二足歩行の同居人
猫のアーチャーと、飼い主ランサーによる山なし落ちなし意味なしの現パロです。アーチャーが猫です。ハッピーエンドが好きな人が書きました。
以下キャプション
〇限りなく槍弓が風味です。
〇アーチャーが猫だったりそうじゃなかったりします。
〇アーチャーが猫である時点で、かなりキャラがズレている可能性があります。
〇Twitterに乗せていた短編に加筆修正したものです。後日談的なエピソードが加わっています。
〇フリーの表紙をお借りしています。
- 352
- 367
- 4,872
四足歩行の同居人
私は猫である。個体名は無い。すべからく猫は名前を持たない生き物である。
我々をネコだとかタマなどと勝手に呼んでくる人間は、猫のような高尚な存在に対し何とも不敬な行いをしていると認識を改める必要がある。だが猫は許さねばならぬ。人間は我々とは異なり、無知で蒙昧な生き物だ。名前を持たぬことが、猫にとってどれほど重要であるかを奴らは知らぬ。仕方がないので許すのである。猫は非常に寛大である。
そんな人間世界においても、猫が九つの魂を持つという伝説はよく知られているらしい。何を隠そう、真のことであるのだが、ここで少々訂正する必要があるだろう。猫は確かに九つの魂を持つ。しかしそれは我々の姿形が物質界に定められていないからである。既に液体に姿を変える同胞の活動写真が人間界には出回っていると聞くが、それはまだまだ序の口だ。
猫に生まれた我々は、八度も思うがままに姿を変えることが可能である。なぜ八度かと言うと、それ以上は形状を保てず気体になってしまうからだ。我々は気体になるまでの各々の猫生を思うがままに謳歌する。そしてそのいずれの転生機会においても、猫としてよく知られる四本足の姿を選ぶ。
ふかふかの毛並み、魅惑の尻尾、そして勇ましく凛々しい二つの耳。猫のみに許された、完璧かつ至上の姿である。生き物としてこれ以上の美しさはない。
しかし稀に、妙な気を起こして人間に転生する猫もいる。
彼らが猫に戻ることは決してない。猫は名前を持ってしまったが最後、二度と別の姿をとることができぬのだ。勝手に授けらた名ではなく、自ら名乗る名のことだ。であるからこそ、姿が名に縛られ、自由に姿を変えられなくなってしまう。人間という生き物は殊更、名乗る機会が多いのだと聞く。奴らは嗅覚に劣る為、鼻と鼻を突き合わせる猫式の挨拶では個々を認識できぬのだ。そういった人間社会の性質上、猫から人間への転生は非常に危険な行為であった。たとえ炬燵やストーブなるものを季節問わず占領できる魅力に替えても、人間になることは憚られるものであった。
既に七度の転生を果たした私とて、ついぞ人間にはなった事がない。一度は鷹になったこともあったが、やはり四足の快適さを忘れられなかった。果たして二つ足で立って歩くのは、どんな具合であろうか。もはや二百年あまり人の世を見届けてきた化け猫たる私が今更そんなことを思案するのは、今生にて初めて、人間と屋根を共にし始めたからである。
私の主人を気取っている愚昧な人間の個体名は『ランサー』である。雄だ。猫である我々の色覚は、人間界で言う青と緑のみを捉えると言われているが、それが正しければランサーの毛並みは青い。空と同じ色をしているからだ。猫は非常に賢いので、空は青いということも知っている。
車なる魑魅魍魎に襲撃され弱っている私をランサーが拉致してからというもの、この同居生活は始まった。 まんまと捕獲された私も不甲斐ないが、折角なのでしばらく居着いてやることにした。猫缶なる珍味を捧げられては、そう邪険にしてやるのも気の毒だと思ったからである。
ランサーは私の声が「エミャー」と聞こえるから、という安直極まりない理由で、私を呼ぶ際の名前を決定した。不本意である。私がそう鳴く時は非常に空腹である時か、ベッドに私の寝るスペースが無い時の不服申立ての合図であったからだ。猫の言葉を解せぬ哀れな人間とは言え、呼ばれる度に不満を垂らされているようで落ち着かぬ。私が奴の脛に齧り付いて抗議の意を示したことで、しばらく経って愚鈍な人間も名前が不服であると察したようだ。それからランサーは私をアーチャーと呼んだ。私が弓矢のように走るからであるらしい。ふむ。悪くない。
