中居くんをめぐるあれこれ①
今回は元SMAPの中居正広さんについて、思いつくところが無くなるまでつらつら考えてみたいと思う。
何も結論が決まっていないまま書き始めたのでだいぶふわふわした筆致になるかと思いますが、どうかご容赦ください。
本稿を書くにあたり、まずハッキリさせておかなければならないのはその呼び名である。
本来であれば「中居正広さん」「中居さん」あたりが順当なのだろうが、どうもしっくりこない。
彼のことを想起するとき、多くの人は心の中で「中居くん」と呼んでいるのではないだろうか。ご多分に漏れず私もそうである。
口語的なニュアンスでいうと本当は「中居クン」でもいいのだが、さすがにちょっとクドくなりそうなので、やっぱり「中居くん」と表記することとしよう。
最近の中居くんの印象を述べるとなると、やはりペイペイがらみの「ソフトバンク」のCMということになってくるだろうか。
とても勝手なことを申し上げると(今回は全編“勝手”感がとりわけ強くなりそうだが)、いつもそのCMを見るたびに「なんかパサついてんな~」と思っていた。
この世には「サラダチキン」という食物がある。最近は食べる機会も多いが、たまに「モサモサ感」しか感じられない“無味乾燥”そのもののすごいのにぶち当たるときがある。その中でも「こんな会社あったっけ?」みたいな弱小メーカーが販売しているような「ハズレのサラダチキン」、たとえるならばそんな感じ。
ソフトバンクは儲かっている会社なのでCMにかけられる予算は潤沢だ。
だからそもそも中居くんという高額ギャラのタレントをキャスティングできるし、セットも豪華だし、CMの中の中居くんはちゃんとした衣装を着飾っている。
そして中居くんもいつもの「中居正広」然とし、十全なパフォーマンスを一見披露しているように見える。
これだけの良い材料が揃っているので、そんなCMを目にしたら「おっ、今日はなんか得したな」と思ってもよさそうなものだ。
でも、出てくる感想は「ハズレのサラダチキン」である。
金がかかった「カラ元気」ほどむなしいものは無い。
中居くん自身が、世間の思う「中居正広」像に倦いているというか、「(思い過ごしかもしれないけれど)この人毎日が楽しくないんだろうな~」と邪推させる何かがあった。
画面がきらびやかな分、中居くんから発せられる荒涼としたパサパサ感とで余計にギャップが発生し、CMを目にするたびになんだかうら寂しい気持になった。
あと潮目が変わったというか、「え、中居くん何やってんの……?」と思ったのは、彼が旧ジャニーズ事務所からの退所を発表した記者会見だろうか。
中居くんとしても「ここは勝負どころ」という一世一代の場だったに違いない。
大勢の報道陣が詰めかけるなか、どこかのタイミングで中居くんはおもむろに小瓶を取り出した。
「ジャニーさんの骨です」
小瓶の中には、2019年の夏に亡くなったジャニー喜多川氏の遺骨が入っていた。
ピリッとした空気が流れる瞬間だった。
少したとえが古いが『水戸黄門』でいうところの「印籠」を髣髴とさせた。どんなピンチの状況下でも、取り出すだけで敵対者たちが「ははぁ~~」と一気に無力化する、魔法のアイテムだ。
言ってしまえば「これを分けてもらえた俺には下手な手出しはできないぜ」という一種の威嚇行為である。
百歩譲って内々の場で関係者に「これ、遺骨なんですよ……」とこっそり見せる瞬間はあってもいいと思うのだが、あんな公の記者会見の場で、記者たちの背後に控えている我々民衆の目にもさらす形であの小瓶を見せつける必要はあったのだろうか。
イギリスのBBCが「J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル」と題し、ジャニー喜多川氏による長年にわたる少年たちへの性的虐待を報道したのは2023年3月。
中居くんの退所会見が行われた2020年2月時点では、その小瓶は(権力を示す上での対外的な意味合いにおいては)まだ効力を失っていなかった。
時を戻す。
中居くんが何かヤバいことをやらかしたらしいという第一報が入ってきたとき、「でももう示談が済んでいるんだって」「へー、今でもテレビに出て続けているし、その程度のトラブルだったのかな」くらいの認識だった。
そこから先の怒涛の展開は、にわかに信じがたいものがあった。
感覚的には「くすぶってるけど、ま、そのうち消えるだろう」という炎がなんかチラチラしてんな~と思っていたら、目を離したスキに超弩級の山火事に変貌していたという感じだ。その燃えひろがりようといったらすさまじかった。
ボーボー燃えさかる炎に飲み込まれて次第に姿が見えなくなってゆく中居くんに、私は遠くの方から呼びかける。
「中居くん、あんた何やってんだよ!」
ちなみにコカイン使用でピエール瀧が逮捕されたときも「あんた何やってんだよ!」と思った。
アレは2019年だから、6年ぶりの実感。
芸能人というのは基本的に天の上の届かない存在である、と私は思っている。
