<未踏の頂へ―’26センバツ北照>支える人/中 異色のマネジャー・菅原逞さん(1年) 選手のため何役でも /北海道
◇葛藤越え、野球に携わる喜び 熱気とかけ声が渦巻く北照の屋内練習場。微笑をたたえながら黙々と選手の間を動き回る姿が目に入る。飲み物を運び、散らばったボールを集めているかと思えば、打撃練習のトスやケガをした選手のキャッチボール相手まで次々とこなしていく。マネジャーの菅原逞(たくま)さん(1年)だ。 【写真特集】センバツ2026出場の32校決定 各校の喜び 北照では2人の男子部員がマネジャーとして45人の選手を支えている。選手が転向するケースが多いが、菅原さんはマネジャー志望で入部した異色の存在だ。昨年12月に行われた部員が互いに評価し合う投票で学年1位となるほど、仲間からの信頼は厚い。だが、ここに至るまでには葛藤の日々があった。 「あれ、痛いな」。小樽市の野球チームに所属していた中学1年の4月、二塁の守備についている時、左膝に鈍い痛みを感じた。診断結果は内側側副靱帯(じんたい)損傷。身長が1年で約11センチ伸び、膝に負担がかかったことが原因と考えられた。 最初は「すぐ治るだろう」と楽観していたが、痛みは引かなかった。次第に患部が熱を持ち、倦怠(けんたい)感に襲われるようになる。サポーターを巻き、痛み止めを飲んでやり過ごした。 半年後、左膝をかばうように使っていた右膝にも痛みが出始めた。歩くのが難しい日もあった。「やばいな」。不安が募る一方で練習は休まず、グラウンドを10周するランニングでは、チームメートから2~3周遅れても最後まで走り続けた。 ケガから約1年10カ月がたった中学2年の2月、自分だけが走ることもままならない状況で孤独感に耐えられなくなった。「思いっきり野球をしたいのにできない。野球から離れたい」。監督から「マネジャーでもいいから」と引き留められたが、気持ちは切れてしまった。 失意に沈んでいた時、友達の母から「(若手俳優の登竜門の)『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に出てみないか」と勧められた。書類審査を突破し、2次審査は札幌市の会場で腕立て伏せを披露した。3次審査ではアプリを通じた写真投稿や配信に挑戦。応募約1万3000人の中でベスト150まで進んだ。その先に進めなかった悔しさはあったが、何かに前向きに取り組む喜びを思い出した。 公立高への進学を考えていた中学3年の夏、エスコンフィールド北海道で高校野球南北海道大会準決勝を観戦し、情熱に再び火が付く。0―1で敗れた北照の左腕、高橋幸佑(現プロ野球・中日)の速球に目を奪われた。「野球を嫌いになったわけではなかったんだ」。マネジャーとして北照野球部の門をたたいた。 チームの全体練習は平日5時間、土日は9時間と長時間に及ぶ。練習のサポートに加え、練習試合のスコアのとりまとめや相手を分析するアナリストの役割も務めており、業務量は多い。膝も完治していないが、きついと感じることはない。「視野を広げ、誰かに言われる前に動けるよう意識している」 昨秋の道大会制覇後は、エースの島田爽介(2年)から「支えてもらえたから頑張れたよ」と声をかけられた。中学時代に同じチームでプレーした畠山柊太(同)も「いつもチームのために動いてくれ、頼りになる」と感謝を口にする。 目指していた記録員としてのベンチ入りはかなわなかったが、センバツでも「選手が野球に集中できるよう、裏方としてできることをなんでもやりたい」。柔らかな表情に、野球に携わる喜びと仲間への思いがにじんでいる。【森原彩子】
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