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【線量計を片手に福島を歩く ロシア人観光客にお話を聞く(1/2)】 🇯🇵 今から14年前の2011年3月11日、日本史上で最大規模の地震とそれに伴う津波が発生し、福島第一原発でのレベル7に相当する事故が起きた。震災ではおよそ50万人が避難を余儀なくされ、 1000平方キロメートルもの土地が帰還困難区域となった。2018年に被災地を訪れる観光ツアーに参加したロシア出身の女性日本研究者、ニコル・スキアシャンツさんがそのときの印象を「スプートニク」に語ってくれた。 「恐ろしい気持ちになった」 モスクワ大学付属アジア・アフリカ諸国大学で学ぶニコル・スキヤシャンツさんは、筑波大学に留学中だった2018年12月に、福島県への無料観光旅行を組織する社会団体の広告を見て、参加を決意。応募用紙に記入し、簡単な面接を受けた後、ニコルさんは旅行に参加する権利を手にした。企画した団体は、主にSNSを積極的に活用している外国人を集めており、ツアーグループには写真家、ブロガー、そして欧米、東南アジアの留学生たちが含まれていた。そして出発の前、参加者全員に放射線量を測定するためのドシメーターが配布された。 ニコルさんは言う。「廃墟、復興しつつある区域、海岸などを案内してもらいました。このツアーに参加できて本当によかったと思っています。当時はバスもなく、鉄道もなく、公共交通機関は運行を再開したばかりで、車がないと自分では行けない場所だったからです」 最初に訪れたのは富岡町。この町でニコルさんがもっとも印象に残ったのは、海岸に立つ9メートルの壁だという。「この壁を見ると、ここに町があったのだということが分かるのです。そう思うと恐ろしい気持ちになりました。そこに町があって、それが1日のうちになくなってしまったのです。それから、被災したときに何クラスかの子どもたちが避難したという唯一残された学校も印象に残っています」 地震後、住民は一斉に家を離れた。家の中は当時のままの姿を留めている。 基準値超える放射線量🗨️「日本人の知り合いの多くに、なぜ福島に行ったのか、怖くなかったのかと訊かれました。その問いに答えるとしたら、心配はありましたが、興味もあったということでしょうか。日本を学ぶ若い専門家として、すべてを自分の目で確かめたいと思ったのです。わたしたち、チェルノブイリの事故の話を聞いて育った旧ソ連圏出身の人間にとっては、他人ごとではありませんでした。というのも、放射能というのがどういうものなのか、またその結果、何が起きているのかを隠すことがどれほど良くないことかを知っているからです。欧州の人々はそういう意味では純朴で、チェルノブイリ原発事故のことも聞いたことがない人が多く、何もかも安全ですというガイドの話を疑いもなく信じていました。 もう一つの問題は、線量計がどのように機能しているのかよく分からないことです。東京ではブザー音が出るのに、福島の中心地では基準値のままであったり、逆に汚染されていない場所にいるのに、基準値超過を示しているということもありました。大都市ではどこでもブザー音は鳴るので、福島で鳴っても心配は要らないと言われました」 🔔 でもう一つの見方を
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Sputnik 日本
@sputnik_jp
【来るはずのない配達車に涙、福島から届いた感謝の手紙 ロシアの意外な支援とは】 ❤️‍🩹14年前に突如日本を襲った東日本大震災は、ロシア人にもショックを与えていた。ロシアは二度にわたりロシア非常事態省の救助チーム156名を宮城県石巻市に派遣。民間企業も独自で支援を始めた。
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