午後8時半を過ぎた頃。戦場を駆け抜けるような慌ただしさが過ぎ去り、食堂のピークタイムが終わりを告げる。今宵もなんとか皆の腹の虫をおさめることができたようでなによりだ。
献立はきのこの和風ハンバーグと彩り温野菜、新玉ねぎのスープに常備菜のおこのみ小鉢3種。ハンバーグのソースはポン酢メインのさっぱりしたもので、ちょっと変化球を投げてしまったかなと心配していたがおおむね好評だった。
パテの中に混ぜ込んだ蓮根の食感がなかなか良かったぞ、とどこぞの王にお褒めをいただいた気もする。食事という本来サーヴァントに必要のない行為であるにも関わらず、ここにいる英霊たちはそれを全力で楽しんでいる。
アーチャーは程よい心地よさを覚える疲労感と満足感を両肩に抱えながら、完璧に洗い上げた寸胴鍋をシンクから引き上げた。
あとは朝食分の仕込みが少しばかり残っているだけだ。米を研ぎ、小鯵の味醂干しを倉庫から持って来れば今夜の仕事に目処がつく。微妙に残ったひじきの煮付けはもうそろそろ処分する頃合いで、残りご飯に混ぜて結べば司令室の夜勤当番か誰かが食べるだろう。常備菜はあと鶏ハムの燻製と根菜のピクルスがあるから、次は牛蒡と豚バラの生姜炒めを足そうか──。
自他共に認めるカルデアの食の番人は、手を動かしながらもつらつらと食材の残りと明日以降の献立に思いをはせる。鈍銀色の作業台を拭きあげアルコール消毒したところで、人もまばらな食堂へ喧しい狗が一匹。もはや聞き慣れてしまった声といつまでたっても眩しい蒼をまとって飛び込んできた。
「くっそ、ああ腹減った────おいアーチャーなんかねえ? 食えるもんならなんでもいいから…」
「…事前に予約もせず今更飛び込みでまともなものが食べられるとでも?」
駆け込んだ勢いの割に弱々しい語調で、調理場すぐ横のカウンターにへたり込んだのは槍持ちのクー・フーリン。
真名で呼び合うことについぞ慣れず、腐れ縁の青い槍兵はエミヤのことを召喚からこっちクラス名で呼び続けて久しい。況やエミヤも同様である。同クラスの英霊がひしめくこの施設ではあるが、槍持ちの彼がそう呼ぶのはアーチャーだけであり、また赤い弓兵がランサーと呼ぶのも彼だけなので、今のところ問題は特になかった。
先日召喚されたコルキスの魔女だけはその光景を目にした途端苦みばしった顔をあらわにしていたが、それも瑣末なことなのだろう。
閑話休題。聞けば擬似戦闘シミュレーションに近々導入する新機能の調整に手間取り、終了時刻が2時間ほどずれこんでしまったという。
「今日レイシフトあんのすっかり忘れてたんだよ仕方ねえだろ…」
頬をぺたりと卓に懐かせるだらしないその顔に台布巾を投げつけてやりたいが、今夜のアーチャーはそれを実行にうつすほど鬼ではない。
腹が減っては戦はできぬ。腹がくちても味気ないカロリーバーやゼリーでは心が磨り減ってしまう。事あるごとにそう主張する、食い意地のはったマスターがいる人理修復の最前線。ここカルデアの夕食提供は原則午後6時から8時。多少の前後はあるが、レイシフトや業務等でこの時間帯に食堂へ来れない場合は事前に申し込んでおけばサーヴァントも職員も、希望時刻に自室へ(簡易なものではあるが)あたたかい食事が届けられるシステムが整備されている。そのため夕食に多少の猶予はあるが、素直にそれを差し出せるほどまた彼は天使でもなかった。
「ますます悪い。自己管理がなってないな」
「小言はあとでいくらでも頂戴すっから頼む弓兵~~ベンダーの固形食なんか食う気にならねえんだよ」
ぱしん、と小気味良い破裂音を立てて合掌ひとつ。半神の願いはかくも気安く振りまかれてばかり。
アーチャーのトレードマーク。眉間の皺が、ぐっと深まった。
「…………、待てぐらいはできるな」
この駄犬め。果たして、海の底よりも深い溜息から四半刻も経たずにそれは槍兵の眼前へ差し出される。
腹にさえたまればいいのだろう、肉が食いたいなどという我儘は聞かない、文句があるなら食べるな。散々な嫌味と皮肉をまぶして彼が出してきたのは、シンプルな握り飯と味噌汁にしてはやや色の濃い汁物だった。
