第六話
停滞していた人の群れも、ひとたび命が下されれば傾きを得られた水面のように流れ出す。その流れが戦場の重力に引かれ、転がり落ちるに過ぎぬとしても。交通路から歩みは外れ、荒涼とした世界の様相は一変した。天然林の生物多様性は侵入者を拒む防壁としての側面を見せていた。
幾重にも連なる梢が陽光を濾し、兵士の群れを次々と飲む。苔と落ち葉が地表を覆い、半長靴の置き場を徒に惑わせた。執行猶予仲間が不用意に樹枝を擦り、荒くれた懲罰兵が血走った視線を滑らす。
「おい」
「……んだよ」
「枝、擦んな」
「煩い、引っ込んでろ」
「てめぇ、殺すぞ」
伏兵が潜む緊張は、粗暴で享楽的な人間ですら勤勉な兵士へと引き戻す。閨で囁く男女のように懲罰兵達は器用に罵り合っていた。まさしく相思相愛。眼前で慕い合う彼らに横恋慕の情を抱いた帝国騎士は割って入った。
「足は踏むんじゃなくて置け。足元を見るな、一歩先を見据えろ。避けられない枝は払うんじゃなくて、持って戻せ」
ぎょっと固まったままの懲罰兵へと顔を寄せたウォルムは目を細めて覗く。まだ返事はない。果たして理解できたのか。誤解なき情報の伝達、円滑なコミュニケーションは社会的動物として何より大事である。帝国騎士は短く丁寧に確認を取った。
「いいな?」
「……あ、あぁ」
満足のゆく返事を得られたウォルムは、再び歩み始めた。枯枝を避け、歩幅は小さく。ただ進むのではなく通れるところを繋いでいく。粛々と行軍は続いた。森は生き物が死に絶えたように沈黙を保つ。虫の声が層を成すことも、鳥の羽ばたきすらもない。ただただ喉が詰まる息苦しさが一帯を支配している。
確実に異物が潜んでいる。誰しも本能的に嗅ぎ付けていた。粘着質な圧力は胸に圧し掛かり、思考を鈍らせていく。限りなく近い空気は、迷宮での遭遇戦であろう。淀み沈んだ空気は皮膚にへばり付く重さを含み、訪れた者に時間さえ停滞した錯覚を起こす。不慣れな者にとっては息をするだけで心身を摩耗させていく環境であった。
ウォルムは視線を真横に滑らせた。突入時には揃えられていた戦列はすっかり歪みつつある。傍の兵士達をじっと睨み、手振りで歩調を整えるが、それが限界であり妥協点であった。街道や平地のように厳格な横列など望んではいけない。協調性に欠ける懲罰兵、フレック率いるマイヤード公国軍の魔領偵察小隊という混ぜ物とあれば尚更である。
「嫌な役目だ」
羽虫にも劣る声量で帝国騎士は言葉を漏らす。配置されたのは異種物の繋ぎ目。性質の異なる部隊を一つのラインとして機能させる上で、尤も脆弱な接合部の調整役を命じられた。軽装歩兵の便利使いを嘆くホゼがウォルムを更なる便利使いしている。大層なのは肩書だけ。そんな存外な扱いも何処か懐かしさすら感じた。
僅かにマイヤード兵が先行している。魔領を専門としてきた兵員だ。整備どころか道すらない天然林の歩き方を心得ていた。故に、先に狙われたのは整然と進む魔領偵察小隊であった。静寂は前触れもなく破られた。魔力が蠢き、輝きを以って森林を揺るがす。
「は、っ? ぐっ、げぇァ――」
「伏撃だぁッっぁああ!!」
「ふぅ、ぅ、うでがァ、うでがぁっ」
森に暴風が踊り、火炎が躍る。土弾の直撃を受けた兵士の胸甲がひしゃげ、口から血と吐瀉物の混合物を吐き散らす。僅かに遅れ、懲罰中隊にも攻撃魔法が殺到した。
「伏せろッ!!」
腰を沈め樹影に張り付いたウォルムは罵声を放つ。魔力が渦巻いたのは、樹木の連なりや窪みなど様々であったが、部隊に痛打を与え切るには控えめな投射量であった。
「くそ、綺麗な方を先に狙うよな」
リベリトア商業連邦軍は貴重な魔導兵の一部を森に割いている。その事実だけで分遣隊は最低限の役割を果たしていた。森での戦闘が始まり、今頃は砦への総攻撃が敢行されているだろう。だが最小で甘えるほどウォルムは慎ましい性格ではなかった。軽装歩兵の偽装をかなぐり捨て、内に秘めた魔力を火球へと変え撃ち込んだ。土埃に混じり血霧が植物を彩る。敵魔導兵の一人は新鮮な肥料へと変わった。
「魔導兵!? 雑兵に混ざってたのか!!?」
「あそこだ。はやくっ潰ッ――」
