2011年3月11日。東日本大震災。
震災後、被災地で苦しむ人たちの姿をメディアで見るたび、いても立ってもいられなくなった。
そして3月下旬、まだ震災の傷跡が生々しく残る東北へ向かった。
東北道の入り口の検問も、パーキングエリアも、ガスマスクをつけた自衛官ばかり。こっちは快適ガードさわやかマスク1枚。
「本当にこのまま向かって大丈夫なのか」って、正直少しビビった記憶がある。
現地に着くと、街はまだ荒れ果ていて。途中で見た仙台空港はこの世の終わりみたいな状態だったし、土砂や瓦礫の中で、家族の名前を呼びながら泣いている人の姿も見た。
その光景を前に、
何かしてあげたいのに、何もできない自分がいた。
被災地支援の合間に案内してもらった「閖上の丘」。多くの人が津波にさらわれた場所に立ったとき、
親戚がほとんどいない家庭で育ったおれにとって、初めて人の死をこんなにも近くに感じた瞬間だった。
そのとき思った。
人生って、本当にいつ終わるかわからないんだなって。
東京に戻ってから、
せめて何か被災地のためにできることがないかと思い、募金サイトを作って必死に募金活動した。
集まったお金は300万円。
15年前のおれには、とても大きなお金だった。
でもその直後、
「孫正義さんが100億円を寄付」というニュースを見た。
300万円と100億円。
1/3333でしかない。
金額の問題じゃないと言われても、
そのとき初めて、自分の力の小ささを突きつけられた気がした。
なぜかほんと悔しかったんだけど、それもあっておれも、いつかもっと、助けたい人を助けられる力を持ちたい。守りたい人を守れる強さを持ちたい。理不尽や不条理に抗える人になりたい。
その日の悔しさが、
「起業する」という願望を決意に変えてくれました。
あれから15年。
まだまだ道の途中だし、炎上ばかりで、なんだか変な方向に人生が進んでる気もするけど、
あの日見た景色と、あの時の気持ちは、
今もおれを前に進ませてくれる一つのエネルギーになってます。
最後に。
最近は、おれの落ち目を見るや否やアンチのやつらはとんでもない量の石を投げてくるし。
週刊誌もでたらめなことばかり書くし、最近はいろいろと応援してくれる人やなぜかファンでいてくれてる人たちに心配をかけさせてばかりで。本当にごめんなさい。
反省している部分もたくさんあります。だから例のプロジェクトは中止するし、補償することも決めたので。
ただ、おれの中にある正義と、自分の信じている道がブレていたわけではないので大丈夫です。こう書くとうざいアンチが湧きそうだけど。
そんな昨日は、全社員がリアルとオンラインで集まる全社総会でした。
毎月着実に10人ずつ仲間が増えてる。
最近入った彼らには入社早々心配をかけてしまってるけど。
まぁそのうち君たちからしたら笑い話になるだろうし、おれの方はなんとかなるからご安心ください。