じ。味噌汁を注ぐと朱塗りの椀が啼いた。よく見ると内側の漆が少し剥げていて、そこに染みたせいで鳴ったらしい。丁寧に使っていたつもりではあったのだが、もう三年も使っているとなるとやはり損耗していくもののようだ。
「そうか、もう三年か…」
ランサーといわゆるお付き合いをして、ランサーが部屋に転がり込んで、なし崩し的に始まった同棲生活がもう三年。早いような短いような。幸いにしてもう片方の器は無傷だったのでそちらに多めに味噌汁を注いだ。
「ん、今朝の味噌汁もうめえ!」
おかわりおかわり、といそいそキッチンに向かう背中ももう見慣れたものだ。今日のわかめとじゃがいもの味噌汁は特に気に入ってるらしく、必ずおかわりをする。今回も上手くいったぞと心の中のランサー好物メモにチェックマークを付けた。
「なぁアーチャー、オレ毎日お前の味噌汁が食いたい」
「あー…すまないランサー」
家に残された食材を考えると、じゃがいもはそろそろ使い切ってしまわねばならない。
「明日はポトフにする予定なんだ…」
流石に好物といえど二日連続同じメニューはいかがなものか。寒くなってくる季節であるし、ちょうどいいだろう。…と思ったのだが、いやにランサーがそわそわしている。
「ランサー?やはり味噌汁の方がいいか?」
「あっいやうんポトフね!?ダイジョウブオレポトフダイスキ!」
それきりランサーは味噌汁の椀を抱えたまま下を向いてしまった。やはり明日は献立を変えて味噌汁にしてやるべきか。
「一緒にオレの故郷に来てくれ」
「今休暇取るのは少し厳しくてな…」
「今度指輪買いに行かねえか」
「君のかね?自分で選んだ方がいいと思うが」
「ずっと一緒にいたい」
「すまない、今の仕事が終われば時間が取れそうなんだが…」
ここのところ仕事が忙しくて家にいる時間をあまり取れないでいる。ランサーが味噌汁を食べたいと言った日からせめて味噌汁くらいは、と思って作っているがそれ以外の外出の誘いにはほとんど応えられていない。朝食の時に向かい合うのと、夜寝る前に寝顔を眺めるのが精一杯だ。
「アーチャー、オレのこと好きか」
「愛しているとも」
そっか、と安心したようにランサーが笑う。らしくないだなんて心配させているアーチャーが言えることではない。仕事が終わったらきっと構ってやるから、と心の中で言い訳して箸を動かした。
「わりいアーチャー、ここしばらく忙しいわ。夕飯家で食えないかもしれねえ」
「そ…うか。仕事か?」
「んー、まあそんなとこ」
ようやく仕事が落ち着いてきたと思ったら今度はランサーの番。こういう時自分たちはつくづく運がないな、と思う。
「終わったらデートでもしよう、ランサー」
「!おう!」
……最近ランサーがよそよそしい。会話の内容からするに仕事はある程度落ち着いたらしいのだが、家にあまりいない。用事を聞いてもそれとなくはぐらかされることが多く、この間不満をこぼしたらごめんな、とだけ言って抱きしめられた。抱きしめられたときに感じた体温にぎゅうっと胸が苦しくなって、最近そういうことをしていないと思い出す。一人遊びに興じようにもランサーの体温を覚えてしまった身では物足りない。
それとなく誘ってみても明日も早いだのお前も疲れてるだろだの躱されてしまう。最後にキスをしたのもいつだったのか思い出せない。
(もしかしてこれが倦怠期というものなのでは?)
ああ、ただの倦怠期であったならどんなに良かったか。
久しぶりに早く帰宅したランサーから渡されたのは結婚式の招待状。
「この日は絶対に空けとけよ。んで身一つでいいから必ず来い」
そう言われて渡されたということは本人の、ランサーの結婚式の招待状なのだろう。いつ別れたことになっていたのか、誰と結婚するのか、聞かなければいけないことはたくさんあったはずなのに、気付けば真っ白な頭で頷いていた。
「ごちそうさまでした」
相変わらずランサーと顔を合わせるのは朝食の時だけ、その時でさえ招待状を渡されて以来ただ一つの会話もない。何か言わなくては、と思っても幸せそうに食事をするのを見てると胸がつかえて出てこない。その幸せそうな顔は今後自分以外の者に向けられるのだ、自分が作った食事で出来た体でランサーは他の人間と結婚するのだ。そう思うと悔しくて悲しくて、ひび割れた味噌汁の椀に目を落とす。三年も一緒にいて、そのことに胡坐をかいていたからこういうことになってしまったのだろうか。
ランサーもランサーだ、結婚前だというのに前の恋人と暮らして前の恋人の作った食事を食べているなど不誠実にもほどがある。結婚相手がそれを知ったらどう思うだろう。それを詰ることさえできないアーチャーが一番手の施しようがないのだが。
いっそせめて、手放したことを惜しむくらいいい男で参列してやろうじゃないか。そう決意したのは式の一ヶ月前。一度日時と場所を確認したきり棚に押し込んでいたが、どちらもしっかり覚えていた。
どうせ帰ってもランサーはいないのだからとジムに行く時間を増やして、スキンケアにも十分に気を遣う。食事と睡眠はきっちりと。タキシードを着ていくわけにはいかないが、スーツもそれなりに質のいいものを用意した。
そうして迎えた式当日。半ば戦に赴くような心持で式場に向かう。嫌味の一つでも用意しておこう、と考えたところでそこにいた人物に驚いた。
「あっ、アーチャー!」
「凛!?」
なぜ同い年の姉貴分である凜がここに。動揺しているアーチャーに気付かないのか、凜はお父さんたちも来てるわよ、と言いながらぐいぐいと自分を引っ張っていく。両親も来ているとなるとよほど自分に近しい者が結婚相手なのだろうか。
「じゃああとでね!待ってるわよ」
凜はそう言うとアーチャーを置き去りにしてドアを閉めた。
「アーチャー」
嬉しそうに弾む声はランサーのものだ。ゆっくりと振り返るとそこには白いタキシードを着た、愛しい人の姿。……ああ、本当によく似合っている。
「めかしこんで来てくれたんだな、嬉しいぜ」
先程の凜と同じようにアーチャーの手を引いてランサーはずかずかと部屋の中を進んでいく。
「せっかくおしゃれしてきてくれたのに悪いんだが、服はこっちに着替えてくれ」
示されたのはランサーが来ているのと同じ、婚礼用のタキシード。なぜこれに着替えろと。訳も分からずに突っ立ったまま、ランサーの顔とタキシードを交互に見る。きっと彼以上にそれが似合う者はいないと言い切れる見事な衣装のままひざまずくランサー。
手を取って目を覗き込まれる。久しぶりに触れ合った指先は吸い付くようにひんやりとしていた。
「愛してる、アーチャー。これからもどうか共に。…結婚してくれ」
ポケットから取り出された小箱のサイズはドラマで何度も見たもの。開かれたそれにはやはりシンプルな銀色の指輪が大人しく座っている。
「…普通にプロポーズできないのか、馬鹿」
「お前それマジで言ってる?」
こっちが散々言ってたのに気付かないし、ここまで外堀埋めてやんねーと頷かないだろ。そういわれてしまうと弱い。現にアーチャーには今までプロポーズされた覚えがないのだから。
「返事は?」
「指輪は君の手で嵌めてくれないか」
ひび割れないように、つなぎとめてくれるように。
すれ違いが、素敵な所に落ち着いてよかったです