大阪桐蔭でも履正社でもなく…なぜ山口の私立高を選んだ? 20校以上が勧誘した“スーパー中学生”の争奪戦「無理かなと思った」高川学園関係者が明かすウラ側
部長は藤浪晋太郎と中学同期だった…
部長の西岡は大阪府堺市出身。少年野球が盛んな南大阪で生まれ育ち、自身も大阪から高川学園への野球留学を経験した。幼なじみであり、中学時代に同じ大阪泉北ボーイズでエースの座を争ったのが、藤浪晋太郎(DeNA)だった。府内の強豪校に進んだ盟友、自身と同じく地方に活躍の場を求めた先輩や同期の両方を見たこと、指導者となってから多くの野球留学生を指導する日々にあって、確信したことがある。 「『王道の有名校に行けなかったから、高川学園に来ました』という選手だけでは、その有名校に絶対勝てない。いざ甲子園で対戦すると、『うわ、自分が行けなかった強豪かよ』と思ってしまう。その時点で負けていますよね。山口県という地方から日本一を目指すからには、おこがましいですけど、中学やその前の段階から、有名校に行きたいではなくて、『倒したい』と思っている、“野心的な”選手が増えていかないと、勝負にならないと思っています」 西岡自身が高川学園を選んだ理由も、そうだった。進路を考える時期、高川学園に招へいされて間もなかった、中野泰造の目に留まった。「ノーサイン野球」を旗印に、東亜大を3度の大学日本一に導いた名将の口説き文句は、こうだ。 「大阪に残って、ライバルだった藤浪を倒すのもいい。でも、府外から甲子園に出て、甲子園で投げ勝った方がおもしろいと思わない? 100回に1回、それぐらいの可能性かもしれないけど、そこに懸けて一緒に頑張らないか」
超強豪を倒すには「木下が必要だった」
藤浪の陰に隠れがちだったとはいえ、貴重な左投手として、府内外のチームから声が掛かっていた。山口県に縁があったわけではない。気心知れた先輩が在学していたわけでもない。今ほど設備が充実していたわけでもない。それでも、この言葉に15歳の心は揺さぶられた。 夢破れ、高校3年間で甲子園とは縁がなかった。一方で、日本一を懸けて投げ合うことを夢見ていた旧友は、春夏連覇を達成し、高校野球最高の栄誉をほしいままにした。 「今思えば、途方もない夢だった」と振り返る、「全国の強豪を下し、山口からの日本一」の大願。これが、指導者となった現在も西岡の原動力であり続ける。 木下の学年は、西岡がスカウティングに手ごたえを感じている世代でもあった。野球の技量だけでなく、求めていた「強豪を倒す」志を持つ選手が集まりつつあったのだ。その熱気を高める環境も整いつつある。“火”を大きくする、もっと言えば中心で燃えたぎる炎として、王道から欲され、「王道を見上げない」木下が必要だった。 木下が初めて高川学園を訪れたのは、中学2年生の11月。付属中の野球部で硬式チームとして活動する、高川学園シニアとの練習試合だった。 全面人工芝のグラウンドで後のチームメイトとなる選手たちと戦い、「こんなに設備がいい高校があるんだな」と驚くばかり。西岡にとっては期せずして、自校の魅力を知ってもらう機会となったが、ここで“猛アタック”をかけたわけではない。チーム関係者との会話も挨拶程度にとどめ、木下の投球を静かに眺めるだけだった。西岡が回想する。 「雪がぱらつくぐらい寒い日でした。その状況でも132キロぐらい投げていて。やっぱりいいピッチャーだなと。どうにか縁がつながらないかなと思ったんですけど、ちょうどその1週間前に中国大会の準決勝で負けて、センバツ出場が厳しい状況になっていました。この状況だとアピールは難しいかな、どうやったら実るのかなと思いながら見ていましたね」
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