「人権」と「思いやり」の違い
――そういう意味では「トラつば」は他者の意見を尊重していましたね。自分の意見と違っていても、「あなたはそう思うのね、わかった」と。相手の尊重はすなわち人権意識ですよね。
吉田:人権は、思いやりとか優しさとか福祉とか、そういうものだけでは語ることができないこと。それがピンとこない人が多いなと感じます。選択肢を握るのは自分であって、それを誰かに阻害されないのは当たり前のことなんだけど、それを思いやりや優しさみたいなもので包みたくなってしまうと、表面の味だけ舐めて、わかった気になってしまう気がするんです。
佐野:信田さよ子さんの『なぜ人は自分を責めてしまうのか』(ちくま新書)に、「優しくするとか思いやりで接するというのは、一種の支配につながる」というようなことが書いてあって、納得でした。自分がどういう考え方でそれを選択するのかという軸を持っていないと、どういうときに席を譲るかも判断できないわけですよね。
吉田:人権という言葉からイメージするものが人によって違いすぎているのも問題だとは思います。コミュニケーションで生まれる優しさや思いやりを人権とか多様性だと思っている人もいて、前提が違う中で何をはなしていてもなかなか通じない、難しいなと思うことはあります。制作現場でも、スタート地点で見ているものが違うと、同じ言葉を使っていても分かり合えないことはあるんですよね。
性加害者は相手を選んでいる
――性加害問題などをはじめ、普段良識ある方でも、なぜか通じない、場合によっては二次加害をしてしまう。言葉を尽くしても伝わらない相手、分かり合えない相手とどう向き合っていったら良いでしょう。
吉田:性欲について「抑えられないし、仕方ない」みたいなことを言う人がいるじゃないですか。でも、性加害をする側って、街中で勝手に脱ぎだすわけじゃないし、相手を選んでいる場合が大半です。ちょっとでも自分の好みに合う人、手を出しても大丈夫な人を選んで計画的に行っている時点で、理性が働いているはずなのに、「止められない」などと言う人、そういった性加害をした相手を擁護してしまう人には、どこから話していいかわからなくなります
佐野:止められないというよりも、理性がきちんと育っていないということですよね。
吉田:性欲自体を否定されたと勘違いしてしまう人も多い気がします。多くの人が持っている性欲の否定ではなく性加害の否定を多くの方がもっと声を上げて伝えていって欲しいなと思います。ただ、私自身、10年前とか15年前の自分の作品を読むと、恋愛観などに違和感を覚えることもいっぱいあって。完璧な人なんていないから、その都度間違いを認めて、改めて更新していけば良いと思うんです。
その為には様々な意見を取り入れて対話をしていく必要があります。私もなるべく身近な人や大切なひとたちとは対話して差別的な感覚を持っていたら話して、少しでも変わってほしい、間違った方向に行っていたら引き戻したいという思いがある。けど、それをすべての人にするのは無理で、対話だけでは限界がある。心が折れそうな時もありますが、仕事においては多くの方相手に伝えていく立場でもあるので、とりあえずもう少しこのまま頑張って伝えてみよう、最大限を尽くそうというスタンスです。間違いや失敗から学んで取り返しがつくことと、取り返しがつかないことがあるから。取り返しがつかない所にいくと全てが変わってしまう。そうならない為にできることをしたいです。
佐野:戦争も同じですよね。例えば家族の誰かが兵隊にとられていなくなると、今までの家族の形は崩壊するじゃないですか。性加害を受けた場合も、本人だけじゃなく、その人間関係がまた崩壊していくのは共通していて。当事者だけでなく、周りの人間までも崩壊させる、悪化させるみたいなことが起こりうるのだと思いました。
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