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冬木ねこあるき/Novel by らーよ

冬木ねこあるき

13,171 character(s)26 mins

猫の日なので…。
HA後日談時空で槍と昼の間だけ猫の姿になる弓がのんびりぼんやりするほのぼの冬木ライフ。
2020/12/31に発行した本の中身そのままです。

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 その青年は、辺りの注目を一身に浴びていた。
 蒼天のように鮮やかな長い髪は後ろでひとつにまとめられており、青年が歩くたびにまるで尻尾のよう跳ねている。楽しそうでなによりだ。
 目立つ髪から視線を動かすと、今度は本当に人間かと疑いたくなるほど整った、白く輝く精悍な顔立ちが目に入る。表情がないせいでほんの一瞬人間離れして見える気がするのに、紅玉のような瞳に浮かぶ光がその印象を霧散させている。明らかに、生きている。
 そんな顔が乗っている白いTシャツと黒いレザーパンツに包まれた身体には、もちろん余計な脂肪なんてひとつもついていない。服の上からでも鍛えられていることがひと目でわかる、均整の取れたものだった。しなやかな筋肉に恵まれているのだろう、思わず触ってみたいと思わせる体つきである。
 これだけでも十分、道行く人々がつい目をやってしまう要因は揃っていた。だが、街中の視線を独り占めと称しても過言ではない注目ぶりの原因は、じつは他にある。
 まず最初に視界と意識に飛び込んでくるのは、そのやたらと整った顔立ちでもなければ日焼けという概念とまったく縁のなさそうな白皙の肌でも、染めているにしては自然な発色を誇る長い髪でもない。
 青年の肩に、猫が乗っている。それも小さな子猫ではなく、おそらくはすでに成人済みの猫が、なかなかの眼力を披露しながら肩に座している。
 ふわふわとした毛並みは白が基本で、耳と足先だけがふんわりと茶色に色づいていた。かわいいことには間違いないのだが、どうしたってご機嫌がよろしいようには見えない。
 それにしては、大人しく肩に乗っているのが不思議ではある。
「にゃあ」
「わかってるっつの。いいから大人しくしとけ」
「にゃー」
「だからわかってるっての」
 しかも、どうやら一人と一匹、会話している。
 冬木大橋の袂に広がる海浜公園は、冬木でも人気のデートスポットだ。
 そんな、満ちる空気からして浮かれている場所を、なぜか肩に猫を乗せた目の覚めるような美丈夫が大股で闊歩している。表情を見る限り青年も猫も不本意な状況に置かれているとしか思えないのに、青年に猫を振り落とす素振りはないし、猫も肩の上から下りようとはしていない。なまじ青年も猫も見目が良いだけに、視界の片隅に引っかかっただけでもつい二度見してしまうような雰囲気を放っている。
 なぜ、こんなことになっているのか。
 謎が謎を呼ぶその光景を説明出来る人物は、とりあえず当の本人たちに解説する気がなさそうな以上、その場には存在しなかった。


「……はぁ? マジか、それ」
「こんなこと、冗談で言えるわけないでしょ」
「そりゃそうなんだが」
 事の起こりは、単純かつ明快。未だ年若くてもすでに一人前の魔術師である冬木のセカンドオーナーが、ついうっかりをやらかしただけだ。つまり、いつものことである。
 そして、幸運Eのランサーがこういったトラブルに巻き込まれるのもいつものことだった。今回は性悪シスターが直接絡んでいないだけ、おそらくはマシだ。ランサーを貸し出す賃貸料をせしめる程度で、満足しているのではないかと思われた。
 とにかく、マスターであるカレン・オルテンシアに命じられるまま訪れた遠坂邸の居間に客人として通されたランサーの目の前には湯気を立てる紅茶と美味しそうなスコーンが饗され、さらに予想もしていなかった光景が広がっている。
