2026-03-13

黙祷をするということ

3月11日黙祷をする案内が社でなかった」「14時46分から黙祷暗黙の了解なはずなのに、西日本人間は気にせず仕事電話をしてくる」といったツイートを見た

正直なところ自分は当時西日本にいて、今も3月11日はどこか遠い現実の話である。今は東日本にいるのだが、逆に毎年行っていた8月6日黙祷がないことに今でも違和感を抱いている

私にとっては約80年前の8月6日が身近であり、そこに祈りをささげることが普通だった

きっと3月11日祈りを捧げようとする彼らには、それが身近であり祈りを捧げるべきものなのだろう

原発の件をはじめ未だ苦しんでいる方が多いことも知っている

縁あって福島の方と話をさせていただいたときに伺った「あの震災を忘れることができない我々と知識しか知ることがない世代の断絶が悔しくもあり、嬉しくもある」という言葉が忘れられない

正直なところ8月6日の件については自分違和感を抱いているだけだし、誰に強要するつもりもない。誰かにとっては教科書にのった一行でも、誰かにとってはいまだ地続きの生活なのだ

同じく3月11日の件についても、誰かにとっては地続きの生活であっても、誰かにとっては教科書に載っている一行なのだ外野である自分は強く意識しなければならないなと思った

  • 黙祷ってバカみたい

  • 東北の会社だけど普通に会議してたで

  • 1.17や9.1(911じゃないよ)に黙祷しているのかね?

    • そうなったもう毎日するほかないよ

    • 兵庫大阪の人1.17 東京の人9.1 東北の人3.11 でいいんじゃないですか どうせ日本は米中ロに分割統治されるんだし

  • 宗教行事を会社の人間におしつけるなよ

  • 法的根拠のないことはしなくていいってアベの国葬の時にあれほど言ってたじゃん

    • お前の生命維持に法的根拠はないから今すぐやめていいんやで

  • 規範がないことは、思いやりが無いことではなかろうし 規範を守ったからって、思いやりがあることにもなるまい   規範を形作っている、真心こそが尊いのであり 他者の何かに憤って...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん