2016年7月、桐貴清羽さんは舞妓をやめた。日本舞踊や三味線、茶道の稽古が大好きで、芸を磨いて将来は一人前の芸妓になることを夢見ていた。しかし、あまりに異常な世界と感じたためだ。中学卒業直前に舞妓になるための「仕込み」を始めて1年超。京都の「花街文化の担い手」とも言われる舞妓だが、実態は「奴隷制度だった」と振り返る。3月8日は女性の権利向上を掲げ、国連が提唱する「国際女性デー」。未成年で直面した、花街の現実とは。(共同通信=三野多香子)
※記事の内容は、桐貴さんの証言に基づいています。
▽きっかけは日本舞踊 「舞妓にならないか」
桐貴さんが子どもの頃にあこがれたのはファッション誌のモデル。タレント事務所への応募をきっかけに芸能の世界に入り、地下アイドル活動やご当地ヒーローショーに出演した。
そのうち、日本舞踊に興味を持つようになった。稽古場へ見学に行き、師範の踊る姿に魅了された。「生身の人間とは思えないほどの滑らかさ」。すぐに入門した。
中学3年の春に発表会に出たとき、近づいてきた男性が声を掛けてきた。
「舞妓になったらどうだ」。男性は花街の常連客という。当初はあまり乗り気でなかったが、経済的な事情で高校進学が難しい状況でもあった。進路を決めた。
▽脇の下から手を入れる客
中学卒業間際で「置き屋」に所属。置き屋とは、芸者や舞妓を客に紹介する、芸能界で言えば事務所のような存在だ。少女らは芸を磨いて芸者になることを目指し、5年ほどの修行期間がある。桐貴さんも2015年2月に修行のための「仕込み」に入り、11月に舞妓となった。場所は京都にある五つの花街の一つ、先斗町だ。
花街とは、置き屋や、芸舞妓を呼び客に宴席を提供する「お茶屋」が集まる昔の繁華街。先斗町は鴨川沿いにあり、歴史的な町並みが観光客にも人気だ。
華やかなイメージをもたれがちだが、桐貴さんにとっては「水商売」だった。客の男たちは酒に酔うと性的な言動が増えていく。着物の脇下に空いた「身八つ口」から手を入れることが「粋」とされる世界だった。男たちは芸妓や舞妓の胸を当たり前のように触る。
「座敷遊び」も同様だ。舞妓がしゃがんだ上に客が座ったり、浦島太郎の「亀」になった客の上に、舞妓が「浦島太郎」としてまたがったり…歌で性的な表現をし、舞妓が困っているのを見て楽しむ客もいた。宴席では男たちからのセクハラが座敷遊びという言葉で肯定される。「できない子は辞めないといけない」という空気だった。
桐貴さんも客に着物の裾をまくられ、下半身を触られた。座敷から二次会へ移動するタクシーの中で手を握られたり、無理やりキスされたりしたことも。それでも我慢した。「不義理はできない」からだ。
「一度舞妓になったからには、逃げ出すわけにはいかない」。そう思いこんだ。
▽「お風呂入り」の恐怖
ある日、常連客に誘われて温泉旅行に行くことになった。同行するのは芸舞妓数人と、お茶屋の女将。
桐貴さんは嫌な予感がした。花街には、芸舞妓が旅行先の部屋の風呂で客と混浴する「お風呂入り」の慣習があると耳にしたことがあったためだ。互いに裸になり、じゃんけんで勝ったら客の身体を洗う―。
部屋に着くと、予想どおりの展開が待っていた。おぞましさにおののく。「どうしても嫌だ」。すると、先輩芸妓が自分の頭をわざと壁にぶつけ、けがをした。桐貴さんの気持ちを察してくれたのだ。お風呂入りは見送りになった。
ほっとした一方で、こうも思った。「次に同じようなことがあったら、もう逃れられない」。舞妓を辞めようと思った。
▽排せつの自由も奪われ
この時点で、置き屋に所属して既に1年が過ぎていた。異常な世界であると日々感じていただけに、もっと早く辞められなかったのかとも思う。でも、ほぼ毎日宴席があり、深夜までの勤務も日常茶飯事だった。休みは月2日と正月、盆ぐらい。自由に外出することすら許されない状況で、冷静に判断できなかった。
置き屋の中での上下関係も厳しい。ミスをすれば置き屋の女将や先輩から頰をたたかれたり物を投げつけられたりする。身体にあざもできた。
「挨拶していない」「悪口を言っていた」
ぬれぎぬを着せられても、下っ端の舞妓に異を唱える権利はない。ただただ罵声を浴びせられ続ける。一室に閉じ込められ、8時間近く飲食や排せつを禁じられたこともあった。
