ヤクルト史上最高の右腕・松岡弘さんが語る1978年

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生き返った「1時間19分」

 セ・リーグを制したヤクルトは、日本シリーズに初出場。相手は、前年まで3年連続日本一の阪急だった。

 「1勝だけしよう、と言っていたよね。投手陣、打撃陣…勝てっこない、と」

 とは言いながらも、勝負は3勝3敗で第7戦にもつれこんだ。第7戦の先発は、ヤクルトが松岡さん、阪急は足立光宏投手。試合は緊迫した投手戦が続いた。五回にヤクルトが1点を先制。六回裏ヤクルトの攻撃で、日本シリーズ史上最大とも言える事件が起きた。先頭の3番若松勉選手は左飛に倒れ、1死走者なし。4番大杉勝男選手の打球は左翼ポールに飛んだ。判定は本塁打。しかし、阪急の上田利治監督はファウルだと主張。抗議は1時間19分にも及んだ。

 あの場面を、松岡さんはこう振り返る。

 「見てない。あれ? ホームラン、ああそう、2-0だな、というくらい。点取ろうが何をしようが、そんな問題と違う。疲れちゃって疲れちゃって」

 松岡さんは第2戦に先発して勝利投手。第4戦と第5戦は救援で登板し、セーブを挙げていた。フル回転で立った第7戦のマウンド。中断の間、後楽園球場はコミッショナーが上田監督の説得を試みるなど騒然とした空気に包まれたが、松岡さんはグラウンドコートを着て軽いキャッチボールを続け、再開を待った。

 「あれで生き返ったんだから。あのままやっていたら、絶対につぶれていた。自分は機械。投げる機械。寒くて。体を冷やさないように、キャッチボールやって。本当に疲れが取れた。いやー、ありがたかったね。ずーっと行く気だったし、行くんだろうと思って、集中力は切らせていたから。切らさないとやっていられない。自分のことだけ。どうでもええ、と思いながら」

 試合再開後、足立投手は交代。最初の打者のマニエル外野手がソロ本塁打を放ち、八回には大杉選手が再び左翼席にソロ本塁打を運んだ。松岡さんは中断後も続投。完封勝利を果たし、胴上げ投手となった。

 「抑えたという感覚は、ほとんど覚えてない。ビデオで見て、ああだったな、と思い出すくらい。もう早く終わってくれ、という感じ。投げたらあんなになっちゃったんだけど。あのときのフォームが一番きれい。リズミカルで」

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