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猫と宝石/Novel by 朴

猫と宝石

8,839 character(s)17 mins

Fate。槍弓♀。現パロ。美容学校生な二人(余り生かせてない)。べったーからの再録です。
少女漫画系の皮をかぶって始終互いへのセクハラを語る話。本当は夏至にこれを移動させればよかったのでは?
温泉編、何度か欲しいというご要望も頂きましたし、自分でも一応草稿はあるくせに書いてないです。ごめんなさい。あきらめてはいない。

表紙素材をお借りしました。ありがとうございます。
湯弐(yuni)様 user/3989101

ソナーズにもお試しで置いてます。
https://sonar-s.com/novels/42cb5683-7e05-45e5-b8eb-88296065a7db

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 恋人とセックスが出来ない。いつぞや似たようなテーマの本があったような気がするが、アーチャーの抱えるそれは、もっと気軽で、もっと根深いものである。
 広い土地を使った大学の構内は緑が多い。頭上ではさわさわと新緑の葉擦れの音が涼しく響くが、それをすり抜ける光の槍の穂先はややもって鋭く研がれていた。とうに夏の始まりは過ぎ、もう少しで昼長く夜が最も短くきらめく暦に従い、太陽の猛威は燦々とこの身を焼いてじりじり音立て、アーチャーの上白糖の色味の髪と剥き出しの首筋を、カラメルの肌に似合いの色に焦がしていく。
 ひろく枝ぶりを伸ばす広葉樹の葉陰のベンチに座ったアーチャーは、何気ない素振りで、隣で唐揚げを大口を開けて頬張る男のかんばせをそっと眺めた。どこからどう見ても白色人種のくせに、赤く火傷もせずに健康的な白さを保つ素肌の色が葉透かしに溶けて目を和ませる。肌が強いのはいいことだ。目の前の繊細な細工の男が壊れ物でないことは、アーチャーを深く安堵させる。
「なんだ?」
 うまいぜ、と男の紅玉の目が、箸は止めずに疑問を呈して無言で語る。毎度のご感想、ありがとうございます――。アーチャーは内心で呟いた。これぐらいの味、と思いながらも、この男に改めて毎回律儀に認められることが、アーチャーの数少ない自慢の一つだ。
 それはそれとして、今日も匂い立つようなうつくしい素顔のかんばせである。
 アーチャーはほう、と薄い溜息を分厚い湿気交じりの空気に逃がした。それは称賛であり、安堵でもある。蒼い髪も、紅い瞳も、男の生来のものだということをアーチャーはとうに知っている。それはこの日本の世ではこれ以上なく人目を引くが、この男のそれは紛れもなく使い勝手のいい武具であり、男はそれを過不足なく利用しながら人波を上手く波乗りしていた。時に課題で塗ったのだろうフェイスペイントを残したまま、時に洒落っ気のある橙の混ざったカラーコンタクトを付けてやってくる姿。獲物を喰らい立つ瞬間の獣をそのまま静かに写した石膏像のような造形を彩り光る強い瞳。モデル顔負けの端正な顔貌を彩るそれに、何度息を吐いたか、数えることは無駄だろう。
 アーチャーは水筒にたっぷりと詰めたミルクティーをカップに注いで両手で抱えた。つくり方はまるきり違うものの、真っ黒なアッサム由来の紅茶に牛乳をたっぷりと加えたミルクティーは男の母国の嗜好であり、それをなぞった形である。最近、夜に胃が痛かった。少しはマシになるかもしれない。
 我が物顔で居座ってはいるものの、アーチャーとこの男――ランサーはこの大学の生徒ではない。二人はこの大学の近くにある美容専門学校の生徒で、アーチャーは美容師コース、ランサーはメイクアップアーティストコースに在籍している。そもそもが中学校時代に同校だったという縁から周りに少しばかり先んじて親しくなることに成功し、今ではこうして昼休みや休日に示し合わせ、こういった大学やカフェテリアで、勉強を兼ねた人間観察を共に行う仲である。
 たぶん、恋人なのだろう、とは思っている。
 いつからそうなったのか、アーチャーにはとんと覚えがなかったとしてもだ。
 アーチャーは箸を取り、のろのろともやしのナムルを口に運びながら、思考をぐるりと再度廻した。そもそもが、アーチャーはランサーのファンだった。ランサーは厳しくもあるが優しい男で、アーチャーはその厳しい部分が心地よかった。彼は、どうでもいい人間にはろくろく苦言を呈さないことを知っていたからだ。懐は深いが面倒がる。己が尻を拭えばいいという考え方をする。その考え方は、あまりアーチャーのそれとは合わないが。
「いい加減に野菜も食え、ランサー」
「おう」
 何しろ、アーチャーがこちらの道に進むことを選んだきっかけはこの男だった。
「……お、柚子の味。俺これ好き」
 つい食べ方の順番まで小言を述べそうになる己をグッと抑えて、アーチャーはさりげなく己が作った弁当の大半を相手に食べさせることに成功している。男は素知らぬげに自家製ドレッシングのかかったレタスを頬張り、目元をふいと和ませた。
 この男をモデルにしたい。
 そもそも、男は中学のころからまるで水槽の底に敷かれた小石の砂利中に混ざった紅玉のような存在であった。
 今現在も舞台に立たせればさぞ映えるだろうという容貌で、表情を閉ざせばどこか性別を超越した匂いのする男だが、そのころの彼は頬もまろくつくりも小さく、本当に神の娘のようだった。同校の生徒たちは、ひっくるめてアーチャーも含めて幸運であった。何しろ彼は、廊下の端からも窓から見下ろす校庭のただなかでもとにかく一目で居場所がわかる。ただうつくしいとしかそのころのアーチャーの語彙では言葉も尽くせぬ中性じみた存在が、破瓜期を通り過ぎてゆっくりと「男」に成っていく瞬間をその目でつぶさに見届けられたのは、全く幸運で、何とも言えぬ不運であった。
 アーチャーは箸を置き、カップを傾けて胃の腑の底を温めた。
 おかげで、美醜の感覚が狂って仕方がないのだ。何時間居残りしても、この男の成り立ちには敵わない。いつになったらと思いつつも、いつまでも届かなければいいとも思っている。
 内臓が重たい。一人では辛い。明日の己の分は、魔法瓶に詰めた野菜たっぷりのスープにしよう、とアーチャーは決めた。

