赤い糸が一つとは限らない
前作までのブクマ・評価等ありがとうございます、励みになります。
◆召喚当時から弓にべったりのセタとそれが面白くない槍の話
◆カルデア時空のACセタ→弓と槍→弓
◆かっこいい槍はいない
◆AC未プレイのため9割9分イマジナリーセタくん
◆視点がころころ変わります
アケセタ弓展なる素敵な企画があるのに気付き、「私も参加するぞ〜〜!!」と書きかけのセタ弓話を書いてたら段々槍弓要素が強くなってしまったのでこちらに投下。
セタ弓(?)初挑戦でした。セタはきっとキャスと同じくらい策士だと思うんだ……。
話中のセタくん召喚時のあの場面は夢に出てきた内容をちょっとアレンジして書きました。
素敵な表紙はお借りしました。(illust/60635209)
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ああ、正直に言おう。
オレは完全に油断していた。クラス違い・年齢違い・そして在り方の違う己が召喚されたことで、他に驚異となる男が現れることはないと、そう思い込んでいたのだ。
× × ×
「――告げる、」
人理継続保障機関フィニス・カルデア内の、とある一室。一人の青年の声が仄暗い部屋に響いた。
「今日こそ新しい戦力が来てくださると良いですね、エミヤ先輩!」
「ああ。連日このための聖晶石集めでずっと出ずっぱりだったんだ――きっと、来てくれるさ」
隣に並び立つ桃色――マシュ・キリエライトに声をかけられたエミヤは〝後輩〟のその花が咲くような愛らしい声に片目を瞑って返事を返した。
一日の中で最も食堂が賑わう時間帯、ランチタイム。カルデアキッチンのチーフとして厨房を任されていたエミヤは、配膳の順番待ちをしていたマスターに午後に行うサーヴァント召喚の立ち会いを頼まれた。
ここカルデアでは、召喚時の事故――例えばバーサーカーが召喚早々に突然マスターに襲いかかるなど――を防ぐため基本的に召喚を行う際には任意のサーヴァントを一騎同伴することを義務付けられている。今回も例に漏れず、新たな仲間を迎え入れる準備として手の空いているサーヴァントを探しているようだった。
特別断る理由のなかったエミヤが昼のシフトを終え儀式を行う部屋へと向かうと、待ちきれなかった様子のマスターが入り口のすぐ前で出迎えてくれたのには思わず苦笑を漏らしてしまった。召喚のために必要な素材を何週間もかけてレイシフトに明け暮れ、やっとの思いで集めたのだ。同じくレイシフトメンバーとして同行していたエミヤには、マスターの「早く召喚したい」という気持ちが痛いほどに分かった。
マスターの言葉に共鳴するようにして召喚陣に電流が走り、周囲の魔力が環の中へと収束していく。風など発生しない筈の閉鎖的な空間で、エミヤの首筋を冷たい風が撫で上げた。
詠唱が続けられる間にも召喚サークルには膨大な質量の魔力が集まり、やがて小さな台風を彷彿とさせる風の壁が生まれた。轟々と風が吹き、エミヤの赤い外套を激しくはためかせる。
部屋の中心では一つの大きな力が形を得んとばかりにその場のありとあらゆる魔力をかき集めていた。幾度も目にしたことのあるこの現象はサーヴァントが召喚されることを意味しており、エミヤは僅かばかり身を強張らせた。今まさに召喚されんとしているサーヴァントに対しての警戒心と、それと同じくらいにエミヤの心を占める純粋な興味。今後何度召喚の儀に立ち会うことになろうともこの二つの感情――特に後者が薄れることはないだろう。