「徹夜明けに大欠伸したらふらついて、ちょうどそこに棚があったからぶつかって、そのせいで棚の上に置いてあった薬の瓶が落ちてきて、中身を頭から被りそうになったところでたまたま近くにいた弓兵に庇われた結果こうなった、と」
「……残念ながら、その通りよ」
 力なく頷いた遠坂凛の腕の中には、白い長毛種の猫がいた。ピンと立った耳と足の先だけが茶色く、子猫というわけではないが貫禄を感じさせるほど大きくもない。
 不機嫌さを隠そうとする素振りすらなく、じっとこちらを見つめる瞳は鉄の色。目つきは悪いが、困ったことに顔立ちはさすが猫、愛らしい。
 だが、ランサーにはわかる。見た目も気配も完全にただの猫であり、どこをどうしたってエーテル体には見えないが、微かにあのいけ好かない弓兵の魔力が感じられた。
「エーテル体のサーヴァントにすら作用して、受肉した状態で外見を変身させる魔法薬ねえ……? 大体、なんだってそんなモンを?」
「ちょ、ちょっとした気分転換だってば。べつに悪用するつもりはなかったし、まさかサーヴァントにも効果あるなんて思ってなかったし……!」
 気分転換でそんな薬をあっさり作り出してしまうあたりはさすがとしか言いようがないが、サーヴァントに効果があると思っていなかったということは、一体何に使うつもりだったのか。
 一瞬、赤茶の髪に琥珀色の瞳を持つ女難の相持ちの少年の顔が脳裏を過ったが、あまり深く考えないことにした。あの少年をターゲットとして調整されていたのであれば、対サーヴァントを想定していなくても弓兵に効いてしまう可能性は十分にある。
 そうだった場合、追求してもランサーにとって益はひとつもない。言うなれば、自ら地雷に突っ込んでいくようなものだ。
 なので、さっさと本題に入ることにする。たとえ幸運Eだとしても、ランサーは一応危機回避能力を備えていた。
「わかった、わーかったよ。で? アーチャーが薬を引っ被って猫になっちまった理由は理解したが、それでオレになにをしろって?」
 カレンを使ってまでランサーを遠坂の邸に呼びつけた以上、彼女の要望を聞き入れない限り解放は望めないだろう。あのシスターが凛相手に奉仕の精神を発揮するわけもなく、だとすればそれなりの対価が支払われているはずだ。
 相手がカレンであれば即座に逃げるが、凛であればそこまで無体なことは要求されない。つまるところはランサーなりの打算の結果なわけだが、凛は目に見えてホッとした表情を見せた。
「話が早くて助かるわ。じつはね、この子が……まあその、アーチャーなんだけど。アーチャーがうちから逃げ出さないように、見張ってて欲しいの」
「は?」
 そんな凛の表情につい絆されて、言葉と共に差し出された猫をつい受け取ってしまってから、ランサーは間の抜けた声をあげた。意味がわからない。
 思わず腕に抱えた猫の顔を見下ろすと、言葉は通じているのかふいと気まずそうに目を逸らされる。自分でも理に合わないことをしている自覚は、一応あるのかもしれない。
 そんな猫化したアーチャーの仕草を眺めながら、凛は深いため息を吐いた。
「猫の状態だと、パスが上手く繋がってくれないみたいなのよ。なのに霊体化も出来ない状態だし、うまくアーチャーに魔力を渡せないの。でも、この家にいれば少なくとも魔力が枯渇することはないから、出来るだけおとなしくしていて欲しいのに……コイツ、すぐ逃げだそうとするのよね」
「そうなのか?」
「…………にゃ」
 腕の中から拗ねたような鳴き声があがったので、凛の主張は概ね間違いないようだ。その割には先刻もおとなしく凛に抱かれていたし、今もランサーに抱きかかえられたままで逃げ出す気配はない。
 なるほど、つまりは凛の意識がアーチャーから離れた隙に、こっそり抜け出そうとするということか。実力行使に出たところで無理なことは、ちゃんと理解しているらしい。姑息といえば姑息である。
「難儀なヤツだな」
「ホントよ」
