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三国志(演義も推測にお使い下さい)、蜀の 王平、廖化、張嶷、陳式、馬忠、張翼のあたりは、将軍としての評価はどの様なものでしょうか?王平は結構活躍していますね。 また、諸葛瞻も優秀だったと聞きますが、どのように評価いただけますか? とはいえ、やはり魏に比べると人材難なことは良くわかります。

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回答(2件)

馬忠・王平・張嶷は、一々根拠を挙げていたらきりがないので書けない名将です。 正史では同レベルで評価されています。「馬忠擾而能毅、王平忠勇而嚴整、張嶷識斷明果、咸以所長、顯名發迹、遇其時也」。(本当は、黄権・李恢・呂凱もセットですが、省略しました) それに対して、現在に至るまで鳥なき里の蝙蝠を表すことわざ(蜀中無大将、廖化作先鋒)に使われる、ザ・役立たずが廖化。それと並列で語られたことが『華陽國志』に記されているのが張翼。「後張翼、廖化並爲大將軍、時人語曰、前有王、句。後有張、廖」(後に張翼と廖化が並んで大将軍になると、時の人々はこう言った。「以前は王平と句扶がいた。今は張翼と廖化だ」) 一々根拠となる事例は挙げませんが、「後に蜀を滅ぼす鄧艾を敗死させられる最初で最後のチャンスで、敵と対峙しながらやるべきことを何もしないで作戦を読まれ取り逃がしたのが廖化」「張翼がやらかして叛乱を招き、それを治めたのが馬忠と張嶷」というだけでも大体の想像はつくでしょう。 陳式は、漢中で徐晃と戦い、戦闘には負けたものの陽動の役目を果たし定軍山の勝利に貢献。夷陵の戦いでは「呉を相手に水軍を指揮し」、最終的には部隊を取りまとめて無事帰還。で、武都・陰平攻略と、地味だが大事な場面で使われてそこそこ結果を出す堅実な武将すね。 諸葛瞻は……魏のスパイとしてなら優秀ですね。 国政に責任ある立場にも関わらず、黄皓に阿って何もせず。することと言えば姜維を追い落として北伐を妨害しようというだけ。魏の大侵攻に際して姜維が事前に陽平陰平への出兵を要請した時も何もせず。実際に魏を迎え撃つ立場になると、黄崇から速やかに険阻を押さえて鄧艾を防ぐよう進言されても何もせず平地への侵入を許す。するとろくに準備もなく「一部の」部隊だけを戦わせ、それが敗北すると「全軍で」要衝である涪を放棄して綿竹へ敵前逃亡し、疲弊していた鄧艾に立て直しを許す。そして綿竹では、鄧艾から降伏勧告を受けると逆上して出撃し、フルボッコにされて軍を巻き添えに敗死。更に問題なのが、ここに至るまでの間、剣閣の姜維に全く連絡しなかったことです。知っていれば何ができたかはまた別の問題ですが。 魏に比べて人材難かは、人口が少ないだけで個々の能力では引けを取らないと思いますが。問題は、馬忠や張嶷を南方で行政官として飼い殺しにしたり、他にも霍弋や羅憲など、「人材が重用されなかった」ことでしょう。

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ご回答有難うございます。 廖化、なるほどです。 コミック物でも、小説でも、やはりなんだか弱そうなのですよね。 いつも読んでて思いました。頼りなさ気ともいいますか。 諸葛瞻の黄皓の悪事に乗っかっているところは、 確かに魏に利しているだけでしたね。 あの状況を短期的に見れてれば、間違いなく。 長期的に考えて、かつ姜維を排除して誰か交われるレベルの 大将軍と言いますか、防衛を指揮できる総司令官がいれば別 ですが、北伐を控えるようにうまく話し合うなどの策を多数 試みる等の努力をするならまだしも、姜維を誅してしまうのは、 魏に利するだけですよね。 黄皓が癌であることに気づいていて、諸葛瞻は乗っかったの でしょうか?であるなら、がっかりです。 黄皓を排除するべきでしたよね。

廖化・車騎将軍 張翼・車騎将軍 諸葛譫・衛将軍 馬忠・鎮南将軍 王平・鎮北将軍 張嶷・盪寇将軍 鎮式(将軍号無し・229年の北伐で総大将として武都と陰平を攻略し、その功績を上げた)