芸能人たちは己自身の持てる能力と才能をフル稼働させて「これなら金を払ってもいい!」と大勢が価値を見いだす「芸能」を我々民衆に提供し、その対価として日々莫大な金を稼いでいる。
この世は現在資本主義というルールが適用されているので、莫大な金を稼ぐ力を持った人物は軒並みとりあえず「エラい!」ということになっている。自分のような、毎日の生活と労働でヒイヒイ言って地べたを這いつくばってもんどり打っているような底辺のくされ一般人なんかと比べると(そもそも比べるという行為自体がおこがましいのだが)、芸能人という存在は我々の手が届きようもない、まったく身分が異なる、やんごとなきお方たちなのである。
そういうこともあって、芸能人に対して一方的な親しみを感じることを私は自分に禁じている。
しかし悲しいかな、この世には「ザイオンス効果」と呼ばれるものがある。
ザイオンス効果とは、特定の人物や物事に何度も繰り返し接触することで、好感度や評価が高まっていくという心理的傾向を指す。
芸能人は人気になればなるほど多くのメディアに顔を出すことになるので、たくさんの人の目に触れる機会が自然と発生する。
仮に、そんなに好きでもなさそうな感じの人がテレビに出ているのを最初に見て、「まぁこの人はどうでもいいかな…」というファーストインパクトだったとしよう。その芸能人のテレビ出演がそのまま初回こっきりで終わっていたら、当然受け手のその印象は変わらないままである。
しかし、その芸能人が力を付けて人気になり、テレビとかにばんばん出だして目に触れる機会が多くなると、人間には「特定の人物や物事に何度も繰り返し接触することで、好感度や評価が高まっていく」性質があるので、いつの間にか「あ、なんかこの人いいかも…」と親しみを感じざるを得ない状況になっていたりするのだ。
あとザイオンス効果なんていう小難しい用語を持ち出すまでもなく、私も人の子であるので、「この人には楽しませてもらったなぁ」と思った芸能人には(たとえそれが一方的な想いであるとハッキリ自覚していても)親しみを感じてしまう。
そして私はテレビっ子なので、「この人には楽しませてもらったなぁ」と思わせてくれる・思わせてくれた芸能人がわんさかいる。「芸能人に対して一方的な親しみを感じることを私は自分に禁じている」という気持に偽りはないのだが、まぁ正直ウソですよね、と開き直れるくらいにはそこらへんの心の予防線がガバガバに出来ている。
そんな一般テレビっ子にとって、一時期のSMAPというのは本当に最強の存在だった。
「SMAPや ああSMAPや SMAPや」
俳聖・松尾芭蕉もかつてそんな句を詠じたとかいないとか(詠じていない)。
SMAPが解散したのは2016年12月31日。
SMAPがいなくなって、丸8年が経過した。
もうそんなに経っていたのか。そりゃあ私も年を取るわけだ。
この殺伐とした地獄のような現代を、SMAP無しというハンデでよく8年も生き延びたものだ。
SMAPはアイドルグループであったが、私の感覚的には「カレーライス」とか「ラーメン」とかの領域に達している人たちだった。
つまり、「誰もが好き」な存在だ。
カレーライスやラーメンを嫌いと言う人が基本的にいないのと同様に、SMAPを嫌いという人はいない。少なくとも私の周りにはいなかった。
【補足】
もちろん、カレーライス、ラーメン、SMAPが嫌いな人は当然この世にいるだろう。人には好みがあるのだから、当然いたっていい。人間の生物進化における多様性の担保のためには「嫌い」と言える人たちがむしろ必要な存在である。
ただ、割合としては「好き」という人たちが大多数だろうな、という話に過ぎない。
そういえばマヂカルラブリーの野田クリスタルは「カレーが嫌い」ということを公言していた。同調圧力が日々強まる現代日本、「カレーのことを嫌いという奴はただの逆張り野郎だ」なんてレッテルを貼られかねない昨今の状況下でのこの告白は、さぞかし勇気がいることだったと思う。
ちなみに嫌いな理由は「日本人的には味のクセ強いし、独特な味だから」とのこと。
SMAPという存在は、電気・ガス・水道・道路・公共交通機関なんかのインフラと同じで、「永遠にあるもの」だと思っていた。
当然人間には寿命というものがあるのでいつかは絶対に終わりが訪れることは分かりきっているのだが、その「終わり」を想像したくないと思わせてくれるグループだった。
同じことはかつてのフジテレビの看板番組『笑っていいとも!』にも言えた。
『いいとも』はメインMCの森田一義ことタモリがたとえ亡くなったとしても、超高性能な「タモリAI」なんかが急ピッチで開発され、そいつが何事もなかったように2代目MCに就任して私の死後も永遠に続く番組だと思っていた。
『いいとも』が終わったのは2014年3月。もう丸10年以上が経過した。
そりゃあ私も年を取るわけだ(2回目)。
それにしても、『いいとも』最終回の中居くんのスピーチは本当に見事なものだった。
次回は、それについて触れることにしよう。
つづく。
つづき ↓


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