 他人のことばかりで己のことを省みない弓兵らしいといえばらしい。猫の姿になってしまい、従者としての役目もまともに果たせないのであればこの邸にいる資格はない、とでも勝手に思い込んでいるのだろう。パスもまともに繋がっていないような状態で外に出たが最後、凛がどれだけ心配する羽目になるか、そんな発想は最初からこの男の頭の中に存在しない。
 そういうヤツだと分かっていても、腹立たしさはこみ上げる。そんな気持ちを紛らわせるために猫の頬をつついていたランサーは、ふと先程の凛の言葉に潜んでいた違和感に気づいた。
「……ん? 猫の状態?」
「あら、さすがねランサー。人間の姿に戻ればパスは猫のときよりしっかり繋がるんだけど、肝心の魔力の流れが悪いの。念話のやりとりは出来ても魔力はやっぱり微々たる量しか渡せないから、ちゃんと家で休んでいて欲しいんだけど……」
 なるほど、その先はさすがに言われずともわかる。人の姿に戻った途端、猫の姿のときには出来なかったことをするためにあちこち動きまわるので、まったく休んでくれない、ということだろう。
 ただ、そこでまたひとつ疑問が浮かぶ。
「少々不都合はあっても元の姿に戻れるなら、なんで猫のままになってんだ?」
「アーチャーの意思でなりたい姿を選べるわけでもないのよ。夜になると勝手に戻るし、朝になればまた猫になってるわね」
「……そりゃまた」
 難儀なことだ、としか言えない。もしかして、猫になったアーチャーがやけに大人しいのは、夜の間に消耗しすぎて動くのも億劫だ、ということなのかもしれなかった。
 この男のことだ。人の身体を維持していられる夜のうちにと休みもせずに動きまわって、朝陽がのぼると同時にぱたりと猫の姿で行き倒れてもおかしくない。
「それに、今の状態で元の姿になるのもちょっと問題があってね……人って、猫より質量が大きいでしょ?存在を維持するために必要な魔力の量も当然多くなるから、猫のときより消耗が激しくなるの。人の姿のときのほうが、うっかり魔力不足で消滅する可能性が高いのよ」
 そして、ランサーの予想は大体当たっていた。猫の姿のときのほうが燃費がいいというのは予想外だが、言われてみれば納得だ。図体の大きい動物のほうが餌を多く必要とするものだし、車だって大きくなればなるほど燃費が悪くなる。
「了解。つまり、昼間はコイツが嬢ちゃんの邸から逃げ出さないように見張っといて、夜はコイツが働き過ぎないように見張っとけばいいんだな?」
「ホントに話が早くて助かるわ。ちゃんとお礼はするから、よろしくね」
 凛はそう言い残して、早々に工房へと引っ込んだ。もちろん、アーチャーを元に戻す薬を作るためだ。
 若干の疲れがにじむ華奢な背中を見送ってから、ランサーは抱えていた猫の前肢両脇に手を突っ込み、目線と同じ高さまで持ち上げる。ふい、と猫は目線を逸らした。
「申し分のないマスターじゃねぇか。嬢ちゃんにいらん心配かけてんじゃねぇよ」
「…………」
 反論する気はないらしい。目を逸らしたまま、それでも尻尾は力なく垂れたままだ。反応がないので肩に乗せてみても、逃げ出す素振りは見せずにそのままその場で丸まった。バランス感覚は見事だ。
「……なるほど」
 大人しい理由は、アーチャーの霊基を探ってみればすぐに分かった。魔力が足りないのだ。
「おいおい、からっけつじゃねーか」
 とりあえず、凛の目がなくなったからとすぐに脱出を図るわけではないのなら、好都合である。猫の姿になってしまっている以上、本気で逃げられてもすぐに捕まえられる自信はあるが、無駄な追いかけっこを繰り広げる趣味はない。
「ま、しばらくはのんびりさせてもらうとするかね」
 丸くなったアーチャーを肩に乗せたまま、ランサーは上質なソファの背に体重を預ける。
 警戒心を捨てたわけではなさそうだが、肩の上から動こうとしないアーチャーは、そのまま魔力温存のためなのか寝入ってしまったようだった。


 特にトラブルが起こることもなく時は流れ、西の空から赤味が消える頃。
「…………」
「お?」
 それまで、ランサーの肩の上に乗ったまま微動だにしなかったアーチャーが、音もなく床に飛び降りた。
 茶色い靴下を履いたように見える猫の足がリビングの絨毯に触れると同時に、姿が変わる。ほんの瞬きほどの間に、そこには見慣れた男が現れていた。
 猫の姿のときは服を着ていなかったはずなのに、人型ではきちんと服を着ている。黒パジャマにしか見えないその服装センスはともかく、便利なものだ。
「よう、アーチャー。ずいぶん大人しかったな。逃げるのは諦めたのか?」
「……もとより逃げるつもりなどない」
 声を掛けてみれば、アーチャーは眉間に深いしわを寄せてしかめっ面をした。不本意だと、表情だけでなく全身で主張している。
「ほー? 隙あらば逃げだそうとするって、嬢ちゃんが言ってたじゃねぇか」
「単に人気のない場所に行きたかっただけだ。猫の本能としては妥当なものだろう……ただ、そうすると遠坂の屋敷から出てしまう、というだけで」
 難しい顔でなにを言い出すかと思えば、ただの言い訳だった。この弓兵にしてはキレがない。猫の本能のせいにしてどうするのか。
「とにかく、この姿に戻れたからにはやることが山積している。夕食にありつきたければ邪魔はするな」
「しねぇけど、オレにも嬢ちゃんに任された役目があるんでね。働き過ぎるようなら……って、そこまでカツカツでもねえな」
 昼過ぎにこの邸で顔を合わせたときとは、状態が段違いだ。ちょっとでも無茶しようものなら消滅してもおかしくないほどに魔力が枯渇していたアーチャーの霊基だったが、今はそこまで酷くもない。
「アーチャー、そろそろ戻って……あら?」
 そこに、ちょうど凛が顔を出した。ソファにふんぞり返っているランサーと、その前に立ち尽くしてしかめっ面をしているアーチャーを交互に見遣ってから、ぱちぱちと目を瞬かせて首を傾げる。
「ねえ、昨日よりだいぶ元気じゃない?」
「……不本意ながら、そのようだ」
 凛の疑問に答えるように、アーチャーは目線をそちらに流した。さらに腕組みも追加されたので、本当に『不本意』なのだということが伝わってくる。
 とはいえ、ランサーにはなにが不本意なのかがわからない。そのまま口を挟まずにいると、アーチャーの状態を確認していたらしい凛がぽんと手を叩いた。
「もしかしたら、ランサーから皮膚接触で魔力供給出来ていたのかもしれないわね。サーヴァントって結局は魔力の塊みたいなものだし」
「……おそらくは」
 言葉少なに、アーチャーが反応する。肯定したくはないが嘘を吐いても意味がないので不承不承認めた、とでも言いたげな態度だ。
 だが、それでランサーにもやっと理解出来た。
「やけに大人しかったの、だからか」
 いくら猫になっていたとはいえ、あのアーチャーがランサーの肩の上で噛みつきも引っ掻きもせず大人しく昼寝するなど、おかしいとは思っていたのだ。反発したい気持ちを抑えて魔力の回復に努めていたのだと思えば、納得できる。この男は、そういった部分は突き抜けて合理的だ。
「……仕方あるまい、貴様から魔力を融通してもらうのが現状最も効率が良い。それにあの姿のときは、本能に逆らうのがやたらと難しいんだ。ほんの少しでも心地良く感じてしまえば、その場から動けなくなる」
「マジか」
 どうやら、他の要因もあったらしい。アーチャーらしからぬ主張に驚きかけて、ふと思い出す。
「そういや、さっきも猫の本能うんぬん言ってたな」
「他に考えられん」
 眉間に刻まれているこれ以上ないほど深いしわを見る限り、事実なのだと思われた。悪ノリしているわけでもなくましてや嫌がらせでもなく、純粋に本能に逆らえない弓兵なんて、この期を逃せばなかなかお目にかかれないのではないだろうか。冷静になった時の絵面の薄ら寒さは、ともかくとして。
「ま、いいわ。つまり、昼間はずっとランサーにくっついてれば夜はそこまで神経質にならなくても問題なさそうってことでしょ?」
 なお、凛はあっさりとそう言い切った。ランサーと猫の姿になったアーチャーが常時くっついていたところで、彼女にはなんの害もない。自らのうっかりのせいで従者が消えてしまう危険性がほぼなくなったのだから、むしろ万々歳だ。
