飴が溶けるまで泣いてくれ
Fate槍弓♀。祓い屋と女。たぶん現パロで女体化、オカルトチック。べったーからの再録です。またお前は謎な設定をぶっこみおって
表紙素材をお借りしました。ありがとうございます。
かずラ様 user/34710758
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薄い風が、撫でるようにして開け放たれた部屋の中心を渡っている。アーチャーは膨らんだ腹を幾分重たく撫でながら、きしゅきしゅと微かな音を立てる畳を踏み越え、日向に構えた縁側を歩いた。滑りやすい素材の座布団ではなく、薄く敷かれたラグに座る。最近、うとうとと意識が細切れることが増えている。
同じ冬木の街の中でも、新都と深山では随分と景色が違うものだ。
あの後すぐに、アーチャーは新都のアパートにあった己の荷物を、この武家屋敷に移し替えた。冬木の街は狭くて広い。伝えたこともない養い親の家など、彼が見つけられるとは思わなかった。この家に落ち着いたアーチャーが何くれと出かける用事も特にない。家の差配は、不思議と彼女とよく似た顔の、義弟の仕事だ。万が一探されたとして、どうして見つけられることがあるだろう。
あの男はいつ、冬木の街を離れただろうか。
それを考えることが、最近どうにも増えたと感じる。アーチャーの唇はそのたびに、ふふふと穏やかな笑みを漏らした。慈悲深い母親の笑みだと、誰だかが言う。冗談を言うなと彼女は返した。
アーチャーはそっと、陽だまりの中で大きな腹を抱きかかえた。彼女からすればこれはおそらく母性ではないが、慈しむことに否やはない。
チラチラと視界の端に、ふよふよと揺らがる赤色が触れる。
――アーチャーの視界、アーチャーの眼前には、鮮やかな赤色の糸が、縦横に並んで走っている。
紐のように幾重かに撚り合わせたもの。髪の毛よりも細いもの。
色の濃いもの。薄いもの。
ゆるりと巻いて縮れたもの。
絹糸のような、まっすぐめいて艶のあるもの。
その様態は様々であるが、全体として、まるで空中に布でも織るかのようだ。紅花で染めた韓紅よりなお赤い。
指、胸、時には背中や耳殻から等のこともあるが、いったい、必ず人の体のどこかより伸びていくそれは――まるで、運命の糸かな。そう昔養父は言って、うすらと笑った。養い子が告白した彼女の視野に驚くでもない、その深々とした度量が好きだ。
ぱち。
ぱちん。
繰り返されるアーチャーの瞼の震えの頻度は、まるでまどろみ猫の挨拶だ。今にも赤みがかった暗闇に呑まれそうな、さかしまの洞穴。
思えばあの頃、眠たいと思ったことはなかった。アーチャーは思う。男と出会う前からそうだ。
そんな暇があれば、赤い布を持ち上げて掻き上げ、糸の両端を探していた。
無駄なことだった。知っている。
例えば、義弟の両手指のそれぞれから連なった赤が、幾本もてんで違う方向に分かれて、違う人間の肉体につながっているのを見つけるたびに、アーチャーはそれを思い知る。
運命ではない。
しかし最良の縁ではある。
それは、清廉な匂いのプラトニックなものであることもあったし、もっと生臭い、肉体の相性とでもいうようなもののこともある。レイプ被害者だという女の胸から伸びた糸が、どうぐちゃぐちゃに東西南北を歩いても、変わらず刑務所の方向に――アーチャーが叩き込んだ――つながっていたことすらあった。
運命ではない。
アーチャーはそれを認めない。
――哀しいほどに逃れられない縁ではあるが、それが最善の選択肢で片付けられていいはずがない。
糸の端と端とを見つけたところで彼女に何ができるわけでもなかったが、それは既に、アーチャーのライフワークとして定着していた。
そうして、常に周りを見回すその過程で、明らかに難渋している人間がいれば声をかけることもあった。男の言った、人助けというのはそれだろう。そんなお人好しな話ではないと、アーチャーだけが知っている。
涙膜がトロリと隠れる。目線を落として、下腹部を隠すふくらみを掬い上げるように下から撫でた。
アーチャーの腹からは、赤い糸が一本だけやけに太く伸びている。アーチャーはそれを見るたびに、まるで己こそが恋する乙女かのようにわくわくした。腹の赤子の持つ縁の糸だと、彼女は知っていたからだ。
アーチャー自身の体からは、一本も縁の糸が伸びていない。己だからなのか、それとも結ぶような縁が無いからなのかはわからない。酷く良くしてもらった養父母の家族との縁すら、結ばれるほどの絆ではなかったのだと知るのは少しだけ、寂しい。
