成田悠輔氏については、個人的に彼の活動についてかなり疑問をもっています。
氏の発言内容がいい・悪いとかではなく、アシスタント・プロフェッサーという米国の大学界にいる立場なら、異質な発言をしたり(選挙に行くのはやめて革命を起こせ etc)、他の会社の経営に参画したり、副業に手を染める(日本のメディアに出演するなどの)時間は全くないほど多忙なのがあたりまえだからです。
以下、順を追って理由を説明します。
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成田悠輔氏の経歴(Wikipediaによる)
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1986年生まれ。
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2009年 東京大学経済学部卒(23才)。
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2011年 東京大学経済学部 大学院卒(25才)。
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2016年 マサチューセッツ工科大学で(Ph.D.)を取得(30才)
*ここではあえて博士号とは記載しません。
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2017年 イェール大学経済学部 アシスタント・プロフェッサー就任(31才) ← この肩書に注目!(添付写真、イェール大学公式サイトより)
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2022年 春ごろから日本のテレビ・インターネットメディアに出演するようになる(36~37才)。
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まず日本の多くのメディアが成田悠輔氏を「イェール大学 助教授」と標記するのは間違いと思います。アメリカの大学事情に詳しくない人から見ると、
" 助教授? じゃあ教授一歩手前の人ね "
と解釈されるからです。
アメリカの大学職の階層は日本よりかなり複雑です。
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ここから先は、書籍 ”アメリカの大学の裏側(アキ・ロバーツ著 ウィスコンシン大学ミルウォーキー校 テニュア付アシスタント・プロフェッサー)” の内容を参照して記載します。
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アメリカの大学の場合、学士卒、修士卒(TA;プロフェッサーの講義のアシスタントをする立場も含む)、Ph.D取得をクリアした人の多くが次に、
”テニュア・プロフェッサー”(終身雇用教授)”
の職をめざしてさらなる競争を始めます。
もし終身雇用教授の肩書を得れば自分が辞職届を出すか死ぬまで解雇はなく、研究・論文作成だけに集中でき、講義(ティーティング職)につかなくてもよくなるからです。
Ph.Dを取得し、大学に残る人はアシスタント・プロフェッサーという肩書が与えられます。ここでさらなる研究、論文、講義、学務にはげみ、だいたい在籍が5~7年目あたりで
”テニュア・トラック・アシスタント・プロフェッサー”(テニュア職への応募を申し込むアシスタント・プロフェッサー)
を名乗ることが可能になります。
アシスタントとはいっても誰かの(教授の)補佐的な役割ではなく、独立して独自に研究、論文、講義、学務すべてにまんべんなくはげみ、大学の運営会に参加し、今後の大学の方針・指針についてもまっとうな発言をするよう求められます。
また在職中は、他の教員との親和性や大学方針との一致性なども不定期に点検されるようです(ノーベル賞を見てもわかるように最近では画期的な発明は、複数の人間が協業しないと達成できないケースが増えています)。
そして 約半年~1年をかけて ”テニュア付アシスタント・プロフェッサー”の合否を判定する論文審査、面接、質疑応答が審査されます。ただしほとんどの大学は一回だけの審査では合格にはなりません。
まず「一次審査」として学部レベルの審査があります。
次に「二次審査」として複数の学部の教授で構成されたグループによる審査があります。
その次に 「三次次審査=プロポスト審査」を受けます。プロポストとは学長のすぐ下の階層からなるグループで予算執行権や人事権を管轄しています。
最後に学長が主催する「最終審査=大学理事会」での審査を経て合否が決まります。
Ph.D取得後、7~8年をすぎても「トラック」に乗れないような人は暗黙のルールとして、
(1)その大学から解雇される
(2)"レクチャラー"として講義専門のアシスタント・プロフェッサーの道を選択する(ただしテニュア職より給与は常に低い)
(3)一般企業やシンクタンクに勤務し期間契約で講義担当に特化する"パートタイム・インストラクター"になる。日本でいう"非常勤講師"に近い位置づけ。ただし非常勤なので雇用も不安定。日本のように大学の医療保険には加入できない。
(4)今の大学より2ランク下レベルの別大学や、いわゆるコミニュティ・カレッジ(2年生のリベラル・アーツ大学)で "レクチャラー" 以上の職を心機一転めざす。
(5)別の大学に研究生として入り、そこでとびぬけた実績を残し、トラックに乗れなかった過去の経歴を薄め、なんとか再チャレンジを試みる
のいずれかを選択することになるようです。
”テニュア付アシスタント・プロフェッサー”のテニュアはどの学部でもたいへん競争率が激しく1個のテニュア付枠に100~200人が応募などはざらにあるそうです。
また実情として、テニュア付の職を得るにはアシスタント・プロフェッサーとしてアイビーリーグか西海岸の名門大学に在籍していないと、合格率は低くなるようです。
上記で、
「アシスタント・プロフェッサーは研究、論文、講義、学務すべてにまんべんなくはげみ」
と書きましたが、この狭すぎる門をなんとかくぐろうと、応募者の中には、(大学から独立した)学会活動での実績を記したり、地域の貧困エリアでの無償教育ボランティア活動歴を記したりするなどスペックをあげるべく涙ぐましい努力をしている方も少なくないようです。
研究・論文でさらに業績をあげれば終身の”テニュア付プロフェッサー”となります。このランクでやっと日本でいう「教授職」と同列になります。
ただし、上記の過程でアファーマティブ・アクション、今の言葉でダイバーシティ雇用として女性や非白人マイノリティーの場合、アシスタント・プロフェッサー以上の職につくことが白人男性より容易になる暗黙の雇用枠/雇用ルールがあるそうです。
---- アキ・ロバーツ氏の引用終わり ----
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ここまで読んですぐにピンときたかもしれませんが、まず成田氏はせっかくMITのPh.D.で博士論文号審査に合格したにも関わらず、そのMITでなぜテニュア・プロフェッサー職をめざさなかったのか?
翌年にいきなりイェール大学でアシスタント・プロフェッサーに就任できたのはなぜか?という疑問があります。
そして一番疑問なのは、アシスタント・プロフェッサーとして寝る間もおしいぐらいアカデミック人生でもっとも厳しく超多忙に大学で猛烈に活動し、テニュア・トラックに申し込まなければならない時に、なぜ他企業のコンサル活動をしたり、日本のメディアに出演しているのか?
成田氏が日本人ということで、上記ダイバーシティ雇用の恩恵を受けている可能性はありますが、それでも肝心な時期に大学活動に100%のエネルギーを注ぎこまず、テニュア審査で疑念を抱かれない発言(革命を起こせなど)をしていたら昇進の可能性が低くなるばかり。そしてエール大学に在籍できるのは長くてあと3年というところでしょう。
アメリカの大学界では40才をすぎてから新たな研究・論文に取り組みだすことはかなり難しいようです(頭脳が保守化してしまうから)。
もしかしたら、成田氏はアカデミック界での出世をあきらめ、本当はMITでPh.Dを取得し、イェール大学にはダイバーシティ雇用でアシスタント・プロフェッサーの肩書をもらっているだけでもういい、と考えているのかもしれません。
ただし最初に記載したようにアメリカの大学の内情を知らない情弱な視聴者には、
「名門アイビーリーグの助教授、つまり超名門大学の教授になる一歩手前の若き天才経済学者!」
と勘違いされているのかもしれません。