夏の高校野球がひと区切りつきました。スポーツ報知の高校野球取材班では、ルーキー記者が、甲子園の交流試合や各地の代替大会で初めての取材に臨みました。コロナ禍で思うような練習ができないなか、球児たちが流した汗と涙―。新人記者がコラムで振り返ります。
コロナ禍で当たり前だった日常が奪われ、当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなった人は多いのではないだろうか。県岐阜商・佐々木泰主将(3年)もその一人。今春のセンバツ、夏の甲子園が中止となり「甲子園で優勝する」という目標に挑戦する権利をコロナに奪われた。
それだけではない。7月中旬、学校関係者に感染者が出たため、岐阜県独自の代替大会出場を辞退。2週間の活動休止となった。やりきれない思いがあっただろう。しかし、佐々木はまず第一に周囲を思いやった。「コロナに感染した方々の気持ちも考えると、すごくつらい。自分たちは大丈夫だと伝えられるように、甲子園(交流試合)に気持ちを切り替えました」。自身もつらい思いをしたはずなのに、そんな表情は一切見せなかった。
新型コロナに翻弄(ほんろう)されながらも幾多の苦難を乗り越えて、甲子園の土を踏んだ。新チームとなって最初で最後の公式戦は、調整不足の影響で本来の力を発揮できず、明豊(大分)に敗戦。しかし最終回に主将が意地の一発を放った。「自分たちには、この1試合しかなかったので、何とか打ちたかった。自信になりました」。高校通算41号は大会第1号。異例の夏で記録にも記憶にも残る一本となった。
聖地での一戦は楽しかったと振り返るが、敗戦に悔しさをにじませながら「体、技術ともに鍛えて、次の舞台でまた一段と成長したい。この甲子園があったからと言えるような活躍をしたい」と強いまなざしで闘志を燃やした。
彼の野球人生はまだまだこれからだ。技術はもちろん、人間的にも大きく成長し、次のステージで活躍した彼は、きっとこう言うだろう。「3年生の、あの夏の甲子園があったから、今の自分がいます」と。(灰原 万由)









