ロレンソ了斎について
読書の秋ということで、日本におけるキリシタンの人物で、私がとても惹かれている人物について書きたいと思います。
その名は「ロレンソ了斎」です。
挿絵は「狩野内膳の屏風」に描かれている。
なぜ惹かれるのか?私自身にもはっきりとわかりません。最期まで光を見ることをあきらめなかった人だと感じたからかもしれません。
ロレンソ了斎は、1526年、平戸の漁村に生まれました。
生まれつき目が不自由で、琵琶法師として生計を立てます。町から町へ、寺から寺へと渡り歩きながら、物語を語って生きる日々。
その途中、山口でキリスト教の説教を耳にし、深く惹かれます。
1551年、フランシスコ・ザビエルの手で受洗し、「ロレンソ」という洗礼名を授かりました。
以後、彼はイエズス会の宣教師たちを助け、布教活動に力を注ぎます。
1563年、正式にイエズス会のイルマン(修道士)となり、1592年、長崎のトードス・オス・サントス教会にて、世話をしていた青年の腕に抱かれながら66歳で亡くなりました。
彼を知る宣教師たちは、「神から照らされた盲人であった」と記しています。
ロレンソは、日本の伝統文化や仏教・神道にも深い理解をもち、記憶力に優れ、機知に富んだ人物だったと伝えられています。
琵琶法師として多くの人と出会い、観察し、洞察を深めていくうちに、彼の性格は強さを帯びていきました。
そんな中でキリスト教に出会い、彼は何を感じたのでしょうか。
琵琶法師が語る「平家物語」は鎮魂の物語であり、声を通じて魂を癒す行いでもあった。
キリスト教の説教や聖歌にもまた、声によって魂を揺り動かす力があったのではないでしょうか。
ロレンソは、貧しい人々や病者、孤児に寄り添うキリスト教の精神に、「生きるために声を使う」という自らの原点を見出したのかもしれません。
そして、琵琶からコンタツ(ロザリオ)へ。
彼は、手にするものを変え、生き方を変えた。
もちろん、彼の現実が穏やかだったとは思えません。島の村に身を寄せたり、称賛されることもあれば、追放・監禁を受けたこともあったと記されています。
それでも彼は、足利将軍・織田信長・豊臣秀吉に謁見し、高山右近やその父の受洗にも関わりました。
僧侶を論破するほどの知性を持ち、日本人でありながら西洋の真理を語ることができた。
また、イエズス会という組織に所属しており、
そして、無縁者であったこと。
それが彼を特別な存在にしたのだと思います。
盲人は当時、「見えぬゆえに見通す者」とされ、死者の声や神仏の言葉を媒介する境界の職能者でした。
社会的には被差別の立場でありながら、精神的には畏怖される存在。
ロレンソは、その両義性を体現した、まれに見る人物だったのです。
ロレンソは生涯の終わりに、彼の一番の強い望みは、「神との話し合いの静けさ」だったと記されていた。
死を語るより、生きることを語り、静けさを望んだ人生を読んで、その人間という輪郭を何度もなぞり、そこに光を感じるのはきっと私だけではないと思いたい。
参考になった文献


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