「ちょうどいいじゃない。どうせ猫になってたらなにもできないんだし、ランサーと一緒に昼寝でもしてなさいよ」
「凛、だが」
「そうね、ランサーと一緒なら昼間だったら外に出てもいいわよ。傍目には猫を散歩させてるだけに見えるだろうから特に問題ないし、アーチャーは買い物出来るし見回りも出来るでしょ、文句ないわよね?」
「……ぐ」
 アーチャーがすぐに頷けなかった理由は、ランサーにもよくわかる。それが最適解とはいえ、この男の性格ではすぐに頷くのは難しいだろう。そもそも、ランサーに借りを作ること自体を嫌がりそうだ。
 だが、凛に命令されれば拒否も出来まい。元凶は間違いなく凛だが、その彼女は今、アーチャーを元に戻すために時間を惜しんで研究に没頭している。
 となれば、アーチャーに選べる道はひとつだけだ。
「アーチャー?」
「…………了解した」
 渋々アーチャーが了承の意を示すと、凛はホッとした様子でソファに身を沈めた。まだ宵の口もいいところだというのに、すでに目元のあたりに隠し切れない疲労が滲んでいる。
 ずっと、無理をしていたのだろう。能力の高い魔術師とはいえまだ年端もいかない少女のそんな姿を見てしまえば、少々不本意であろうとも無下には出来ないものだ。
「というわけだから、頼んだわよ、ランサー」
「へいへい、りょーかい」
 どうせ、ランサーに拒否権はない。これは報酬が用意された仕事であり、任されたからには全うする。
 報酬の分け前がランサーの手元に来るかどうかは甚だ疑問だが、教会に寄り付かずに住む口実を手に入れたと思えばタダ働きも許容範囲だ。
「あー、よかった。やっと少しは安心してご飯が食べられそうね。アーチャー、お願いできる?」
「ああ、任せたまえ。食事の用意が出来るまで、君は少し休んでいるといい」
「そうするわ。よろしくね」
 そう言って、凛はソファに全身を預けたまま目を閉じた。ここでそのまま、休憩するようだ。
 アーチャーだけならともかくここにはランサーもいるのだが、それだけ信頼されているということか。彼女の信頼を裏切る気はないので構わないのだが、警戒心のなさが少しばかり心配になる。
 だが、年若くとも遠坂凛は優秀な魔術師だ。そのような心配は、おそらく無用なのだろう。たまにやらかす致命的なうっかりは、つい気を抜いてしまうような身内しか身近にいないときだからこそ発生するに違いない。――実際にそうなのかどうかは、知らないが。
 それは、ともかく。
「今日の夕飯、なに?」
 まずは思考を切り替えて、ランサーはキッチンへと足を向けようとしたアーチャーの背中に声をかけた。
 この現界において、食はなによりもの楽しみだ。必須ではないが、生前からは予測もつかないほど発展した現代の食事情は驚くほど充実していて、これ以上の娯楽もなかなかない。
 先程のやりとりを聞く限り、今日の夕食の支度をするのはアーチャーなのだろう、という単純な予測からの行動だ。今までアーチャーが作った料理を口にしたことはないので、腕前は知らない。衛宮士郎が料理上手なことは知っているし、凛が全面的に任せているのだから、きっと下手ではないはずだ。とても人間の食べ物とは思えない激辛麻婆豆腐以外であれば大体なんでも美味しくいただけるので、その辺りはなにひとつ心配していない。
「昨日今日と買い物に行けていないので、冷蔵庫の中身次第だ」
「肉食いてえなー」
 なので、聞き入れられないこと前提の軽い気持ちで希望を口にしてみたら。
「肉……豚バラが冷凍庫にあったか……?」 
 相も変わらず仏頂面ではあったものの、アーチャーは顎に指を当てつつ思案顔になった。そのまま、キッチンへと消えて行く。
「お?」
 どうやら。意外にも、けっこう真剣に考えてくれるらしい。


 ちなみにその日のメニューは、冷蔵庫に残っていた玉子と野菜とハムと冷凍ご飯を使ったふわとろオムライスとえのきの豚バラ肉巻き照り焼き、じゃがいもと根菜のポトフだった。
「むちゃくちゃ美味ぇ」