――いや、とアーチャーは再び目を開けて虚空を隠す布を見上げた。
寂しいと思うことは、彼女にかかわったあらゆる人への侮辱である。
幽霊にも子供は育てられるものなのだろうか。そう、アーチャーは養父に尋ねたことがある。
その時の養父が浮かべた、苦虫を奥歯でゴリゴリと磨り潰したような顔の意味も、アーチャーには薄っぺらくもわからなかった。
戻ってきて以来アーチャーの定位置と化したこの縁側には、誰も来ない。幾分か冷たい体に、陽光の熱エネルギーが燦々とぬくもりを届けるのが心地よかった。蹴りつけるタイミングを見計らっている気配のする、胎の上を宥めるように撫でて、アーチャーはひとしきり物思いに耽ることにする。
子供の縁は、空中で溶け霞むように消えている。消えてはいるが、それはアーチャーの方向につながる縁ではなかった。
おそらく、遠い――遠いのだ。海を越えるほどに遠いなら、きっと消えて見えるのかもしれない。昔、養父の糸が幾つか中空に溶け消えていた経験から、アーチャーはそれを推察する。
なんにせよ、そこに命があるのだけは確かで、アーチャーはそれに安堵したのだ。
早くおいでと、ストックの無い胎教のように歌っている。
敗走などとは思っていない。戦略的撤退である。
無論、生まれた子と男とを一度たりとも会わせないという、外道をするつもりもない。
まるで胎につながるへその緒のように、幾本もの縁がまとめて縒り合されたような赤色に触れる。
あの時、アーチャーが手放した男の家系は、守護の家系だ。文字通り、祖国エリンの国を内外問わず守っている。戦士は多ければ多いほどよく、それでいて子を成すことには難渋しがちな家だった。
遅くとも乳離れが出来たら、届けることにしようと思う。きっと男によく似た、いい子だろう。きっと二親になる人はいいヒトだろう。決まっている。それがどうせ祈りでしかなくとも――
何せアーチャーはそれを「見た」。アーチャーが家を出るのと前後して、義弟と、養父の家族とが加わり華やかになった武家屋敷。それから、男が甘ったるい声を届けた女性。彼らが「繋がっている」のを見るのは、いつだってアーチャーにとっては心安い。信頼できるものがある。また頑張ろうと――そうだ。
「いつか生れ出てきたら、たくさん泣いておくれ」アーチャーはゆらゆらと囁いた。
泣けるということは、それが赦されているということだろう。ゆわりと、アーチャーのハンダ色の瞳が涙のように軽く崩れて、見る間に元の形に戻った。
そしたら私も、またこの街を彷徨い歩くことが出来る。
***
Skelett(骸骨)が来たわ、キリツグ。
開口一番とんだ台詞だったが、その直後飛んできたBB弾に関しては物申したい。モデルガンだろうが何だろうが痛いし確実に今目玉を狙われた。甘んじて受けたが。目玉以外は。
何せこの『眼』はアーチャーを見るためにあるのだ。まだまだ潰されるわけにはいかない。
チッ、と小さな舌打ちを零して廊下の奥から現れた男は、部屋着なのだろう灰色っぽい浴衣を身にまとっている。忌々しさを隠しもしないで、それでもランサーの顔を見て僅かばかりその目を眇めた。
「酷い顔」
玄関を開けた幼い少女が、ランサーを見上げてまたも容赦のない言葉を告げる。
「そう見えるか、嬢ちゃん」
ランサーは少しばかり腰を折って、少女と目線を合わせてみた。普段はやらない。少女の方も、別に望んでなどいないだろうし。
「街中を歩かせるわけにはいかない顔ね。礼儀も何もなく誰彼構わず喧嘩を売る、飢えさせられたくろい野犬の目をしているわ。きっとアーチャーが泣くわね、どうにかして」
「具体的な評価ありがとよ」
つい先日、ビデオチャットで話す機会のあった師匠にも眉を顰めて呆れられた。真っ黒に隈を浮かべて落ちくぼんだ目とこけた頬、艶の無くなった土気色の肌で訪ねてしまえばさもありなん。しかし、どうせこれ以上よくなることなんてありえないのだ。今探し当てて訪問できただけで上々だろう。
「アーチャー、健在か」
とりあえずランサーはそれだけ確認できればいい。
途端に再びこまい白粒がランサーの耳元ではじけ飛んで、明らかに改造されているその威力にランサーはうへえとなった。
「……奥にいるよ」
「これ、あげるわ」
それでも、思いのほかあっさりと踵を返されたのは、それだけ互いに余裕がないと知っていてのことだろう。
何度も通うことにならずに有難い。背筋を寒くしながらもランサーは思った。