 ――あたたかに頬を灼く、夕暮れの残響の光の色を覚えている。
 アーチャーの白糸の髪色と木肌の肌色は生まれつきだ。アルビノの母や姉とは違って、日ごろから日焼け止めを塗りたくらねばならない繊細なつくりとは違う丈夫さがある。しかしその色はやはり異質で、何が間違ったことか、生来のものとは中々思われずに遠巻きにされることが多かった。いわゆる「遊んでいる」少女たちと同じような人工的なものと思われたのだ。不躾な視線の中に、侮辱と色が混じり始めたのはいつからだったか。仕方がなかった。身体ばかりが先行して大人になりかけている少年少女の自然な流れだ。
 傷付くことはなかったが、それでも。
『って言っても、あいつのあれ、生まれつきだろ。俺となんも変わらねえ』
 あの日の鋭く研がれた硬い声を、アーチャーは今も宝物のように抱えている。
 あの頃のアーチャーは、己が彼の目に留まり覚えられているとは思わず、まずはそこから驚いたのだが――今現在大いに武器にされているように、相手はコミュニケーションの鬼だった。頭がいいのだ。片手間にでも顔を覚えるのは得意なのだろう。
『俺、あいつみたいな細っこいやつ、けっこー好き』
 体つきのことを話題にされているというのに、一瞬前の硬さとは全く違う、ほとりと落ちたまろい声音に、嫌悪感はまるでわかなかった。
 廊下の壁を間仕切りにして、相手はアーチャーに気づいてはいなかった。忘れ物を取りに戻っただけの赤焼けの中の偶然だ。

 あれからの片想いだ。反芻して噛みしめながらそっと人の流れを見つめるアーチャーの臓腑は、あの頃の温度そのままに温められる。
「隈、落ちねえな」
 ふ、と隣の相手が優し気な音を出し、アーチャーの目元を柔くなぞった。
 アーチャーの見目は、美容師志望にしては飾り気がない。最低限の清潔感は保っているが、飾り立てようという気概がないのだ。例えば、目の前の男の髪であったら、何時間でもトリートメントを塗り込め枝毛を丁寧に切ってやろうに――あるいは、かわいい女の子なら。
 いいだろう、と文化祭の出し物の演目のために頬に描かれた、鱗を模した赤いフェイスペイントを自慢げに見せる姿を、脳裏に焼きごてで焼き付けた。あの男を飾り立てたいという欲が強く出たのはそれからだ。それは今、それなりにうまく昇華されている。高校時代、見よう見まねで少し弄ると目を輝かせて頬を染めた少女や少年、ご近所さん。ありがとうと礼を言うのもそぞろになって、夢見るように逸って外界へ飛び出していく、その背中にこそ安らいでいた。専門学校に行け、と背中を蹴っ飛ばしてくれた凛には感謝している。彼女は、無駄が存外好きだ。
「肌の張りも落ちてる。ちゃんと寝てるか? ……んだよ、コンシーラーは使わねぇぞ。テメェすぐ真似してうまい具合に隠しやがる」
 課題の一環で見学に行ったブライダルの分野もそれはそれで魅力的だったが、アーチャーは、日常をこそ小さく彩ることのできる存在でありたいと、街の美容師さんになれるコースを選んだ。そもそも、アーチャーは遠坂の家や実家に呼び出されることが往々にあると、すでに決まっている身の上だ。それは最初からの約定で、優先的に飾り立てるのはどうしても、凛や桜や、イリヤやアイリ。そもこうして自分のために学べることから優しさに溶けた温情であり、長期計画になるブライダルは、日程の調整からして難しいのだ。
 血流を温めるように当てられた指先が、存外冷たいのを知っているのはアーチャーだけだ。