その扱う魔術の特異性から、生前より英雄という存在に深い関心を持っていたエミヤにとって、多くの英雄と同じ陣営の仲間として交流できるカルデアでの毎日はそれはそれは有意義なものである。正直に言ってこの高揚は何物にも代えがたく、召喚の際の立ち会いは今回の現界におけるエミヤの密かで贅沢な楽しみでもあった。
高密度の魔力から練られ形を成していくそれはエーテルで形作られた仮初めの皮膚をびりびりと刺激する。肌を切り付けるようなこの重圧からして、正に召喚されんとしている英霊が神性の高いサーヴァントである可能性は高かった。
傍らで固唾を呑んでいたマシュは新たなサーヴァントの気配に早くもキラキラとした期待の目を向けている。
(まともな英霊だと良いのだが)
これまでの経験から、神性の特性を持つサーヴァントは一癖も二癖もある英霊が多い。本人の意思に関係なく何かと面倒ごとに巻き込まれる体質のエミヤは間も無く姿を現すであろうサーヴァントがどうか〝きちんとした〟英霊であるようにと胸中で祈った。
「――天秤の守り手よッ!!」
ドウッという内臓にまで響く大きな音と共に聳え立つ魔力の壁から垣間見えたのは、真夏の海のような鮮やかな青。既視感のあるそれにエミヤが片眉を上げるのと、風の向こう側で閉じた瞼からルビーの如き大きく赤い瞳が現れたのはほぼ同時だ。
炎のようなその瞳に吸い寄せられるように視線を向けると、猫を想起させる縦に細く走る瞳孔がゆっくりとした動作で此方を捉える。
――あ。
目が、合った。
そう思った瞬間。
「――ッ!?」
エミヤの視界が、真っ黒に塗り潰された。
× × ×
同時刻。
カツカツカツと軽い音がリノリウムの床を鳴らす。
ランサーのクー・フーリンはシミュレーションルームでケルトの面々との手合わせを終え、現界当時から宛てがわれている自室へ戻ろうとしていた。
朝から旧知のフェルグスやスカサハに捕まり昼食の時間を過ぎてからようやく解放されたのだ。
手合わせ自体は問題ない。むしろしばらくレイシフトをしていなかったこともあり身体も鈍っていたのだ、二人の誘いには喜んで応じたのだが。ランチタイムには切り上げるつもりだったランサーに、スカサハから百本取るまではシミュレーションルームから出さないという地獄の鍛錬が待ち受けていたのだった。
そうして死に物狂いでスカサハに百度槍なり脚なり拳なりを叩き込み(それまでにその三倍はスカサハの妙技がランサーの身体中に炸裂したのは言うまでもない)、晴れて食事にありつけるという訳なのだが、食堂に顔を出す前に一度シャワーを浴びる必要があった。
カルデアにおいて節約の観点からサーヴァントの霊体化は基本禁じられているため、ほぼ全員が半受肉状態で毎日を過ごしている。
生前であれば汗をかいたくらいで湯浴みなどすることはなかったのだが、外界と隔絶されているカルデアでは衛星面からして宜しくないとのことで、強制でないにしろサーヴァントの湯浴みはほぼ必須となっているのだ。
ちなみにそのようにカルデアのスタッフや技術顧問に進言をしたのは腐れ縁の赤い弓兵――アーチャーであり、今日はそのアーチャーが二週間ぶりに食堂のシフトに入っていたと記憶している。今から急いでシャワーを浴びて向かえばまだぎりぎり食堂に居るだろうか。きっとぶつくさと文句を言いつつも簡単且つランサー好みの腹が満たされる食事を提供してくれるに違いない。
『まだ手を出していないとはお前らしくもないな、クー・フーリン。油断していると思わぬところからあっという間に奪われてしまうぞ?』
つい先ほどシミュレーションルームでフェルグスからかけられた言葉を思い出し、ふと足を止めた。寒々しい廊下で一人苦々しく顔を歪める。
