このところずっと本所七不思議のお話をしてしまったので、たまには全く違う話を挟みます。ちょこっとNHK大河ドラマ「べらぼう」に出てきた、出羽藩士平沢常富に通じる話にもなります。
「ゴホンといえば 龍角散」でおなじみの龍角散。
龍角散は、のど薬の老舗会社で、のど飴、トローチ、タブレット、ゼリーなどのどに効く薬を中心に製造・販売している会社です。インバウンドで来たた海外の方にも人気で、一時爆買いが流行ったときに、大量に買う方がいました。店頭からなくなったこともありました。
宣伝ではないですが、龍角散と東京神田は深いつながりがあります。
私の生まれ育った地区が神田明神の氏子で、私の町内会(豊島町町会)の一番の大企業が龍角散です。2年に一度の神田祭には大きなバックアップをしてくれる企業でもあり、社員の方々もお神輿を担いでくれる関係にあります。以前、テレビCMで流れていた龍角散の映像には我が町会のお神輿や提灯が出ていて、町会内で話題になりました。皆んな分かっていて「あのCMの神輿と提灯、見た?龍角散粋なことするねぇ」と話していました。ホント粋な会社です。
現社長の藤井隆太氏はとても変わった経歴で、音楽大学卒業後、エコール・ノルマル音楽院(フランス)に留学。実業家であり、プロのフルート奏者でもあります。企業サイトの社長の写真はフルートを片手に写っています。
音楽を深く愛し、年2回、本社ビルの1階エントランスで、地域のためにオーケストラコンサートを開催しています。社長自らフルート演奏も披露します。そんな社長は地域の人からもとても愛されています。
龍角散について一つ話をさせてください。
■藤井正亭治
龍角散の創業家の藤井家は出羽国久保田藩(秋田藩)の初代藩主 佐竹義宣の御典医を務める家系でした。
※2025年11月10日追記:「藤井家は武士の家系と言われ、「何代目かが医者になった」とされます。これは先代の康男氏のコラムなどによるものであり、実際にも代々医者の家とされる藤井という家はありません。」とのご指摘がありました。ご指摘の記述が正しいと思われますので、追記として書かせていただきました。申し訳ございません。
初代藤井玄淵によって創製。藩薬として重宝されていたものが龍角散です。もともと龍角散は秋田・佐竹藩に伝わる家伝薬になります。
孫の藤井正亭治が、長崎で蘭学を学び藩主 佐竹義堯に仕え、側医になった際に、喘息治療のための改良に取り組みました。明治維新後、1871年、藤井正亭治は神田豊島町(現東神田)で薬屋を開業し、龍角散を一般薬として売り出しました。龍角散という名称は、初期の処方に龍骨、鹿角霜、龍脳が使われていたことに由来します。
■佐竹商店街
藤井家が務めていた出羽久保田藩佐竹義宣の屋敷(佐竹っ原)は現在「佐竹商店街」(台東区台東)となっており、全長330mの全蓋式アーケードを設け、地元密着の便利な商店街として親しまれています。
佐竹商店街の歴史は古く、明治の初年に屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並ぶなどして盛り場としてにぎわい、下町情緒豊かな商店街として発展したそうです。大仏もあったらしいです。日本で2番目に古い商店街といわれています。
現在は以前の賑はありませんが、私の小学生時代は凄く賑わっており、よく買い物にも行ってました。また、佐竹商店街の駄菓子屋や高校時代はゲームセンターなどに行っていました。プラモデル屋さんがあり、お金のない小学生の私たちはショウウインドウを舐めるように見ていました。とても迷惑だったと思います。今では良くドラマやCMなどの撮影に使われていて、映像が出た瞬間「あっ佐竹商店街だ」とすぐ分かります。
余談ですが、NHK大河ドラマ「べらぼう」に出てきた青本の覆面作家、朋誠堂喜三二こと平沢常富はこの久保田藩の江戸留守居です。この場所から吉原に通ったと思われます。
明治に廃藩となった際に、出羽久保田藩佐竹家から藤井家に下賜され、大衆薬として売り出した龍角散は、長年地元とのつながりも含め、今でも人情味あふれる企業の一つとして愛されています。
本当に良く効きますよ。のど飴も良いですが、顆粒は本当オススメ。家の常備薬として置いてます。
ぜひ、せき声のどに龍角散を使ってください。宣伝でした。



コメント
2コメントありがとうございます。
また、ご指摘いただきありがとうございます。
ご指摘いただきました内容を追記で記載いたしました。申し訳ございませんでした。
貴重なお話、ありがとうございます。また、新しいお話し聞けましたら、記事を新しくしたいと思います。よろしくお願いします。