まあまずは食してみないことには始まらない。椀に口づけすすってみれば、見かけの濃さに反して塩辛さは強くなく、むしろ香ばしさと出汁の旨みがいつもの味噌汁よりも引き立っている。なんでも豆のみを使用して作られた味噌で作った汁で、アカダシというらしい。目の前のこいつがどこでそれを仕入れてきたのか知ったことではないが、個人的にはこっちのほうが好みだな、ランサーはそうひとりごちた。
適度な塩分を摂取したことで空腹がいや増す。我慢の限界を超え、無心で頬張った。右手に持ったひとつめの具材は甘辛く煮付けた肉そぼろだし、左手に掴んだほうは小梅とひじきの混ぜご飯。白米に染み込む肉汁にかぶりつく勢いを止められない。砕いた小梅の酸味が後を引いてもう一口、と次を強請る。
弓兵の作るそれは口に入れた瞬間にほろりとほどける絶妙の握り加減と白米の味を引き立てる塩加減はもちろんのこと、食べさせる相手が好きそうな具材を選ぶところまで非の打ち所のない芸術品のような代物だ、ってこないだ言ってたのは誰だったか。そんな美辞麗句で褒めるようなものじゃなし、たかが握り飯、腹にたまりゃそれでいいだろう。なによりこいつが作る飯はなんだってうまいのだ。いつ、どこで、どんなものを食べたとしてもランサーの胃袋に寄り添う味なのだ。
あれだけ口酸っぱく肉など出さぬ、と宣言しておきながらこうやって甘やかしてくるのだから本当に性質が悪い。
あっという間に両手にあったそれらを腹におさめ、冷めないうちにと汁椀も一気に空にする。
満足げな深呼吸。それを聞いて、カウンターに頬杖をつきながらランサーを見つめ続けていた弓兵は調理場へ踵を返した。いつの間にか湯を沸かしていたらしい。ほどなくして戻って来た手には湯飲みがふたつ握られていた。
「まったく食い意地の悪い。もっと味わって食べられないものかね」
「な、この、アカダシ?のおかわりあるか?」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
煮干し出汁は翌朝の味噌汁用にとすでに鍋いっぱいに仕込み済みゆえ、そう時間のかかるものではない。小ぶりの行平鍋に使う分だけを取り、火を入れ直したコンロにかける。残念ながらなめこはさっきのもので品切れ。何か代わりになるものはないかと冷蔵庫の扉を開けばちょうどいい、数が合わずに残ってしまった小鉢の卵豆腐が目に止まった。普通の豆腐よりも細かい賽の目にしたそれを、つるりと鍋に流し入れひと煮立ち。火を止め、先ほどの八丁味噌を溶き入れ終了。空になった木椀をカウンター越しに回収し、よそった赤だしに三つ葉を散らして出来上がりだ。
葉をつまむ指先に刺さる視線に気付かぬふりをして椀を戻してやる。
「おー、ありがとな」
てっきり一気に飲み干すかと思いきや、ランサーはこくりと一口含んだだけで椀を置く。何かおかしな味でもしただろうか。味噌の量は間違えていないし、よそう前にちゃんと味見もしている。
「…どうした、今更豆腐が苦手だなどとのたまうつもりかね」
間が持たずについかけてしまうアーチャーの嫌味に眉ひとつ動かさず、卓上の椀を見つめて一言。
「んー、やっぱお前の味だよな。もうずっとこれがいいな。これじゃねえと食った気しねえんだよなぁ……」
椀に沈んだ具を器用に箸ですくい取りながらランサーは食事を再開する。皿の上の握り飯は残りひとつ。いつかの繰り返された4日間、幾度となく彼に食べさせたのはその、何の変哲もない胡麻をふっただけの塩むすびだ。
名残惜しそうに手を伸ばし、はあうめぇ、そう呟く本人も意識してはいないだろう、何気ない褒め言葉。
アーチャーとて自分への料理に対する賞賛にはいい加減慣れた。慣れていたつもりだった。ランサーとてそういうつもりで口にしたわけではない、わけではないが彼が、あまりにも、そうあまりにもへにゃりと気が抜けた笑顔でそうこぼすから。
己が味噌汁を所望される、古典的な求婚の言い回しが脳裏に一瞬よぎってしまった。
「……たわけが」
耳朶があつい。こんなことで動揺する自分を認めてしまっては磨耗で消滅どころの話ではない。ちょっと大手をふって正義の味方ができる現場だからといって今更こんな弛んだ思考を持つなど許されるものではない。わかって、いるのに。
何か言えば自分が制御できない何かを吐露しまいそうで、カウンターの先、彼に顔が向けられない。
次にどんな声をかけられても聞こえないふりをするための言い訳を探して、食洗機のスイッチに手をかけた。
はーーー好き 何度でも読みたくなります😄