小説投稿サイトから追放されたPV弱者は別天地で自由に暮らしていますの話
学会追放──創作でたまに聞くワードだと思う。
重鎮の学者先生に「お前はこの学会から追放じゃああああっ!」とか言われて放逐される絵面を想像するだろうが、実際は違う。
論文の発表をしても誰も聞いてくれなくなるのだ。
檀上で一人ぼっちで論文を読み上げ、トドメに「何か質問はありませんか?」と無人の会場に呼びかけ、時間いっぱい立ち尽くす。
誰からも必要とされず、存在を無視され、居場所が無くなり、学会から去ることになる。
そんな具合に、私もweb小説サイトから追放された。
「昔は良かった」は年寄りの口癖だけど実際むかしの方が良かったことが多くないか?
私が最初にwebで小説を書いたのは遠い昔のそのまた昔だ。
当時はドリームキャスト(webブラウザを実装したセガのゲーム機)のパッドで文字入力していた。その辺から時代を察してほしい。
次に個人サイトやブログを経て、小説家になろうに流れ着いた。
最初に投稿したのは2010年代初頭だと思われる。
「思われる」というのは昔すぎて憶えていないのと、手元に残っている最古のwordファイルの作成日が2011年なので、その辺だろうと。
あの頃のなろうは──自由だった。
作品区分を設定する必要もなく、書いた小説がハイファンタジーかローファンタジーかで頭を悩ませることもなかった。
商業では書けない尖ったネタや、変な小説を書いても読者は受け入れてくれた。
無宣伝でも1日に50人は読みにきてくれたので、書く側としても張り合いがあった。
良い意味で混沌とした場所だった。
現在のなろうは──整然とした公園のような場所だ。
犬の散歩は禁止され、危険な遊具は撤去され、許可された清潔なキッチンカーが並んでいる。
“読まれるための”攻略法だかルールだかのガイドブックが公布され、みんなキチンと守っている。
別に皮肉っているワケではない。
読者が求めているのは意外性や独自性といった珍味ではなく、安心して食べられるラーメンだ。実家のような安心感なのだ。
それを与えてくれるのがテンプレというルールだ。
読者のweb小説の楽しみ方が変化したというわけだ。
そういう時代になったのだからお前も合わせろ──と、上から目線で攻略法とやらを押し付けてくる輩もいるが
私は遠慮しておきます。
攻略サイトで最適装備を指定したらネトゲのパーティーが全員同じ見た目になっちまった
web小説サイトだとカクヨムが顕著だが「最適化された攻略法」に合わせないと、そもそも誰にも読まれない。
「良いモノを書けば読まれる」なんてナイーヴな考えは捨てろ。
そんなセンチメンタリズムとか理想論を語って良いのは学生の内だけだ。学生が言うなら青春なので許される。
攻略法とは長文タイトル、他のユーザーへの距離感のバグったウザ絡み、上辺だけの感想投げ合い、相互評価、SNSでのお友達ごっこetc……
やりたくない人でもやらなければならない。
やらない人間は小説を載せる資格すらない。
そういう社会システムに人格を合わせろ、ということだ。
心を捻じ曲げられるのを受け入れろ、ということだ。
うぉウ、現代日本にいながらディストピアを体験させてくれるのか!
テーマパークに来たみたいだぜ。
テンション下がるな~~!
もう少しマイルドに言いかえると
「オタクく~ん、端っこでチキン食べてないで会話に参加しなよ~」
「自分アピールできねー陰キャがなんでいんの? ギャハハハハ!」
的な陽キャの合コン会場といったところか。
頑固なだけの陰キャは出ていけってことだ。
投稿サイトのシステムに小説の内容ではなく、作者の人格を否定されてしまうわけだ。
あのさぁ……これのどこに創作の自由があるんだ?
web小説を商業のプロモーション用ショーケースもしくは狩場にしたい、どっかの誰かの思惑に操られていないか?
