龍角散は国替えを経て、常陸国(茨城県)から久保田(秋田市)へ移住した武士の一族だといわれ、何代目かが医者となり、江戸中期には大曲(大仙市)に住んだ藤井某がいたとされ、江戸末期になると久保田と大曲に薬店を開いた。 明治維新を経て、個人経営としては久保田を本店とし、1871年に東京神田、1873年に大曲に支店を開業。

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龍角散公式のノートですが、過去の資料だと「子の玄信が蘭学を学んだ知識を取り入れ、龍角散を作った」となっており、そもそも当時の新聞記者さん達が 玄信 玄淵 を混同して記事を書いていたのではないかと推測されます。 正確には江戸中期の玄信は、藤井忠貞(篤、屋号は玄信、水戸岩根村)です。
よーし、ついに明日全国公演初日だ 今日は大好きな長浜ラーメン食べたので、明日はきっと頑張れる ドキドキするなー あー、猫吸いたい 🐉龍角散さんのホームページです note.ryukakusan.co.jp/n/nefb…
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森下様、北は北海道、南は沖縄までいる劇団なのでしょうが、いまいち史実とお芝居との境目が分かっていない人がいるみたいなので、お気をつけください。 これには10年以上前の早い段階から、SNS上で龍角散は六郷のものだと投稿しているのが、わらび座様の取り巻きの方であるのが非常に気になります。
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コツコツ教え込んで行ったら自白コメント出ました。 grok 3は中々面白い分析をしますね。その一方でグーグルのAIや某劇団の取り巻き連中のように、 龍角散は美郷町(六郷)のものでないといけない的な主張(またはミスリード)を繰り返すのは論外ですね。
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約180年近く前に六郷東根に住んでいた藤井某と、当家が関係ある、という明確な根拠はありません。 江戸後期は大曲の、今の信用金庫付近に住んでいます。 よって、この東根の藤井及び、坂本という親戚はおりません。 SNSにデマ流すのはいい加減にしましょう。
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Replying to @harukasumi1874
栗林社長、龍角散と縁者にあたるのが、この春霞家と聞いておりました。 インスタで何度も名前を出されていますが、小原洋様とはお知り合いですか?龍角散が六郷村(町)・東根の出身か?発祥の地であるか?には所説(諸説)ありますので、注意してください! 六郷東根に藤井という親戚はおりません。
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国替時、出羽入りした藤井家初代から数えて何代目で、その藤井家と水戸藩へ遊学した玄信(字は篤、武士名は忠貞)という医者がどう繋がるのか?などは明らかになっておりません。 なお晩年に康男社長が秋田市に文献調査に来た時は、どこに何が書かれているのか探せずに終わったと聞いております。
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Replying to @maytheater
マキノ先生のコメント拝見させていただきました。 目をパチパチしているのが気になりますが、「江戸時代の親子の物語」としてお芝居の話であれば問題もありません。 が、問題なのは、お芝居を本当とし、六郷出身の親子が龍角散を作ったのだと広める人がいますので、お気をつけください。
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藤井玄信と名乗った江戸中期の久保田藩医は、水戸藩の原南陽の門人となり、龍角散の原型となる薬の処方を習いました。完成したのは1797年とされますので、東京がつけた「2代」とは別人となります。 玄淵にしても実際に何人いたのかは分かっておりません。
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Replying to @ginniro_no_hana
リプライ失礼致します。藤井玄信と名乗った江戸中期の久保田藩医は、水戸藩の原南陽の門人となり、龍角散の原型となる薬の処方を習いました。完成したのは1797年とされますので、東京がつけた「2代」とは別人となります。 玄淵にしても実際に何人いたのかは分かっておりません。
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grok 3が龍角散公式は〜と熱弁していましたが、六郷出身という説自体が六郷町史によるものであり、他にも説は沢山ある訳で。 大曲説を採用している丸山浩一さんの家系研究協議会と秋田市、佐竹商店街は友好関係にあったことなどが一時期無視されていました。
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