「温泉、行きたいな」
 ふと言葉がまろび落ちた。隣で相手が固まった気配がする。
 おんせん、とひらがな発音で復唱されて、アーチャーは内心のそれが形に出てしまったことを知った。
「……い、行くか?」
 珍しくも揺らがる声で問いかけられるのに、アーチャーははたと思い至って首を横に振った。
 それはそれとして、セックスが出来ない。

 別に、アーチャーにとってランサーが観賞用だというわけではない。おそらくは――本当におそらくは――この関係が恋仲であるのだろうとも思っている。女性向けの美容雑誌にだって載っているではないか。付き合ったならすることしないと、それこそ不誠実というものだ。畏れ多くも、恋人という地位を頂いている――はずだ――身としては、それは当然するべき奉仕であるだろう。
 ただの――ただの? 性欲処理で構わない。とりあえず、この男性ホルモンマシマシの男の欲求はなんであれきちんと解消されるべきだった。
 しかし、今現在のとても健全な付き合いでどうなる予定も、今はない。図らずも今誘ったような形になったが、無い。無いのだ。普段より手も繋がれない、キスもたった一度だけ。別段、彼が草食系だという話は昔から耳に入っていない。そんな関係で、何が進展するのだろうかと、逆に知りたい。
 うつくしいものが、己で顔をゆがませる。
 想像ができない。
 乗っかればいいのかな、とアーチャーは少しばかり思案して、処女という以前にうまくいく想像が全くできないことに眼を死なせた。しかし、それ以外でこの男がこの体に欲を掻き立てられる想像が全くつかない。あのころとは違い、アーチャーの体つきはとてもではないが細くはない。
 己だって、中学のころから追いかけて来た容貌だ。正直、恋人というのが、本当の本当に正しい呼称の関係なのかも、アーチャーにとってはよくわからない。
 うつくしいものは、ただそこに在るだけでうつくしいのだ。
 観賞用であるわけではないが、観賞用であってほしいだけの男だった。
「……行きてぇのか? 温泉」
 沈黙を挟み、目の前の男が、ふ、と笑んだ。
 赦されたのだ、とわかった。喉にまとわりつく声を宥めて舌を動かす。
「ああ、……たまには、一人旅でも」
「一人旅。……あー一人旅ね……いや、俺も行きてぇなあと思っててよ。どうだ? 今ならお疲れのアーチャーさんにマッサージだってしてやるぜ?」
 ゆっくり湯に浸かってよ、うまいもん食ってゆっくり寝ようぜ、と男は快活に笑った。アーチャーは死にたいほどに安堵する。彼に求められるのは息が詰まる。首をくくりたいほど恐ろしい。
 ランサーは嘘のない男だ。アーチャーは信用しながら、それでも最初から疑っている。これは、優しい男の、優しい嘘ではないだろうか。それとも、何かのカモフラージュか。ただ居心地がいいだけだろうか。アーチャーには何一つ男の意図はわからないが、現状が、酷くがたついた奇妙に不安定な安定の中にあるのはわかる。うつくしいものは、その行動すらもうつくしいのだろう。ランサーはいい男だ。性格だって満点ほどにいい男だから、アーチャーは安心してこの現状に酔えるのだった。
 うつくしいものとの性行為――冗談だろう? アーチャーはふいと微笑んだ。そう、すべてはアーチャーの問題だ。この男に弁当を振舞うくらいが、彼女には分相応で好ましい。ベンチに置かれた掌の距離は拳でもって二つ分。どこか寒くて遠くはあっても、それすらアーチャーを安堵させる一因だ。吐いた溜息は、滴るような安寧にこそまみれている。神様に触れられるわけがない。この男とのセックスはできない。一度だけ叶えられたら、きっとアーチャーは押しつぶされて消えたくなる。
 台風が近づいている。雨の季節は、太陽を隠すのだ。そういえば、これからどこで昼食の場所を確保しようか――見上げた男の顔はどこか覇気なく精彩を欠いているような気がして、これから君にもつらい季節だぞ、とアーチャーは嘯くように囁いて嗤った。