「ずっと拘束されていて、自分の意思が尊重されない。発言権もない。自分が今何を考えているのか、どうしたいのか、それすらも考える時間がなかった。自分が何者であるかも分からなくなった」
2016年7月、舞妓の世界から足を洗った。
▽給料ないのに税金の請求
舞妓を辞めた後、突然自宅に住民税の請求書が届いた。桐貴さんには意味が分からなかった。給料を受け取った覚えがなかったからだ。
置き屋にいた当時、受け取っていたのは月5万円の「お小遣い」のみだった。
でも、税務上は給与を受け取っていたことになっている。ひょっとして…
「置き屋は、給料を舞妓に支払っているように装って税務申告しているのではないか」
しかし、あの置き屋に問いただす勇気はない。泣く泣く請求に応じた。
舞妓は古くから「労働者ではない」とされてきた。衣食住は置き屋が世話をする。一方で、住み込みで芸の勉強をする。「修行中の身」として扱われた。
労働契約書はなく「神前で盃を交わす」ことで主従関係を結んだ。舞妓になってからは、上位者に逆らわないよう徹底的に指導された。
桐貴さんはこう表現する。「年季奉公制度のような理屈が、現在も残っている」
舞妓を辞めたいと置き屋に伝えたところ、3千万円もの“返済”を求められた。桐貴さんに借金をした覚えはない。断ると、女将から3千万円の支払いを肩代わりする愛人代わりの「旦那さん」を紹介されたという。
事実なら違法な人身売買。人権も何も通用しない世界だ。必死に抵抗したところ、女将から「最後の情けだぞ」と恩に着せるように言われ、免除された。3千万円の根拠が何なのか、その明細が示されることはなかった。
▽「これ以上いたら殺される」30年前も
舞妓による同様の訴えは、桐貴さんが初めてではない。
1994年、複数の舞妓が置き屋から逃げ出した。訴えたのは長時間労働や体罰。
当時の舞妓らによると、「生意気や」と顔を平手打ちされたほか、手紙を勝手に開封されたり、実家から送られた化粧道具や本などを捨てられたりしたと主張している。
労働時間の制限がなく、客からもらった祝儀を全て取り上げられたとも訴えた。舞妓らは記者会見し、目に涙を浮かべて語っている。「これ以上いたら殺されると思った。心の傷は何年かかっても消えへん」
桐貴さんが辞めてから9年がたった2025年6月、弁護士や大学教授による「舞妓と接待文化を考えるネットワーク」が設置された。桐貴さんの被害を国内外に発信し、国などに調査と改善を求めている。1994年当時に舞妓らの代理人を務めた村松いづみ弁護士らが呼びかけ人になり、こう語った。
「給料がもらえないというのは当時から変わっていない。声を出せない人が多く、実態が分からないまま30年がたってしまった」
▽混浴で乱暴、妊娠し堕胎…
五花街を管轄する「京都伝統伎芸振興財団」に取材を申し入れたところ、文書で回答された。
文書によると、舞妓と置き屋の間に「契約書などはないと聞いている」と認めている。一方で、客との混浴はなく未成年の飲酒も禁じていると回答している。
「置き屋は面接の際に花街のしきたりや生活について十分に説明を行い、本人と親の了解の下受入れている。花街ではセクハラから舞妓を守る取り組みが行われている」
舞妓らから相談を受けている桐貴さんの認識とは大きく異なる。飲酒で気が大きくなった客から体を触られるという。中にはこんな声もあったという。
「それが当たり前だから、できない子は辞めろと言われた」。ひどい事例では、客との混浴中に乱暴され妊娠して堕胎し、精神疾患と診断されたという申告も。置き屋によっては、舞妓は携帯電話を持つことが許されないため、代わりに親が相談してくることもあるという。
発起人の1人で国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」副理事長の伊藤和子弁護士は指摘する。「強制労働や人身売買の要素が当てはまる。いったんその世界に入ると、完全に管理下に置かれて自由がない。そこから離れるには、人身取引の対象になるしかない。明らかな人権侵害で、国際的に根絶しなければならないと言われる『現代の奴隷』だ」
ネットワーク設立の記者会見には桐貴さんも同席した。「(性被害で)今も苦しんでいる人がたくさんいる。子どものころに負った傷は何年たっても癒えない」