「冷蔵庫の残り物処理でなんでこれが出来るのか、どうしてもわからないのよね……」
 もちろん、皿の上はすべて空になった。



 ――と、いうわけで。
 それ以来、毎日のようにランサーは肩の上に猫の姿になっているアーチャーを乗せて、冬木のあちこちを歩き回っている。
「にゃー」
「あ? こっちか?」
「にゃ」
「へいへい」
 ランサーに触れていないと意味がないので、リードで繋いで勝手に好きなように歩け、というわけにもいかない。なので、ちょくちょくアーチャーの希望を聞きながら、ランサーが行き先を決めていた。
 猫の言葉が理解出来るわけではないから、本当に弓兵の希望に添っているかは不明だ。とはいえ、人間の姿に戻った後に文句を言われた覚えもないので、一応希望は叶えられているのだろう。
 今のところ行き先は大体、深山のあちこちだった。よく考えれば、冬木大橋を渡って新都のほうへと足を伸ばしたのは今日が初めてだ。
「……港か?」
 鳴き声で示された道の先にあるのは、ランサーが暇なときに釣り竿片手によく訪れている港である。アーチャーもちょくちょく顔を見せていたので、この先にあるのは釣りくらいしか楽しめない防波堤しかないことはよく知っているはずだ。
「あんなとこ行ってどうすんだ?」
「にゃ」
 今日は釣り竿なんて持ってきていない。普段のアーチャーなら道具の準備がなくても問題ないだろうが、さすがに今の状態ではどうにもならない。釣り竿を投影などしたら、それこそ魔力不足で消えてしまう。
 首を傾げていたら、肩の上で丸まっている猫の尻尾がランサーの背をはたいた。なんでもいいからさっさと行け、と主張しているようだ。
「へいへい」
 釣果はデタラメな傾向がある港だが、それ以外に特に気になる点はない場所だ。なぜアーチャーがそんなところに行きたがるのかわからないものの、日頃と変わらないことを確認したいのかもしれない。
 大体はアーチャーの希望で何カ所かの様子を確認したあと、買い物をして遠坂の邸に戻ることになる。今日は大橋を渡る遠出をしたので、巡回はここで最後になるだろう。
(今夜は魚が食いてえな)
 後で買い物中にリクエストしてみるかと、そんなことを考えているうちに視界は見慣れたものに変わっていた。相変わらず人っ子一人いない防波堤、繰り返しの四日間では幾度となくアーチャーとギルガメッシュに邪魔された、ランサーの楽園だ。
 今日は見事な快晴で、風もさほど強くない。朝からのんびり釣り糸を垂れていれば、きっと充実した時間が過ごせただろう。
 今はちょうど潮止まりの時間なので、竿があったとしても釣りは堪能出来なさそうだ。少しだけ残念な気分を味わっていると、肩が急に軽くなった。
「おい!?」
 アーチャーが、突然飛び降りたのだ。
 なんで常時ランサーにくっついている必要があるのかを忘れたわけでもないだろうに、やることがめちゃくちゃである。ここで放置してうっかり最悪の事態にでもなろうものなら、お目付役のランサーまでキレた凛の手で座に還ることになりかねない。
「待て、テメェ何考えて……」
 逃げ出したアーチャーを慌てて回収しようとしたランサーだったが、すぐに動きを止めた。
 当のアーチャーが、ほんの数歩先の地面に前足を胸の下にしまい込むようにして座り込んだからだ。
「……なんだよ、釣りしたかったのか?」
 聖杯が、猫のこの座り方は『香箱座り』と呼ばれている、という役に立つのか立たないのか微妙な知識を流してくる。
 アーチャーが陣取っているのは、ここで釣りに興じるときにいつもランサーが座している場所だ。じっと海面を見つめている鋼色の瞳に浮かぶ感情の種類は、あいにくランサーにはよくわからない。
 ただ、ゆっくりと近づいてから、アーチャーの隣であぐらをかいて。
「よっと」
「にゃっ!?」
 あぐらをかいた足の上に、香箱を組んだアーチャーを乗せる。ほんの少しの間なら問題ないだろうが、遠坂の邸から遠く離れた状態でアーチャーを身体から離したままにしておくのは、あまりに危険だ。