ランサーの縄張りは狭い。アパートメントと呼ばれる建物の一室であるようだが、私が以前住んでいた街の一角の縄張りの半分にも満たない敷地面積である。不憫だ。私は同情した。ランサーという雄は、人間の中でもよほど位が下なのであろう。でなければ、私よりも数倍大きな身体で、このような、まさに猫の額ほどの縄張りである説明がつかぬ。
その上、ランサーはマーキングも行わぬ。その怠惰が祟ったのか、ランサーが縄張りを不在にしている時、窓から別個体の人間が侵入を果たそうとしたこともあった。人間の縄張りがどうなろうと私は全く構わぬが、曲がりなりにも私の同居人の縄張りとなると話は別である。ランサーが私の同居人である以上、ここは私の縄張りでもある。狼藉は許されぬ。
ベッドの下で全てを目撃していた私は、侵入者が窓から部屋の中に降り立ったその瞬間、くるぶしに襲いかかって渾身の牙をお見舞いした。奴はギャアッと見苦しい鳴き声を発したのち、たたらを踏んで窓枠に激しく頭部を打ちつけ、それきりガックリと項垂れて動かなくなってしまった。勝手に侵入した挙句、惰眠を貪るとはいい度胸をした人間である。
その後にようやく縄張りに帰ってきたランサーは、「んだァ!?こりゃぁ!?」と私の勇敢さを讚えるものと思しき鳴き声を発すると、携帯電話を取り出して誰かに連絡を取り始めた。それが携帯電話であることを、聡明な猫は知っているのである。
しばらくして窓の外に見知らぬ車が停まった。と思うと、中から出てきた人間二人が眠っている人間を捕獲し、粛々と再び車に戻って行った。私は昼間の騒動で削られた睡眠を貪っていたため、その後のことは存ぜぬ。ただ次の日の食事は、今までに類を見ぬ豪華絢爛さであった。久方ぶりに味わう鮪の味は、まさに極上の一言であった。
二足歩行の同居人は、しばしば蛮行としか言い様のない行動を犯す。まず縄張りに帰宅するなり、寝ているか、或いは土産を確認するため玄関に出迎えた私を捕獲し、吸引する。猫は個体を区別するためよく互いの鼻を嗅ぐが、ランサーは違う。腹、足の付け根、頭の後ろ、とにかくのべつくまなしに私の身体を蹂躙し、私のやんごとなき毛並みを目いっぱい吸うのである。私は唸りながら身をよじるが、人間というのはその矮小な脳に比べて図体だけは馬鹿でかい為に、簡単には逃げられぬ。
おのれ人間め。おのれランサー。
しかし私とてそのような無礼を働かれて黙っている猫ではない。猫は箱の中に詰め込まれているティッシュなるものを部屋に拡散させると、人間が血相を変えて慌てふためくことを遺伝子レベルでよく知っている。特にランサーは、ベッドの横にあるゴミ箱に丸めて放り込まれた、心做しかしんなりしてかぐわしい使用済みテッシュにおいては、過剰なまでの防衛反応を示す。
「アーチャー止めッ馬鹿それは止めろ止めて下さいアー!アーチャーッ!!キャーっ!!!このケダモノッ!!」
人間に因果報応を教えてやるのも猫の寛大さである。しかしその後もランサーの愚行は止むことがない。私は猫の中でも特に寛大であるが故に、時折は毛並みを吸われることを甘んじて許すことにした。
前記したように、人間は毛並みを持たぬ、誠に不憫な生き物である。
ランサーの頭部は非常に繁茂しているが、他の一切の体表はほとんど不毛地帯である。否、前足と後足についてはささやかな芽吹きがあるものの、到底十分な毛量には見えぬ。
一体どのように毛繕いを行うつもりであろうかと注意深く観察していたが、そもそも奴は毛繕いをしないようであった。これは由々しき事態である。勿論、私は奴の毛繕いを請け負ってやろうとしたが、ランサーはこれを拒否する一方であった。