次いで「確かにエミヤ殿は俺から見ても魅力的な人物だ。お前がぐずぐずとしている間に俺が貰い受けてしまっても文句は言うなよ?」等と本気だか冗談だか判断のつきにくい台詞と軽快に笑う叔父の姿までありありと思い出されて舌打ちが溢れた。
「……ったく、余計なお世話だっつうの」
オルタもプロトも、そして自分とほとんど同じ在り方で現界しているキャスターさえも、此度の現界においてあの赤いのに思うところはあれどランサーと同じ想いは持ち得ていないようだった。であれば、残る〝敵〟は例えばフェルグスのようにこのカルデアで初めてアーチャーと出会い、奴に絆されたような英霊だけだ。
しかし、その辺りも抜かりはない。こちとらアーチャーがカルデアに姿を現したその日から、顔を合わせた人間や英霊全てにアーチャーとの縁を伝えて回ったのだ。「奴はオレの獲物だ」と知らしめるために。
キャスターには「お前さん本当にオレか?」と若干……いやかなり引き気味に尋ねられたこともあるくらいには、自分らしくない回りくどい行動をとっている自覚はある。が、それもこれも全てあの弓兵を手中にするための布石だ。
なにせあのように捻れに捻れまくっている性格である。正攻法で言葉を贈っても165度くらいに曲解して受け取るだろうし、逆に強引に関係を持つとあれこれと小難しいことを一人で考え込み結果思ってもみない行動を起こす可能性が非常に高い。よって外堀から埋める必要があると踏んだのだ。
――まあ、そろそろ動いても良さそうではあるが。
らしくなく考えに耽っていたランサーは途端に空腹を覚える。半分受肉しているとはいえサーヴァントに食事は必須ではないが、現界してからというもの毎日のようにアーチャーの手料理を口にしていたせいでいつの間にか身体が奴の料理を求めるようになってしまった。マスターにはつい先日「エミヤにがっちり胃袋掴まれたね、アニキ」とにやけた顔で言われ少しばかり低い位置にあるその頭を小突いたばかりである。
「エミヤッ!?」
「エミヤ先輩ッ!」
アーチャーが食堂を去る前にさっさと飯を強請りに行こうと、一歩踏み出した時だった。
まさに通り過ぎようとした扉の向こう側から、今の今まで考えていた男の名を焦ったように叫ぶ二つの声が聞こえてきた。
× × ×
「……しっかし、よくもまああんなに懐いたもんだ」
目の前で自分と全く同じ顔の男が茶を啜りながらおもむろに上げた関心の声に、ランサーは焼豚と白髪ネギの入ったどんぶりから顔を上げた。
キャスターの霊基で現界したもう一人の自分の視線はここカルデア食堂の中央に位置する厨房へと注がれている。
器用に爪楊枝を口端に咥えながら真っ白いテーブルに肘をつくだらけきったキャスターのその姿はカルデアキッチンの守護者に見つかれば大目玉を食らうところだろうが、幸か不幸か今その守護者はこちらに一ミリたりとも意識を割いてはいなかった。
以前までならたとえどれほど食堂が賑わっていようとも食事の席でこのような態度を見せようものならうんざりするくらいに口を出してきたのに、だ。
では一体そんな弓兵に何があったのかと言えば、正に今キッチンでアーチャーが微笑みかけている人物が全ての元凶である。
「なあエミヤー。オレのパンケーキまだか?」
「ふふ、今作っているとも。もう少し待ちたまえ、セタンタ」
三口コンロの前に立つアーチャーと、カウンターを挟んだ反対側でカウンターチェアに乗り上げ、せっせと手を動かすアーチャーの手元を覗こうとしている小さな背中。身に覚えのありすぎるその後ろ姿は三日前からマスターの召喚に応じてカルデアに現れ、数人の英霊達(主に赤い弓兵と己の師匠である)の働きにより今や知らない者は居ないほどすっかり有名人になっていた。
――あの日。スカサハとの地獄の手合わせ百本勝負を何とか乗り越えた日。
帰りに通りがかった召喚ルームから聞こえてきたマスターとマシュの大きな声に、すわ何事かと扉を蹴破らん勢いで部屋に入れば目に飛び込んできたのは声の主二人と、そしてもう何度も目にしているのにいつまでも見飽きない赤い外套。まだ食堂にいると踏んでいたその男は、しかしいつもとは違う様相でそこに立っていた。
「お、おい君、降りてくれないか……っ前が見えんっ」
「イヤだね!一目見てピンときた、お前はオレの伴侶とする!」
褐色の首には短い足が絡まり、そして常に皮肉屋の皮を被っている弓兵の顔面には、真正面からしがみ付いて離れようとしない一人の餓鬼。どれだけの勢いで突撃されたのか、珍しくふらふらとよろめくアーチャーの足下では小さく丸こい毛玉が短い尾をちぎれそうなほどに振り回し、構って欲しげにアーチャーへと吠えたてている。……一体どういう状況だ、これは。
ランサーに背を向ける形で立つアーチャーに張りついていたその餓鬼は、突き刺すようなランサーの視線に気づいたのだろう。ふと顔をあげると互いに同じ真っ赤な瞳とかっちり目が合った。
「……」
「……」
「……はあ!?大きいオレ!?」
「冗談だろ……」
――これが、クー・フーリンの少年時代の姿、セタンタがカルデアに召喚された三日前の出来事だ。
召喚されるなりいきなり自分の顔面に飛びついてきたクソガキがセタンタだと知るや、元々子供にはめっぽう弱いアーチャーの世話焼き性分は200パーセント発揮されることになる。
カルデア施設の案内を買って出ただけでは飽き足らず、カルデアで過ごす上でのルールの説明、他のサーヴァントやカルデアスタッフ達への紹介、終いには「召喚直後なのに歩き回って疲れただろう。これから子供たちにおやつを作るのだが、甘いものは食べれるかね?」とランサーにはついぞ見せたことのないような穏やかな笑みと柔らかな声でもってセタンタに話しかける始末だ。
何よりも腹立たしいのはそんなアーチャーに「ああ、甘味は好物だ!」などと嘯くセタンタである。犬の肉以外に食べれない物はあまりないとはいえ、その時分に好物と言うほど甘味を口にしたことはねぇぞ、オレは。
「あいつもオレだぞ、クソ」
「何だ、ガキに嫉妬するなんざお前さんもまだ青いな」
「うるせぇ槍なし」
「よし喧嘩なら買ってやるぞオラ」
顔に張り付けた笑顔とは裏腹にこめかみに青筋を立てるキャスターを尻目に、ランサーはもう一度キッチンへと顔を向けた。
ゲイ・ボルクを持たない癖して、どういうことか、セタンタにはアーチャーとの縁を魂の奥にまで刻まれているらしい。……それこそ、視界に映した瞬間反射的に身体が動くほどには。
セタンタが少年の姿・精神を持って現界しているとしても、いずれは英雄クー・フーリンと至る器だ。加えてあの時代の自分は今の自分よりも一層行動的な性格である。自分の行動がどう相手の心に影響を及ぼすかなどと考えることは二の次に、思いついたら即行動をしていた自覚はある。
故にこうして見張っていないと、〝その気〟になったセタンタがいつ何時アーチャーに手を出すか分かったものではなかった。
「なあオイ槍持ちのオレよ」
「……あんだよ」
「アーチャーの奴、随分とあいつには甘いように見える」
野次馬精神なのか〝導く者〟としての性なのか、年嵩の自分はどうしてもこの件に首を突っ込みたいらしい。
ランサーの〝監視〟を遮るように無理くり視界に割り込んできたキャスターは、相変わらず呑気に茶を啜りながら口端を吊り上げた。
「こりゃああいつが一歩リードしてるんじゃねぇか?」
「…………何が」
「何がってそりゃお前、」
――嫁取り合戦。
