デスクに座って仕事をしている姿を眺める。私の視線に気がつけば気色が悪い笑顔で何かがあったのかと聞いてくるので、バレないようにスマホを操作しながら。
この事務所に来てからだいぶ時間が経った。評価は今も昔も変わらない。お人好しで仲良しごっこが好きな連中しかいない。それに巻き込まれるこっちの身にもなってほしい。
その筆頭ともいえるのがこのプロデューサー。誰にでも優しく、かと思えばどうでもいいところでキレたりするよくわからないやつ。自分のことは後回しにするくせに私達が同じことをしようとするとわかりやすく表情を暗くする。本当に何なんだ。
アイドルに……いや、この事務所の関係者に対しては超がつくほどの過保護っぷりを見せている。羽那とかはるきは慣れているのか何も言わないし、他の奴らもそう。
優しくされて嫌な人間はそういないから正しいといえば正しい。
でも、最近思うことがある。コイツの優しさは普通の優しさじゃないって。何かを抱えている人間のものだと。
優しさに見えるそれはただ自分を守るため。
甲斐甲斐しく世話を焼くのは自分から遠ざけるため。
自分の中にある人というモノに対する恐怖。それを隠すようにして私達に接している。
私の目にはそんなふうに見える。
「……」
気になるかと言われればどうでもいい。どうでもいいが、何かを隠されているというのは気に入らない。思うことがあるなら直接口にしろってこと。私がそうしているのにアイツがしないのは不公平だ。このままじゃ私だけが悪くなる。
とはいえ、だ。いきなり過去に何かあったのか聞いたところではぐらかされて終わるだけ。私だってそうする。突然何言ってるんだと。
それとなく会話の中で探るしかない。スマホをテーブルに置いてデスクまで向かう。今は私達二人しかいない。コイツも少しは話しやすいだろう。
「……なぁ」
「うん?どうかしたのか?」
「……なんかあったか?」
「えっ」
いやいや、この聞き方はダメだ。何かあったのか?なんて聞いても何もなかったとしか言われない。……次はちゃんとしよう。
「なんかあったかと言われると……何もないな」
「……そうじゃなくて。昔に」
「昔に……?」
そりゃ昔なら何かあってもおかしくない。私が聞きたいのは対人関係で何かあったかどうかだ。この聞き方も違う。
「まぁ、俺も昔は色々あったかな……?」
「……」
「これで合ってるか?」
「違う。聞きたいのはそういうことじゃねぇ」
「どういうことなんだ?」
流石に今の私は理不尽過ぎる。聞きたいことがあるのはこっちだ。ならばちゃんと聞かないと意味がない。
「聞きたいのはアンタの過去。私達に遠慮……というか、なんか隠してるだろ」
言ってしまった。これで的外れな質問だとしたら今すぐにでも事務所を出て今日という日を無かったことにしてしまいたい。
「……ルカにはそう見えたのか?」
「見える。今も私と距離置こうとしてるだろ」
「そっか。ルカにはお見通しだったのか」
観念したような笑顔。……本当に何かを隠していたとは。読みが当たって少しだけホッとした。
「何隠してるんだよ」
「言うよりも見てもらったほうが早いかもな」
そういうといきなり立ち上がり、シャツのボタンを外し始める。そういうことをするやつじゃないというのは知っているので驚かずに様子を伺う。
「まぁ、こういうことだ」
「……」
捲ったシャツの下から出てきたのは……脇腹付近にある縫い跡。まるで何かを刺されたような、そんな傷痕だった。
「あんまり見ても気分がいいものじゃないだろ?」
「……そりゃ、まぁ」
返す言葉も無かった。いや、簡単に言葉を返してはいけないと思った。この傷はコイツのものだ。私のモノじゃない。勝手に共感もできないし、理解もしてはいけない。
この傷ができたのはつい最近ではない。完全に塞がってはいる。しかし、肌の色が他所の部位とは変わっている。つまりは治ってから数年程度経過しているということ。
誰かを守ってできた傷?……いや、それにしては綺麗過ぎる。仮にその手の事件だとすればもっと複雑なものになるはず。コイツの傷痕はまるで死なないようにつけられたようだ。
「何があったのか、とかは聞かないんだな」
「聞いたら答えるのか?それとも聞いてほしいのか?」
「はは、ルカは優しいな」
青春の傷痕でもないだろうに。どうしてそこまで笑顔で言えるのか。私には到底理解できない。愛犬や愛猫の引っ掻き傷程度ならそう思ってもいい。目に入れても痛くないというやつだ。
でもこれは違う。程度が過ぎている。病院に行って縫い合わせるといったことをしないと治らない傷だ。それをどうして誇らしげに語るのか。
もしかすると本当に誰かを守った傷なのかもしれない。それなら誇らしげにする理由もわかる。……仕方がない。聞いてみよう。
「……誰かに刺されたのか?」
「そんなところだ。痴情のもつれってやつかな」
最悪だ。考えられる中で一番最悪だ。まだ料理中に包丁を落としてすっ転んだと言われた方がマシ。
だけど、納得した。コイツから感じる違和感の理由が。異性に刺されるようなことがあったのなら警戒するのも無理はない。
「あっそ。大変そうだな」
「もう傷は塞がったし、大事にもなってないから大丈夫だよ」
「……は?」
「本人同士の話だからな。ちゃんと理由を聞いて、納得したよ」
待て。こいつは何を言ってるんだ?確かに当人同士の話だ。恋愛感情なんてそんなもん。だけど納得はできないだろ。話し合いというテーブルにつかないで凶器を振りかざした相手と対話?それで納得?
何かの冗談かと思って思わず顔を見る。しかし、嘘をついているようには見えない。それどころか誇らしげにしている。
まるでこの傷のおかげで相手を守れたといわんばかりに。
「怪我させられたんだぞ?」
「そうだな。でも俺一人で済んだ」
「死ぬかもしれなかったんだぞ?」
「はは、大袈裟だな。そうだったとしても上手くやってたと思うぞ」
何事も無かったかのように笑っている。現に生きているから笑い話にしているという可能性もある。いや、あった。けどコイツは違う。私みたいに理由があって変わったわけじゃない。最初からこうだったんだ。
人間という機能を備えた何か。今の私にはコイツがそう見える。
私達に降りかかる厄災に対して感じる憤りも悲しみもきっと本物だ。見せる笑顔も本物だろう。
けれど、欠けている。人らしさが。大切な何かが。失ってはいけない何かを失って生まれてきた。
「アンタは……」
「うん?」
「……いや、なんでもない。とっととしまえ」
「あ、すまん!」
何事も無かったかのようにシャツのボタンに手をかけて服装を整える。この傷痕を知っているのは私だけだ。私しか知らないし、私以外が知るわけにもいかない。
……面倒なことになった。けれど、見て見ぬふりもできない。少しだけでも手を貸すことにしよう。コイツが人らしく振る舞えるように。
「それでアンタを刺してきたやつとは縁を切ったのか?」
「いや、今も連絡は取り合ってるぞ」
「は?アンタを刺したんだぞ?」
「理由があってのことだからなぁ。俺自体はこうして生きているし、話し合いで解決はしてるぞ?」
「……」
理由があったから人を刺してもいいのか。答えはノーだ。そんなことは許されない。普通の神経なら許さないし、許されようとも思わない。つまり、その相手はコイツの狂った優しさにつけ込んでいることになる。お互いにまともじゃないからこそ成立した関係。
もしかするとコイツが刺された原因もそこにあるんじゃないか?自分にとって都合の悪い存在になりそうだった。だから怪我を負わせてでも止めようとした。
……本当にそうなのだとしたら理不尽にも程がある。到底許せない。
「付き合ってたのか?その女と」
「そうなるのかな」
「で、今はもう別れてるってことでいいんだな?」
「ああ。プロデューサーになるからとその話を切り出したら刺されたって感じだな」
「……あっそ」
サラッと言っているが普通におかしいだろ、その状況。コイツはプロデューサーという職業をそれなりに神聖視している。だから何かが起きる前に関係を清算しようとしたんだろう。どこから情報が漏れるかわからないし、下手を打ってスキャンダルになる可能性だってある。
このことについて私は責めることはできない。ある意味、正しいと思ってしまったから。
「それで別れたのに連絡は取り合ってるのか」
「まぁ……俺の都合でそういうことになったし、彼女は何も悪くないからな」
悪いだろ。刺したんだから。命を奪おうとした相手にそんなことを言えるのは優しさでもなんでもない。そのこと自体をどうでもいいと思ってるからだ。コイツにとってプロデューサーという職業になることこそが重要だった。だから刺されようが何されようが関係ない。結果として関係が清算できればそれで。
そういう意味では被害者……ってことにもなりそうだけど、違和感がある。刺すほど執着していた相手をすんなりと手放すのか?
「会ったりはしてんのか?」
「会うことはしてないな。それは俺からやめるように言ってあるよ」
「へぇ、その辺はしっかりしてんだな」
「そうかな?」
コイツなりに考えてはいるんだろう。だけど、考えが甘い。この手の女がそう簡単に諦めるわけがない。むしろ会えない時間がとか言って勝手に盛り上がってる可能性すらある。……いや、ストーキングされてたりもするのか?その可能性はある。確実に。
「オイ」
「うん?」
「アンタがプロデューサーになってから休日に誰かと出かけたか?」
「そういうことはしてないかな。どうしてだ?」
「気になったから」
……まずい。もしもこの女がコイツをストーキングをしてるんだとしたら今までは奇跡的に何も起きなかっただけだ。スーツを着ている時は仕事をしている時という認識はあるだろうし、その辺は分別がついてるんだろう。
だけどプライベートな時間はそうじゃない。この女の中ではコイツと付き合っていることになっている可能性がある。そうなのだとしたら、誰かと出かけた瞬間にアウトだ。
「予定はあんのか?」
「今のところは無いかな。……いや、羽那と出かける予定があるかもしれない」
「いつだ」
「再来週かな」
これはただの妄想だ。私の勝手な想像だ。実際には何も起こらないかもしれない。だけど、起こる可能性がある。
だったら、止めないと。これは知ってしまった人間の責任だ。
「今週、土日空いてるか?」
「まぁ……大丈夫だぞ」
「ちょっと付き合え。拒否権はねぇからな」
「えっ!?」
仮に犠牲になるんだとしてもアイツはダメだ。この手のくだらないことは私が終わらせる。
「すまん、待たせたか?」
「別に」
約束の休日。駅前で待ち合わせしたところ時間よりも三十分も早くコイツは来た挙句そんなことを言ってきた。事前に調べたいことがあったから早く来たけど……コイツも大概だな。
「それで今日はどこに行くんだ?当日まで内緒って話だったけど」
「アンタがあの女と付き合ってた時に行った場所。そこを案内しろ」
「……それだけか?」
「それだけ」
今日の目的はあの女がコイツのことを諦めているかどうかを調べること。何もなければそれでいい。私が気にするのもコイツの腐った性根だけで済むから。そうじゃない場合は……今日で終わらせる。
「ほら、行くぞ」
「行くって言ってもだな……!?」
「早くしろ」
先頭を歩かせて私は後ろをついて行く。どこに行くのかはまだ聞いていない。聞く必要ができたタイミングで聞けばいい。それに後ろにいた方がよくわかる。
……そんなわかりやすい視線を送られたら誰だって気づくだろ。まぁこの馬鹿は気がついてないみたいだけど。
最初は道案内を任せていたが疑惑が確信に変わった段階で行く場所を聞いて私が先導することにした。今必要なのは相手を焦らすこと。こんなにも人通りが多かったら迂闊に手は出せないだろ?
でも、観察するにはちょうどいい。人混みに紛れれば私達のことを観察し放題だ。そのまま勝手に憎悪を膨らませておけばいい。
敢えて普通の道ではなく混み行った道を進む。こちらのことを決して見失わないように気を遣いながら。
「この後はどうするんだ?」
「特に。あー……そういえば行きたい場所があったから付き合え」
「わかった」
カフェで休憩しながら手鏡を使って周囲を確認する。……多分、あの女だな。わかりやすくずっとこっちを見てるし。姿もわかったから後は相手の動きを待つだけだ。
今度は人通りを避けるようにして道を進む。徐々に少ない方へと移動していき、最終的には数人しか人がいない場所まで来た。こうなると姿を晒すしかないよな?
手鏡で後ろを確認すると物陰から様子を伺っていた女を見つけた。そいつはカバンの中に手を突っ込んで徐々にこちらへと近づいてくる。狙いは……私じゃなくてコイツらしい。
まぁ、そうだよな。アンタからすれば私よりもコイツを怪我させた方が楽だ。それに罪悪感もない。また許してくれる、そんな甘ったるい考えを持ってる。
そんなことさせるわけねぇだろうが。
ゆっくりと、それでいて足はやに距離を詰めてくる。カバンから取り出したナイフはそこまで刃渡りも長くない。殺すことよりも傷つけることを優先している、そんな形状。当然周囲も気にしていない。人自体が少ないからだ。
不意に女が駆け出す。何か急いでいるような人のフリをして。今からするのは自己保身の醜い行為な癖に。
立ち止まり、振り返る。女と目が合う。そのまま歩みを止めることを期待したがそうはならないらしい。それに女の進行上に私はいない。微妙にズレている。だが、わざとそうしていた。隙を作っていた。踏み込ませるために。
前を歩く馬鹿はまだ自分の身に迫った危機に気がついていない。まぁ……気がつくなら最初からこんなことにはなってないか。
まるで三流脚本の昼ドラだな。このままコイツがナイフで刺されて、それらしいことを言って、救急車に運ばれる。女は女で自分は悪くないなんて言いながらも罪を認めないでこの馬鹿がそれを許す。そんなくだらない脚本。
そんなものは却下だ。
二人の間に割り込むように移動する。庇うような形になるがそれでいい。アンタが刺すのはこの私だ。見ず知らずの他人を怪我させる。
ハッ!急にビビってんのか?目に迷いが出てんぞ。でも止まらないよな?そうなるまで引き付けたんだから。
もうすぐのところまでナイフは迫っている。いきなり足を止めたところで間に合わない距離だ。……これでこの馬鹿も少しは自分のことを気にしてくれればいいんだけどな。
次の瞬間、人同士がぶつかる音とそれに混じるように何かを裂くような音が静かな道に響いた。
「あ……あぁ……!?」
刺された場所から液体が地面に滴り落ち、どんどんと軽くなる。人様にナイフ刺しておいてよくもまぁこんな被害者ヅラができるもんだ。ある種の才能だろ、これ。
どうしてこんなことをしたのか。理由は私にもわからない。警察に突き出すとか色々手段はあった。だけど、これが一番だと思った。
「……逃がさねぇぞ?」
ナイフを引き抜こうとしたので腕を掴む。このまま帰すわけねぇだろ。罪には罰を。自分が何をしたのか理解させる必要がある。
「……ルカ!?」
「口出しすんな。黙ってそこで見てろ」
「だけど……!」
「黙ってろ」
本当ならこの馬鹿を刺して、あれこれ言い訳をして結局許してもらおうとしたんだろうな。でもそうはいかない。私は甘くもなければ優しくもない。
「オイ」
「あ、あんたなんなのよ!勝手に割り込んだあんたが……」
「黙れ」
女を睨みつける。人を刺しておいてお前が悪い……か。救えねぇな、このクズ。
「今すぐ警察を呼んでテメェを牢屋にぶち込んでもいいんだぞ?わかったら黙ってろ」
ようやく事態の大きさがわかったのか、女からはさっきまでのような威勢は無くなっていた。
「色々と言いたいことはあるけど……面倒だからこれだけ言う。コイツに二度と関わるな。コイツと関わってる人間に関わろうとするな。いいな?」
「は、はぁ?なんで私があんたの言うことを聞かないといかないわけ?」
「……黙ってろって言ったよな?」
手に込める力を強くする。既にナイフは女の手から離れている。やろうとすれば私は引き抜いたナイフを使ってズタズタにすることだってできるのにどうしてこうも強気なのか。
「いいか?」
「ねぇ!見てないで助けてよ!」
「……」
この期に及んで助けを求めるとか最悪だろ。どうやって育ったらこんな人間になるんだか。人から奪って、自分は奪われるのが嫌。そんな都合のいいことが許されるわけねぇだろうが。
「二度は言わねぇ。いいか?二度と関わるな。もしも関わろうとするなら……今度は私がお前を殺す」
嘘でもなんでもない。本気の言葉だ。もう、誰かから奪われるのは嫌だから。守りたいものができたから。帰るべき場所があるから。
私の殺意が伝わったのか、女は怯えるような表情で私の手を振り払ってその場から立ち去った。……大丈夫だとは思うけど、数日はアイツらにも気をつけるように言っておこう。
「はぁ……」
「ルカ!」
「んだよ……うるせぇな」
「大丈夫なのか!?ナイフが……」
「刺さってんな。カバンに」
「……カバン?」
「ほら、刺さってんだろ」
今日の為にと用意していたショルダーバッグ。見てくれよりも材質を優先して、それ相応の耐久度のありそうなものを選んだ。念の為に中身の入ったペットボトルを入れておいたのがよかったのか、それとも力が足りてなかったのか。ナイフがカバンを貫通することはなかった。
「あー……カバンの金、請求すれば良かったか。失敗した」
「カバンの金って……そんなことよりもなんでこんな危ないことしたんだ!」
「うるせぇよ。なんでもなかったんだからいいだろうが。というか元々はアンタのせいだからな?」
危険だとは思った。だけど、危険を承知でやるしかなかった。事前に伝えても意味はなかっただろうし、それだと刺された時と何も変わらない。
自分の価値を低く見積もり、存在自体をリソースとして考えているコイツの思考を少しでも変えるきっかけが必要だった。そういう意味であの女はちょうど良かった。
「アンタは……もっと自分を大切にしろ。関係ねぇみたいな顔してるけど、アンタの為に動いてる人間もいるんだよ。少しはその辺考えろ」
あの日、言おうとしていた言葉の続きを口にする。これで少しは変わってくれるといいんだけどな。
あぁ〜いいっすねぇ〜^