まるで商業主義に食い荒らされた夢の残骸だ。
出版社も即戦力が欲しいもんな。それは分かる。
変な小説でバクチできる余裕はないもんな。
なんもかんも不景気が悪い。
私は自由に書けるからwebで小説を書いてきた。
「こういう小説やシナリオ書いてよ~」的な縛りはなく、コンプライアンスに関してもさほど気にする必要がないから、怒りと欲望を原動力に書いていた。
なのに、型にハメたシャーベットみたいなカチコチのテンプレ、クッソ寒い内輪ネタみたいな大喜利、ジャンルの限定諸々の制約を課せられるなど……勘弁してほしい。
webではどんな経歴や年齢の人間でも自由になれる。
何者でもない、果てしなく自由なレベル1の転生者としてスタートできる。
読まれるために経歴や名前を載せろだ?
何者かになった時点で自由も無責任も永遠に失われるのに!
皆は最適化された装備を揃えて仲良くやっていても、私は尖った装備のまま独りでやっていきたいんだ。
ソロプレイヤーがゲームを引退する理由が分かってしまった日
環境に適応できないソロプレイヤーが意地を張っても、世界の流れも環境も変わらない。
一昨年に尖った小説(しかもSFジャンル)を昔の気分で小説家になろうに投稿したが、丸一年完全に無視された。
私は多くは求めない。変な小説は一日に10人でも読んでくれれば満足だ。
だが0人では話にならない。
私は諦めがついた。
もう、ここに私の居場所はないのだと。
件の小説は、あと一回で終わるという所で止めて放置してある。
書こうと思えば1日で書けるのだが、もう書く意味がない。
読者自体が存在しないのだから書き終える義理もないのだ。
今さら読みに来られても対応できない。
もう永遠に無視してくれて良い。
その小説は自分自身への戒めのために、非公開にもせず残してある。
二度とwebで連載するな──という呪いとして。
誰も読まない小説をノーギャラで書き続けるのは、有限な気力と人生の時間の果てしない浪費であると理解してほしい。
明日も明後日も人生が永遠に続くと錯覚していられるのは、若者の特権だと理解してほしい。
もう小説を掲載するとしても連載ではなく、別件で没にされた小説を期間限定で載せるくらいだろう。
私は過去に向かって脱出する
私はSNSも卒業した。
元々、小説家になろうで無宣伝で2年連載していた小説のPVが、他所で別名義でテキトーに書いた短編エロ小説のPVに三日で追い越されたのがイラッとしたので、仕方なく宣伝用に始めた。
その連載小説が完結したので、もうSNSを続ける理由もなくなった。
アカウントはキッパリと消した。
フォロワー数だの自己顕示欲に縛られて運営に課金するなど冗談ではない。
私は投稿サイトやSNSの利用者だが、システムの奴隷になるつもりはない。私は飼い慣らされない。
私は陰キャで自由なのだ。
SNSはフォロワー数が戦闘力だ。フォロワー数やリポスト数が少ない奴は発信力のない弱者らしい。
小説投稿サイトはPV数が戦闘力だ。ポイントも閲覧数も少ない奴は書籍化の保証もないザコらしい。
なら私はクソザコの弱者だな?
SNSを利用して宣伝したり、テンプレの攻略法に則らないと数字は出せないらしいな?
五か月ほど前に、何の経歴も名義も載せないポッと出のサークルとしてやった。
他の販売サイトも含めると、販売数はもっと多い。
販売と宣伝に関してSNSは一切利用してない。友達でもない奴と友達ごっこもしていない。
攻略法とやらもテンプレも一切使っていない。
ただ淡々と、黙々と、自由に書いた。
ほぼ毎月新作を出している。
基本一作完結だが続編ラインは一ヶ月で300DL。それを下回ったら公開している無料サンプルのPVがどれだけ多くても続きは出さない。
無料では読まれないのに有料だと読んでくれるんだから不思議な話だ。
読まれる努力をしろだ?
自己啓発セミナーみたいな御託を並べるよりパンツを出せ。
割り切りと妥協点と読者のニーズを考えながら書いている。
冷たく古いやり方だが、それが受け入れられている。
最適化された攻略法は、私にとっては正解ではなかった。
私には私のやり方がある。
プレイスタイルが認められる場所で、暫くは自由に飛ぶことにする。


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