続いた言葉にランサーはようやく注意をキャスターの方へと向ける。新しい実験体を見つけたマッドサイエンティストのような顔と目が合って、やっぱりそっちを見るんじゃなかったと後悔した。全く同じ顔だからこそ気色が悪い。知的だなんだと自分で言っているが、一度鏡でその顔を見てみろと言ってやりたくなった。
「聞けばこの三日間ずっとアーチャーにべったりだそうじゃねぇか」
「それに出会い頭伴侶にするとまで言い切ったんだろ?」
「ねちねちと周りに牽制するばっかりで肝心の本命には手を出そうともしねぇどっかの槍持った腑抜けよか、あいつの方がよっぽどオレらしいと思うがねぇ」
憎らしいほどによく回るその口は、的確にランサーの痛いところを突いてくる。分かっている、キャスターの発言は全て挑発だ。分かりきった挑発に乗るほどランサーも若くはないが、腑抜けとまで言われて黙っているのは戦士として、いや一人の男としてできるはずもない。
いいぜ、その安い挑発に乗ってやろうじゃねぇか。そう意気込んでキャスターの背後――キッチンへと視線を戻した時。離れているはずの二つの影が重なる瞬間が目に映った。
× × ×
どうやらセタンタはパンケーキが大層気に入ったらしい。
まん丸のパンケーキを三段に重ね、蜂蜜をたっぷりとかけた皿があっという間に平らげられるのを見るのは今回が三度目だ。「ゴチソーサマデシタ」と綺麗になった平皿を手渡されながら太陽神も顔負けの神々しい笑顔を向けられるのも、三日前に比べれば何とか耐えられるようになってきた。
「今日も美味かった!」
「それは良かった」
トドメとばかりに賛辞の言葉を述べるセタンタは今にも鼻歌を歌い出しそうなほどに上機嫌だ。
他のクー・フーリン――特にランサーとキャスターはセタンタほど甘いものを好んで食べてはいないと記憶しているが、やはり幼少期の姿となると味覚も異なるのだろうか。
チラと二人のいる方向へ視線を送ってみれば、何やら仲良く話し込んでいる最中らしい。自分同士で話すというのはどのような感覚なのか、想像だにつかないが、そういうものだと受け入れ順応してしまうのがクー・フーリンらしいというか、何というか。
今度キャスターにでも聞いてみようか、などとスポンジに洗剤をつけながら考えていると、凛とした声に思考を遮られた。
「エミヤ。今日はこの後どうするんだ?」
「ん、ああそうだな……今日はシーツの洗濯にでも――と、セタンタ、頬にパンくずがついているぞ」
「うん?何処だ、とってくれ」
「全く仕方の無い……」
手についた泡をすすぎ、エプロンで水気を拭きとってからセタンタの頬に手を伸ばす。陶器のような肌に触れないようそっとパンくずを摘み取り、どうするか一瞬悩んでそれを自分の口に放り込んだ。生地に沁み込んでいたのだろう、ほんのり蜂蜜の味が口に広がる。
取れたぞ、と口を開こうとしたとき、不意に腕を引かれてカウンターに身を乗り出す姿勢になった。途端、真っ赤な大きい瞳が視界いっぱいに広がって、そして小さく、けれどはっきりとしたリップ音が食堂の喧騒に溶けて消える。
それが何かを把握する前に赤い瞳は遠ざかり、元の位置――カウンターチェアへと戻っていった。
「ありがとな!」
それが接吻だと気づいた時には、アーチャーの唇を奪った張本人は満面の笑みを浮かべてこちらを見ていた。あまりにも突然の出来事に怒ることも声を出すこともできず、ただただその眩しい笑顔を見つめることしかできない。
小さな口から覗く犬歯が実に愛らし……いや、今考えるべきはそうではなくて。
「せ、セタンタ……今のはどういう、」
「うん?口吸いのことか?挨拶だよ、挨拶。オレの時代じゃフツーだぞ?」
「そ、そうか……そう、なのか……?」