「ほら、これなら何時間いても平気だろ。気が済むまで付き合ってやるよ」
 足の上にアーチャーが座っている限り、ランサーは立ち上がれない。
 ほんの少しの間、足の上からランサーを見上げていたアーチャーは、すぐに視線を外した。
 誰もいない堤防は、静かだ。穏やかな風に乗って打ち寄せる波の音だけが、繰り返し聞こえてくる。
 半袖シャツ一枚でもまだ奇異な目で見られることはない季節だが、気温は夏ほど暑くない。人間なら、風の強さ次第で肌寒さだって感じるだろう。
 サーヴァントであるランサーにとっては、気にするほどのことでもない。それでも、足の上に乗せた猫の体温は温かく感じた。
 それでも、しばらくそんな時間が続けば退屈はしなくても手持ち無沙汰にはなる。とはいえ煙草を吸う気にもなれず、紛らわすためにじっと海を見つめている猫の頭を撫でた。ほんの一瞬、ぴくりと反応したアーチャーだが、逃げ出しはしない。
「そういや、最近ここでオマエ見てなかったな」
 アーチャーが港へひょっこり顔を出してはランサーの邪魔をしていたのは、思い出してみれば繰り返しの四日間のときだけだ。
 どういうわけか続いた五日目以降の現実では商店街をはじめとする深山の街中ではちょくちょく顔を合わせるようになったが、港でその姿を見ていない。釣りにかまけるような時間の余裕がなくなっただけだと本人は言い張りそうだが、ランサーの本能がそれはただの言い訳だと察知していた。
「なあ」
 頭の後ろから背中へと撫でる手を動かしながら、声をかける。返事はないが、無視しているわけではないようだ。耳で、小さく反応を見せた。
「嬢ちゃんの薬が完成してオマエが元に戻ったら、また釣りしに来ようぜ」
 楽園を台無しにされた記憶しかないのに、自分でもなにを言っているのかとは思う。
 だが、あのバカバカしい、騒がしいだけの時間を繰り返しが終わって以来一度も体験出来ていないのは、どういうわけかもったいないように思えた。いつも眉間にシワを寄せたしかめっ面をしている男が、まるで人が変わったようにはしゃいでいる姿が今考えてみると面白かった、というのもある。
 しかも、かなり稀少なものだったようだ。当時はうんざりしかしなかったものだが、時間が経つと少しは受け取り方も変わるらしい。日頃は小言がうるさい弓兵だが猫になっているせいで、昼間は一切小言を聞かない状態が続いているからだろうか。
 もしかしたら、香箱座りをする猫はリラックスしていることが多いのだと、聖杯がそんな余計な知識まで流して寄越したからかもしれないが。
「…………」
 アーチャーからの返事は、やっぱりなかった。猫の頭がそっとランサーの足に擦り寄ってきたので、それが返事だったのかもしれない。引っかかれもしなければ尻尾ではたかれもしなかったのは、かなりポイントが高いと思うのだ。
 だとすれば、この期を逃す手はない
「今晩、鮭食いたいな~」
「……みゃ」
 完全にランサーの足の上でくつろぎの態勢に入っていたアーチャーは、ついでのように一声鳴いた。


 十五時過ぎまで堤防で海を眺めていたアーチャーが自主的にランサーの肩の上に移動してから深山の商店街へと移動し、夕飯の買い物をして遠坂邸に戻ってきてもまだ陽は沈んでいなかった。
 邸の中にいれば、外にいるよりは魔力の消費も抑えられる。それにもうすぐ人間の姿に戻る時間なので、無理にランサーにくっついている必要もない。
 荷物を運んだランサーは、おそらくそう判断している猫のアーチャーに荷物を置くと同時にキッチンから追い出され、仕方なくリビングルームのソファでひっくり返っていた。邸内は禁煙なので、煙草を吸うこともできない。夕食の準備が整えば、人間の姿に戻ったアーチャーが呼びに来てくれるだろう。
「ランサー、お疲れ?」
 声を掛けられて、顔の向きを変える。リビングの入口からひょいと顔を覗かせたのは邸の主人だった。
「そーゆーわけでもねえんだがな。アーチャーに台所から追い出された」
「そろそろ人の姿に戻る時間だものね。変わるところあまり見せたくないんでしょ」