どうやら猫のような高尚な生き物に毛繕いをされることが恐れ多いようである。では一体、奴らはどのように身体を清潔に保つつもりであろうか。それとも私の監察外で、密かに別の人間に毛繕いを任せているのだろうか。私のような猫が縄張りにいながらにして、そんな不貞行為は到底許されることではない。
私が疑心暗鬼に囚われていたある日、帰巣したランサーは常のように私の毛並みを吸いながら、あろうことか「そろそろ流石にちょっと臭うな……」と宣った。
私は朝昼夕の毛繕いを欠かさぬ。人間のお粗末な嗅覚はアテにできぬ。
「よし、俺と風呂に入るかアーチャー」
ランサーは何やら決断した様子で私を抱き上げた。それを聞いて私の毛並みは逆立った。
風呂なるもの。それは人間が自らを水責めに処すという、到底理解出来ぬ愚行の現場である。
私は一度、巨大な器に満ち満ちた水の中で自失しているランサーを目撃したが、それはもう尻尾がチリヂリに千切れんばかりの恐ろしい光景であった。 水の中に身体を沈めてぐったりとした様子の同居人の意識を呼び覚ますべく、私は声の限りに叫んだ。ランサーははっとしたように目を見開いたが、「どうしたよ?飯か?」と言うばかりで水から出ようとしない。どうやら人間は、一度水に入るとちっぽけな知性の一欠片でさえも失うようである。「風呂入るのめんどくせぇな」とこぼす癖に殆ど毎日風呂場で水責めの拷問を自主的に受ける人間の愚かさたるや。筆舌に尽くしがたい。
そういう訳で私は風呂なる場所には一切近付かないようにしていた。あまりにも長く風呂場に滞在しているランサーの生存を確認しに行く以外には、脱衣場なる領域にも踏み入れなかった。
しかしあろうことかこの私の主人を気取る同居人は、私がかぐわしいという事実無根の理由で、風呂場に連れていくと宣うのだ。
私は抗った。だが人間の馬鹿力には適わぬ。妙に肉球のすうすうする感覚に囚われる狭い部屋に入れられ、「ほら怖くないぞォ」等と根拠の無い台詞と共に持続的な水音が反響し始めた。足先に水の感触が触れ、私は半狂乱に陥った。二世紀あまり生きてきたが、このような恐怖を味わったのは生まれて初めてである。
水を放射する筒のような物体を持ったランサーが、私をもう一方の腕で抱き上げんとする。私は弓矢と称された速度で風呂場を縦横無尽に逃走したが、いかんせん狭い為に直ぐに捕まってしまう。
「暴れんなってアーチャー!何もしねえから!!」
と言うランサーが屈んだ隙を見計らい、私は水の張った大きな容器の縁に飛び乗った。そしていつも纏っている布切れを一切取り払ったランサーの、猫で言う尻尾の付け根がある辺りに飛び付き、呪いを込めて爪を立てた。
風呂場に轟音が響き渡った。
後にして思えば、あれはランサーの悲鳴であった。効果が抜群だったが故に、私はその耳を劈く声量に驚愕し、湿った床から肉球十個分は飛び上がってしまった。それがいけなかった。
飛び上がった先でランサーの太い前足に捕獲され、上から網目状の布が被さってきた。ここだけの話、猫はそれに非常に弱い。ネットと呼ばれるそれで体表を覆われてしまうと、猫を前にした鼠のようにピクリと動けなくなってしまのだ。
それからのことは意識が朦朧としてよく覚えていない。気付けば私は全身を乾いた布で摩擦され、ふかふかの猫専用ベッドに運び込まれていた。呆然とした。何たる狼藉。何たる苦痛であろうか。
その日の夕食が鮪でなければ、私は縄張りを飛び出して二度と帰らなかったであろう。鮪で機嫌をとられたと思うのは癪であるので、当初はたとえ鮭でも鯖でも出ていくつもりであったが、人間式の洗礼を受けて私は身も心もクタクタであった。
乾いて幾分ふさふさになった私の全身から、ランサーの毛並みの匂いが漂っている。
悪くはないが、勝手にマーキングをするなぞ万死に値する無礼である。だが許すとする。至上の獣たる猫と異なり、人間は万のうちの九つすら魂を持たぬ生き物であった。私が己の寛大さにうち震えたのも当然である。
