<未踏の頂へ・’26センバツ北照>/上 遠ざかった甲子園 試行錯誤の末 堅実野球たどり着く /北海道
配信
昨年の秋季道高校野球大会を13年ぶりに制した北照ナインが飛躍のきっかけをつかんだ一戦がある。9月27日、小樽地区大会3回戦の倶知安戦。二回に先制を許し、4―4のまま終盤にもつれ込む苦しい展開だった。だが、選手たちは目の前の1球に集中していた。 【写真特集】センバツ2026出場の32校決定 各校の喜び 九回裏。先頭の岩城輝雅(1年)が左前打で出塁すると、すかさず堀井一護(2年)が送りバントを決める。内野安打などで2死一、二塁とし、打席に立ったのは4番・長谷川世和(同)だ。 新チームで4番を任された時に上林弘樹監督(46)から「思いっきりいけ」と助言を受けた主砲は、その言葉通りに4球目を振り切る。左中間へのサヨナラ打。大事な最終回の攻防で着実に1点をもぎ取った末の勝利の意味を、上林監督はかみしめていた。「ずっと言ってきたことが形になった」。試行錯誤の末、目指すチームの姿にたどり着いた瞬間だった。 1908年創部の野球部が甲子園初出場を果たしたのは91年夏。2010年と13年には春夏連続で出場するなど、計10回甲子園の土を踏み、全国にその名をはせた。 北照で正捕手を務めた上林監督は大学卒業後にコーチとして母校に戻り、05年に部長に就任。17年から監督としてチームを率いる。ただ、就任直後の18、19年こそ夏の甲子園出場を果たしたが、その後は何度もあと一歩で切符を逃した。 敗北を経験する度に、ゼロからチームの理想形を模索した。22年は「バントゼロ」を掲げ、積極的な攻撃を目指した。23年には機動力でかき回す戦い方に期待をかけた。だが、結果につながらない。「勝ちたい。甲子園に行きたい。そう思えば思うほど遠ざかった」 24年は右腕・田中太晟と後にプロ野球・中日に入団する左腕・高橋幸佑の「ダブルエース」体制で臨んだ。全道を勝ち抜く自信があったが、夏の南北海道大会準決勝で好投した高橋を打線が援護できず敗退。翌25年夏も打線は低調で、南北海道大会準々決勝で北海に4―7で敗れた。 3年生の引退後、立ち上がった新チームはまとまりを欠いていた。秋季大会前の練習試合では失策も相次ぎ、勝率は約4割と低迷。上林監督は「史上最低のチーム」と発破をかけ、目標も全道制覇や全国出場ではなく、「打倒(小樽)双葉」と地区大会突破に設定した。 そんなチームに上林監督は「練習中止」を命じたことがある。秋季大会が迫った8月のある日のことだ。ゴミが散乱したグラウンドや脱ぎっぱなしの靴、磨かれずに放置されたグラブ――。プレー以前の選手たちの姿勢が原因だった。 「最初と最後は人間力」と上林監督。道勢初の甲子園優勝を成し遂げた駒大苫小牧や、春夏通算55回の甲子園出場を誇る北海などと何度も対戦し、勝ち抜く学校は基本を徹底していると感じてきた。小さな積み重ねや野球との向き合い方が、勝負どころの初回や最終回に結果となって表れるという信条がある。 その日、寮やグラウンドの掃除に全員で取り組んだ選手たちは目を覚ます。「簡単な打球こそ丁寧に」などと、基礎から徹底的に磨き直した。 特別な練習を取り入れたわけではない。だが、仲間の士気が下がっていると「手を抜くな」と声をかけて回った主将の手代森煌斗(2年)は、「私生活から変わったことでチームが一段上に行けた」。一つ一つのプレーに手を抜かない姿勢が浸透し、決定的な場面で流れを引き寄せる堅実な試合運びへつながっていった。 倶知安戦で最終回に勝利を引き寄せ、自信を深めたチームは、地区代表決定戦では右腕・島田爽介(同)が小樽双葉を相手に1失点完投。道大会の切符をつかみ、初戦の相手は夏に敗れ、甲子園に出場した北海に決まった。 だが、雪辱の一戦が迫る中、チームに大きなアクシデントが襲いかかる。【森原彩子】 ◇ 3月19日に開幕する第98回選抜高校野球大会で、13年ぶりの出場を果たす北照。過去最高の8強を超える4強、その先の頂点を目指して奮闘する選手らのこれまでの軌跡をたどる。