【コラム】パチンコファイト!編集部の頃のおもひで。with天神橋五朗/CRAナカムラ

●CRAナカムラのぱちんこ泰然自若416
はい皆様ご機嫌麗しゅうっ!いやークッソ寒いでんがなっ!もう東北で迎える冬も何回目か忘れましたけど、一向に慣れないんですよね。ま、慣れたくもないですけど。

さてさて、今週はパチンコ雑誌の編集部に居た頃の「おもひで」を紡ぎたいと思いますです、はい。

もともとこのパチンコ雑誌は新聞という体で販売されていて、親会社は新聞社。ちゃんと新聞も発行していたが、2005年に会社解散となっている。この会社で1番有名だったのがプロレス雑誌(新聞)で、パチンコ雑誌と同じ冠名を冠していた。

本社ビルの3階がパチンコ・4階がプロレスの編集部というスーパーパラダイス!用も無いのにフラフラ〜っと4階に上がって、プロレスのスタッフにボツ写真を見せてもらいながら雑談したり、時には女子プロレスで◯◯がポロリンしてる門外不出秘蔵写真を拝見させてもらったり。

( ゚Д゚)ここは漢の夢の国!

だった。

…で、話を進めよう。

編集部所属と言えど、基本的には外回りの営業で…その合間に企画ページの取材やら、自分が売ったホールイベントの設営&運営をこなし、締め切りが近くなってくると校正が忙しくなる感じ。

その中で思い出深い企画ページがありまして、それは大阪・兵庫・奈良・和歌山の各地をまわり…パチンコ店が多い地域をピックアップして「マップ作り」をし、各店の基礎データと寸評をまとめるというもの。当然取引先は評価が甘くなるのは言わずもがな。そんな企画の看板だったのが、今はあまり名前を聞かなくなった「石橋達也」というパチプロライター、知る人ぞ知る!ボーダー理論の始祖である。

多くの場合、ナカムラと先輩営業マン&石橋達也氏の3人で現地待ち合わせの上で、徒歩やら電車やら営業車(超ボロボロのカローラバン)で動き、石橋氏に寸評を書いてもらう形だった。でね、石橋氏って雑誌やテレビではイケイケオラオラ!な口ぶりで通っていたんだが、実際はスーパーウルトラ腰が低くて超大人しいオジサンで、とても話しやすく…憧れもあって

( ゚Д゚)どうやったらプロライターになれるんですか?

とか聞いていた記憶。結局は全然違う角度から、ナカムラもライターになったんだけどね。

そして!この雑誌と言えば!中心かつ唯一無二の看板編集長で、当時はテレビのパチンコ番組とかにもよく出ていた天神橋五朗氏!

この人は元々広告デザイナーで、某大手広告代理店勤務時代は同僚であった「ますだおかだ」の増田さんとタッグを組み、アニマル・レスリー(当時の阪急ブレーブスの名物外国人選手)が「ハングリー?カップヌードォー!」と叫ぶ、日清カップヌードルのCMを作った人。インパクト絶大だっただけに、今でも覚えているオッサンは多いだろう。実はパチンコ以外でもけっこう凄い人なんだ。

で、この天神橋氏は地上波テレビのメインを務めていた人気絶頂期…忽然と消えた。そう、ほんと霧のように表舞台から消えた。実は編集部からも消えた。ついでにシャバからも消えた。

これねぇ…ヤバ過ぎて今まで言及してる人は皆無で、当時は厳重に箝口令が敷かれてたのよ。

実はかなりドエライことになってて、どこまで書いていいんだろう?ww

来週までツッコミが入らなければ、続きを書いてみようと思う。

■プロフィール
CRAナカムラ
奈良・愛知・岐阜・広島で店長職を10年歴任。その後、大阪の某チェーン店で統括営業本部長職を経て独立。常に打ち手目線を持ちつつ…と言えば聞こえはいいが、この男自身パチンコするのが三度のメシより好きという重症患者。

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