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それはさながらオレンジピール/Novel by 朴

それはさながらオレンジピール

3,789 character(s)7 mins

Fate槍弓♀。祓い屋と女。たぶん現パロで女体化、オカルトチック。ちょっとだけ続くんじゃ…。
ベッターからの再録です。

表紙素材をお借りしました。ありがとうございます。
かずラ様 user/34710758

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「別れよう」
 そう告げた己の声音が、あまりにも柔らかな響きで己が鼓膜を叩いた気がする。アーチャーは数度瞬いた。
「…………は?」
 アーチャーの目の前、バターと蜜のたっぷり絡んだパンケーキを幸せそうに大きく切り分け、口いっぱいに頬張って噛みしめ撓み弛んでいた赤い瞳。それが、一瞬で月のようなまん丸に見開かれて、アーチャーの銀を凝視した。グラグラと煮溶かされて鈍くくすんだ流体にゆわ、と融ける、柔らかいハンダのような心地になる。アーチャーはふいと窓枠の外に目を逸らした。
「……え、なに、なんで」
「とにかく別れてくれないか、ランサー」
 パンケーキに添えられた甘ったるいメープルの匂いと、馥郁と苦いコーヒーの香り。アーチャーの手元からは、彼女の昔馴染みが無言で好む、果実にも似たセピアの紅茶の匂いがする。
 さやさやと低いざわめきが肌に触れる、瀟洒な喫茶店で話すような話題ではなかった。いや、むしろ似合いなのだろうかと、アーチャーは本題でないことを思慕するように思案する。まるで、彼らよりはちょっとだけ上の世代が好む、ドラマのようなワンシーンではないか。
 目の前の男は、紅玉をおろおろと彷徨わせ、物慣れぬ少年のように惑っている。なんだ、まさか初恋というわけでもないだろうに。アーチャーは客観的に滑稽だろうその姿を見て、愉快さに歯噛みするようにして心臓を揺らした。
 ふと、皿の上。オレンジピールの香りが利いた六分立ての生クリームを、スプーンで大ぶりに掬い取る。スポンジというより雲のようにふあふあと綻び軽い、プレーンのシフォンケーキの上に零れんばかりにたっぷりと乗せてから、それらを遠慮なく押し潰すようにして、いっそ抉り取るように切り分けた。口元に運ぶ瞬間、軽く吸い込む柑橘の香りに、アーチャーはこれ以上ない至悦を感じる。
 ――ずいぶんと長く、縛り付けてしまった。

『アンタ、良くないモンが憑いてるなあ』
 三年前、いきなり真昼間の路上で話しかけてきた男の、快活な声。それにひと匙分そうっと加えてかき混ぜられた、ひとしきり何かに、おそらくは運命に怒鳴り泣きわめいた後のような孤高の色のいがらっぽさ。それすら、今でもとっくりと思い出せる。
 何を言っているのだ。そう思ったのは、おそらくはそう、二重の意味で。
 しかし、思わず貰いものの飴玉を鞄の中から引っ掴んでぐりぐりと口元に押し付けてしまったのは、今でもとんだおせっかいだったと思う。尾を踏まれた猫のようなビックリ顔でこちらの手元と顔を凝視しては困った顔をした、男の――その時は彼を年下、未成年とすら思っていた――顔に、とにかく貰ってくれと頼み込んだ。彼が甘味をさほど好まないのだと知ったのはこの後だったが、それでも、その時の彼にはそれが必要なのだと、その時は心から思ったのだ。
 何せ、この飴玉には、商店街でよくすれ違う田中さんが、アーチャーを気遣ってくださった『想い』のまじないがかかっている。「つかれている人が早く元気に、幸せになりますように」――なら、アーチャーではなくこの男の方が重症だ。渡すだけの価値があり、理由があった。快くお礼を述べて頂いた時点で、その飴玉はアーチャーのものだ。
 男は、要領を得ない顔で白い薄荷の飴を口の中で転がし、干からびた砂漠の旅人が甘露を呑んだかのようにふわ、と笑った。

 ――良くないモノとはなんだ。
『まあ、低級霊とか、地縛霊とか、動物や子供……どうにもツキがねぇと感じることが多くねえか? あんた、そういうのに好かれやすいんだろ』
 ――君はそういうものが見えるとでも?
『ああ、見えるぜ。そういうのの祓いを生業としてる。信じてもらえなくとも構わんが』

「――いや、信じよう」
 端正なつくりの男だった。しかし繁華街に多くいるような、キャッチセールスや占い師崩れとは違う、生来の育ちの良さの匂いがした。
 己が誇りに真摯な男だと思った――その印象は、今まで結局覆らなかった。

「エミヤ、……エミヤ!」
「ついてくる必要はない」
「なんだその言い方、……待てって、オイ!」
 サッと用意していた会計を済ませて外に出ると、男ももたついたように追いかけて来た。ザクザクと歩くアーチャーの足取りに、早足になった男が長いストロークでそれを追い越す。肩を掴んで振り向かせるのではなく、己が動いて向かい合う。
 ガッと両手でアーチャーの両肩を強く掴んで、男は怒鳴った。
「なんでいきなりそうなる!?」
「それを君に言う必要があるか?」
「あるだろうが! 恋人だぞ!」
「今しがた解消されたな」
「このっ……!」

 アーチャーにはそういった存在の姿は見えない。
 けれど、時たまそれを、うすらと感じ取ることはできた。
 それでもあの時、素直にその言葉を聞き入れたアーチャーに、男はずっと驚いたようだった。
『……あんた、危なっかしいなあ』
 ――疑った方がよかったかね。
『そういうわけじゃないけどよ。うさんくせえだろ、こういうの』
 ――そうだろうな。
『だけど、そうだな。あんたが信じてくれて嬉しいぜ』
 ――そうだろうな。
 何せ、おまんまの食い上げだ。

「なあエミヤ、なんで急にそんなこと言う? 俺はお前に愛想をつかされるようなこと何かしたのか?」
 いかにも悲しげな顔を作って、男はアーチャーに向けて呻いた。
 男は、旅をしながら日銭を稼いで暮らしているのだと言った。
 必要なもの以外は持ち歩かず、己が器以上の重荷は負わない。
 一族全てがそうなのだという。野心がない、というわけではないが、『力』のある者が必要とされるだけの力を貸す、それを当然のように行える信念を培った男だ。
 アーチャーは少しだけ何を言うべきか考えて、それでもゆるく首を振った。
「ランサー」
「おう」
「……君にも見えないものがあるということを、私はとても喜ばしく思うよ」
 例えば、この三年間、君がフリーターとして冬木の街にとどまった理由。

 ――だが、祓った方がいいものなのか?
 そう問うと、男は目を丸くした。
「いいと思うぜ。奴らとしちゃちょっとした悪戯だろうが、生者にはそれで命を落とす事故に繋がることもある。それに、そいつらだって、当てもなくいつまでも迷い続けるよりかはいいだろう」
「そうか」
「そいつら、寂しいんだよ」
「……そうか」
 君と同じだな。そう告げることははばかられた。

 いつの間にか、唇を重ねるようになった。
 いつの間にか、体温を分け合うようになった。
 それでも、通り過ぎる長い髪に、甘い香りに、君が憧憬のような眼差しを向ける姿を、私が気づいていたと知らなかったろう。
 声をかけないのは礼儀に反する。そう言って、あまねく女性に調子のいい声をかける姿に、――そこに本気の色がにじんだ刹那を、君自身がついぞ気付かなかったのは意外であった。
「――君、何を待っているんだ?」
 たまりかねて投げつけた問い。パチパチと要領を得ない顔で瞬いた君に、私が何とも言えぬ失意にも似た感情を抱いたこと。
 その姿を見て、身が引き裂かれる安っぽい安寧の味を味わったことさえ。
 ああ、知らなかったろう。

 男は、必死になって気持ちの悪い猫なで声を出した。
「……なあアーチャー、お前、最近調子悪いだろ。だからそんなこと言っちまうんだ。俺を切り捨てちまって、おまえどうする? また誰かのために人助けか?」
「私がいつ、人助けなどした」
「――ああそうだ、テメエには自覚がねえ。だから俺が一緒にいた。だから俺が見張ってないとって、俺は……」
 そこで男は、さあっと顔色を蒼褪めさせた。
「語るに落ちたな、ランサー」
 面倒見のいいお人好しめ。
 大丈夫。私は気付いた。大丈夫だ。
 君に注がれる真っ白な愛情は、さぞ私の胎に馴染んだだろう。

『アンタ、良くないモンが憑いてるなあ』
 ――例えば。
 光に光として眩くあまねく照らし出されたその瞬間、人というものはそれに異を唱え、排斥できるものなのだろうか。
 目を護る、その本能としてとっさに顔を背けることはできても、それを心底から拒絶することはできぬだろう。
 だってヒトは、あたたかいものが大好きだ。
 包み込んでくれる「何か」の存在が大好きだ。

「もう必要ない。もう、ついては来るな。――ランサー」
 あの時男は、宝物を差し出す少年のような顔でくしゃりと笑った。

『なあ俺、お前に一目惚れしたんだ』
「――――そうか」
 誰だって、あたたかで優しい言葉が、大好きだ。

 いつの間にか家に帰りついていた。ばたんと冷たい扉を閉めて、ずるずるとそのまま寄りかかる。そのうち、この足元も解けるだろうと、アーチャーは思う。
 もう私は知っていた。私に過分な輪郭を与えていたのはあの男だった。
 いつから、あの橙の声を聴けなくなっていたんだろう。

 アーチャーは、とうの昔に水を奪われ干からびたような声で呻いた。
「――ああ、君、良くないモノにつかれていたなぁ」
 もう大丈夫。もう大丈夫。
 私はもう寂しくないから、君は行きたいところに行ってもいい。
 幽霊にも想像妊娠なんてあるのだろうかと、益体もないことを考えた。

Comments

  • あい
    December 2, 2021
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