草の匂いがするなと感じる。
最後に会った日を思い出す。
あの時、アーチャーが頼んだのは青臭いにおいがやけに鼻を突く紅茶だった。
デカフェの紅茶だ。カフェインを人工的に、特殊な製法で取り払ったもの。
紅茶好きな彼女にしては、不味いにおいのそれだと思った――ふわふわとしたまろい声で、残酷なことを言われたのだと、別れてから今更のように心の臓腑が圧迫された。
生者には訊きつくした。
走れる限りは走りつくした。
それでいったい何がわかったか――己は、アーチャーの何をも知らぬのだということしかわからなかった。笑えてしまう。
冬木の街から出るということはないだろう、とは思っていた。それだって、本当にそうなのか、自信が持てなくなってくる。相手はどうも自縛されているけれど、地縛であるとは少し違う。
頭の中がグルグルめぐり、めまいすら起こしていた。道端で塀に寄りかかって、溜息を吐いた――もう少しだけ、休んだら、今度はどこに行ってみよう。
ふゆふゆと目の前を通り過ぎる、後ろの透ける『か弱きもの』に目がいったのは、その時だった。
白状しよう。
ランサーは、それまで『彼ら』を――何もできない、祓うべきものであるとしか考えたことはなかったのだ。
己が目を向け、指をちょいと動かせば、涙も浮かべず、すうっとそおっと消えていくもの。驕っているわけではない。強い力を持つランサーからすれば、本当にそれだけの関係性しか結べないモノ。
気まぐれのように声をかければ、彼らはひどく理性的に、そして親切にランサーの訴える頼みを聞いた。弱音を聞き、縋りつかせ、白痴のように情報を吐く。ランサーが三か月走り回って得られなかった情報が、たった三日で集まった。
それはまるで、まるで――ランサーの見る彼女の在り方そのもののようで。礼を述べると、先程まで饒舌だったはずの彼らは、また外国人が知らない言葉を繰り出してきたぞ、そんなまん丸の目でランサーを見るのだ。
「アーチャー」
陽だまりの中、柔らかな色のラグに守られたアーチャーは、膨らんだ腹をかばうように左手を下にして眠っていた。
縁側の外に投げ出されている足の先は解けたように透け始めていて、ひっそりと大きく息を呑む。彼女に注ぎ込んで輪郭をやったランサーの精気は、やはりほとんど不足している。
少しばかり日差しが強い。そうっと膝裏と背中に両の腕を滑り込ませ、できるだけ揺らさないように横抱きにして抱え上げた。二人分の体重は結構重いが、まあそれなりに馴染みはする。女の低い体熱にかかえる力を強くして、きしゅりと畳の上の日陰に歩いた。慎重に壁沿いに座り込んで、今度は安堵の溜息一つ。
ランサーは、ろくに子供と接したことがない。赤子なんて、母親につき纏う水子の霊を祓うくらいだ。
ああそういえば、こいつはそういう奴にもどっこい嫌に好かれていたな――そう思って、おいこらこいつの甘さに付け込んで胎に這入りこんだんじゃねえだろうな、そう益体もないことも思って。どうせこうなったら、ランサーには祓うことはできないくせに。
それでも、そこに確かに魂と魄とで存在しているものがあることが、どうにも。
どうにも。
ランサーは白い少女が寄越した小さな包みをかさりとひらいた。
すわ、と鼻に通ったのは、あの時と同じ薄荷の匂い。
あの時のことを、この女は覚えちゃいねえだろうとランサーは思う。
道端で大荷物に難儀していた老女を助けた、それくらいにしか思っていないはずだ。例えば、ランサーがそれを見てこの国の人間性を見直したとて。今度は男がやるべきだなと周りの貧弱もやしどもを眺めて己を顧みたとて。貰った包みに慌てたように目を丸くしたさまが可愛いななどと思ったとて。猫のように香りを嗅いで、その薄荷の目玉を己こそが甘ったるく弛ませ礼を述べたさまに、どんなに――
どんなにランサーが、己自身が疲れていたのか、殴りつけるように知らされたとて。
『アンタ、良くないモンが憑いてるなあ』
どんなに、その言葉に、溜息と礼と恨み言とを籠めたのかすら、知らないだろう。
「運命だ。運命――お前の、運命になりたい」
いやに甘ったるい飴玉を舐めて、これ以上なく身体の力が抜けていったのを、伝えきる前に去られてしまった。
起こさないように慎重に腕の中の体を掻き抱いて、毛並みを擦りつけるように頬ずりした。膨らんだ腹を柔くなぞって、恋歌をうたう。
いつも虚空を眺めている彼女の視界の中を、己がいっぱいにして何も見えなくさせられたならと、――ランサーはいつも、願っている。