高市首相「飯会の苦手な女」発言は性差別か
3月9日の衆議院予算委員会で、カタログギフト問題に関して、中道改革連合の小川淳也代表が、高市早苗首相が「私は飯会(メシカイ)の苦手な女だ」と発言したことに対して、疑問を投げかけた。
小川代表は、「日本社会が男女不平等であり、極めて性差がある」ことを指摘したうえで(日本社会に性差があるというのは、おそらく「男女の取り扱い」に差があることをさしているのだろうと了解して、話を進めるが)、前日が国際女性デーであったことに触れ、国際社会では許されないと論じた。もしも男性である石破総理が、「私は飯会の苦手な男だ」といったら、どうだっただろうかという疑問を投げかけた。
小川代表は高市首相よりひとまわりほど若く男性である。なるほどこういった発言に、問題を感じるのだというのが率直な驚きであった。「私は○○な女です」というのは、高市首相世代の少女マンガやサブカルチャーではありふれた言い回しであり、こうしたマンガにも親しんでいる自分としては、違和感を覚えなかったからである。高市首相は年齢なりに、親しみやすいフレーズを使ったつもりだっただろう。ただこうした表現に慣れていない世代からすれば「ずれて」おり、小川代表には「なぜ女が関係があるんだ」と思われたというのが社会学者としての分析である。
個人的にはその程度のことであり、むしろ「中小企業のオヤジ気分が残っている」という発言のほうがよほど問題含みであろうと思われた。しかし正直に言うと、この国会答弁は見ていられない、という気分にもさせられた。小川代表による発言は以下である。
「真のジェンダー平等社会はいわゆる性別によって免責があってはならないし、性別による過重責任もあってはならない。両方否定しなきゃいけないのが、真のジェンダー平等社会ですよね。日本社会の後進性が大問題なのだ…」「『○○の女だ』と性別属性で回収することは説明責任を曖昧にし、問題の本質から目をそらされる危険性があった」
小川代表による「性別による免責」とは、自民党の責任を問われているのに「私は女だから、攻撃しないでよ」と高市首相が「女」をもちだして、「女の私を攻撃するなんてヒドイ」という身振りをしたということである。「性別による過重責任はない」ということは、端的に言えば「男だから(女だから)と言って責められることはオカシイ」ということであろう。
私自身は、男だからという属性だけをもって責められる近年の風潮は、おかしいとは思う。しかし立憲民主党や中道改革連合の推進してきた近年の「アイデンティティ政治」は、それぞれの立場性や属性、それによる責任までを変更不可能であるとする前提に基づいた、多様性の称揚だったのではなかったのだろうか。であるとするならば、「男性」である小川代表が、国際女性デーを盾にして、「女だからと、被害者ぶるのはオカシイだろ」「女だから許されると思うな」「国際社会で許されると思うのか」「だから日本社会は遅れてるっていわれるんだよ」とばかりに責める構図は、それに反している。もう少し考えたほうがよかったのではないか。かといって女性議員が追及したとしても、「女による女叩き」となり、非常に共感を呼びにくかったのは事実であろう。
自民党が圧倒的な議席数をとっているいま、野党は踏ん張りどころであるし、責任は非常に重い。だからこそこうしたやりとりが、国民の目にどう映るのか、もう少し考慮すべきなのではないだろうか。