ある日のことである。日が沈む頃に下界から帰巣したランサーに、いつものように私は腹を見せて寝転がり、猫を吸う光栄を許す意思を示していた。だがランサーは「ただいま」とも言わず、低い唸り声を発しながら玄関にどさりと倒れ伏した。危うく下敷きになるところであったのを間一髪で躱した私の嗅覚が、ランサーの体臭に異なるものを捉えた。
血の匂いである。
うつ伏せで転がったランサーの背中から短い尻尾が生えている。
否、それは刃物である。包丁と呼ばれる物だ。包丁が生えている辺りから水がだくだくと溢れている。
私は状況を理解した。
「くそ……」
ランサーがグウウと唸りながらポケットをまさぐる。震える手から取り出した携帯電話がごろりと転がり、僅かな段差の下に落ちていった。大きな溜息が私の毛並みに散る。
「すまんアーチャー、腹減ってるよな……」
私の鳴き声に顔を上げながら、ランサーは微笑んだ。そうだ。私は腹が減っているのだ。人間は立ち上がり、猫の為に夕食を用意する必要がある。同居人として当然の責務である。その責務を放り出すことは許されぬ。決して許されぬ。
私はランサーの腕を額で押し、段差の下に転がる携帯電話へ何とか導こうと奮闘した。だが人間は重い。猫の力では到底移動に能わぬ。
いつも私に狼藉を働く大きな掌が、私の毛並みを力無く撫でた。
人間は、図体だけは巨大なくせに、魂をひとつしか持たぬ生き物だ。このランサーに次のランサーは無いのだ。だから失わせる訳にはいかぬ。しかし一体どうすれば良いのかとんと検討がつかぬ。
猫は聡明である。
猫は博識である。
だが猫の魅惑の肉球では、携帯電話を拾うことができぬ。猫の鈴のような美声では、助けを呼ぶことができぬ。猫の軽やかな体躯では、ランサーを他の人間の元に運ぶことができぬ─────
私はぐったりと重いランサーの腕からすり抜けた。向かう先は風呂場である。私はなみなみと水が張られた容器の縁に飛び乗ると、そこから眼下を睥睨した。至上の生き物に相応しい、凛々しい四本足と二つの耳が、水面に映ってゆらゆらと揺れていた。
かつて、車なる化生に襲われた私を抱き、ぬくい体温で包んでくれた逞しい腕のことを思った。
ああ、誠に素晴らしい猫生であった。
私はぴんと尻尾を立てると、冷たい水面の上に身体を投げ出した。
己をだき抱えるしっかりとした腕の感触に、ランサーの意識はどろりとした水底から浮上するように覚醒した。瞬時にアパートの階段で男に刺された時の記憶が蘇り、背中の痛みが燃えるようにぱっと弾ける。傷はさして深くはなく、ショックで一時気を失っていただけのようだ。それでも早々に助けを呼ばねば、今度は失血多量でお陀仏してしまう。
だがそれにしても、己を抱えているこの腕は一体何だ。お迎えというやつか。明滅する視界の中で、ランサーは一人の男を捉えた。何故か全裸のその男は、ランサーを抱えていない方の手で器用に携帯電話を操作している。
柔らかそうな白髪は、たった今シャワーでも浴びてきたかのように濡れ、雫がぽたぽたとランサーの頬に落ちる。どこかで見た事がありそうで記憶にない。
ランサーが見つめる中で、男はついに誰かに電話を繋いだようだった。「ランサーか?どうした」と僅かに漏れ聞こえてくる声からすると、二人いる兄弟のうちの誰かに繋がったらしい。男は表情を変えずに、「ランサーは死にかけている。知り合いならどうにかしろ」と尊大に宣った。
「死にかけてるだァ!?つか同居人なんて聞いたことねえが、てめえ一体何者だ」
「私は……私はエミヤだ。たった今決めた。キャンキャン吠えてる暇があるならさっさと来んかたわけ」
電話をかけたはいいものの切り方を知らないのか、男は未だ喚いている通話先を無視して携帯を放り投げた。そしてただ言葉を失っているランサーをじっと見下ろした。
飼い猫によく似た、銀色の瞳をした男だった。
「君の眼、そんな色だったのか。人間の色覚というのも悪くないな」
男の呟いた奇妙な言葉の意味を理解する前に、ランサーの意識はブラックアウトした。