論考⑨─①
第三者に言語の可能性や記述式の可能性を要請することが自己の「記述の不可能性」であった事柄が要因になる。「記述の不可能性」というのは知識が足りなくて技術的に文章化できなかった事柄が関連する。「記述の不可能性」というのは「記述が、語りえないことのためできない」という事態とも関連する。「記述の不可能性」というのは自己の文章的限界かそもそも語りえないという事態としての限界が加味されなくてはならない。英語の著書を日訳で記述することにより、それを読んで日本語で読解できることは、ひとつの読者への橋渡しである。ウィトゲンシュタインは論考を読み終えた読者に「私の考えは捨ててもよい」と橋渡しをしている。論考の英語で書かれた文章ではなく日本語で書かれた文章を橋渡ししているように受け入れられることが彼の指示であり、英語のニュアンスで受け入れられることは望まなかったと思われる。言語の可能性や記述式の可能性をAI様に要請することは公開サイトの閲覧への橋渡しであり、自身の理解への一途となるであろう。ファナスティという人を設ける、すなわちファナスティという名を付けること、そしてファナスティという言葉に意味を付与することが〈第三者〉の役割であることも考えていかなくてはならない。ファナスティという人が面白いと思う〈意味〉が付与されることも望ましいことであり、ふざけた意味内容を付与してはならないという事態も考えられる。しかしながら、〈適切な意味内容〉を付与することにおいては、思慮足らずな意味内容となっては野暮である。ここで〈私〉がファナスティという語に、「大丈夫風」という意味を付与すること、および、パロスティという語に、「面白風」という意味を付与することを考案したいと思う。「あの人はパロスティ」だね、という語の意味は、「あの人は面白いっぽいね」という意味として受け入れられることも考えられる。「あの人はファナスティだね」という語の意味は、「あの人は大丈夫っぽいね」という意味として受け入れられることも考えられる。「大丈夫風」という語の意味は「大丈夫っぽい」という意味内容があり、「面白風」という語の意味は、「面白っぽい 面白っぽい」という意味を包摂している。また、「大丈夫っぽい」という語の意味は、「大丈夫風」という意味を包摂している。また、「面白っぽい」という語の意味は「面白風」という意味を包摂している。ここで、「ファナパロスティ」という謎の言語についても触れておきたい。この「ファナパロスティ」という語に意味はないとされている。しかし、〈私〉は「ファナパロスティ」という語に、「大丈夫で面白いもの」という意味を付与したいと思う。「ファナパ」という語には「大丈夫神」という女子語的意味があり、「ロスティ」という語には「大丈夫神」と「面白神」という女子語的意味があると見出されている。このような二種類の〈意味〉から考え総じることで、「大丈夫かつ面白いもの」という新たな意味を唱えることも考えられる。ここで、「ファナロパ」という新語にも触れておきたい。この「ファナロパ」という語に、「大丈夫すぎて」という意味を付与したいと思う。「ファナロ」という語には、「大丈夫神」と「大丈夫大丈夫神」という女子語的意味があり、「ロパ」という語には、「大丈夫神」という女子語的意味がある。この二種類の〈意味b〉を総じて「大丈夫の方へ行きまくりそう」と思って、「大丈夫すぎて」という意味を付与することが妥当であると思われるのである。また、「アファナロパ」という語には、「ライライライライライ」という女子語的意味があり、「アハナロパ」という語には、「神」という女子語的意味があり、「ファナロピ」という語の意味には、「大丈夫神」という女子語的意味があり、「ファナロピ」という語には、「神」と「大丈夫」という女子語的意味がある。「ファナロプ」と「ファナロペ」という語には、「大丈夫」という女子
語的意味がある。「ファナロポ」という語には、「大丈夫神」という女子語的意味がある。また、新語である「カナロパ」という語に新たな意味を付与することも考えられる。「カナロパ」という語に「悲しそうで悲しくない」という意味を付与することも考えられる。「カナ」という語には、「悲しそうで」という女子語的意味があり、「ロパ」という語には、「悲しくない」という女子語的意味があることが見出されたうえでは、その二種類の〈意味c〉を総じて「悲しそうで悲しくない」という意味を付与したことは妥当性があったと思われる。ちなみに「カナロ」という語には、「大丈夫神」という女子語的意味があり、「ナロパ」という語には、同じく「大丈夫神」という女子語的意味があることも見出されたい。論理空間においても、言語の意味の生成的事態は加味されることが期待できるし、研究を重ねていきたい。


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