例のポスト関連で、何が批判されているのか理解されていない方がいるようなので、これなら伝わるかな?と思って書いた文章。長い
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前提として「過去の教訓を活かすべき」は正しいですし、(好意的に解釈して)あのポスト内容が伝えたいことも分かります。歴史に学びそれを後世に伝えることの大切さは皆分かっていますし、それに異論を唱えている人もいないです。批判されている原因はタイミングと表現です。
●タイミングについて
黙祷は、亡くなった方や被災者への祈りや冥福を捧げる時間です。
黙祷の前後(亡くなった方を偲ぶ・当時のことを思うタイミング)で追悼の言葉もなく教訓語りをすることは、被災者の気持ちに寄り添わず災害という悲劇をただの「題材」として扱っている印象を与えます。もちろん災害を客観的に題材として捉え教訓とすることは必要ですが、少なくともそのタイミングは黙祷の時間やその前後ではないと思います。
●表現について
「石碑はちゃんと読んでおくに越したことはない」という発言は、文脈によっては「石碑を読んでいれば助かったのに」という皮肉の意味に受け取られる可能性があります。「〜しておくに越したことはない」は表面的には一般論の助言・自戒を表す表現ですが、「本当はそうするべきだった」という過去の行動を評価・批判するニュアンスを含むからです。
被災された方の中には「もしあの時こうしていれば」といった後悔を抱える人もいます。そのような方にとってこの表現は責任を被災者側に寄せる言い方に聞こえかねません。これは、被災された方やご遺族にとってはかなり辛い、心情を傷つけてしまう言葉になります。
また「あ〜ね」や「あ〜〜」は、おそらく(最大限好意的に解釈して)石碑の意味を知った驚きや災害のやるせなさを表している感嘆表現だと思うのですが、「あ〜ね」はかなり砕けたカジュアルな相槌として使われる表現です。
これを人が亡くなった出来事や大きな災害の文脈で使うと「軽い雑談テンションで震災を語っている」という印象になりやすいです。出来事の重さに言葉の重さを一致させるのが一般的なので、「あ〜ね」という軽さと災害の重さのアンバランスさが結果として「揶揄している」と受け取られてしまったのだと思います。
●どうすれば良かったのか
同じような内容を伝えるなら、一例ですが以下のような表現であれば炎上は回避できたのでは?と思います。
「震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
津波の記録を伝える石碑の存在について改めて思いを巡らせています。過去の教訓を忘れず、防災について考え続けることが大切だと改めて感じます。
未来の命を守るためにも学び続け、悲しみが減るようにこのアカウントでも発信していきたいと思います。」
今後同じことを繰り返さないよう改善案として、実際の事件や事故、災害についてポストするときは、一度GrokやChatGPTに評価してもらうのはどうでしょうか?
なぜ批判されているのか理解いただけることを願います。