 今日も凛の顔には、色濃く疲れが滲んでいる。それでもここ数日のうちでは、いちばん晴れやかな表情をしているように見えた。
 ランサーがこの邸に呼びつけられてから、そろそろ一週間近い。もしかしたら、と思ったら。
「アーチャーを元に戻す薬、明日の朝にはなんとかなりそうなのよ。本当にありがとう、ランサー。世話になったわ」
 もちろん、その予想は当たった。この状況を解決するための見通しが立ったのは、これ以上ないほど喜ばしいことだ。
「なぁに、大したことはしてねえよ。アイツ連れて散歩と買い物してただけだしな、ほとんど」
「その散歩が大事だったのよ。ランサーが連れ出してくれなかったら、アイツのことだからそれこそストレスでどうかなってたかもしれないじゃない」
 それは、確かにあるかもしれない。昼間は魔力不足のせいか概ね大人しかったアーチャーだが、日が経てば経つほど魔力が足りない感じが減るのに比例して、焦燥のような苛立ちのような、刺々しい感情の発露も減っていた。
 ただ、ことあるごとに憮然としていたのも伝わってきていたので、そこは少々同情する。
「まー、連れ出してやってた相手がオレじゃなきゃ、もっとストレス減ってたかもしれないけどな」
 どう考えたって、気の合わない相手とほぼ半日くっついて過ごす羽目になるより、もう少し仲の良い相手のほうが……と思いかけて、ふと気づく。
 アーチャーと仲の良い相手とは、一体、誰だ?
「あら、知らなかった? 呼ぶならランサーがいいって言ったの、アーチャーよ」
 ランサーと向かい側のソファに腰を落ち着けた凛がそう口にしたのは、脳内でその疑問にぶち当たるのとちょうど同じ時だった。
「アイツ、女の子相手にはなんだかんだでカッコつけだもの。セイバーに猫になった姿なんて絶対見られたくないだろうし、ライダーにだってそうでしょ。だからって金ピカは問題外」
 言われてみれば、納得しかない。サーヴァントに限る以上、他の面子に至ってはそれこそ候補にもならないだろう。
 それに、よくよく考えてみれば、あれだけ冬木のあちこちをうろついたのに、知り合いにはひとりも遭遇しなかった。ランサーはそんな些細なことなどまったく気にしていない以上、他の誰にも会わない場所と時間をアーチャーが選んでいたということだ。
「猫の姿にされた、なんて格好悪いところを見られてもさほど気にならなくて、ついでに少しくらい迷惑かけてもアイツ自身が許せる相手がアナタしかいなかったんじゃない?」
「……なる、ほど?」
 説明されても、今ひとつピンとこない。だが、気に掛けている相手に心配されたりしたくない、という弓兵のこだわりはなんとなく想像出来る。凛にすら猫の姿を見せたくないあまり、邸から逃げだそうとしていたくらいだ。
 ただ、そんな面倒くさいにも程がある男から、他の誰にも迷惑はかけたくないのにランサーにだけはかけてもさほど気にならず、どれだけ格好悪いところを見られても後々の対応は変わらないと判断されているらしい、とわかってしまうと。
「……なんなんだかな」
 他人に頼るということを知らないあの男からそう思われているということは、もしかしてある種の甘えであるのかもしれない、などと。
 そんな、少々頭のネジが飛んでいるかもしれないようなことを、思ってしまうのだった。
 ――なお、今夜のメニューは鮭と白菜のクリーム煮である。


 翌日の朝には凛の言っていた通り、アーチャーは元の姿を取り戻していた。
 だとすれば、まずは。
「よっし、今日は釣り行こうぜ!」
 用意された作りたての温かい朝食を堪能しつつのランサーの誘いに、アーチャーは肩を竦めて返す。
「承知した。港中の魚を釣り尽くしてしまっても構わんのだろう?」
 目の下に盛大な隈を作った凛が、欠伸をしながらそんな従者を眺めていた。

Comments

  • なぎさん
    3 days ago
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