かがこういう移民のせいで家賃が高騰するなどと思っているのではないのか。誰かが移民のせいで自分の仕事が奪われていると思っているのではないか。そういう世論が高まるととても安心して生活できません。 わたしはオーストラリアではヘイトスピーチの的になる当事者です。これを見ているあなたと同じ日本国籍で日本語が第一言語ですが一体何が違うのでしょう? みんなも海外に出たらそうやってヘイトスピーチの対象になるんです。アジア人だからです。見た目が白人じゃないからです。そんなの理不尽でしょう? だけど当事者になったらデモ活動なんか怖くて行けないですよ。ビザ持ちだからです。いくら正しい主張でも政府に咎められたら追い出されてしまうことだってある。そういう不安定な立場にいるのが移民です。 だからこそ非当事者の声や行動が大切なんです。わたしがあの日にどれだけカウンターの人たちに勇気づけられたか。"Everyone is welcome"というあのプラカードのメッセージをわたしはきっと一生忘れないと思います。 ヘイトスピーチは言論の自由で許されていいものではありません。あの8/31にわたしが見たかったものは市民のカウンターの姿です。だから意を決してこの場所に行きました。 移民の当事者としてわたしが必要としていたのは市民による行動です。日本語も含めた多言語による地域の取り組みではありません。そういう多言語の取り組みが必要ないと言っているのではなく、こういう特に当事者が危険を感じるような瞬間には市民のカウンターが必要なんです。特に差別に抗うと公言しているような政党に属する人が、決して市民のカウンターを揶揄するような発言をしてはいけないと思います。なぜなら差別に抗うならば、当然当事者に寄り添うべきだからです。 ヘイトスピーチをする人にも言論の自由がある、黙って演説の邪魔をしてはいけないとするならば、当事者からすればあなたは私の味方ではないという風に思われてもなんら不思議ではありません。"差別に抗う"ということは、そういうことではないはずです。
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