 ***


 俺の馬鹿……。
 ランサーは内心でぐったりと項垂れた。
 ちょっと怯えさせたからって臆すんじゃなかった。結果己の首を致死的なほどに絞めている。
 ランサーは正直攻めあぐねていた。何かといえばたった一つだ。
 恋人と、セックスが出来ない。
 いやセックスどころの話じゃねえよ。ランサーは己に向かってダメ出しをした。さりげなく手を握るところから彷徨ってるって、どうしたこうした俺何やってんの? 俺が知りてえよ? 馬鹿じゃないの?
 薄くオシロイバナの花が香っている。昔これの種を割って中の白い粉を集めなかったか、とアーチャーには笑われたが、これを嗅ぐと、ランサーはうだるような日本の暑さを思い出してしまってとにかく参る。同時に、幼いころ通っていたスイミングスクールの塩素の匂いを思い出して懐かしくもあった。
 ランサーがこの道を志したきっかけは目の前の女であるが、それはまだ伝えていない。ザラメを融かした綿菓子みたいな髪の色とカラメル色は、甘味を遠ざけるランサーからしてもどうしようもなく旨そうだ。まさか、あの頃の少女に専門学校で再会するとは思わなかった。嬉しいけれど。
 安い早いそれなりに旨いと評判だった、学校近くの大学の学食に忍び込んだランサーの前にトレイを持って立っていた背中が、まさかあの頃無自覚に片想いしていた少女だったと、いったい誰が気づくだろうか。
 その色はランサーと同じく生来のものであろうに、遊んでるんじゃないか、脱色して焼いているのだ、頼めばすぐにやれそうだなどと、好き勝手言われていることが哀れだった。それでいて、そんなことは関係がないと、前だけ向いて折れない鋼の瞳が好ましかった。
 ただ、いかんせん地味だった。磨けば光りそうな奴なのに。
 これを飾り立てたい。
 ベルベットを敷いた特製の宝石箱の中に嵌め込み、磨いて拭って艶出しをして。わざとらしいカットは無粋だった。ただただ、これが自然なままでそれはうつくしい鉱石なのだと、誰に対しても知らしめ誇り立てなければならない。
 そう思って手入れの方法を学んでいたら、うっかり舞台芸術に嵌まってしまい、特殊メイクまで齧り始めたのは本末転倒な笑い話だ。そうして、ランサーはそれが己のものでなければならないと思っていたくせに、それを手に入れるための手順をすっぱりと忘れていた。そもそも、ほとんど対面で話したことすらなかったのに。
 卒業してからそれに気づき、もう会えないと残念に思っていた顔が目の前にいた。それが振り返ってランサーを認め目を見開いたのは、ただならぬほどの僥倖である。
 ランサーは隣の女を目の端に映して眺めやった。相変わらず、無造作に上げた前髪以外は飾り気がない。その前髪だって、邪魔そうに伸びていたのを見かねたランサーが口を出しての成果である。化粧っ気もなく、恐ろしいほど無頓着だ。顔と体は絶品なのに。
 あの時、一見してモデルかよ、と思った女の髪をひたすら撫でたい。欲を言うなら弄らせてほしい。俺がお前の魅力を一番に引き出してやれるのだと無駄吠えしたい。それが昔、埋もれるほどに飾り立ててやりたいと思った細っこい少女ならばなおさらのことだ。だからどうやっても手に入れたい。焦ってはいけない。なぜならランサーは過去に一度失敗している。
『……誰に頼まれた?』
 あれはトラウマもんだなあ、とランサーはちょっと項垂れた。
 たった一度、それなりに関係を深めた時期にそっと口づけたことがある。
 気を許されているのだと思っていた。軽口が常態になって、お互い意地を張ったちょっかいを出しあうのが普通になって。再会が飯時だったこともあり飯の話題には持っていきやすく、弁当もたまに作ってくれる関係になった。それくらいいいだろうと思ったのだ。
 まさかぼろりと一粒泣かれるとは。
 それ以来、肩を抱くのも何とはなしにはばかられて、結果アーチャーとの間には拳二つ分の距離がある。
 初恋とはこんなにもどかしいものであるのかと、慎重にランサーは勉強している最中だ。

