御霊猛疾 ― ウロノカミ ―
星咲筆刀斎
第一章 疾風
第一節 矢弾驟雨
第一節 矢弾驟雨
静かな夜であった。木々の枝葉に切り取られている南西の空には、青白い月が浮かんでいる。
山は夜とて寝静まることを知らず、虫が鳴き、フクロウがじっと目を虚空へ踊らせている。
だがそれらはただならぬ血の気を悟ると、穴に潜り、草場に隠れ、音もなく飛び立っていく。
テンランワシミミズクが去っていく。夜天に、大きな影が舞う。
その下には、あかく、篝火が焚かれていた。寄って入った蛾が焼かれて、薪木とともにばちりと爆ぜる。
天嵐軍、
彼は情報の速度を尊び、前線の基地、その一つで指揮を取っていた。
顔には相応の苦労と老いがしわとなって刻み込まれている。髪はなお黒く、油が塗ってあるかのようにつややかで、目もくろぐろとしている。
鼻息荒く、軍略図に筆を走らせていた。
「我が方は八千。平野で会戦するには寡兵であろうが、しかし、山で要撃するのであれば十二分であろう」
「斥候いわく、敵方は二万ですぞ。八千でどう戦うおつもりか」
家臣の一人がつばを飛ばしてまくしたてる。
「だから、
和就はそう説得した。でまかせではない。この山岳郷天嵐国において、山自体を城と見立てて戦うのは、いにしえより続くやりかただ。
若い世代は知らぬでも無理はない。そも、和就の世代でさえ、知る者は少ない。
妖怪
「ここはあやかしの国。あやかしなりの戦いで勝てばよい」
和就は言い切った。
この戦乱の世。人間性というものが、犬も食わぬほど腐り果てた愚劣、方便にも満たないものだと皆が知っている。
清廉さ、潔白、道徳、人徳倫理。そんなもの、今の世にはない。
勝てば官軍だ。負ければ賊軍なのだ。
いっそ和就の目には、怒れる狂気がある。
この男はあやかしを、鬼女を妻に娶るような変わり者。――同時に、軍師でもある。
だから、武士のほまれがないのだと、周囲は言うが。
「勝てばよいのだ」
「和就殿、武士の、ほまれはござらぬのか」
「そんなもの、厠に捨ててきたわ。尻を拭くのにちょうどよかったぞ」
そのときである。
「棒火矢だァーっ!」
物見に立っていた目のいいフクロウ天狗の青年が怒鳴った。
同時に、夜天を切り裂く低い唸り声のような風音が幾重にもかさなる。
天幕から出て空を見やると、赤い火線がたなびいて、山の斜面に突き刺さっていく。
「持ち場の砦につけ! 必ず五人組で行動しろ!」
和就の怒号。それを覆いかぶすように、爆発音が轟いた。
硫黄と油で棒が燃えて、それが、くくりつけられている硝薬に時間差で移ったのだ。
轟々と爆発が連打、木々がえぐれて弾け、爆裂し、山が燃える。
敵はいっそ、この土地を焼く気ではあるまいか。
和就は、だからこそ木々の生えぬ高地へおびき出す策を取っている。
岩がちな地点まで寄せる。そこを堤に、盛り返す。そのときこそ天嵐国の逆さ寄せだ。
「虜囚などいらん、皆殺しだ!」
和就は顔を真っ赤に、咆哮した。
彼は大弓を掴み、硝薬を結んだ火矢を撃ちまくる。
撃ちつつ、山を背に後ろ向きに駆けた。でこぼこの山道を、後ろに駆けるなど並の足腰ではない。
しかも、目は完全に敵を睨み、道など見ていない。
経験と勘だけでやり仰せている――和就は、妖怪ですらないのに、この超技。
周りの兵は山に強い騎獣をもちいている。
それらにまたがり、武士連中は巧みに矢を射掛ける。
どっ、どっ、と矢を射る。駆け上がる敵の足元へ刺さった爆ぜ矢が爆発した。
三人の敵兵が吹っ飛び、斜面を転がり、連中の味方を巻き込んで雪崩れていく。
同じように、弓兵らが爆ぜ矢を射掛ける。
そのときだ。
いかずちのような轟音が連続。
前方を固めていた足軽らがばたばたと倒れ、そして、衝撃が和就の右肩を衝撃とともになにかがえぐった。
焼きごてを押し付けられたような苦痛が伴う。
「く――鉄砲か!」
「井筒め、外道を用いたぞ!」「ああして地獄への
