渡邊渚さんが綴る「相次ぐ性被害事件」について訴えたいこと 「被害に遭うまでの自分は、その日死んでしまう」「加害者を許すことを強制しないで」
被害者が背負う計り知れない負担
PTSDは生命の危険や大きな恐怖を感じる体験することによって生ずる。事故や災害などにより罹患することは広く周知されているが、これが性犯罪になると途端に疑いの目が向けられる。性犯罪によるPTSDの話になると、「二毛作」「虚偽だ」と激昂して会話にならない人が一定数いる。 先ほどあげた事件についてのネットニュースのコメント欄にも、「女の勘違い」「女が思わせぶりなことをした」「隙を見せるから被害に遭う」「ついて行ったお前が悪い」「冤罪」などと書かれているのが見受けられる。被害者がこれらを目にしたらどういう気分になるか、それらが引き金になって自殺する可能性があることを考えずに書き込める人の気が知れない。 「False allegations of sexual assault」という有名な性的暴行の虚偽報告についての論文では、「一般論として虚偽告訴はこの世に存在するが、性的暴行における虚偽告訴の割合は実際には非常に低い」という研究結果が示されている。 「誇張された虚偽告訴の恐怖は、公衆の想像力の産物である」とも論じられ、被害を訴える女性に対し、ヒステリックな嘘つき女というレッテルを貼るのは、性差別者の持つ典型的な偏見だと言える。 そもそも性被害を訴えるのは、今後の人生を偏見に満ちたレッテルを貼られて生きることになりかねず、被害者にとって計り知れない負担を伴う。本当は誰にも知られたくないし、これ以上傷つきたくないと思っているはずだ。それでも勇気を振り絞り、正義を全うするために声を上げた被害者たちを、私は心から尊敬する。
性被害の苦しみは一生続く
冒頭の漫画家の事件に関しては、人生を滅茶苦茶にされて生活すらままならなくなってしまった被害者にとって、加害者が普通の顔をしてのうのうと社会に出てくるのは、筆舌にしがたいほどの苦痛だったと想像する。加害者の顔も名前も作品も見たくないし、思い出したくないのに、街中やスマホに流れてくる広告やマンガそのものなど、何かの拍子にフラッシュバックが襲ってきただろう。 そして、同様の被害に遭った人たちも、性犯罪のニュースを見るたび、古傷が痛むようにもがき苦しみ、過去に引っ張り戻される。事件が風化しても、性被害の苦しみは一生続くのだ。 例えば、この先、信頼できる異性ができたとしても、手を繋いだり触れられたりすることさえ恐怖で、関係を築くことが難しくなる。好きな異性との時間が、トラウマを想起させ、フラッシュバックを引き起こす。自分のことを理解してほしくても、相手に過去の被害の話をしたら嫌われるかもしれないと思って、関係を断ってしまいたくなる。 被害に遭うまでの自分は、その日死んでしまったのだ。記憶が全て抹消されたらいいのに。生きれば生きるほど、トラウマを思い出す時間が長く感じるようになって、希死観念が頭から消えない。そういう苦しみを死ぬまで永遠に抱え続けるのだ。
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