俺は俺の祭のために生きる。
神奈川在住の女性A様から「購読料、気持ちばかりですがお渡しに行きますよ!ついでに名前占いして欲しいです!」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。あまり都内には詳しくないと言うA様は、表参道か代官山なら前に通っていた病院があったから行ったことがあると言った。簡単に説明をすると、名前占いとは「人は与えられた名前の反対を生きることになる」と言う私の仮説をもとに培った、私独自の偏見を意味する。
A様とは表参道のA3出口で合流した。カフェに行くと思っていたが、立ち話となった。A様の名前には明るいと美しいが入っていた。結論から言うと「明るいと美しいが名前に入っている人は、暗くて醜い人生を生きることになる」と言うことになる。なぜか。闇が濃いほど星は輝くように、明るさを知るためには暗さを知る必要があり、美しさを知るためには醜さを知る必要があるからである。大切なことは、今、どれだけ暗くて醜いと感じるような環境にいたとしても、A様は「明るくて美しい道の途上にいる」と言うことである。
そのようなことを言ったら、A様はA3出口の路上で泣いた。泣きながら「ここで泣いたら、坂爪さんが私を泣かせているみたいですよね」と言った。問題はない。現に、私が泣かせているのだ。詳しいことは聞かなかったが、A様は現在闘病中のように見受けられた。普通、病気になると心配されたり同情されたりする。不幸なこととして可哀想な人扱いをされるが、私はそうは思わない。病気だろうがなんだろうが、与えられた運命を生き切る。その姿に、命の尊さが宿るのだと思う。
別れ際、A様から「頑張ってください」と言われた。他人に言うことは、自分に言うことである。A様は「友達からは頑張るじゃなくて楽しむと言った方がいいよと言われるが、楽しむと言うのがいまいちピンと来ない」と言った。私は「頑張るでも楽しむでもなんでもいい。死ぬまで生きる」と言った。A様は「それならできそうです」と言った。十分程度の時間だったが、濃厚で、非常に良い時間だった。握手をして、私たちは別れた。
私にとって、今日書く一行が自分の全身的表現であり、今日言う一言が自分の全身的表現である。明日の朝には、自分か、A様か、どちらかが死んでいるかもしれない。その思いがなかったら、力のある一行を書くことはできない。過去のために生きるのでもなく、未来のために生きるのでもなく、今、自分と自分の目の前にいる人間のために生きる。生きることも死ぬことも、命の祭。死ぬまで生きる。私は私のために生き、私は私の祭のために生きる。俺たちの約束。死ぬまで生きる。
坂爪さん、こんばんは🌙
夜分にすみません🙇
今日は突然に短い間でしたが
お会いできて本当によかったです✨
名前の事も呪いの事も
光と影、明と暗…切っても切れないセットのようなもので
森羅万象すべての事が人生を彩り豊かにしてくれているのかもしれませんね!🥰
『楽しむ』が分からないと言ったら「死ぬまで生ききってやる!」って思えばいい…と仰ってくれて♪とてもホッとしました😮💨
そんな極論を言ってくれる方はなかなかいないのです。
最後の握手もありがとうございました!とても嬉しかったです☺️
温かな手のぬくもり忘れません✨
今日は短い時間でしたが
もしまたお会いできましたら
美味しいものを一緒に食べたいです😋ご馳走しますので〜ぜひ!
ではまたお会いする日まで
お元気でお過ごしくださいね♪
おおまかな予定
3月14日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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