大阪桐蔭でも履正社でもなく…なぜ山口の私立高を選んだ? 20校以上が勧誘した“スーパー中学生”の争奪戦「無理かなと思った」高川学園関係者が明かすウラ側
2年前、20校以上から勧誘されていた有望中学生は、なぜ山口の私立高に進学したのか? その投手がチームを甲子園に導いて……関係者が明かすウラ側。【全3回の2回目】 【実際の写真】「強豪20校以上が誘った…山口の怪物ピッチャー“実際の写真”」「人工芝で…超充実のグラウンド」記者が高川学園を訪れた、現地の写真を一気に見る ◆◆◆ 20校以上から勧誘されていた木下瑛二は、なぜ山口の私立高を選んだのか。 高川学園の部長・西岡大輔が初めて木下を見たのは、中学2年の春。岡山県で開催されたヤングリーグの全国大会での登板だった。当時創部3年目で聞きなじみのない「高松庵治(あじ)ヤングストーンズ」という新興勢力が擁した、まだ細身の右腕が目に留まった。
本当に中学2年生? 初めて木下を見た日
「当時、庵治ヤングにいい左の3年生がいて、左のエースが彼、右は木下、という感じで起用されていました。とにかく投げっぷりがよかった。最初に見て、この子も3年生なのかなと思ったほどでした」 高川学園の監督、松本祐一郎が、視察から帰郷した西岡の様子を思い起こす。 「『こんなピッチャーがいたんです! 』と報告をくれたときの目が輝いていましたね。相当惚れ込んでいるんだろうなと思いましたよ」 そこからは可能な限り木下へアプローチした。練習を視察しようと香川を訪れ、大会だけでなく練習試合にも足を運んだ。だが、木下の評判は広がっていた。
超強豪校が関心も…「希望があった」理由
兵庫であった練習試合に駆け付けると、バックネット裏に甲子園優勝監督がズラリと並び、木下の一挙手一投足に熱視線を送る様に出くわした。さすがに、この光景には「無理かなと思った」と壁の高さを痛感したという。 時間は有限である。木下を諦めて、獲得が見込める選手の視察に切り替える方が得策ではないか。撤退が頭をよぎってもおかしくない状況で、ある“推測”が、西岡を踏みとどまらせた。木下の中学野球の選択だ。 「木下は小学生時代、タイガースジュニアに所属していました。その実績があれば、中学のチームも選択肢はたくさんあったと思うんです。そのなかから、チームの立ち上げから間もない庵治ヤングを選んだ。ということは、歴史を作っていきたいタイプなんじゃないかなと」 さらに、木下の左手にはめられたグラブが、この仮説に強度を与えた。 「今使っているものとは違って、あまり有名ではないメーカーのグラブを使っていました。野球をしていても知らない人も多いであろうグラブです。それがもし、大手メーカーでそろえていたら、諦めていたと思います。王道が好きな子なんやろうなって。でも、新しいチームで、グラブはマイナーなメーカー。ブランドや看板に固執していない印象を受けて、訴えかけるならここしかないと思いました」 西岡の推測は、木下の「人と同じなのは嫌なタイプ」という素養と概ね合致していた。 木下は小学生時代に、ヤクルトでプレーした岡本秀寛のピッチングスクールに通っていた。甲子園経験がなくともプロに進んだ岡本と接することで、「高校野球は通過点。自分もプロに行きたい」という気持ちが芽生えた。 高松庵治ヤングストーンズは、そのスクールを発展させる形で生まれ、現在も岡本が監督を務めている。大手でなくても、気に入ったグラブを愛用する。チームの知名度や歴史よりも、信頼できる師を選ぶ。甲子園にとらわれず、自分を高められる環境を欲する……。たしかに、そこにブランド志向は微塵もない。 垣間見えたフロンティア・スピリッツ。西岡の見出した風穴であり、木下を欲した最大の理由でもあった。
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