日々 ありがとうございます。
皆さまのお陰さまで、今年の締めくくりの12月、立正佼成会では一年のスタートの月をお迎えさせて頂くことが出来ました。心から感謝申し上げます。
今年一年、会長先生は、「心田を耕す」をテーマに、詩偈を通して、心を柔らかく柔軟に耕し、仏を掘り起こしたり、仏に戻ったり、いろんな角度から教えてくださいました。1年をふり返って、みなさんはどのような「自分」だったでしょうか?
仏の教えを伝える「出会い」を
平安時代の僧侶で、歌人である西行法師に「秋の野のくさの葉ごとにおく露をあつめば蓮の池たたふべし」という歌があります。儚く消えるものの象徴とされる朝露を、西行はそれを集めれば清らかな露の満ちる蓮の池になると詠っています。露とは仏性のことなのです。
西行が生きた平安時代は、災害や悪疫、戦乱や飢饉などがつづいて苦しむ人が数多くいた時代を憂い、困窮し苦難に耐え忍ぶ人を一人残らず救いたいと願ったのでしょう。その時代から約900年がすぎたいまも、仏性にめざめた多くの人であふれる蓮池のように美しい世の中にしたいと、世界中のだれもが願っているはずです。
そのために私たちができることといえば、一人ひとりが自身の仏性を自覚したうえで、苦しむ人に寄り添い、かかわるなかで、みんなが人を敬して和する世界をつくるように努めることです。別言すれば、布教伝道という「出会い」が、いまはこれまで以上に求められているということです。
仏性の光り輝く蓮池に
私にも「敬と恥」について学ぶことになった、苦くて有り難い体験があります。
大学3年の夏。通っていた剣道の道場(および師匠のお宅)で2か月間、泊まりこみの修業を、自ら申し出たのにもかかわらず、1か月もすると、稽古と掃除などの用事に疲れ果て、逃げ帰ってしまったのです。翌日、わが家に駆けつけた師匠の中村藤吉先生から、家じゅうに響きわたる声で一喝され、連れ戻されたのは当然のことです。本気で私を𠮟って下さった師匠には、深い敬意と感謝を覚えますが、同時に、当時は感情的になり「なにくそ」と反発心を抱いたことも記憶しています。
ただ、その「なにくそ」が「このままではいけない」という向上をめざす動機づけにもなり、仏性と同じく私たちに具わっている恥じる心が発動し、信頼を回復しようと心をあらためることができたのです。信仰生活における懺悔が、人間的な成長を考えるうえで大切なポイントになることと、一緒。
出会いというふれあいのなかでこそ、だれにも具わっている敬する心や恥じる心はめざめます。お手どりやお導きの修行にも、自他のそうした心を育む大切な意義があるのです。
周囲に悩んでいる人や困っている人がいたら手を差しのべ、その出会いを機に仏縁を広げて、地域社会を仏性の光り輝く蓮池というオアシスにする役割が、私たちにはあるのだと思います。
それを忘れないよう、日々の読経供養で先の経文をかみしめ、「みんなが仏性の自覚に立って幸せを感じられる世界を築こう」と誓願するのです。その最初の一歩は、それぞれの家庭や職場、地域におけるあいさつと思いやりです。
さて、この1年をふり返って、みなさんはどのような「自分」だったでしょうか――。(佼成12月号より抜粋)と、会長先生から教えて頂いています。
開祖さまも、どこかに一人残らず救える教えはないものかと願いを持たれ、いろいろな宗教を遍歴されていましたが、次女の尭子さんのご病気を通して、飯塚さんとの出会いで頂かれたメモ、新井助信先生との出会い、そして、100%人を救う教え法華経に出会われ、その講義を聞かれ飛び上がらんばかりの感激で3年間、盆も正月も一日も休まず先生のお宅に通われ、開祖さまは、佼成誌に、「新井先生との出会いがなければ、私の法華経人生もなく、おそらく立正佼成会もなかったでしょう。
こう考えると、出会いがどれほど大事であるか分かりましょう。どんな出会いにも必ず意義があるのです。その出会いを大切にするには、相手の仏性を見ることです。仏性を拝むことです。そうすれば、楽しい出会いはもちろんのこと、不愉快な出会いにも教えられることがあるはずです」と、教えてくださっています。
会長先生は、「すべてはわが師」というご著書を謹書されましたが、かくありたいという私の願いを込めたものであると仰られています。人生は様々な出会いの連続であり、自分にとって耳の痛いことを言うのは、“足りないところを教えてくださる、私を磨いて下さる有り難い人なのだ”と受け取れれば、相手を拝むことができ、「すべてはわが師」という会長先生のお心が、敬する心、そのものだと学ばせて頂きました。
皆さんは、「敬と恥」について、苦くて有り難い体験がおありですか?私は、舞鶴教会で修行をさせていただいている時、先輩幹部さんが貸して下さった消しゴムをしっかりお礼も言わない私に「君、先輩が貸して下さっているのに、ありがとうでしょう。もう一度、やり直し」と、幹部さんたちの前で本気で私を叱ってくださり、人としての道を歩ませて下さった野田頭教会長さんに、深い敬意と感謝でいっぱいです。その時、先輩や消しゴムを大切にしない驕慢な私に気付かせて下さり、「今度からは、一つひとつ丁寧に受けとめ行動しよう」と、恥じる心が発動し、心をあらため、懺悔させて頂くことができました。三宝帰依に徹し、ご自分の身をいとわず深い慈悲心と救わずにおかない迫力で救って下さり、いつも、出会う人出会う人の仏性が開くように、開くように、善き縁となるんだよ。と、優しく教え導いて下さいました。これからは、自らを省みつつ、教えていただいたことを継承し、お伝えしていきたいと思います。
みんな仏の子である、如来の智慧と徳相を具有した光輝く私たちなのだと信じ、苦しむ人に寄り添い、みんなが敬して和する世界をつくるために、身近な家庭や職場、地域から、ありがとう、おかげさま、いただきます、ごちそうさまと、心をこめて感謝を言葉に表していきたいと思います。
皆様、今月も、どうぞよろしくお願い致します。 合掌
立正佼成会若狭教会 教会長 堀家身知子
おしらせ
今月をもちまして、佼成誌、会長先生のご法話を拝読しての配信を、終了させていただきます。
今までお読みくださった皆さま、誠に有り難うございました。
心より感謝申し上げます。 合掌