続け様に二射、三射と撃ち込む。軽装歩兵に扮する魔導兵を初撃で削れなかったのは、リベリトア兵にとっては不運であった。名ばかりの騎士も、雑兵に紛れ込むには好都合。露見した投射点でも脅威となる順に無力化させていく。
「おい、緩んだぞ」
「今のうちに」
攻撃魔法が降り注ぐ戦場の中でも、火点の空白地が生まれた。先手を取られた故の動揺から懲罰兵は後退を望む。
「何時までも地面にへばり付くな、突っ込めぇええッ!!」
彼らの意図を汲み取った上で、ウォルムは捻じ伏せた。背を見せれば完全に潰され、半端に受ければ押し切られる。設けられた殺傷区域に嵌まり込んだが、連中も万全ではない。不揃いの着弾は伝達不足と火力不足の証明。損害は受けたが致命傷ではない。最も損害を減らす道は、血腥い乱戦しかなかった。
「呆けるなよ。逃げ帰れば極刑だ。価値を証明しろッ!!」
喊声に呼応してホゼが遠方から命令を下した。勇気や名誉を称えるでもない。延命の為に命を擲て。懲罰兵に対する強烈なメッセージであった。規格品としては不合格の烙印を押された彼らも、規格品外故の強みがある。
地を這うような姿勢でウォルムは森を駆けた。木々の隙間を縫い、進路を小刻みに動かす。偏差を捉えきれなかった土弾が虚空を貫く。大地を依り代に利用する土弾は費用対効果に優れた魔法ではあったが、遮蔽物が散在する不均一な足場ではその価値を発揮しきれない。狙いは護衛を付き従えた土属性魔法持ちであった。
「駄目だ、低い」
「誰か、あいつを殺せ!! 早くしろっォ」
砦の防衛を優先した故に飛び道具は少ない。頼みの綱の魔導兵も局所的に沈黙していた。このまま懐に潜り込める。そんな淡い期待は、苔生した根の陰から輪郭が滲んだことで破綻した。
「みつ、けたぁ」
殺気に溢れた双眸は、復讐に飢えていた。正体は仕留め損なった敵方の魔導兵。体現した魔法は炎であった。多少の誤差は爆風で補う。そんな思想が透けて見えた一撃は、ウォルムの進行方向ごと全身を包み込む。火属性の魔法持ち故の抵抗性で帝国騎士の一撃を耐えきった魔導兵が、頬を緩めた。
「う、ははっ、止めた、止めたぞ!!」
「次だ、後続ぉ、ぁ――」
不自然な言葉尻。同僚の魔法持ちから漏れるは水気交じりな音。魔導兵は遅まきながら気づいた。穂先が胸元を貫いていることに。
「なっぁ!!?」
一足先に火炎から抜け出した斧槍を追い、その柄を掴んだウォルムは無造作に振るった。枝刃が護衛兵の喉元を毟り取り、続け様に魔導兵へと槍先を差し向ける。得られたのは鈍い手応えと金属音。魔導兵が咄嗟の抜刀で刺突を防いでいた。
「ば、化け物がぁああ!!」
仰け反った剣が戻る前にウォルムは上段から斧槍を見舞う。防御を食い破り、肩口から脇まで斧刃が抜けた。反復された修練による咄嗟の防御。よく訓練された兵士の証であった。
「魔導兵で、これか」
手強い敵と踊りたい願望などウォルムにはない。傍に控えていた白兵戦を生業とする歩兵が殺到する。ウォルムは惜しみなく火球を放つ。攻撃魔法による打撃後、突撃を意図していたのだろう。本領を発揮しないまま集団は火炎に沈む。
「にィがすなぁ、殺せぇぇええ!!」
火炎の中から呪詛が漏れた。減退を繰り返す魔力膜を纏った数人が殺到する。誰しも手傷を追っていたが、動きに錆びつきはなし。森林の特性と同胞が遮蔽物の役割を果たしたのは明白だった。
「生焼けは嫌いだってのに」
腰を落とし、徹底抗戦の構えを取るウォルムの背後からも無数の刃が殺到しようとしていた。だが驚くことも備えることもはない。限りなく地面と一体化していた懲罰兵が遅まきながら殺到したのだ。直槍がリベリトア兵の胸元を捉え、地面へと打ち倒す。また別の懲罰兵が振るった剣が兜ごと頭蓋を砕いた。規格外品とは言えデュエイの拳に扱かれた連中はその価値を証明していく。
「兎に角、敵に絡みつけ!! 隙間を空けるなよ。魔法で突かれるぞ」
リベリトア商業連邦は羨ましくなるほどに真っ当な国家だ。少なくとも白兵戦を興じる味方ごと魔法を打ち込むことはない。寧ろ、高価な魔導兵を直ちに退去させるだろう。抉じ開けた穴から帝国兵は広がりを見せる。その様は大木に巻き付く寄生性の蔓植物のようであった。