新年を迎え、働き方改革の推進や子ども主体の学びへの転換など、さまざまな改革への取り組みが求められる学校。本特集では、「30歳で就任」「教員投票で選ばれる」といった異色の経歴をもつ4人の校長に、これからの管理職の在り方や校長職のやりがいなどを聞いた。
理事長への直談判で
まずは、福岡県にある福岡女子商業高校の柴山翔太校長。2021年度に30歳で校長に就任した、全日制高校では全国最年少の校長だ。国語科の常勤講師として赴任した最初の年に、担当した進路指導で小論文対策の課外授業に取り組むなどし、同校の国公立大の合格者をゼロから20人に増やして次年度に校長に抜てきされた。
同校に赴任する前は、生まれ故郷である北海道の札幌新陽高校など4つの私立高校で教壇に立っていた。人づてに「校長が『進学指導を自分に教えてほしい』と訴えている学校が福岡市にある」と聞いたのがきっかけで、同校での勤務を決めた。
その年度の終わり、「来年度は理事長が校長を兼任する」という発表が教職員向けにあった。前校長はすでに定年を過ぎており、町立から私立へと設置者が変わるタイミングで同校を託された責任から、「入学者数が上向くまでは」と校長を続けていたという。商業科が相次いで閉科になるなど逆風が吹く商業系の高校の中で、同校も例外ではなく志願者が17年度以降減っていた。それが、21年度にようやく増加したのだという。
講師だった柴山校長はこの発表を聞き、「前向きな校長先生と共に面白い学校を作っていきたい。入学者が増えたとはいえ、校長職を継続してほしい」と理事長に直談判。ほぼ初対面ながら、次年度以降に向けて構想していたビジョンを4時間にわたって熱弁したという。それに対する理事長の回答は「だったら君が校長をやったらどう?」。
柴山校長は当時を振り返り、「正直大変混乱し返事を待ってもらった。校内のお世話になった方々を中心に相談したところ『支えるからチャレンジしてみたらよい』との助言があり、膝の震えが止まらない中で引き受ける旨を理事長に伝えた」と語る。
教員がうらやましいが…
他に類を見ない経緯で就任したことを踏まえ、若さ故の苦労を聞くと「自分より何倍も多くの経験値をもつ先生方に対し、指摘や改善要求、評価についての話をしなければならないこと」と話す。「校長になる前にも意見する機会はあったが、自分より立場が上の相手だという安心感や甘えから、未熟でも許されると感じていた。今は状況が違う。自分が生まれたときから現場で尽力されている先生方もいる」。
進路指導部長など主任級の職を経験せずに校長になったため、1年目は全ての分掌の長になったつもりで学びと実践を繰り返したという。一方で、年齢の若さから応援してくれる人を多く得られたのに加え、同じ出来事に対しても他校の校長とは違う捉え方ができたという実感があったとも語る。
また、「自身の学びが生徒たちの学びに直結するのは教員にとって大きなやりがいの一つだが、校長になってそれが一層大きくなった。自分の学びや経験が学校の空気を変え、内外でのつながりが生徒や教員のつながりに変わる」と言い、「生徒の成長に近くで関わる先生方がうらやましいが、これまでよりも自分が学校に関わる範囲が広がり、学びや環境をどうデザインしていくか考えることができる」と話す。
校長就任後の2年間で、制服のデザインや食堂のレイアウトのほか、修学旅行をはじめとする学校行事を一新させてきた。新しい時代の商業高校として、マーケティングをより実践的に学べるよう、生徒がプロと協働で広報ツールを作り出すなどしながら「女子商マルシェ」を運営するプロジェクトも始動させた。同時開催した音楽フェスも集客に大きな役割を果たし、今年度の来場者は1万人に上り、実習で経営した店舗は1000万円を売り上げた。
今でも授業をし、進学指導も一人一人に直接しているという柴山校長。これからの時代、校長の役割が大きく変わると語る。「特に高校では、1校1校がそれぞれのテーマを明確にすることが求められる社会になる。そのような時代の校長は、教務部長から教頭、教頭から校長といった従来のレールでたどり着くゴールではなく、ワクワクする未来を描き、学校に関するあらゆることを自分事として捉えられる人物が選ばれるようになるだろう」とした上で、「校長が示す学校のビジョンの下、大きな目標に向かって生徒も教員も自ら意志決定し、自走する。そんな組織運営が今の私の理想です」と締めくくった。
「ベストタイミングだった」
続いては、静岡県にある御殿場西高校の勝間田貴宏校長。同校の副校長だった時に担当していた英語の授業で、「学校改善計画プロジェクト」と題したPBLを実施したのをきっかけに、生徒の考えに基づいて校内に「ラーニングコモンズ」を導入したことでも知られる。これは、同校の創設者がオーストラリアに建てた学校を参考にしたもので、生徒が個別でもグループワークでも学習ができ、図書室やインターネットとつながっているので文献やオンライン上の資料がすぐに入手できる施設だ。地域や企業、大学生、保護者らを招いての探究学習にも活用できる。
37歳での校長就任について、勝間田校長は「さまざまな見方があると思う」とした上で、個人としては「ベストタイミングだと感じている」と話す。自身を「秀でた能力も大きな実績もない」と語り、自らの使命を「学校がこれまで避けていた波風をほどよく立たせながら、新しい時代を意識した学びのデザインを作り上げていくこと」と表現する。