動揺を隠しきれないまま何とか言葉を絞り出して尋ねるも、こてんと首を傾げながらさも当然といった風に答えるセタンタに、そういうものなのかと半分納得しかけて首を振った。
たとえセタンタの言うことが事実だとしても、今は西暦2015年で、ここカルデアには現代の人間を始め様々な時代・国・種族の英霊が集う場所だ。ほんの挨拶として光の御子たるセタンタにほいほいと接吻などされては、特に現代を生きるカルデアのスタッフや思春期真っ盛りのうら若きマスターに及ぼされる影響は計り知れない。
きっと召喚されたばかりでまだ勝手がわからないのだろうと推測し、大人である私が諭してやらねばと謎の責任感に追われたアーチャーは一つ咳払いをし、共に召喚された子犬と戯れている少年の名を呼びかける。
「セタ……」
「おい、弓兵」
「……何だランサー、君の分の食事はもう――」
思考の波に呑まれている間にこちらまで来たのだろうか。聞き慣れた、しかしいつもより僅かばかり低い声がすぐ後ろから聞こえてきて、アーチャーは小さくため息をついた。後ろにいるということは厨房の中にまで入ってきている、ということだ。
先ほど大盛りの焼豚丼を盛ってやったばかりだというのにこの上さらに食事を強請る気なのか。いくらレイシフト先で食材を調達できるからといっても物資は有限だ。必要以上の食事が必要なのであればその分の食材を持って来いといつも言っているだろう、と。振り返りざまにそう言ってやろうと口を開いた時だった。
ぐいん。背後から伸びてきた長い腕に胸ぐらを掴まれ、身体が引っ張られる。
あ、と思った時には目鼻立ちの良い顔と炎のように燃え滾る真っ赤な瞳が眼前に迫っていて、同時にカウンターの方からは「あーッ!!」とセタンタが声を張り上げるのが耳に届いた。
何をされたか、など考えるまでもない。
唇に伝わる柔らかな感触と人肌の温もりを感じるのは本日二度目だ。
「きっ……、さま、何をするこの駄犬!!」
「ああ?上書きだ、上書き」
「答えになっておらんわ、たわけッ!!」
ざらりとした舌が惜しむようにアーチャーの下唇をひと舐めして離れていくのにコンマ数秒遅れて、ぶわり、身体中の血液が一気に顔に集まるのが分かった。
片方の手で口を拭いながらもう一方で咄嗟に投影し、迷いなく振り下ろした夫婦剣の片割れをひょいと躱し逃げる男の背中に問いをぶつければ、返ってきたのは苛立ちの滲んだ返事と意味のわからない答え。一体何を上書きしたというのか、そもそも食事を強請りにきたのではなかったのか。次から次に疑問が湧いて出てくるが、それらを投げつけるより先に厨房に飛び込んできたセタンタがランサーへと噛みついていた。
「おい、大人のオレ!横取りするんじゃねえよ、オレが先だぞ!」
「うるせぇ、お前にゃまだ早ぇよ。ったく、少し目を離すとこれだ。ガキはパンケーキでもチョコでも食ってろ」
「ハアア〜〜!?お前、オレよりちょっと大きいからって調子に乗るなよ!勝負しろ!!」
「ほお、オレと仕合おうってのか」
「当たり前だ!勝った方が大人しく身を引く、でどうだ!」
「いいだろう。これで座に還ることになっても文句は言うなよ」
大小二人のクー・フーリンの物騒な応酬は食堂と廊下を繋ぐ扉が閉まるまで続き、それから数秒の間を置いて「ついにクー・フーリンが本腰を入れたぞ!」との言葉と共にいつの間にやら静まり返っていた食堂が再び賑わいを見せた。
ランサー達が食堂を後にするまでの間口を挟む隙を与えられなかったアーチャーは、未だいくつもの疑問を抱え一人厨房に取り残されたまま。
「…………一体何だと言うんだ」
乱暴に拭った唇は、しばらくの間火照ったままだった。