《葬送のフリーレン》神技のレヴォルテ編の重要ポイント
ネタバレには配慮していません。原作未読の方は「神技のレヴォルテ編」を視聴後に読んで頂けると楽しめると思います。『葬送のフリーレン』で作者が「いちばん言いたいこと」はこれだ、と私が考えていることを簡潔に書いています。
『葬送のフリーレン』の原作マンガはまだ読んだことがないという方には原作マンガを、既に読んだことのある方にはある一つの視点からの再読をお勧めしています。その訳をこちらの記事で説明していますのでお読みください。
神技のレヴォルテ編から、何か一つ、『葬送のフリーレン』全体を貫くテーマのようなものを挙げるとするなら、それはゲナウが受けた「報い」だろうと思います。
ゲナウは「嫌な奴」です。本当は「いい奴」ですが「嫌な奴」になっています。(第8巻73話)
ゲナウはその「報い」として、人としてあるはずの感情を失ってしまいました。人が死んでもまるで悲しくないし、故郷が滅びたのに何も感じません。
ゼーリエはゲナウに生きていて欲しいから「ずっとそのまま(嫌な奴)でいろ」と頼むのですが、そのためにゲナウは人としては死んでしまうのです。(第8巻74話)
だから、ゲナウはメトーデに対しては「私のようにはなるな」と言います。(第8巻72話)
生きるためには「嫌な奴」になるしかない。しかし、「嫌な奴」になれば人としては死んでしまう。
ゼーリエとゲナウは、そういう"からくり"に囚われてしまった魔法使いです。
この"からくり"からどうすれば脱出できるのか?
それが旅を通してフリーレンと読者が考えていくことになる問いだと私は考えています。
ヒントは既にフランメが示しています。(第5巻43話)
『葬送のフリーレン』には細かい考察ポイントや物語の展開予想はいろいろとありますが、その結果がどうであれ、ここだけはおそらくブレることがない、かなり重要なポイントだろうと私は考えています。「いちばん」というのは少し誇張がありますが、「最も重要なもののうちの一つ」であることは間違いないでしょう。
ゼーリエとゲナウのやり取りの場面は、ゼーリエもゲナウが本当は「いい奴」だとわかっているから「嫌な奴でいてくれ、死なないでくれ」と頼む。全知全能の女神様に最も近い存在であるゼーリエもそう言うしかないという「神技のレヴォルテ編」屈指の悲しく美しい場面です。
ただ、二人の師弟愛だけではなく、二人が囚われて抜け出すことのできない"からくり"(構造)に気付くと、さらに深みの増す名場面になると思います。
《葬送のフリーレン》に関する記事は下記のマガジンにまとめています。
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弟子から見たゼーリエは、師匠(せんせい)、特権をくれた恩人、上司、人知を超えた存在、不器用な母親?、わがままな少年?など、様々な属性が入り交じった存在なのかなと思います。 その近さと遠さの不思議な関係に、魅力を感じます。
そうですね。途轍もない実力を持った魔法使いなのに、どこか儚げで心配になってしまうようなところがあります。弟子たちはゼーリエを大事に大事に扱っているような感じがします。