勝間田校長は慶応大学商学部卒業後、オーストラリアにあるモナシュ大学の修士課程で英語教育学を修め、帰国して英語教員になった。御殿場西高校は1967年、勝間田校長の祖父である勝間田芳麿氏が創設した学校だ。当時は高校生の数が急増していた時期にあたり、まだ高校がなかった御殿場市の生徒が片道約2時間かけて他地区に通学していたことから、市が開設を強く要請したのだという。勝間田校長は5代目の校長として、2022年4月に就任した。
必死に、泥臭く
勝間田校長が力を入れるのは、年3回実施する、教員との各1時間の面談。コミュニケーションの機会を増やすためだという。加えて、外部とのつながりを重視していると話す。「学校のコミュニティーは長きにわたって非常に閉鎖的だった。その中で新しい視点を養うのは難しい。常に自分をアップデートしつつ、新しい空気を送り続けていくことが必要だ」と強調。フェイスブックやnoteといったツールで発信を続けるのは非常に有効的な手段だと話す。
同時に、学校の原点を大切にし続けることも重要だと語る。「ビジョンを共有し、共通言語化することは組織の最重要課題であり、本校も今まさにその課題に直面している」とした上で、「今一度原点を見つめ直し、本校が大切にする教育の土台を再構築して、新たな学びを文化として定着させたい」と述べる。
これからの校長について改めて問うと、「誰よりも努力し、泥臭く頑張ることが大事だ」と話し、「カリスマ性あふれる校長にも憧れるが、ただただ必死にやり抜くことが、37歳校長のあるべき姿だと思う」と語った。
教職員会議で選抜
次は、東京都にある桐朋中学・高校で、創立80周年となった21年4月就任の原口大助校長。かつて私学ではよく見られたものの、現在では少なくなっている「教員選挙」によって選ばれた校長だ。同校の他には、神奈川県の法政大学第二高校も、前校長が「教員生活の最後は担任を務めたい」と退任を志願したことから選挙実施となり、副校長だった五十嵐聡氏が選ばれた。この2校の違いは、法政大学第二高校では立候補を募っているのに対し、桐朋中学・高校では、票が集まった者が就任する方式を採用していることだ。
この方式は戦後の学校改革以降続けられており、校長だけではなく教務主任、生活指導部主任など管理職以外の役職も教職員の互選で選出されているという。この方式を原口校長は「民主的な学校運営を第一に考える本校で象徴的な取り組み」と表現する。
「互選が学校のスタイルだというだけなので、私自身に際立ったものがあるのではない」としきりに謙遜する原口校長。しかし、他の教職員は原口校長を「さまざまな部署での経験や知識があり、多くの教職員にとって頼りがいのある存在」「生徒との議論を通して授業を展開しているなど、生徒一人一人のよさを引き出せる」「フットワークが軽い」と評価する。原口校長が同校の卒業生であり、30年以上にわたって同校に勤務していることを踏まえ、「人脈があり、学校への理解度の深さは随一」とする声もある。「チーム学校」作りが求められる昨今、同校が今なお続ける教員互選の方式は、新たな時代にふさわしい側面があるのかもしれない。
原口校長はこれからの学校に求められる管理職の在り方について、「教育の世界も時代の変化に応じ、さまざまな対応を余儀なくされている」としながらも、「根幹にあるのは、児童・生徒を支え、成長を喜び楽しむことであり、それを実践するのは、直接関わる教職員だ。その教職員を支えるという役割を担うのが管理職であり、その点で『サーバント型のリーダーシップ』という観点が重要となるように感じる」と語った。
「東京都では、ただ一人」
最後は、全国で最初に設置された不登校特例校の一つ、東京都八王子市立高尾山学園小学部・中学部の黒沢正明校長。工学部で電気工学を学んだ後、大手企業でエンジニアや新規事業開発、企業戦略に従事した。東日本大震災では宮城県の石巻市や気仙沼市に赴き、同社被災地支援ボランティアのリーダーを務めた。
黒沢校長は「今の東京都では、ただ一人の民間人校長になってしまった」と語る。00年の学校教育法施行規則の改正により登用が可能となってから、大阪府などを筆頭に全国で多くの採用があったが、今では減少傾向にある民間人校長。黒沢校長は12年度八王子市校長公募を経て採用され、同校に着任した。以来10年間で、「不登校特例校のモデル校」とも言うべき学校を築き上げてきた手腕から、中教審の教育振興基本計画部会委員や特別部会義務教育の在り方WG委員を歴任している。
「かつて全欠だった子たちが胸を張って卒業していく姿を見ること、そして国の施策の方針を定める場に現場の声を届けられていることが、今の仕事の大きなやりがいだ」と語る。これからの時代に求められる力については、「状況が目まぐるしく変わる中で、管理職に限らず学校内で何らかのリーダーを務めているならば、方向性を見極める力を備え、メンバーをエンパワーすべきだ。そのためには、自校を取り巻く外部環境と内部環境を、プラス要因とマイナス要因に分類して分析するSWOT分析をする必要がある」と話す。
加えて、「教育者たる者、『笑顔は人を幸せにする』という意識は持っているべきだ」という。「管理職が怖い顔をして鎮座していていい時代ではない。『校長がいると場が明るくなる』と言ってもらえるよう心掛けたい」。
すでに60歳を過ぎ、「職務の終わりが近づいている。不登校特例校の校長として求められている役割を果たし、天寿を全うしたい」と話す黒沢校長。退職後の展望を尋ねると「『ワークライフバランス』ならぬ、『コミュニティーライフバランス』。保護司などとして地域で活動し、惜しまれながら死んでいきたい」と明るい笑顔を見せた。