 ざあっと湿気の混じった風が吹いた。混ざる匂いに、ランサーはそっと鼻をひくつかせる。
 それはそれとして、恋人のセックスアピールが凄い。
 ランサーは宙を仰いだ。隣に座っているだけで甘やかな匂いが脳味噌に届いてくらくらする。体つきは出るとこ出ていて、それでいて腹回り、いや腰回りの肉はキュウっと絞られていて、おいこのわがままボディはどういうことだと問い詰めたい。小柄な少女ならそういう体型の女もいるが、気を使わない目線の高さで、好き勝手ポンポン言い合えるその背の高さが居心地よかった。
 アーチャーは己の体つきを呪っているようなところがあるが、その後ろ姿から既に漂ういい女の匂いに、モデルかよ、と思い「うまそう」とつい言葉が滑り落ちた、再会時のこちらの失態を覚えていてそんなことを言いやがるのだろうか。胸と尻とが膨らんで邪魔でな。ダイエットと筋トレをしたら、腹筋に線が入って若干割れた。そんなことを冗談のように言いやがるから、その日の右手はたいそう捗り働いた。腹が減ったのか、とトレイ片手に訊いてくるいたいけな瞳に、最初に誤魔化したからいけなかったのだろうか。テメェの外見のせいであの頃の好みは細っこい小さいので、今の好みは胸のでっかい腹筋割れたわがままボディだこの野郎……。
 あの腰に腕を回して、一周した腕でへその下を撫でる権利が欲しい。いや、肩を抱くこともできない身の上で何を言うかと笑止な話だ。そして完全にセクハラの目で見ているのだが、なぜにこいつはこんなに無防備なのか? 全力で飾り立てて街中に放れば自分の魅力に気付くのではないか? 当然思うだけである。何故狼を増やさねばならぬ。赤ずきんちゃんの狩人であり狼さんはランサー一人で充分である。別に、童貞というわけではない。それなりにやんちゃはしてきた彼である。嫌われているとも思っていない。ただ、アーチャーは自分を褒めるのがこの上なく下手で、そのせいで他人からの誉め言葉という異物を受け入れるのも下手くそだ。何せ、少し距離を縮められると途端に蒼褪めて引き攣るのだから何もできない。このままではちょっとの刺激であっという間に逃げられそうで、ランサーはどうにもやきもきした。余計なストレスを与えることは本意ではない。相手は撫でられ下手な猫である。
 それはそれとして一緒に温泉にはどうしても行きたい。忍耐に忍耐を重ねるだろうが、湯上りのアーチャー、視覚だけでも堪能したい。元より、銭湯や温泉に浸かるために身体に描くのはボディペイントだけに留めている。
 もう一度、往生際悪く肩に回そうとした手を所在なくフラフラさせて、ランサーは唸った。今度のデートでは、せめて別れ際に抱きしめるくらいは行きたいものだと。
 それでもアーチャーが振り返りそうになった瞬間、今日も左手は咄嗟にベンチの背を抱いた。いい子の腕にそっと安堵の溜息一つ。そのまま、余裕をもってアーチャーが設定した携帯のアラームの音を聞く。気分は土砂降りにべっしょりと濡れそぼった犬である。


 ***


 誰かあのバカップルどうにかしてくれないかしら。遠坂と間桐の姉妹は、大学構内のカフェテリアの中でささやきあった。
「今度ランサーの誕生日でしょ。いい加減進展しないと周りの方がブチ切れるわよ」
「お二人とも目立ちますもんね」
「あれでさりげなく埋没してるんだと思ってるんだから恐れ入るわ。外見の話じゃないわよ。あの思春期丸出しのまだるっこしさよ。あのランサーが肩を抱くのも苦労してるなんて、笑うのは衛宮の家の人間くらいよ。また衛宮君が変に気を使っておっかしいったら」
「でも姉さん、あの二人がいつ進展するかといつ結婚するかでこの間トトカルチョしてましたよね?」
「し、知ってたの桜……」
 凛は片頬をひくつかせ、桜はそれを見て悪戯気に微笑む。
 姉妹はおかしそうに顔を見合わせた。
「でもランサーさん、ご自分のお誕生日忘れてるんじゃないでしょうか。こないだ、はずれの無いデートスポットってどこか訊かれちゃいました。もうアーチャーさんをおもてなしすることしか頭にないような、そんな感じ」
「こないだ、アーチャーったら下着売り場をチラチラ見てたわ、考えてることまるわかりよね。もちろん選んでやったけど。真っ赤なのよ」
「頑張ってますよね」
「馬鹿って言うのよ、ああいうのは」
 ふふ、と微笑む。女神のような二人の姉妹は、乾杯するようにティーカップを細やかに持ち上げた。


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  • July 30, 2021
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