玉蔵院
続きです。
橋を渡った離れの書院では
明治時代に京都国立博物館に寄託以降、
実に100年以上ぶりの
初のお里帰り!の
あの中世を代表する画僧・明兆による
「芦葉達磨図」が公開されています
明兆は東福寺の絵仏師。南北朝時代から室町時代初期にかけて活躍しました。
国の重要文化財です。
博物館で眺めるのとは違う、
床の間に飾ってある姿がなんとも良い感じです
動き出しそう。
鋭い眼光の表情もハッキリと分かるし、鮮やかな法衣の赤色に衣の裾が靡く様子、水の中の足もバッチリ。
禅宗の初祖・菩提達磨が、梁の武帝と意が通じず、一枚の芦の葉に乗って長江を渡り去ったという伝説を描いています。
讃は固山一鞏(こざんいっきょう)禅師
固山一鞏が東福寺に在住していた1345年〜1347年頃の著賛と見られる
現代語訳
揚子江の岸辺の芦を折って、達磨はあたふたと梁から魏へと渡ってゆく。
南北両岸のみどりの山々は、しかし彼が来たことなど知らぬかのように、
昔のままにそそり立っている。
空模様は悪く
揚子江の波は荒いが、
その怒涛の険しさも、人の心の険しさに比べれば、どうであろうか。
出水門中は、一宗一派の枠を超え、仏頂国師との法縁を拝見に、臨済宗に諸派が互いに行き来し、支え合ってきた寺院の結びです。
派は異なっても、禅の精神を共有し、法要や行事を通じて交流を重ねてきました。
出水門中は、制度ではなく生きた縁として今日まで続いています。(いただいた資料より)
出水通り一帯には、寺院の歴史とは別に、古くから語り継がれてきた「出水の七不思議」という伝承があります。
昨日ご紹介した光清寺の浮かれ猫もそう。
こちらでその一つとして知られているのが、
円山応挙の幽霊画です。
かつて玉蔵院にあったと伝えられていますが、現在は所在不明となっています。
「幽霊画は幽霊のように消えた」と表現されることもありす。伝え聞くところによれば、この幽霊画は、円山応挙が最初に描いた幽霊であったとも言われています。
・その貴重な写真
写真撮影可で驚いたのですが、
帰り際にブログ掲載も確認しましたところ可でしたにこやかに、どうぞどこぞという感じ。
ありがとうございます
ご本尊は
千手観音さま
どっしりとしたありがたいお姿でした