この天嵐国では、まっとうな修練もなく人を殺める鉄砲を憎み、おそれ、外道と謗っていた。
「和就殿をお守りしろ!」「引きずってでも本陣へお連れするんだ!」
敵の鉄砲隊、二列目が片膝をつき、かまえた。
と、音もなく矢弾が降り注いだ。
山伏――天狗衆が空から飛翔、彼らは無言で矢を打ち下ろして敵を追い払うと、和就の前に立つ。
その一人は、見知った女であった。
「なつめ殿」
「和真が破城弓をつがえています。下がってください、橋ごと落とすと」
「誰に似た、あの馬鹿息子」
いいつつ、和就は内心、良い策だと思っていた。
天狗なら空を飛べる。なるほど、天狗衆に足止めをさせていても、彼らは機を見て撤退できるし、その際、橋を落とされていたとて平気だろう。
和就はどうにか立ち上がると、出血がひどい右肩を細帯できつくしばり、止血する。
「お肩を」
「よい、歩ける」
「ならばせめて、鳥を」
「いらぬ。お前たち、弓を持て。天狗衆を援護せよ」
和就は己がこの盤面で死ぬると悟っている。死出に無用な連れはいらぬ。
なつめは弓を構えて射る。天狗らはそれに続き、矢の雨を降らせた。
天狗の矢は己の羽根を使った矢で、妖力を通し、曲げたりできる。
くわえて、貯めた妖力を燃焼させて加速し、凄まじい貫通力を示せる。
井筒軍はこの天狗矢にいたくやられている。
和就は、山林と岩山を隔てる裂け目に達した。そこには無骨ながら頑丈な吊り橋がある。
「和真っ! 敵が近い、俺に構うことはない! 者共、ゆけ、先に渡れ!」
和就は家臣の尻を叩いて送り出す。
むろん、無駄死になどする気はない。死ぬべきときに死ぬ。それが長だ。それが武将だ。
和就は持っていた硝薬を撒いた。そして、油をぶっかける。
硫黄を染み込ませた竹べらを、腰の火縄に押し付けて着火し、それを、硝薬と油に落として橋を駆ける。
次の瞬間、火の海がぶわりと湧いた。
「親父、速く渡れ! 井筒がそこまで来ている! 連中火を恐れていないぞ!」砦の一つから大声が降り注いだ。破城弓を構えている愚息、和真であろう。
「かまわん、放て! 策がある!」
「なら疾く走れ、老いぼれ!」
――好き放題いいよって。
次の瞬間、破鐘をぶっ叩くような音が周囲を震わした。
棒火矢を五本も六本も束ねたものを、高速で飛ばしたような音だ。
そしてそれは、橋に降り。なんら抵抗を見せることもなく、ほうき星のごとく落ち、橋を粉砕せしめる。
橋を渡らんとしていた敵軍勢が、悲鳴とともに落下。
和就はその瞬間には左腕の手甲に仕込んだ鉤縄を飛ばし、対岸に引っ掛けていた。
体が崖岸に叩きつけられる直前で足を伸ばして着き、膝を曲げ、勢いを殺す。軽量な具足を身に着けているとはいえ、重たい、筋張った男の体躯を引っ張る縄は、ぎしりと文句を漏らす。
「上げてくれ!」
家臣らが縄を掴んで引っ張り上げる。
這い上がった和就は対岸から、本陣の神社へ向かおうとし、
銃声。
「あ――がっ」
鉄砲が、和就の腹をえぐった。
更に銃声。対岸から浴びせかけられた十もの鉛玉が、彼をえぐり、血肉を吹っ飛ばす。
「和就様っ!」
「和真に、つづけっ――!」
指揮を混乱させてはならぬ――。
和就はそのように考え、誰に従うべきかを言い残し、谷底へ落ち消えていった。
最後のとき、彼の脳裏にあったのは愛した妻の笑顔だった。
妻子に恵まれ、死ぬる。
――良い人生であった。悔いは、ない。
声もなく転落した和就。
それを、砦から見下ろしていた和真は、震える手でなおも破城弓を握り直す。
鋼鉄の弓弦をぎり、と引き絞り、一丈はゆうにある弓を構える。
「ここは俺が守り抜く」
そして、若き山の男、
この戦さはからくも天嵐国が勝利を収めることになった。
そして、この
御霊猛疾 ― ウロノカミ ― 星咲筆刀斎 @OkiThune898989
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